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海の底と太陽の森 16.模索者

空が小さくなっていく、近づけば近づくほどに巨大になっていく。

下から見えた微かな木は、今や僕の視界を完全に埋め尽くしている。その異様。他の木々との違い。

その木は、まずその大きさが今までの最大であった。

横に幹と同じくして果てしなく広がり。縦には僕に覆い被さるようにして空を半分以上覆っていた。

壁の様な幹に、壁の様な木が寄生していた。そしてその木から、僕を運んでいるツタは伸びていて、他の木に張り付いていた一本のツタも全てこの木から垂れ下がっていた。

ツタの数は膨大で、僕の前をまるでカーテンの様に下に通り過ぎていった。上昇するに従って他の小さな木は、ツタを一本残して段々と姿を消していく。

下を見ないと他の木々が見えないくらい、壁木の幹にはツタのカーテンしか見えなかった。

ツタは僕を乗せて上昇を続ける。僕はこの先の未知に身体を硬くしていて、景色を見るのも歌うのもやめてしまっていた。

僕は寄生している巨木の目の前まで上昇する。おかしな話だ。下にいた時と景色それほど変わらない。

壁のような木の前に立って、上を見ている。ただ僕は遥か上空にいる。それも地面が見えないくらいの距離にいて、同じ行動をとっている。

ツタの上昇は覆い被さる木を前にしても止まらない。僕は巨木の生い茂る葉の部分に重なった。

覆い被さる木の枝や葉にぶつかる瞬間に、それらは僕の体の形に湾曲した。僕の身体は枝や葉に包まれて、僕がいる部分だけが卵形に湾曲している。

僕の頭から広がり、腕の部分で膨らんで足元に向かってしぼんでいく。硬そうに見える枝も葉も幹もすべて滑らかに湾曲した。

ざわざわと木々の声が聞こえる。それは人の話し声の様に聞こえた。枝と枝の隙間からセピア色の空が少し見える。

僕はそれを確かめようと、目を細めて壁と反対側を凝視して見た。

ブワっと言う音がして、急に視界が開ける。

僕を包んでいたツタは、僕を中心に花が開くように広がって、そのまま重力に逆らわず消えていった。

そしてツタの上昇もその役目を終えて、僕は広がる平原に姿を現す。僕の前にはセピア色の空が広がっていて、平原も見える範囲では続いていた。

僕は後ろを振り返る。

「うわー」僕はまた声を上げる。

そこにはまだ幹がそびえ立っている。、しかし寄生している木が全くない。
そして今まで真上の空は見えることがなかったが、今不思議な空が僕の目に映っている。

 木の幹は僕の上空でついに湾曲し木の天井を示しているのだが、そこには葉も枝も見当たらない。なだらかな湾曲の先にあるのは空だった。

湾曲した木の先から、空が広がっている。正確に言うと湾曲した後すぐそこからだ。つまり、空が木の湾曲と同じくして湾曲している。

木の上に空があるのではない。木から空がはえている。

「気持ちの良いとこでしょう? たまに休憩しにここに来ます」

僕の後ろから声が聞こえる。僕は振り返る。そこには見覚えのある男が立っていた。

男は黒いスーツ姿で濃いあごひげ、頭に響く声のトーンに少ししゃがれた感じが加わる。

「始めてあったわけではないんでしょうね」僕は思ったままの事を言う。

彼は目を少し見開いて軽い笑顔を作る。

「そうですね。会うと言うのがどの程度の意味かにもよりますがね。常にお会いしていると言ってもいいし、久しぶりに話をしているとも言えます。時間は忘れてください。ややこしくなります」

