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【長編小説】暮れなずむ秋と孤独な狛犬の歌 #6

10月3日――(2)

 それが夢だということは、すぐにわかった。
 だって僕が見ている光景は、半年前に失ってしまった日常だったから。
 それが今となっては、嘘くさく感じてしまう。
 だからこれは、僕がみている、僕の願望が詰まっただけの夢なんだ。
 父さんと、母さんと、兄さんと、ばあちゃんと、僕。
 いつもの五人で夕飯を囲って、クイズ番組を観ながら、ああだこうだと会話する。
 こういう番組で一番に答えをひらめくのは大抵の場合、兄さんだ。次に母さん、僕と続いて、父さんは最後の最後まで首を捻る。そんな父さんを見て、ばあちゃんが微笑む。
 半年前までは、この光景が当たり前だった。
 この生活に変化が起こるとしたら、兄さんが大学進学で県外に出るような、ずっと先のことだと思っていた。それだって兄さんのことだから、連休の度に帰って来てくれるに違いない。だから僕は、この団欒がなくなることはないと信じていた。
 けれど、変化はある日突然、暴力的に訪れた。
 今から半年前の三月。
 無遠慮に、残酷に、僕ら家族の生活は一変させられた。
 あの日を境に、世界は確かに反転した。
 なにもかもが反対で、逆さまで、息苦しい。
 団欒が崩壊し、目の前が真っ暗になる。
 前も後ろもわからないまま、それでも僕は家族を探して歩き出した。
 不安に駆られながら進んでいくと、ずうっと先の最果てに人影を見つけた。
 遠くからでもわかる。
 あれは父さんと母さんと兄さんだ。
 三人とも僕に背を向けていて、こちらには気付いていないようだ。
 ――ねえ、僕のこと、怒ってる?
 その背中に向かって、思わず問いかける。
 ――だって僕の所為だ。だから、前みたいに叱ってよ。
 答えはない。
 ――代わりに僕がそっちに行く。だからお願い、戻ってきて。
 一縷の望みに縋りついて、僕は続ける。
 だけど、頭の隅ではもうわかっていた。
 叶いっこないことを言っていることくらい、僕が一番理解している。
 あの日のことは僕が居なければ起こらなかったことなのに、誰も僕を責めようとしない。
 どころか、遠巻きに距離を取って、腫れもの扱いする始末だ。
 それが寂しくて、怖くて。
 ――僕がそっちに行くべきなんだ。
 ――みんなはそっちに行っちゃ駄目だ。
 声が届かないのなら、直接その手を掴んで止めなければ。
 そうして一歩踏み出した、刹那。
 ――ワタシはこの神社の狛犬の化身、コマである!
 と。
 聞き慣れない声が響いて、僕は反射的に足を止め、振り返る。
 そこには、昨日出会った自称狛犬の少女が立っていた。
 夏用の制服を身に纏い、日曜の女児向けアニメのお面を被った、季節外れで常識外れな格好の少女を見て、僕は思い出す。
 そうだ、僕はこの少女にハンカチを返さなきゃいけないんだ。
 ――アキは素敵な目をしているんだ、もっと自信を持って良いと思うぞ。
 アニメ絵のお面で、顔は全く見えないというのに。
 僕には、少女が満面の笑みを浮かべているように見えた。
 全く、本当に都合の良い夢だ。
 自分の夢に呆れて、僕は失笑した。

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