見出し画像

[本業]フリーランスのSEとして働く田中直明(DJ NaoAki)のパラレルキャリア


田中 直明(DJ NaoAki)のプロフィール

文系の大学院を経て、2015年にWEB系のITベンチャー企業に就職。ゼロからプログラミングを学び、2年半で独立。フリーランスのSEとして主に大手企業のWEBアプリの開発やデザインを手がける。その傍ら、2018年4月からDJとして活動開始。デビューから3ヶ月で「BEST OF JAPAN 2018」で日本のクラブランキング1位を獲得した渋谷のWOMB、4ヶ月強で日本最大のナイトクラブageHaと、デビュー直後から有名クラブに出演し注目される。プレイジャンルはEDM、HOUSE、POP、TRAP/DUBSTEP、HARD DANCEなど幅広い好みをもつ。人に刺激とエネルギーを与える選曲とプレイスタイルが魅力。過去にWOMBのメインフロア、渋谷のVISION、東急プラザ銀座屋上の「キリコテラス」などに出演。

フロントエンドエンジニアとして、人材会社でWEBアプリを開発

-フリーランスのSEとして、どんな仕事をしてるんですか?

人材会社に常駐して、WEBアプリケーション制作の仕事をしています。今は、企業と求職者を繋ぐマッチングアプリをプログラマーとしてつくっていますね。プロジェクトの人員構成は、社員が6割、フリーランスが4割くらいの割合です。
WEBアプリケーションの開発をするエンジニアをおおまかに2種類に分けると、目に見える部分をつくるフロントエンドエンジニアと、見えないところをつくるバックエンドエンジニアがいますが、僕はフロントエンドエンジニアとして働いています。

-SEの仕事は楽しいですか?

まずは、プログラミングの作業自体が楽しいですね。自分の書いたものが想定した通りに動くのが快感です。「コンピュータと理解し合えた!」って思える瞬間はやりがいを感じますね。
そして、変化が激しい業界なのも自分にとってはワクワクできるポイントですね。変化がない環境だとつまらなく感じるので、新しい技術がソフトがどんどん出てきて、自分をアップデートし続ける必要があるんです。反復が嫌いな自分にはちょうどいい環境ですよ。

教員にもならず、青年海外協力隊に落ちて、ちょうど興味があったプログラミングの道へ

-どうして、SEになろうと思ったんですか?

実はもともと、SEになろうとは思ってなかったんですよ。大学から大学院の中盤くらいまでは英語教員を目指していて、大学院の終盤では、国連職員になりたいと考えていました。国連職員になりたいと思ったのは、修士2年の秋に、バックパッカーとしてシンガポール・マレーシア・ベトナム・タイ・ラオス等をめぐって、一部の都市はすごいスピードで発展しているけれど貧困地域もまだまだあることを実感したんですね。それで、国際協力に興味を持ち、まずは青年海外協力隊で経験を積もうと思って応募しました。でも、最終選考で落ちてしまって。大学院卒業の1か月半前くらい(2月初旬)だったので、急いで就職先を探さなければいけなくなったんです。
英語の教員免許も持っていましたが、あまり魅力を感じられなくなっていたのと、当時漁るほど読んでいた経営者やスポーツ選手の伝記に刺激や元気をもらったのがきっかけで、人に良い影響を与えられるくらいまず自分の人生をチャレンジングに歩みたいと思ったんです。
その頃プログラミングにも興味を持ち始めまして、大学院で英語教育のebookの教材をつくっていたときに、既存のアプリケーションを使っていてかなり制作の自由度が低かったんですね。限界を感じて教授に相談したら、「プログラミングを学べば好きなものがつくれる」と助言をもらったんですよ。その時は、一からプログラミングを学んでいては間に合わないので、悔しいながら諦めたんですが、いつか挑戦したいと思っていました。
あと、映画とかでハッカーがキーボードをものすごいスピードでカチャカチャカチャって叩いて、一瞬でものすごいトラブルを解決するシーンあるじゃないですか。あれ、かっこいいなと思って(笑)。いま思えばエンジニアに絶対なりたいと言うほど強い気持ちはなかったんですが、もともと「できないけど、やりたいこと」には挑戦したくなる性質で、ちょうど修了間際に挑戦したくなったのがプログラミングだったんですよね。

同じことを繰り返す会社員生活が性に合わずフリーランスに

-最初からフリーランスだったんですか?

