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失敗の価値 - 抹茶塩パン

2年もパン作りを続けていると、基本的な手順だったり注意するポイントなどがある程度頭に入っているので、レシピに首っ引きじゃなくても作業を進めることができるようになってくる。ふんふんふん🎶、と鼻歌でも歌いながら楽しく作業を進めていける。

・・・はずだったのに、ここのところ毎回なんやかんやとミスをしでかしている。

前回は、どんなパンを作るにしても必ず入れないといけない塩を入れ忘れてしまった。いつもなら、必要な材料をすべて小皿などに入れて準備してからパン作りをスタートするものを、その日に限っては材料が少なかったこともあって油断してしまい、一つ出しては作業を進め、途中でまた次の材料を出すといういい加減な進め方をしてしまったために、肝心な塩を入れるのをすっかり忘れてしまった。

昨日焼いた抹茶塩パンは、二次発酵での膨らみに耐え切れずに生地の一部が破けてしまった。

モンスターが大口を開けて叫んでる?

こちらは、明らかに生地のこね方が足りなかった。冷蔵庫で半日ほどかけて一次発酵させる場合は、事前にしっかりこねなくても生地がつながっていくから、まあこれくらいでいいよな、と適当なところで切り上げてしまった。

どちらもなぜそうなってしまったのかがよくわからないミスではなく、振り返れば何が悪かったのかがはっきりわかるミスばかり。

そう、いわゆる”過信”というやつなのだ。

ちゃんとわかってる、これくらいは何も見なくても自分にもできる、なんてえらそうに思っているつもりはなかった。でも、これだけミスが続くと言うことは、きっと無意識のうちにそう思ってしまっているところがあるのだろう。

次の週末はどんなパンを作ろう、なんとなく方針を決めて、レシピを検索する。よさそうなレシピが見つかったら、少しばかりアレンジして使う。今回の抹茶塩パンは、レシピではスタートから焼き上がるまで1日でやってしまう手順だったものを、効率的に時間を使うために、一次発酵を冷蔵庫で一晩かけて行う手順に変更した。そういう工程をはさむのであれば、考慮すべきところが他にもいくつかあったのに、これくらいでいいかなと深く考えることを捨ててしまった。

まだ自分でレシピを作る能力はないので、人様のレシピをお借りして作る。ただレシピ通りに作るのはおもしろくないので、ちょっとカスタマイズしてみる。

そろそろそのやり方を続けていくのは、限界に来ているのかもしれない。レシピはレシピでお借りするにしても、もう一段踏み込んで、自分が作りたいパンはどういうものなのか、そのパンをこういう手順で作るには、それぞれの工程はこのままでいいのか、何を大事にすべきなのかを事前にしっかり考えてからパン作りを始める。

これ、ひょっとするとそのやり方を続けていくことで、自分でパンのレシピを考えられる能力を培うことにもなるんじゃないだろうか、ふとそう感じた。

ものごとに習熟していく過程、成長していく過程で必ず訪れる、停滞期、スランプ、踊り場。いわゆるそういう場に、自分はいるのかもしれない。ということは、これを乗り越えれば、一段ステップアップできるということになる。

それに気付いただけでも、失敗した価値はあったといえる。うん、そう考えよう。

春本番を迎える頃には、自分のレシピでねこのてベーカリーならではパンを作っている自分の姿を思い浮かべて。


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