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ご飯をおいしく食べるには

60,000回
わたしの寿命が残り55年と仮定し、1日3回の食事を取るとした場合の食事回数だ。気が遠くなる。
(55×365×3)

ここで、わたしは早死に上等で生きており
おいしいご飯を求めるのは基本的に夕食であり
前回投稿の通り、時間の価値は齢に応じて目減りすると考えている。ということを考慮する。

すると
(40×365×3)÷3÷2 ≒ 7,300
で約7,000回分相当の夕食機会が残されている。まだかなりの数だ。

ところが実際のわたし自身の生活に当てはめると平日は一切外食しないし
時間に追われず万全な食事の準備が出来るのは多くても週2回といったところだ。
7300×2÷7 ≒ 2,000

満足出来る食事を取れる実数はどんなに多く見積もってもこんなもんであろう。多いと感じるか少ないと感じるかは人それぞれだ。心からおいしいと思えるご飯を食べられるのはあと何回だろうか。

ということで残り2,000回の満足度をいかに上げるかについて思いを記し、自戒の一助としていきたい。

単純明快なルールだ。

・良い食材、良い調理

満足度を得点化してみると、素点に該当するのは食材になるだろう。季節の、新鮮な、、、といった物理的特性が食材の良し悪しを決める。加えて重要視されるのは希少性や話題性といった精神的(潜在的)特性である。
前者は口に入り後者は口に入らない。

我々の脳はこの両者をもっておいしい食材を判断していると言える。意識的なあるいは無意識的なおいしさのベースとなる部分だ。

調理工程に関しては言うまでもない。調理者が自分であれ他人であれ、調理の練度や技術といった特性と調理者の属性が総合的なおいしさを司る。といった形で食材と同様のスキームが適応できる。

おいしさの出力側の要素はこれだけ。

結果的に以降はすべて受け手側の要素である。おいしいご飯かどうかを決定するのは食事する本人だということだ。そりゃそうだ。

・健康であれ

わたしの基本方針でもある。
食事や他の全ての娯楽も含め、満足度を評価する際は健康という因子を乗じることで正確性が増す。
肉体的健康に話を限定すると、おいしい食事と健康の関係は簡単なようで複雑だ。これはおいしい食事がからだに良いとは限らないということと関連している。

例えば、過剰な油脂の摂取が種々の疾患を誘導し得るというデータは枚挙に暇がない。一方で油脂の摂取が脳の報酬系を刺激し幸福をもたらすこともまた事実だ。

チョコレートはおいしい。

つまりこれはわたしに取って揺るが無い事実であるだけでなく、ヒト一般のごく自然な感覚でもあるのだ。

したがって「健康であれ」というルールはおいしいものー必ずしもからだに良いとは限らないーを好きなだけ食べるために。という枕が付いて初めて意味をなす。

いくらおいしい食べ物でも、不健康な状態では食べられない可能性もあるしおいしさのポテンシャルを十分に味わうこともできない。

不摂生のための摂生。そういうことだ。

・五感を存分に

巷でもよく言われる。まさにその通りだ。五感を使えばおいしさは増幅する。ふと頭から抜けがちなので今後も意識していきたい。みなに少しでもおいしいご飯の機会をもって貰うべく改めて記した。

風邪をひいて鼻通りが悪い時に味が分からないという経験は人類共通であろう。

包丁の音、バターの加熱香、美しい魚の盛り付け、ゼリーの舌触り、、、これら特徴的なものに限らず五感の全てがおいしさを決定する重要な要素だ。


・愛し愛されろ

いわゆる特殊相対性理論の例で使われる考え方の応用だ。言うまでもなく変化するのは時間ではなくおいしさであるが。

「絶対的な『おいしさ』がそこにあるのではない。誰とどういった場で食べるかが『おいしさ』を決定する」という考えのことだ。

最短ルートとして誰かを愛する必要性が出てくる。

よりおいしいご飯を食べるという行為がこうも難しい課題を孕んでいるとは。アインシュタインもびっくりである。


・空腹は一番のスパイス

ジョーカーの登場である。スパイスという言葉は生易しい。

今まで挙げてきた「食べられる側の持つ素点」と「受け手側の状況」のすべてを無に帰すのが空腹だ。※空腹も状況の一つではあるが。

「おなかすいた時に食べる〇〇は最高!」

〇〇が何であっても一切の違和を生じない。

空腹は食事満足度指数業界のドンだ。

空腹が進めば進むほどおいしいご飯にまみえる可能性が高まるのは事実だが、空腹=血糖の低下は体(脳)にとって文字通り致命的であることは念のため述べておく。

・まとめ

「おいしさの素点」:食材と調理

×

「食事者の環境」:健康、感覚器、同席者、空腹度

この積によって食事への満足度が決まるという形で整理された。

ここまで残り2,000回の食事機会で、できるだけ多くのおいしいご飯を食べるために心がけるべきルールを列挙してみた。列挙された項目を見てみなが感じるのは、意外性などなくあまりに当たり前のことが重要だということだろう。

明日からもおいしいご飯を食べるためにがんばろう。そしてご飯をおいしく食べるためにがんばろう。そういうことだ。


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