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海の底と太陽の森 18.そして最後の質問

「そういえば精神が増えるとか、ここに来る前に話していなかったですか?」僕が急に思い出したように聞く。まあ急に思い出したわけだが。

「ああ…増えるよ」彼が少しだるそうに答える。

「どうしたんですか? 話したくないような内容なんですか?」僕が彼の態度に少し驚いて聞く。

「いや…別にそう言うわけじゃないですよ。少し長く話したせいか疲れました」彼はそう言って微笑む。

「疲れるとか、そう言うのがあるんですか?」僕も少し笑って聞く。

「勿論あります。それに普段こういう感じで直接話したりしないんでね」

そう言って彼は前かがみの姿勢から、椅子の背もたれにもたれ掛かる。椅子に背もたれがあることは知らなかった。

「結構話しましたね」彼が両手を頭の後ろで組み、息を少し吐いてからそう言う。

「んん…まだ話さないといけないみたいですしね」僕は彼の態度に緊張が解け、カウンターに肘をついてそう言う。

 辺りを少し僕は見回す。どうやってこの空間に入ったのか解らないが、僕はこの真っ白な空間に包まれている。

木の椅子と木のカウンター。彼の木の椅子。僕と彼。それ以外は真っ白だった。ここでどうやって何を調べるのだろうか。ペンもノートもパソコンもない。

「だって必要がないから」彼が僕を遠目で見て言う。

「ここで何をどうやって模索するんですか?」僕がその目にあわせて聞く。

「目を閉じて集中するだけですよ。実際に事が起きているのは外の話だから。ここは精神的な部屋です。あなたが飛び出してきたそれと同じね。

私は過去も何もないんでね。真っ白なんですよ。実際にはずっと目を瞑っているようなものなんでね。

血や肉や骨で構成されているわけじゃなく、精神的なものだから、私そのものが」

「確かに眠って起きて、あなたに会いに行こうとは思いませんね」

「まあ、不可能だろうね」彼は笑う。

「圧力をかけるって言うのはどういう感じなんですか?」結局僕の質問は続く。姿勢は違えど。

「別に一動作じゃないからね。感じも何もないよ。プロジェクトのようなものだから」彼もリラックスして答える。

「プロジェクト…」僕が解らないような顔をして呟く。

「全ての人間にプロジェクトがある? 60億人もいるのに?」僕がそう言うと、彼は少し考える。そしてしばらくして答える。

「勿論全ての人間にプロジェクトがあるわけじゃない」

「そうなんですか?」僕は目を見開いて、少し驚いて聞く。

「少数だね。そんなに何人も見てられないよ。時間は何故か私にも平等でね。だから質問も偶発的に答えが出る事ではなくて、集中の先にしか答えが出ない事に限定している」

「というと?」僕が表情をあまり変えずに聞く。

「だからそれが君だって話だよ」彼の目が妙に優しい。

「え? それはどういう意味ですか?」僕は混乱する。話が良く見えない。

「私が単体として直接圧力をかけているのは君だって事だよ。後は精神の海の、流れと言う圧力がある。それに乗って流れと共に上昇する。すると人はさらに知識を欲する。そして私を漠然的に捉える」彼が淡々と重要なことを話す。

「ちょっと待ってくれ。話が早すぎる。僕が君のプロジェクトだって? 僕が生まれてから死ぬまで君に操作されているって事か? 僕の友人も母親もアカリもか? 冗談だろ? 僕の……僕の人生は…」呼吸が荒い。ショックだ、それは何か嫌だ。

「落ち着いて…全てを操作しているわけではない。君の周りの人達も君の環境も、なるべくしてそうなっているが、個の精神としてそれぞれが動いている事は、忘れないで欲しい」彼は同じ調子で僕に説明する。