彼はそう言って更に頬を少し上げて微笑む。感じの良い男だ。

「はい」僕は返事をする。

サラリーマンの老人の時と同じように。彼と話をするという事は、知るという事だ。

「とりあえず歩きましょう。中に入ってもらわないと後々少し面倒なのでね」

「中って言うのは、何処の事なんですか?」

「歩きましょう」そう言って彼は歩く方向に、首を動かした。

僕は前を歩く男の背中を見ている。普通の人に見える。こんな天井に存在していて、全てを知っているかもしれないのに…普通の人に見える。

「あなたは神様か何かなんですか?」僕が冗談のように聞く。

聞こえていないのかと思うくらいの沈黙…僕は一瞬質問の意味を考える。考えようとした瞬間に彼が答える。

「神などいない」

少し間を置いてから彼は続ける。

「私は全知全能でもないし、救いの手を差し伸べているわけでもない。行動を行っている場所が根元と言うだけで、やっていることは君達と何一つ変わらないさ」彼はそう言う。

表情は見えない。声に感情があまり感じられない。それによって言葉に真実味が重なる。

「あなたにも知らない事がある?」

僕は案内人との話で彼が全てを教えてくれるのかと思っていた。最初に見た瞬間にそう感じた。

「はっはっは。知らない事だらけですよ。もし私が全てのことを知っていたら。私は存在しなくていい。やる事も無くなってしまいます」

静かに笑いながら彼は早々にそれを否定する。

「あなたは何をしているんですか?」僕が聞く。

「何をしている……何をしている…うーん…」呟くように僕の質問を言う。

誰かに問い掛けるように。僕はその会話を遠くで見つめている。

「模索かな」

「模索…調べているんですか?」僕があまり考えずに聞く。

「調べている…うーん…そうですね。間違ってはいないですね」彼はまた誰かに聞いているように言う。

「何を調べているんですか?」僕はすぐに質問をする。早く答えが欲しいのかもしれない。

「知らない事の全てを、人類と共に、あらゆる方向から」一つ一つゆっくりと、はっきりと彼は答える。

「僕もその一部ですか?」

「もちろん。あなたも私も、少年もアカリさんも、サラリーマンもです」アカリはどこに?

