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ナラティブ・チーム報 (輪番でチームの日報を書く)

 同じものをみていても、あるいは同じ時間をともにしていても、どうみているか、どう感じているかは人によって違う。

 だから、ふりかえりであるとか、その他のワークショップや場を設けることで、意識的に分かろうとする。考えをあわせたい場合もあるし、合わせるのではなく違っていることを分かるようにしておきたいという場合もある。いずれにしても「共通理解」を一定得る、時折得ることで、チームや組織の営みを良くする。

 こうした「何に、何を感じているか」を表出するのが容易ではないときがある。表出する時間、合わせる時間が取れない。たとえその時間がチームとして取れたとしても、そのタイミングに必ずしも表出しきれるものでもない。

  「思うこと」がもやもやとして、言葉としてまとめられない。「5分で付箋をあげてみましょう」な瞬発的な動きに合わせることができない。断片的な言葉でも挙げられるようなチーム、場であれば良いが、いつもそうとは限らない。まとまらない感情や思考、あるいは言語化するのに時間がかかるそれらについては、どこかに置き去りになりやすい。

 よくある氷山モデルのイメージのように、見れたり聞こえたり、掴めるものはほんの僅かでしかない。そう思っておくことは、チームの営みに寄り添っていくにあたって、何某かの助けにはなる。

 「何に、何を感じているか」の手がかりを得る手段として、チームで日報を書く、が考えられる。日報やtimesなど、個々人の表出を習慣にしているチームは珍しくないだろう。チーム全員で日報を書いていれば、自ずと同じ文脈について語り合うことになる。

 ただ、チーム全員で日報を書き続けるというのは持続しないことが多い。だから、チームで輪番でチームの日報を書く、という方法を選択肢に入れたい。月曜日はAさん、火曜日はBさん、水曜日はCさん…といった具合で「チーム報」を書く番を回す。

 チームで何をして、何があったか。それらについて、自分はどう感じ、どう思ったか。特に、チームでどういうときにどんな判断をしたか、どんなものの見方をしたか、というチームの意志決定( Team Decision Record / TDR)について記録しておくと良い。

 ふりかえりやスクラムイベントでももちろん意志決定の記録は残るところがある。ただ、会話ベースだとその場でみんなが納得して(=消化して)、終わり(=あとは記憶頼み)、ということが多くなる。チームとしてどう考えたか? は後々の見直しによって意志決定のクオリティをあげられる手がかりになる。記憶よりは記録に残しておきたい。

 そうした内容を含めて、誰かがチームについての日報を書く。もちろん、ある人の主観によって出力されたものだから、内容に対して違う見方や意見を出したくなる、出す必要がある場合がある。それも狙いだ。ほかのメンバーからコメントを寄せる。「考えをあわせたいこと」や、合わせるのではなく「違っていることを互いに分かっておきたいこと」を発見できるようにする。

 同じ時間、同じものをみている中で、同じチームのメンバーとして、それぞれについて語る。ナラティブ・チーム報とでも呼んでおこうか。

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