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不機嫌

友人と仲違いをしたから。
上司が今日も理不尽だから。
恋人に蔑ろにされたから。…etc
こんな理由で自身の機嫌が損なわれてしまったと言う経験を持つ人。いや、日々そんな憂鬱な事象と対峙していると言う人だって少なく無いだろう。
大人にもなって、自身の不機嫌をわざわざ外部に漏らすことはきっと美しいとはされない。
しかし、多くの人に「それは機嫌も損ねるよね、仕方がないよね」と思ってもらえたなら、その不機嫌は同情を買うための道具にもなる。
だから、大人の不機嫌は子供の不機嫌とは違って、たまに『当人を正当化する為のでっち上げだったりするのでは無いだろうか』と思う。
当人もそれに気づいているかは分からない。私だって例外ではない。
本当はその不機嫌に大した理由なんてないのに、あたかも悲劇の最中にいるような顔をしてみたりとか、自分や相手を納得させるだけの理由を拵えてみたりしていることは無いだろうか。そうやって自分はまともな人間であると思おうと、思わせようとしてはいないだろうか。

「前から思ってたんだけどあの子って…」と思いつきで陰口を言い出す同級生が苦手だった。
「ついこの間まで仲良くしてたじゃない。今たまたま嫌な事があったからって過去まで否定する必要ないのに。」と思った。

大人の不機嫌はこれに似ている。
本当は恋人の発言が気に障ったのではない。その時お腹が空いているのにご飯がすぐに食べれなかったりして、そもそも機嫌はあまり良く無かったのだ。
本当は上司の理不尽も今日のは大したことでは無かった。ただ既にその上司のことが少し苦手になってしまっていたから、どんな発言も気に食わなかった。
…のかも知れないわけだ。
私が取り扱う不機嫌も、誰かが向き合う不機嫌も、必ずしも誰かや何かが悪いわけでは無い。いつでもきちんとした理由があるわけでは無いのだ。
単に体調が万全で無かったり、天気が悪かったり、お腹が空いていたり、言ってしまえば大した事でもないような事で、場合によっては言葉にもならないような何となさでさえ、子供の様に機嫌を損ねてしまったりする自分や誰かがあると言うことをよく覚えておくべきだ。
自分を正当化しようとして、上手に説明付けようとして、心理的理由や具体的な出来事と不機嫌をこじつける事は必要以上に自分の世界に悪を作り上げてしまう。
そしてその悪はふとした瞬間に我々の首を絞めにくる。
もしかしたら今度はそいつが新たな不機嫌を連れてくるかも知れない。
そんないたちごっこの様な真似やってられるか!って話ではないか。
いや、いたちごっこにすらならない。悪はどんどん増えるのだから。
とにかく私たちがこの先を生きていく為に得策ではないのだ。
大した理由なんかはなくたって良い。自身の世界が敵ばかりになるよりは、多少情けなくとも自分が大人未満であることを認めて生きる方がまだ幾分か生きやすいと私は思う。


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