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【長編小説】暮れなずむ秋と孤独な狛犬の歌 #5

10月3日――(1)

 どんなに憂鬱でも、学校は休まない。
 これは僕が半年前から自分に課したルールである。
 たとえ、上級生に目をつけられ、一日中追いかけ回されては暴力を振るわれていても。
 たとえ、クラスで僕だけ孤立していても。
 それを理由に学校を休むということは、僕にとってはルール違反に該当する。
 それにこれは、勝ち負けの話ではない。逃げる場面を僕なりに選んでいるだけだ。そうでもしないと、周りがすぐに『可哀想な美秋君』というレッテルを、喜び勇んで貼りにきてしまう。
「はあ……」
 重いため息を吐きながら、それでも僕は学校へ向かう。行きたくもない場所に毎日のように通わなければならない理由を考えると、本当に気が滅入ってくる。
 しかし今日の僕には、ひとつ明確な目的があった。
 ずばり、昨日の夕方、神社で会った少女についての調査である。
 調査なんていうと大仰だが、僕はもう一度だけ、あの少女と会う機会が欲しかった。
 理由は単純明快。
 貸してもらったハンカチを返したい。
 ただそれだけである。
 昨日の僕は、自覚しているよりもずっと動揺していたのだろう。ハンカチを持ち帰ってきてしまっていたということに、家に着いてから気がついたのだった。残念ながら、中学生が外出できるような時間は過ぎていたし、少女だって、僕が帰ったのを見届けて帰路に就いたはずだ。となると、少女にハンカチを返す機会は学校しかない。
 少女を探し出すことはそう難しくない。
 そう思ってクラスの名簿や、休憩時間中のクラスメイトの動向や会話、先生へもそれとなく探りを入れてみたが、全て空振りに終わってしまった。
 少女が転校生であれば特定など容易いと高をくくっていただけに、僕は呆然と立ち尽くすほかなかった。仮に不登校の生徒だったとしても、名前くらいはわかりそうなものだけれど。
 こんな田舎でひとつも情報が集まらないというのは、なんとも奇妙な話である。
 もしかしたら、昨日の僕は狐にでも化かされていたのだろうか。
 いや、あれはあくまでも狛犬を自称していたから、正しくは犬に化かされた、とでも言うべきなのかもしれない。狐は確かイヌ科だった気がするし。あながち間違いとは言えない。あまり非現実的なことは信じたくないのだけれど。実際問題、こうして少女の痕跡が学校にない以上、ひとつの可能性として考えざるを得ない。
 だがしかし、百歩譲って、あの少女が本物の狛犬だったとして。
 カミサマの遣いが、どうして僕の前に現れたのだろう。
 上級生に目をつけられているから?
 中学生になって友達がいなくなったから?
 それとも、半年前のことが――
「――皆さん、席に着いてください。学活を始めます」
 六限目のチャイムが鳴ると同時に、クラス担任の龍岡たつおか先生が教室に入ってきた。
 今日の六限目は、月末に行われる文化祭について、クラスで話し合いの時間に充てられている。中でも、そのメインイベントとなる校内の合唱コンクールについてが、今日の議題だ。
 合唱コンクールに向けてクラスをまとめる実行委員。クラスのスローガン。伴奏者候補。
 それらは先週の内に、さくさくと決まっていた。
 残る議題は、このクラスで歌う曲である。
 選出された実行委員の二人が、この一週間の間に候補を絞っており、今日はその中から決めなければいけない。
「候補は、この五曲です」
 実行委員の一人、小山田おやまださんが、黒板を指差しながら言った。
 黒板には、もう一人の実行委員、東海林しょうじ君が書いた文字が羅列している。
 その曲名だけを見ても、音楽に疎い僕にはさっぱりである。
 だからこそ、その後の視聴はきちんと聴いていなければならない。
 僕なりにそう意気込んでいたというのに。一曲目の二番の歌詞に入った辺りから、抗いきれない眠気が僕を襲ってきた。どうにか意識を覚醒させようと何度か手の甲を抓ったが、その甲斐虚しく、僕の意識は夢の中に吸い込まれていった。

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