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インフラ整備ということ

今は、横浜市といえども、長く鎌倉に文化圏に属してきた「港南」に暮らしている。たぶん、ご近所に大きな田畑があり、未整備の雑木林があるところに住むのも、生のヒグラシの声が聴こえるところに住むのも初。引っ越してきたのは還暦まであと少しという5年前。

こういう土地で5年を過ごしてみると、アスファルトにしろ、舗装材にしろ、ぬかるみを避けて、ほとんどすべての土に蓋をしてしまったことがどれだけ暴力的だったのかとつくづく反省させられている。
僕は、長靴を履かなくてよくなる便利さ、快適さを手放しで喜んできた世代だが、その「便利さ、快適さ」が「奪ってきた」ものも、とてつもなく大きなものだということに、つい最近まで、まったく気がつかなかった。

ちゃんと土の大地に根を張る樹木の樹勢に日々触れていると、計画的に植えられた街路の植栽の不健康さを思う。最近の研究では、土の中を縦横無尽に移動する菌類たちが、それぞれの樹木たちをネットワークし、さらに樹木たちの健康に好影響を与えているということがわかってきたそうだが、植栽の樹木はコンクリートの箱の中に閉じ込められてしまっていたりするから、そうしたことができずに、それぞれが孤立してるんじゃないだろうか。樹勢のなさはそういうところから始まっているのだという気がする。

以前、暮らしていた都心の街の植栽が、その大きさにもかかわらず、並程度の台風であっさり倒れてしまってびっくりしたことがあるけれど、「土」がない場所の植物っていうのはそういうものなのかもしれない。

ベランダで鉢植え植物を育てていると病虫害のケアはたいへんになる。アーバン・デザインな街の植栽は、この「ベランダで鉢植え植物」に似ている。限られた土に、限られた根を窮屈に張り、あらかじめ造花のように生気がなく、のびのびとはしていない…。彼らは人間よりはるかに我慢強から、それでも一生懸命に生きてくれているけれど、決して健康ではないから、すぐに倒れたり、枯れてしまったり。

今住んでいるところから10分ほど歩くと、畑があり、開発から取り残された、それなりの規模の雑木林がある(田んぼまではもう少しある)。
たぶん、個人の所有に係る土地が広大なんだろうな。雑木林にしても、中に入れないから、返って低層木も草も自然の植生のまま。外周を歩いているだけで森林浴になるような樹勢がある。有難いことに周囲は畑だから、都市的な空間とのインターバルもある。で、季節になればウグイス、ヒグラシは群鳴と。

でもね。

地続きに、開発途中で放り出された60年以上、未貫通の幹線道路(つまり万年工事中)もある。掘削された里山に、コンクリートの床部、側壁が放りっぱなし。国交省でさえ、もう止めてくれって通達だしているのに、自治体側は止めようとせず、ここが自然に還るまでには、まだ100年以上の時間が必要となるのだろう。

このすぐ左手は畑なんだ

貴重な緑をね。自然をね。

そんなことより、どうやって業者さんを食わせるかなんだろうな。そうでなきゃ、政府でさえ止めてっていう道路工事を続けるわけはない。

近視眼的だね。こういうことが近未来の「後悔」につながるのが世の常なんだけれど。

そしてね。こういうことに何も言わないのが市井の「みんな」だ。
こんなに生活苦しくなってもね。

ぢっと手を見るだね。