「何が言いたいんだ?」僕は少し苛付いている。

「私が方向を示して圧力をかけているが、歩いているのは彼らの意思だ」

「冗談だろ? その意思もそうなる事が解っていて、そうしているくせに」僕は吐き捨てるようにそう言う。さらに欺かれるのはごめんだ。

「まあそうなんだがね…どうも話しにくいね。君は頭が良すぎる。もう少し欺ければ事がすぐに進むのに」やはり彼は欺くのが癖になっている。話は続く。

「言っていることが全然違うじゃないか? 全体の話をしているのとばかり…」僕の表情は悲壮感が漂う。内容が直接的過ぎて、そう簡単に受け入れられない。

「君は個人だが。全体に掛けている圧力もある。それは音楽のリズムのようなもので、僕の手を離れてそれは世界のルールになっている。何かを私が起こしているのではなく、流れそのものとして圧力は全ての人間にかかっている。それが今までの話さ。分けて話せば良かったね。悪かったよ」

「別に謝らなくても…」僕は更に複雑な気分になる。もう少しで答えが見えるのに、急に予想がついて見たくなくなった。

「私は個として今君と話をしているけど、それはとても特別な事なんだよ。全ての人間に同じ事が言える。全ての人と繋がりがあり、同じように話す事があるが、ただ君が特別なのは、私からと言うことだよ」

「あなたから話し掛けるから、自分が特別だとはどうも思えない。そんな自分が…世界でたった一人の何か特別な存在にはどうしても思えない」

「君が特別なわけじゃない」

「じゃあ、また話が違うじゃないか」僕は答えがまだ見えない。複雑な微笑。

「君がこれから行うことが特別なんだよ。それは人に理解してもらいにくいが、いずれわかる」彼が台詞のような言い方をする。

「まるでジョン・ドゥーだな」僕が同じ言葉を吐いた役の名前を出す。

「そう変わらんさ」彼がそう言う。少しの沈黙…。僕がジョン・ドゥーとそう変わらないというのも結構な話だ。僕が話し出さないと沈黙は終わらない気がした。

「僕はこれから何をするんですか?」僕が目の焦点を合わせずに聞く。

「今私と話している。君は世界の真理を目で見、話して聞き、体験している。それが答えだよ」

「それじゃ解らない」僕は考えずに一言。

「あなたはこれから、肉体に戻る。でもここでの記憶は脳には記憶されていない。というより精神に記憶される。それは時間と共に脳に、記憶に染み出していき、あなたは必然的に今の状況を思い出すだろう」

「それで?」

「その真理を世界に伝える」彼の口調が少し変わる。

「そこに一体なにがあるんだよ? 誰が信じる? こんな太陽の中の話を? 誰が信じる?」答えを聞けば聞くほど、僕は混乱していく。苛付いていく。

「真理はそれが正しいのなら、みなにいずれ伝わる。そう思ってる」

「僕がそれを進んでやるように思えない」

「そうかな? 私はそうは思えないけど」

「どうして?」

「知識を共有したがる。そう言う風に出来てる」

「人間が?」

「人とは……見てきたとは思うが、言葉でいうと…太陽の中にある知性という巨大な木に寄生し、知識を栄養とし成長する寄生木だ。知ることが目的で、それを共有したがるのは生物としての基本プロセスだよ」彼がそう言う。

「共有できるような気がしないな」僕が呟く。

「共有の存在が私なのに? みな薄々感づいてはいるんだよ。ただ確信がないだけさ。見えないし聞こえない。感覚的にそうなんじゃないかとは思えるけど、人に説明できない。頭がいい人ほど、答えを知りたがっている。そろそろ来て欲しいと思っていた。そして君は見事に私と話をしている」彼の口調が少し強まる。

「答えを知りたがっている? 僕もその一人でよかったのに」僕はうなだれて言う。

「誰かが特別になる。とても必然的に。偶然的に…悪いことではないと思うがね…」そして彼が少し残念そうに言う。こういう会話になるとは思わなかった。

「そんな大それた事を僕一人で出来るとは思わないな」

「一人だって? 馬鹿なことを言うな。勿論私がついている。たいして違いはないかも知れないがね。立っている位置は違うだろう? 私は君を使うが、君も私を使う。そしてその先には、見たことのない世界が広がる。君一人の話じゃ勿論ないよ」

