見出し画像

「ほっとできる場所」を

自治体がコミュニティ・メイキングを試みると「最大公約数」的な「集まり」をつくろうとする。税金を資金源にしているのですから当然だ。でも「最大公約数」的なコミュニティは、誰にとっても「帯に短し、襷に長し」であるということも事実。誰にとっても居心地が悪い。

もしも、そこが「お金を稼ぐための協働をする」集まりだったら、多少のことは我慢するだろう。でも就業時間外のためにこそあようなるコミュニティは「居心地」の確保がまず第一のテーマ。逆に言えば、その場においての「居心地」を糧に「お金を稼ぐためのストレス」に耐えていく、そのための「集まり」だともいえるのだから。

仕事の合間に「ほっとする」ための集まりは行政にはつくれないということ。そのための空間をつくろうとしても、きっかけになるようにとイベントを仕掛けても、その資金源が「税金」である限り「ほっとする」ための集まりはできない。自明の理だ。だって税金だから。

その役割を駅前スナックや喫茶店みたいな場所が果たしているケースがある。それぞれのマスターやママさんには個性があるから、当然、お客さんは選んだんだと思う。でも、だからこそ誰かにとっては居心地が良かった。 

スタバやドトールにはできないことだ。

あれはビジネス。集約的に金儲けができて評価される珈琲販売店。喫茶ではない。スタッフさんは、ホントにお金と引き換えに珈琲や飲料を笑顔で提供してくれるだけの人。それ以上のことをしたら「本部」の人にお目玉を食らってしまう。

でもね。スタバやドトールの方が街場のスタンダード。「ほっとできる場所」はファスト風土に呑まれていく、と。

たぶん、今の若い世代の方はスナックや喫茶店に濃密な人間関係があったこと自体を知らないでしょう。店によっては、ほんとうに「わが家」のようだった。

もう一回、なんとかならないかなぁ。

僕は、僕という「変わり者」なりに「場所」をつくって見たいと思っている。きっと「変わり者」は僕一人ではないだろうし、事実、これまでも完全に「一人ぽっち」になったことはないから。

奥さんとも40年近く、一緒にいるし。

地縁や職縁がなく大都会に漂流する「おひとりさま」か「おふたりさま」,たぶん、子どもがいない僕らに僕らにメイキングできる場所はそういう感じがベストかなと。