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グループシンク

「井の中の蛙大海を知らず。されど空の青さを知る」の「されど空の青さを知る」は、実は後になって付け足された文言なんだそうだ。

やっぱり、この諺が言いたかったのは「狭い世界に生きて広い世界のことを知らない」だんたんだろう。実際、井戸の中にいると天上の「空の青さ」を知ることができても、地上にある世間のことについては窺い知ることができず、つまりは「広い世界のことを知らない」になってしまう。

うちのおふくろなどは生まれてこの方、生活圏としては、ほとんどヨコハマの港近くから出たことがない。ヨコハマにしては長い家だから、人脈も土着的。でも、旅行好きだから、全国津々浦々を知ってるつもりでいる。

いやいや

ボストンの街角を、ヨコハマの常識をもとに推測するのは危険だし、ググル・アースがあっても、そこに映し出されるのは「日常の営み」から切り離された「空間」の影だけ。視覚としてはどこの街へでも行ける時代ではあるけれど、だからこそ、その地での生活を自分の経験から類推すべきではない。

(「人々の営み」については、知らないのだから)

同じヨコハマだって「港ヨコハマ」には「港ヨコハマ」の営みがあり、郊外のニュータウンには「郊外のニュータウン」の営みがある。「港ヨコハマ」の家に育ったオフクロが、その常識を「郊外のニュータウン」に押しつけてはならない。

(「よそ者」の寄ったりである大都市などは「家」ごとにだって常識は違う)

だから注意深く観察すべきだ。もはや「隣のインド人」が現実のこの国なんだし、量的から質的へと時代の価値観も転じてきている。

もはや「違い」を乗り越えてはいけないのだ。

グローカルを志向しようにも、その街のことしか知らなければ、やっぱりただのローカル。あの徳島県上勝町の「葉っぱビジネス」も大都市の需要を知らなければ発想できないこと。

恐るべきは「グループシンク」だ。

グループシンク:
合意に至ろうとするプレッシャーから、集団において、物事を多様な視点から批判的に評価する能力が欠落する傾向のこと。
集団ゆえに陥りやすい問題のひとつ。 特に、集団のまとまりが強い場合や、外部と隔絶している場合、支配的なリーダーが存在する場合などに起きやすい。

実際、うちのオフクロは、強気に自分の価値観を押し付ける一方で、いつも怯えている。親戚から浮き上がらないか、地域コミュニティからはみ出さないか、選挙仲間から孤立しないか。

彼女、幸福なのかな、っていつも思うし、子供にとっては、そのストレスが迷惑だ。