「それであなたは目的を達成したとして…僕には何が?」

「そこには幸せがある」

「幸せ? 幸せね…」言葉の中身が膨大すぎて、うまく創造できない。

「結局目的は一致するよ。人はそこにしか生を見出せない」彼は確信的に言うが、今それを確信的に受け取れない。さっきよりもずっと。

「知ること…それが幸せ?」知ることで幸せになる…あまり結びつきがよくない。

「結果的にね。それまでに至る経緯。そこに含まれる充実感。共有感。あらゆる感情。状況。その全てが君にとって幸せになると思うがね」彼がそう言う。

僕は創造する。今言われた事を一つ一つ創造する。それは困難な事で、僕は傷ついたり悩んだりするのだろう。でもその全てに内容があって、それを行なう事で充実した人生が送れるのかもしれない。僕は死ぬまでを創造した。

「そうかもしれないな」僕はそう言う。不思議に疑う余地がない。質問も消えていく。

「そしてそれは特別な幸せ。誰にも味わえない。私と同じだ」彼の声が少し優しく聞こえる。

「孤立と疎外…共有の先に誰にも味わえない幸せか」僕の悲壮感が消える。表情も透き通っていく。

「生きるという事は知ることです。みな同じだが、その中身はみな違う。あなたは特別だが、知るという事でくくれば、何も変わらないでしょ? 

それは私も同じ。見方を変えればみな同じ。そしてみな違う。あなたにはあなたの幸せがある」

「そうだな…」僕は不思議と笑っていた。胸が高揚していて熱い。楽しみだ。もう決まっている。その時点で決まっていた。

僕は静かに頷く。目は彼の全体を捉えている。具体的に何をするのか知らないけど、彼がパートナーで、自分にしか出来ないことが出来て、幸せまでついてくる。

僕は何度か頷く。…良く出来た話だ。

「わかった……やろう」僕は暖かいトーンでそう言う。

自分からこんな声が出るなんて思わなかった。彼もとても柔らかい顔をして微笑んでいる。空間全体に連帯感が広がる。懐かしい感じだ。

「でも具体的にはどうやって? 僕はそんなカリスマも能力もないように思えるけど」

「そんなものは必要ない…と言うよりも、そんなものは追い求めるものでも、手に入れるものでもない。気付けばあるものさ。

必要なのは私の認識と対話。それに継続的な集中力だよ。私の仕事があらゆる状況や環境の準備で、君の仕事はその中での濃密な行動だ。単純に言えばね」

「単純に聞こえないな」僕が苦笑する。

「全部を具体的に説明するよりかは単純だと思うがね」

「全部を具体的に説明する?」僕がそう聞くと、先の言葉はジョークになるらしい。彼は頬を上げて笑う。

「それは不可能ですね。これからそれを作っていかないといけない」

「あなたが創って、私が使うわけだ?」

「その通りです」彼が答える。僕は何度か頷く。何だか自分の真相を聞いてしまって、僕は真っ白になってしまったように思える。

これから起こる事のために脳が開いたと言うか。何も考えられないと言う意味ではなくて、今いるこの空間と同じだ。今までの色んな事はとても小さな事で、僕の後ろにも前にも広大な情報が詰まっている。

その全体の中で僕が覚えている、見えている時間という空間なんて、とても小さなものだ。その先には真っ白な、これから何かを書かれるべき真っ白な空間が広大に広がっている。

僕はその広大な空間を、普段見ることのない空間を見てしまって、真っ白になってしまう。僕が生きてきた情報を盲目して。

「休憩のはずだったのに結局話し続けましたね」そして僕は真っ白な世界で話を再開する。

「まあ姿勢は変わりましたけどね」彼はその真っ白な空間にずっと含まれている。感情的な話が終わって、空間には不思議な空気が漂っている。

僕の中に、今まで開いていた穴が埋まって、僕は完全な存在になっている。そして目の前の男と世界でもっとも近い関係であり、世界は僕に味方している。なんと言う高揚感だろうか? 何でも出来るという気になってしまう。

