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【長編小説】暮れなずむ秋と孤独な狛犬の歌 #7

10月3日――(3)

 チャイムの鳴る音がして、僕は嫌々目を開ける。
 その一瞬だけで、教室に気だるげな空気が蔓延しているのを肌で感じた。
「――それじゃあ、今日はここまでにします」
 司会を務めていたらしい小山田さんの声に、僕はぼんやりと黒板に目を遣る。
 そこには曲名の横に正の字が追記されている。おそらく、僕が居眠りしている間に多数決を取っていたのだろう。しかし、票数は見事に分散し、決定には至らなかったらしい。
「続きは、金曜日の学活でやります」
 小山田さんの終了を告げる言葉を合図に、クラスメイトはそれぞれに帰り支度を始めた。
 僕もそれに倣い、急いで荷物をまとめる。
 さっさと教室から出ていかないと。うかうかしていたら教室にあいつらが来て、僕を理由に暴れ出すかもしれない。ただでさえ今の僕はクラスで浮いているのだ。さらに遠巻きにされる理由を増やすような事態には陥りたくない。
 通学ひとつとってもそうだ。毎日同じ道を使うことはできない。そんなことをすれば簡単に先回りされて、昨日のように憂さ晴らしのサンドバッグにされてしまう。
「あ、あの、竹並君」
 今日はどうやって学校から脱出するかと作戦を練っていた僕に、おずおずと遠慮がちにかける声があった。
 合唱コンクールの実行委員の一人、小山田さんだ。
「なに。急いでるんだけど」
 手を止めることはせず、僕は言った。
 小山田さんは慎重に言葉を選んでいるのか、ううん、とか、ええと、とか、無意味な音で場を繋いだ末に、ようやく本題を口にする。
「今日、合唱コンクールの曲ね、決められなかったの」
「そうらしいね」
「それで、みんなには、また今度、曲を聴いてもらって、歌いたい曲を、きちんと考えてもらうってことになったんだけどね」
 じれったい喋りかたをするなあ、なんて若干苛立つ僕に、小山田さんはこう続けた。
「竹並君は、無理しなくて良いからね」
「……」
 その言葉に、荷物をまとめていた僕の手が止まった。
 またか、と僕は心の中で大きなため息をつく。
 それは可哀想なやつに声をかけた自分に酔い痴れたい人間が吐く言葉だ。この半年、僕がどれだけ言われてきたと思っている。無理しなくて良いって、なんだそれは。
「竹並君?」
 なんの反応もない僕に不安を覚えたのか、小山田さんが覗き込んでくる。
「なんでもない。わかったよ」
 僕はそれだけ言って、席を立った。
 小山田さんがどんな表情をしていたのかはわからない。興味もない。それよりも、今はあいつらと遭遇せずに学校を出ることのほうが優先だ。
 僕は真っ直ぐに非常用階段へ向かう。玄関は使えない。下駄箱に靴を入れておくと、すぐにあいつらに駄目にされてしまうのだ。そう何度も内履きを買い直していては、ばあちゃんに心配をかけることになる。ばあちゃんに不要な心配をさせないためには、自衛するしかない。
 空き教室からベランダに出て、非常用階段に飛び移る。
 あらかじめ鞄に入れていた外履きに履き替え、静かに階段を下り、フェンスを乗り越え学校から脱出する。少し歩いた先にある茂みに隠していた自転車に乗り、一度周囲を警戒する。部活が始まった音がちらほらと聞こえてくるが、それ以外に不審な物音はしない。少なくとも、学校の近くにあいつらは居ないようだ。
 ハンドルを握りながら、今日はどの道を使おうかと思案する。
 この学校の生徒が通学路に使っている道路は、主に三つ。
 道路の幅が広く街灯もあることから、ほとんどの生徒が通る国道。
 道幅は狭いし、ほとんど整備もされておらずガタガタだが、少し近道ができる県道。
 車が来るとすれ違いさえ難しい一本道だが、一番の近道になる農道。
 恐らく、どの道を通っても神社へは行けるだろう。
 というのも、僕は普段、国道と県道しか使っていないのだ。あの街灯もなにもない素朴な農道が最終的にどこに繋がっているかはわかるのだけれど、どの辺りを通ってそこに行き着くのかを僕は知らない。
 別段、今日は急ぐ用事もないし。神社へ行くまでにあいつらと遭遇さえしなければ、それで良いのだ。県道ならいくつか逃げ道があるのを知っている僕は、そちらにハンドルを向け、神社へ向かった。

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