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ヨコハマ空洞説

18ある行政区のうち、海岸線を接するのは6区のみ。それでも、ヨコハマは港町。リアルなヨコハマを語ってもヨコハマ市民にすら歓迎されず、望まれているのは「イメージとしてのヨコハマ」を語ることだ。

こんな感じだったり

異国情緒っていうなら、こんな感じだったり。

こういうんだったり

饐えた感じなら、こうかな。

「裏ヨコハマ」だって、イメージとしてのヨコハマの「裏」だ。海岸線を接する6区だって、京浜工業地帯に呑み込まれた鶴見や、中区の根岸から磯子区、金沢区は、イメージとしてのヨコハマからみると、異質な空間なのかもしれない。

いずれにしても語るなら「イメージとしてのヨコハマ」だ。リアルなヨコハマのことなど「聞かせてくれるな」と言われているようでもある。
あくまでも訪れる人のためのヨコハマだし、訪れる人のような感覚のまま、この街に暮らすようになった人も増えて、ますますイメージとリアルの境界はあいまいになり「イメージとしてのヨコハマ」が肥大化して今がある。
こういった状況に、根岸のコンビナートを眼前にするマンションが「山手」を名乗り、新山下の倉庫群だったところが「元町」を名乗るマンションに再開発され、さらにリアルの所在がどこにあるのか、わからなくなる。

いずれにせよ、リアルなヨコハマは歓迎されない。山手の瀟洒なイメージか、松田優作さんの「ヨコハマBIブルース」や「濱マイク」なヨコハマか。リアルなヨコハマのどこを探しても、そんなヨコハマはないんだけれど、ロケ地にはなるから、松田優作さんが歩いていた「街並み」はリアルだ。

リアルなフィクションが増殖していく。フィクションが「リアルなヨコハマ」を上書きしていく。

子どもの頃から、わが家ではウチキのパンを滅多に食べない。歩いて行ける範囲にあったのだが、もっと近所のパン屋さんで事足りていた。でも、大学の同期からはウチキのパンなら、何が美味いのかと尋ねられ、答えに窮するとなんだという顔をされる。うちは中華料理といえば、中華街から本牧に向けての途中にある「麦田」ということにある店だったのだが、それじゃぁ、ダメなのである。イセザキ町だとよく行ったのは炉端焼きの店だったのだが、そこを紹介しても喜ばれない。

うちは四代150年、ずっと港近くから動いたことがない家なんだけれど。

つまりね。ヨコハマってハリボテみたいな街なんだ。中身は空洞。ホントは中身もあるんだけれど、そんなこと誰も期待していないんだ。

みなとみらいも「僕が子どもの頃は、あそこ、碧灰色したドッグだったんだ」っていっても「へー」って言われるだけなんだ。