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【長編小説】暮れなずむ秋と孤独な狛犬の歌 #12

10月4日(金)――(2)

 クラスの選択曲決めは、難航を極めた。
 そもそも、昨日の学活の時間に決められなかったのだ。それが日を改めたからといって、すんなり決まるとは思えない。
 案の定、実行委員の小山田さんが投票を募っても、クラスメイトの反応は薄く、票数もまばらになった。
 しかし、昨日と違って今日は、音楽の時間を使っている。
 教室で聞こえてきた会話によると、うちのクラス担任である龍岡先生の担当教科は国語だから、昨日は曖昧な助言しかしてくれなかったらしい。
 しかし、音楽を専門とする松田先生による解説が加われば百人力である。
 この曲はこういう特徴があるとか、どのパートが要になるとか、そんな補足を付け加えてもらいながら、改めて曲を聴いてみると、なんとなく合唱というものが見えてきたような気になる。場所が音楽室ということもあってか、昨日とは全然違うね、なんてクラスメイトが小声で囁き合う声も耳に入ってきた。
 僕は昨日の視聴時に居眠りをしていたから、その辺はわからない。
 しかし、三部合唱として伴奏が入った完成形を聴いてみると、歌の世界観はより一層広がっていったように感じた。
「それでは、多数決を行います」
 松田先生による見事な解説もあり、なんと曲決めは一気に二曲にまで絞られた。
 昨日の少女の歌声は、まだ僕の頭の中にしっかりと残っている。どの曲も素晴らしいものだったが、最初に聴いた曲の印象が一番強かった。だから僕はその曲に投票をし続けていたのだけれど、まさかその曲が最後まで候補に残るとは思わなかった。挙手制による投票だが、僕の席は後ろのほうだし、妙な気遣いされていないはずである。
「――多数決の結果、この曲に決まりました」
 果たして、クラスの課題曲は無事に決定した。
 僕が票を入れ続けていたほうに決まったのである。 僕は表情に出さないように気をつけつつ、心の中でガッツポーズをした。
 東海林君がうきうきとしながら、曲名の頭に花丸を描く。
 それを横目に見つつ、一安心した様子の小山田さんは、それでは、と話を進める。
「来週から、練習を始めていきたいと思います。昨日の学活でも説明した通り、朝練もやるので、七時四十五分には教室に来るようにしてください」
 小山田さんから朝練についての説明が終わると、まるで見計らったようにチャイムが鳴った。松田先生からも授業終了を告げられると、クラスメイトはそれぞれ荷物をまとめ、音楽室をあとにし始める。
 これで五限目が終わったから、あと一時間で今日の授業は全て終了する。
 学校が終わったら、今日も神社へ行こう。
 ゆびきりをした小指を眺めながら、そんなことを考える。
「た、竹並君。ちょっと良いかな」
 音楽室を出ようとしたところで、遠慮がちに声をかけられた。小山田さんだ。
 呼びかけに応じ振り向いた僕を見て、慌てた様子で小走りにこちらへ向かってくる。その僅か数秒の間に、まだ音楽室に残っていたクラスメイトの視線が突き刺さるのがわかった。
 これから小山田さんがどう話を切り出すのか。
 それに僕がどんな反応を示すのか。
 小山田さんの意図も、周囲の思考も読めてしまって、僕は深くため息を吐いた。
「なに?」
 そう言うと、小山田さんの肩がびくりと震えた。
 ああ、またやってしまったか。
 そう思うが、もう後の祭りだ。睨んでいるつもりも怒っているつもりもないが、彼女はきっとそう捉えてしまっただろう。僕はただ辟易としているだけなのだが、そんなことは一切伝わらない。
「……あ、あのね」
 それでも、小山田さんは僕への恐怖心より、実行委員としての使命感のほうが勝ったらしい。ごくりと唾を飲み込み、意を決したように口を開く。
「竹並君は、朝練に参加しなくても、大丈夫だからね。それに、放課後の練習も、無理のない範囲で出てくれたら、それで良いからね」
 その言葉に、自分でも眉間にしわが寄るのがわかった。
「それ、どういうつもりで言ってる?」
 安い同情心に、自信なさげな態度。
 テンプレ通りの優しさと、心此処に在らずの言葉たち。
 大嫌いなそれらに、僕の口調は自然と厳しいものになった。
「だ、だって、竹並君の家、まだ大変でしょ? おばあさんも、まだ本調子じゃないって聞いたし。無理はしなくて、良いんだよ」
 狼狽えながら、小山田さんは言った。
 ばあちゃんが本調子じゃない? それは一体いつの話をしているのだろうか。ばあちゃんなら昨日、お気に入りの俳優が出ている連ドラを観て、それはもうはしゃいでいたぞ。近所の友達と旅行へ行くようにもなったし、飼い猫と遊んだりもしている。ばあちゃんについて言えば、事故以前と同じ調子にまで回復してきていると言って良いくらいだ。
 なにが『大変』だ。僕の話を聞こうともしないで、勝手に可哀想なやつ扱いして。
 その偽善的な配慮に、どれだけ僕が吐き気を催していると思っている。
「言っておくけど」
 湧き上がる感情を抑え込んで、僕は言う。
「うちのばあちゃん、朝から体操できるくらい元気だよ」
「え? そ、そうなの?」
 意外とばかりに、小山田さんは素っ頓狂な声を上げた。
 構わず、僕は続ける。
「それに、僕は普段から早めに登校してるから、朝練には余裕で間に合う。放課後の練習だって、僕は部活に入ってないから、基本的に毎日でも出られるよ」
「あー、そうなんだ。そっか、うん、わかった」
 僕の回答が想定外だったのか、なにか言いたげな様子の小山田さんは、しかしそう言うと引き下がった。
 まさかとは思うが、僕が一人だけ練習を免除されて、心の底から感謝するとでも考えていたのだろうか。そうだとしたら、なんて恩着せがましい考えだ。
 本人から話を聞こうともせず、噂話を鵜呑みにして。良かれと思って善意を押し付け、断れば態度が悪いと非難する。僕が僕で在ることさえ許されない気分だ。
 苛々しながら教室へと戻り、席に着く。
 堪らず、深い溜息を吐いた。
 学校は息苦しい。
 再び小指を見つめながら、早く今日の授業が終わることを願う。
 このときになって、ようやく僕は少女と会うことを楽しみにしていることを自覚した。まだ出会って二日しか経っていないというのに、俄には信じがたい。
 久しく忘れていた感覚に恐る恐る触れ、僕はゆっくりと確かめる。
 自称狛犬の少女との会話は楽しい。あれは単に、久しぶりに同世代の人と話したからというわけでもなかったんだ。
 少女は、僕と距離を置こうとしない。
 少女と話しているときだけは、僕はこれまでのように過ごせる。
 だから少女の隣は居心地が良いんだ。

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