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コミュニティや仕事での余白をつくる

 コミュニティ(会社や会社以外含め)の中で、自分ばかりがいつも仕事をひっぱっている、仕事を託せる人、次に任せる人がいない、と嘆きを感じることはないだろうか。かつて、私は感じることがよくあった。

 仕事をリードする役割は、情報が足りてなくて、正解も何もどうなるか分からない状況でも、それでも前に進んでいこう、周りを巻き込んでいこうとするスタンスが求められる。これは、誰もができるわけではないだろう。

 かくして、仕事を切り開いた人がそのまま引っ張り続けることになる。どんどん引っ張る。何か(あるいは誰かに)、崩壊が起きるまでそれが続く。

 こうした状況は、車がぎちぎちに詰まった道路のようなものだ。一定のスピードで進みはするが、車の順序が入れ替わることも無いし、途中から入ってこれる車も無い。つまり、スペース(余白)が無い

 余白が無いということは、次にどれだけ人が控えていても、途中から人が入ってきても、その人たちが埋められる空間が無い。やがて、何もできないことに気づき、誰もついていけなくなる

 仕事やコミュニティでは誰が余白をつくれば良いだろうか。次に来ている人に、これまでには無い余白をつくっていくことが求められるのだろうか。あるいは、先にいてリードしていた人が余白をつくるべきなのだろうか。どちらの在り方でも良い。ただ、自分がリード側にいるならば、自ら余白をつくるということは自分の意思でできることだ。

 余白をつくるとはどういうことなのだろうか。それはポジションを空けるということだ。自分が占めていた場所を空ける。必ずしも役職に限った話ではない。役職という単位では解像度が粗すぎるだろう。コミュニティにおける仕事はもう少し小さな単位で流動的なはずだ。

 こうした行為は、自らの意思を決めるということ以外にもう一つ、心にしておくことがある。それは、余白をどう埋めるかはそれを埋めに来た人に任せるということだ。その余白に次に描かれるイロが、あなたの想うイロでは無かったとしても決してそのこと自体伝えてはいけない。どのイロを選ぶのか決めるのは、もうあなたではない

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