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攻撃はいつだって予想以上だ

わが国でも、全く備えがなかったわけではなかった。

1937(昭和12)年には防空法を定めて、空襲に備えた消防・避難訓練・救護訓練など各地での防空演習を本格化。この2年後には空襲時に警察の指揮下に民間人を動員する警防団が結成され、さらには延焼を防ぐとして、民間の建物をあらかじめ破壊しておく「建物疎開」も行われる。アメリカ合衆国と戦争状態に入る前のことだった。

(「建物疎開」という言葉、この国の政府らしい巧みなイメージのすり替え。破壊消防というくらいて、破壊も消防ではあったのだろうけれど、大切な家屋を破壊された人はいたわけだから。それに今日に至るも「建物疎開」の効果は不透明)

でも、ここで想定されていた「空襲」にナパーム弾(油脂焼夷弾)での攻撃はなかった。米軍が、細密に日本の木造家屋が密集する地域を実寸大の模型に再現し、実験を繰り返しながら綿密な攻撃計画を立て攻撃に及ぶという想定もなかった。

もちろん、解っていた人は解っていたんだと思う。でも、市井の人々だけでなく、お役人や軍人の大半も、水での消化が効かない油脂焼夷弾に、なんの予備知識もなく、無邪気にバケツ・リレーをし、平時の火災を念頭に消火訓練を行っていた。

これから先、この国が戦争に巻き込まれるとして、僕は、同じように政府の施策は後手に回るのだと思っている。なぜなら、あの頃と政府や自治体の体質は、まったく変わっていないと思うから。

(一応、公共政策学が専門で、役所とのつきあいも40年。で、そう思う)

第一次世界大戦には、戦車・飛行機・毒ガスといった新兵器が開発された。そして、第二次世界大戦は無差別爆撃。このことで「戦場」といわゆる「銃後」との境界がなくなり、天津で、ドレスデンで、東京で、兵士ではない人々が殺戮されるようになった。

恐らく、次の大戦では、さらに「無人攻撃機」による市街攻撃が主流になり「日常生活の場」が攻撃対象になるのだろう。逃げ惑う市井の人々の頭を狙ってどこまでも追ってくる小型の攻撃ドローンの実用化があるだろう。すでにウクライナの戦場では具体化されている。

(爆撃のターゲットは「街並み」という空間から、生身の人間ひとりひとりになっていくのだろう)

攻撃側も迎撃側も、兵士たちは戦闘が行われている市街からは遠いところにいて、TVゲームを行うように闘う。実際に逃げ惑うのは市井の市民だけ。市井の市民の肉体がバラバラに吹き飛ばされる…

もし、第三次世界大戦なんていうことになったら、そういう戦争像になるのではないかと懸念している。

八つ裂きにされながら殺されるのは市井の人々だけ。

「核」には汚染がつきもの。戦勝国の戦後利用にも不安を残す。国際世論の標的にもされやすい。よって「核」は使いにくいんだと思う。だから広島や長崎が表立った核攻撃の最後になっているのだろう。先進国による毒ガス攻撃がないのも同様なのだと思う。

でも、無差別な空爆が無くなったわけではない。
その延長線上に「無人攻撃機による市街攻撃」があるように思う。

(一瞬にして、投下された地区の「酸素」をすべて燃焼してしまう爆弾も開発済みだという。人間だけが死に、施設は温存されるのだという)

ベトナム戦争がそうであり、湾岸戦争がそうであったように、国内世論にとって多くの戦死者が出ることは為政者にとって厄介事。故に「戦死者が出ない攻撃」は為政者にとっての理想なのだと思う。

攻撃側の兵士は死なない。

彼らは科学の進歩を謳いながら、画面の向こうに無辜の市民を惨殺する。戦争を無くせない僕らが覚悟しておかなければならない近未来だと思う。もう技術的には不可能なことではない。

※ 冒頭の写真は、今も鎌倉橋(東京)に残る第二次大戦時の空襲による機銃掃射の痕。