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定年退職後 東南アジアにはまった5

かつての王国を訪ねてマレーシア・タイ・カンボジア

 東南アジアの国境線は西欧諸国の植民地政策によって作られたものです。西欧列強に征服される前は小さな王国があちこちにあって、どこの領土でもない未開の土地を行き来していたと考えるとドラクエの世界のようで楽しいですね。英語の無い時代はどんな言葉をつかってたんでしょうね。いろいろ妄想が膨らみます。

 マラッカはマレーシアの首都クアラルンプールから車で2時間ほどの港町です。ザビエルが日本に渡るきっかけとなった土地でもあります。そこにあったマラッカ王国はマレー半島を統治し、マラッカ海峡を行き来する貿易船の寄港地として繁栄しますが、やがて現在はタイにあるアユタヤに攻められて、従属することになります。マラッカ王国がイスラム化した理由の1つは、アユタヤを追い出すためにイスラムの力を必用としたからだと言います。アユタヤはまたクメール人の都、カンボジアのアンコールに侵攻し、彼等をプノンペンに追いやってしまいます。アンコールワットにはシャムとの戦いが壁画に描かれています。アンコールワットのある町シェムリアップは「シャムを追い出した」という意味があるそうです。

 その強国アユタヤを訪れると、寺院が破壊され頭を切り落とされた仏像が何体もそのままになって無残な姿をさらしています。ビルマに侵攻されて徹底的に破壊されてしまったあとです。同じ仏教国のはずなのにその残虐さに身震いがします。よほど憎んでたのかもしれませんね。

 アンコールワットは森林に埋もれてその姿を後世に残しましたが、ポルポト派によって破壊されてしまいました。現在は国際協力で復元がすすんでいます。一ノ瀬泰造はアンコールワットを目指してクメール・ルージュが支配するカンボジアに行き、射殺されてしまいました。彼が追い求めたアンコールワットの姿、今は地雷も撤去されて安全に見ることができます。

 マラッカ王国はその後ポルトガルに占領され、王国は南へ移動してジョホール王国となりました。現在のマラッカはポルトガルからオランダ、イギリスと宗主国が変わったことにより、いろいろな文化が入り交じってますが、アユタヤ・アンコールには西欧の影響を受けないアジアの歴史を感じることができます。その土地に立てば昔の人々の声が聞こえてきそうです。