いずれ独立はしたいと思っていましたが、スキルを身につけるために新卒でIT企業に入社しました。社長にも「3年で独立します」って宣言していましたね。入社後は3か月で基礎を学んで、その後はプロジェクトにアサインされて開発、プロジェクトが終われば次のプロジェクトに……という繰り返しでした。もともと新しいものに挑戦するのが好きだったので、同じことの繰り返しが多い会社員生活がやはり性に合わないという気持ちが少しずつ芽生えたんですよね。
「IT以外の分野の人から刺激を受けたい」と思って、入社して1ヶ月くらいで、プロボノとしてNPOに出入りするようになりました。NPO法人ZESDAというベンチャー支援のNPOで、ミャンマーの市場調査プロジェクトのリーダーや、NPOに入りたい人の面接などをしていたんですが、その中でたくさんのフリーランスやパラレルキャリアを実践されている方に出会ったんです。それに、当時もたくさんの伝記を読んでまして。彼らの生き方に触れて、「なんで俺、会社の中で窮屈に生きてるんだろう」って気持ちが湧いてきたんですよね。それでタイミングのよかった入社後2年半で独立することにしました。

フリーランスになって、自由な時間も増え収入も倍増

-フリーランスになって、何か変化はありましたか?

自分の時間がかなり増えましたね。会社員って、社内のコミュニケーションに費やす時間がすごく多いんですよね。社内の飲み会や無駄に見えたりする会議の時間もゼロになって、今はプロジェクト本体の会議で必要事項を詰めるだけなので、仕事自体に集中できます。時間ができたので、副業でやっているDJの出演回数や練習時間も増やせましたね。
今は週5で働いていますが、フリーランスなら週3勤務にして、週2は別の仕事をするという働き方もできます。フリーランスになって働き方の選択肢が増えたのはうれしいですね。いまのご時世、フリーランスのエンジニアの案件はたくさんあるので、働き方は選びやすいと思いますよ。

それから、ちょっと露骨な話ですけど収入が2倍になりました(笑)。会社員のSEって、ストレートな言い方をしてしまえばかなり「取られて」いたりします(エンジニアを要する経営者や役員の方たちに対する不満や批判とかではないので、悪しからず)。エンジニア一人の単価は決まっているのですが、そこから会社がもろもろ抜いた分が自分の収入になりますが、フリーランスならその大部分が自分に入ります。一般的な日系の大企業に勤めてる人以上はもらえてると思います。

フリーランスのエンジニアが、得意分野を増やせるかは自分次第

-フリーランスの厳しさは感じますか?

フリーランスのエンジニアは、技術を提供する身です。今あるスキルや過去の実績でアサインされるので、新しいチャレンジはしにくい面もあります。ただ、全くできないかというとそうでもなく、企業が求めるスキルでプロジェクトに入り、内部に入ってから新しい領域にも挑戦できないか交渉することもできます。意識しないと得意分野は増えにくいものの、自分からコミュニケーションをとることで知識や技術の幅は広がる可能性はありますね。いずれは、IT系の会社を設立したいと思っているので、知識と技術の獲得のために努力は続けたいと思っています。

文・編集:高村エリナ 写真:曽川拓哉

********************

田中直明の他のパラレルキャリアについてはこちら


********************

パラレルキャリア実践者の話を聞けるイベントはパラキャリ酒場!
イベント日時や登壇者はこちらからチェック!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?