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かつての駅前喫茶や駅前スナック

いわゆる「イートイン」なんだろう。だだっ広いホールにテービル席が散っていて、周囲を飲食のテナントさんが囲んでいる…後学のためにと、きょうはそういう場所で奥さんとランチした。

水曜日だったからだろう。お父さんはまばらでしたがベビーカートのママさんたちは案外いらして、自粛ムードの中、ご高齢の夫婦とみられる二人連れの方もたくさんいらっしゃった。再開発地ですから、周辺にはオフィスビルも多く、お勤めランチと見受けられる方も散見できた。

天井は高い…その高い天井を眺めながらふと思った。

僕一人で、ここでゴハンだったら、空間負けしてずいぶん寂しい気分になってしまうだろうなと。体育館みたいな広さが仇となる感じ。

きょうの僕のように話しをする相手がいれば、この空虚な空間を「場所」にすることができる…
そうか…広い大都会という「空間」を、デラシネたちが、それぞれに「場所化」するために、馴染みのママやマスターがいるような、かつての駅前喫茶や駅前スナックは重要な役割を果たしていたんだな。

改めてそんなことを思った。

電車を降りて家路に着く前に、ふっと力を抜く…会社の垢を落とす。商店街のオヤジたちが愚痴をこぼす。カラオケで発散する。そういうこともさることながら、ふるさとを後にした「よそ者」たちにとって、砂漠のような大都市を唯一「場所」化できるのが「駅前喫茶や駅前スナック」。大げさに言えば、そこにいる馴染みのママやマスター、常連仲間たちが、この砂漠にもなんとか耐えて生きていける…命の源だったんでしょう。そんな気がする。

「内側にいる人には安心のゆりかごでも、外側にいる人には高い壁」というコミュニティの特性を超えて、「みんなで」の時代が終わりつつある時代の都市生活者に求められる「場所」をデザインすること…

急務だなぁと思う。

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