「あなたは何でも出来る。何処にでもいけるし、何にでもなれる。何にも縛られず。何にも依存しない。そういう事になるように圧力をかけてる」

彼はさっきよりも気を使わずに話しているように見える。

「過去には依存している事が沢山ありましたけどね」そして僕も苛付いたりしない。

「でも今はだんだんと無くなっているでしょ?」問題が出ると…

「そうかな……そうかもしれないな」僕が計算する。

「そうなんですよ」彼が答える。

「じゃあそうなんだろうね」僕は彼を疑わない。

「そうですよ」そして彼は確信的で、僕の答えも確信的になる。

彼は少し微笑む。これが僕らのこれからの関係なんだろう。彼の圧力に僕の矢印。

今までと変わらないのかも知れないが、僕は彼を認識して、その関係を受け入れている。操られているとか、騙されているとか、そう言った感じは全く無い。

お互いの立場で話しをすることが出来る。彼のほうが知っていることが多くて、僕のほうが出来ることが多い。その間に共有感があって、目的に向かって進んでいく。

「何かまだ聞きたい事がありますか? 私としては目的は終わったんですけどね」彼が聞く。

「そうなんですか?」僕が少し驚いて聞き返す。

「ええ。今先ほど」彼は微笑みながら答える。

「ああ…僕に真相をばらす事ね」さっきまでとは嘘のように空気が軽い。

「そうです。断られたらどうしようかとハラハラしていたんですがね」彼の顔も柔らかい。

「冗談を言うなよ。断らないことも大体わかっていたくせに」笑いながら僕が言う。

「大体ですよ本当に。大体そうだろうなと思っていた事が外れることは、良くある事なんですよ。特に直接話をするなんて、私自身慣れている事ではないですからね。

イレギュラーが起こっても何も不思議じゃないですから。いつもはフィルター越しに見ているようなものです。

そこでは私を直接見たり認識することはなくて、私は安心して嘘をつける。一人だけ別の部屋でポーカーに参加しているようなものです」

「それであんなに驚いたり、感心したりしていたんですね。今思えば少し不思議だったんですよ。僕の考えがわかるのに、見えているのに、どうして予測できない事があったのかとね」

「その通り。私は自分が読まれないと言う前提で話すから、相手を操れる。みんなが私を認識していたら、私は今のような存在ではいられないでしょうね」

「それでも、私に世界の真理やあなたの存在を知らせろと?」

「はい。だからこんなにハラハラするんです。自分が常に守られて傷つかない状態にいると退屈なんですよ。自分の存在を危険にさらす事で、初めて私の世界が動き出すような気がしてね。

今は自分が歯車の一部だという事を、知れば知るほど見せ付けられていて、しかし存在の理由にも逆らえないという状況でね。

そして私の歯車はあなたによって変わる。楽しみで怖いですよ。正直ね」

世界を共有すると彼が友人になったように思える。友達になるとはそう言う事なのかもしれない。

「今あなたがとても近くに感じられましたよ」

「変わりがないでしょう? 見方が変わればただの人ですから、私も」彼が言う。僕もそう思う。

「何だか、うまくやっていけそうに思いましたよ」

「それは嬉しい話ですね」そう言って彼はもたれ掛かっていた椅子から立ち上がり、僕の頭に手を置いた。

「かまいませんか?」彼がそう聞く。懐かしい台詞だ。

僕はここに戻ってきた。昔同じ言葉を聞いた。たぶんとても小さなときに、そして今僕は小さな僕と共に戻ってきた。そして新たな世界に旅立つのだ。でも最後に疑問がある。

おかしい…そうなんだ。僕は、僕の中にあるべき存在を感じていない。

「いいんだ。もう決めたんだ。でも…でも最後に…」僕はその質問に不安を覚える。

「はい」彼は目を開いて、とても優しい顔でその質問を待つ。そして最後の質問。

「僕がいない。この部屋に入ってからずっと」

そう。僕が海の底に押し込めていた、僕と言う少年がいない。やっと僕達の世界は一つになって、これからだと思っていたのに…

「そこにずっといますよ。ずっと初めから」彼はそう言って、僕のポケットを指差した。

僕はポケットに手を入れてそれが何なのかを確かめる。

ポケットの中には小さな塊が入っていて、僕はそれを握って取り出し、ゆっくりと手を開いた。

僕の手の上には種が乗っていた。

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