「もう戻っていますよ。彼女はまたあなたと違った役割で存在していますから」僕が聞く前に彼が答える。

「また、ちゃんと会えるんですかね?」僕は違和感無く会話を続ける。後ろから見ているのだが、彼が微笑んでいるように見えた。

「たいして離れてはいないんですがね」そしてそう言う。

「そうなんですか?」僕が聞く。

彼は足を止めて、僕の姿が眼に映るか映らないか位の角度で振り向く。

「そうですね」そしてそう言って、また正面を向いて歩きだす。
果てしなく広がる草原。

地面は明らかに枝や葉っぱの様には見えず、地面に見える。

僕らは幹にそって歩き、やがて目的地にたどり着く。

「すいませんね。文明と言うものが乏しくてね。私一人ではエスカレーターのような物は作れないですから」

彼は立ち止まって、僕の方向に振り返りそう言う。僕は彼の横に並ぶまで足を進めて、並んだところで立ち止まった。

「これを一人で作ったんですか? 凄いですね」僕は少し微笑んで彼に言う。

「外に出たくてね。あの頃は必死だったんですよ」

彼は遠くを見つめるようにして、そう言う。目の前には大人一人がぎりぎり屈まずに入れるくらいの斜めの穴が地面に開いている。

そしてその地面に、とても原始的な板を組み合わせただけの階段が、少し急な角度で張り詰められていた。その板も整った感じはなく、何かで割ったり裂いたりした感じだった。

「穴倉の中にずっといるとね、気が滅入るんですよ。本当に外に出られて良かった。今は豊かさをもって作業に取り掛かることが出来ます」

彼がそう言うと、少年が僕の中で頷いている。僕にもその感情が重なる。

「色々あったんですね」僕がその穴を見てそう言う。

その穴には何か訴える物があった。彼はそれを聞いて微笑む。

「色々ありましたね。あり続けています」彼はそう言って自分の話に頷いている。

「この中に何があるんですか?」僕が聞く。

「ただの空間ですよ。私が存在しやすいように、情報が並べられているだけです」

僕は良く解らなかったが、そんな事は当然なので、それ以上何も聞かなかった。

「っさ…戻りましょうかね」そう言って彼は穴の中に入っていく。僕はその姿を少し見つめて、彼の後を追って穴に入った。

穴の中は少し空気が違っていて、湿っている感じがした。階段の板も少し湿っていて、その湿りが足に纏わりついた。

滑るのではなく纏わりついたのだ。知っている感覚だった。僕はそれを確かめる。

穴の中の壁は、最初は土のように見えたがそれは土ではなくて木であった。小動物が木をかじって開けた穴のように幹が削り取られている。

地面にはその上に板が何枚も貼り付けてあった。外から見るよりもその労力が見て取れた。

僕は壁に手を触れる。やはりだ。壁には水分が含まれている。それは壁から滲み出て、滴り落ちる事無く壁に纏わりついている。

そして触れた僕の手にも纏わりつくが、壁から手を離すと、しばらく粘着してフッと離れた。

この水分は精神の海水だ。

僕がその事に気付いた事も彼は知っていて、それに気付いた瞬間に彼がそっと振り向いた。

さっきのように、僕の姿が映るか映らないか位の角度で僕を見る。何も言わずに前を向き、彼はまた足を進める。

穴はとても長く続いている。とても長い時間歩いているように思える。僕はそれを確かめようと、入り口を振り返る。入り口が小さい。

「下りはいいんですけどね。昇りがね」彼はそう言ってフッと笑う。

「ああ…結構きつそうですね」僕はそう言う。

「部屋の入り口を開けて、穴の出口を見た瞬間。気力がないと外に出るのをやめる事もあります。まあその後にまた外に出るんですがね」

彼はそう言って笑う。僕も少し笑う。

「もうすぐ付きますよ」そう言って彼は何度か頷く。

僕は何も言わずに、男の身体で見えなくなってしまっている穴の先を、身体を少し横に倒して覗き込んだ。

穴の先は真っ暗で何も解らなかった。僕も少し頷いて、解ったような顔をした。もう少しな事は解ったから。

彼の言葉は僕の言葉。そんな気分がした。

段々と天井が狭くなってきている。さっきまでは普通に立って歩けたのだが、今は屈まないと歩けなくなっている。

「何故か同じ広さにしようとは思わないんですよ。自分の中にもまだ知らない部分が多く残されています。後々意味が解る事は、解っているんですがね」

彼は天井に手をついてそう言う。同じ事が何度もあった気がする。

自分が起こした行動の理由が、何年もたって始めてわかる事が。そしてそう言うことは、まだ無数に僕の中で生まれ存在し続けている。

不思議だ。目の前に立っている男に、超常的なものは何も感じない。あらゆる非現実的な空間の天井にいる男は、僕とそう変わらない気がした。

ただ知識があるというだけだ。決して見下している訳ではなくて、根本的な部分が同じなのだと、そう感じた。

「そうたいして変わりませんよ」彼はそう呟く。

いつもより少し声を抑えて。僕は足元を見ながら進んでいたのだが、彼の声でフッと顔をあげた。

「今は全然違うような気がしましたけどね。僕はあなたが何を考えているのかは解りませんから」僕が言う。

「変わりませんよ。あなたは心の読み取り方を知らないだけで、出来ないわけではないですから。同じ身体です。私は知っている。あなたは知らない。それだけです」

僕には知らないことが多すぎる。でもあらゆる事柄を知ったとしても、大して変わらない。そう言う事なのかもしれない。

「そうですね」彼はまた呟く。

覗かれているような嫌な気持ちはしなかった。覗かれているのではなく。ずっと見えていた事を、僕がやっと気付いたのだ。

「あなたは好きですよ。そう言う寛容さがないと話も何も出来ないですからね。話をどんどんと進めようと、そう言う気になります。

上まで昇ってきても、ため息をつくような質問や反応があると、すぐに肉体に戻ってもらいます。あの瞬間は嫌いです。

どうして社会であれだけ寛容だった人が、私に会うと手をついて感動するのか? でもその問いにもすぐに答えが出ました」

僕は頭に出た答えを反射的に答える。

「宗教ですか?」

「その通りです。私を認識した人々が作った、言葉の螺旋です。肉体が死んだ後、自分達がどうなるのかを知らない人たちは、それを勘違いしてしまって、私が救ってくれると信じ込んでしまっている。

自分が存在しなくなるんじゃないかと言う恐怖によって、その言葉の螺旋は人々に根付いてしまった。多分この事を全て知れば宗教なんて無くなるんですがね」

僕は彼の言葉に引っ掛かりを覚える。彼は何か伝えたい事がある時には含みのある言い方をする。

「この事? 何の事ですか?」僕は聞く。

彼は立ち止まって僕を少し見る。僕も立ち止まって彼の目に視点を合わせる。少しの沈黙。………

「誰も死なない」

彼は僕にそう言ってから一呼吸置いて、また正面を向いて歩き出す。

「肉体は死んでも精神が…その人の中にある存在が…消えてなくなる事は無いんですよ。増えるくらいです」

「増える?」僕が少し驚いて聞く。

精神が増えるって言うのは初耳だ。彼は少し笑っているように見える。これは驚くだろうと言った感じだ。彼はユーモアを忘れない。そういうのは好きだ。

「後で話しましょう。こう屈んでいては、疲れます。ゆっくり椅子に座って話しましょう。もう付きます」彼はそう言うと立ち止まった。

僕が疑問に満ちた顔をしていると、彼は屈んだ状態から手をついて、そのまま這いつくばった。

僕の目の前は行き止まりになっていて、そのまま下に曲線状にカーブしていた。

そして這いつくばった彼の前に、丁度通れるサイズの丸い穴が開いていた。

「もう少しです」そう言うと彼は、腰を中心に横にくねくねと動き、その小さな穴の中に吸い込まれていった。

とてもスムーズな動きだ。僕は暗い穴の中に一人取り残されてしまった。

「やれやれ」僕はそう言って手をついて這いつくばり、彼の動きを真似して小さな穴の中に入っていった。

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