失敗作を食べさせろ
「おい、最近パン持ってこねえじゃねーか。何やってるんだ」
確か私より7つほど歳が上の彼が、カメラのレンスが3つもついたiPhoneに目線を落としたまますごんだ。
「まあここのところ、週末はいろいろありまして。息子の結婚式とか。海開きイベントとか」
彼は、なにかと目をかけてくれている私の勤務先のコワモテの役員。私がパンを作っているということを口走ってから、オレはパン好きなんだ、作ったら持ってこい、と恫喝されるようになった。
それからは、パンを作るたびに3つほど取り分けておいて、丁寧に紙袋に入れては彼専用に用意された執務室に持参していた。
おもむろに紙袋から1つ取り出してはそんざいに口に運ぶと、彼の口から出る感想はたいてい、「まあまあだな」か「ちょっと硬いなこれは」。そして、1つ食べ終わると、机の上の内線電話で受付の女の子を呼びつける。
「ほら、食ってみろ。食ったら正直に感想を言うんだ。気を遣って思ってもないことを言ったらこいつのためにならねえからな」
そんなやりとりが毎回繰り返される。
最近彼の元にパンを届けられなかった理由は、息子の結婚式や休日出勤によるものだけではなかった。
「最近作ったパンはどうも失敗ばっかりで、なかなか満足のいく仕上がりにならないんですよね・・・」
私の言葉が終わるか終わらないかの時。
「ばかやろう!失敗だからこそ持ってくるんだろうが!そういう時に正直に感想を言ってくれる人はなかなかおらんぞ。それに、自分は失敗だと思ってても、他人が食べたら意外とうまいってこともあるんだからな」
パンの話をしているとは思えない、人生論的な会話の展開にしばし頭が追いつかなかった。
いやそうですよねありがとうございます次は必ず持ってきます、もごもごとそれだけ言うと、最近調子はどうだ職場はうまくいっているのか、といつもの役員と社員の会話に戻った。
この人はこういう人なんだ。私がパン作りをしているといっても、「へー」「すごいですねー」という反応で終わることが多い中、他人のことを真剣に考えてくれるありがたい存在。
ちょっとこれは食べられないなというパンを焼いてしまったことも二度ほどあるが、確かにそれ以外の”失敗”は、思い通りのパンにはならなかったものの、別のパンとしては問題なくいただけるものばかり。
思い通りのパンになるまで練習を重ねるもよし、想定と違うパンになってしまったら、そういうパンを作る方法を発見したと良い方にとらえるのもよし。
そのあたりは、作った本人ではない、他人の素朴な感想にこそヒントがあるということを、彼は教えてくれたんだろう。
さて、次回は心ゆくまでパンを食べてもらえるよう、いつもより少し多めにパンを焼いて彼の部屋を訪れることにしよう。
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