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今できないから勉強する。「過去を内省し、未来の向けて現在を変えていく」と決断するかどうかだけが重要。

「学校の成績がひどいのですが、うちの子でもついていけるでしょうか。。」と面談の時にお話されるお父様・お母様が多いと感じています。

「自分はあまり勉強ができないので、、」という高校生も後を絶ちません。


これらの前提になっているものは、「成績が悪いことは恥ずかしいことである」という考えだと思います。こうした考え方を、世間体や環境、中高生本人の意識の問題など様々な視点で捉え直すと、単純な話ではないことがわかります。



外部向けの「仮面」と本心を混同するリスクがある

実際のところ、成績があまり良くないことに対して何とも思っていない方は少なからずいらっしゃいます。

「学校の成績以上に、将来職に困らずに、しっかり社会で生きていくこと」をゴールにしている方はたくさんいらっしゃいます。私個人の体感知では、ここ数年でより一層増えたと感じています。

一方で、そういった考え方を学校等でお話すると、周囲から「変わった人だ」と見られてしまうリスクがあるかもしれません。なぜなら、「成績が良い→いい大学に入れる→いい仕事・安定した仕事に就ける」という神話が未だに存在するからです。

そのため、世間体を考えてあえて「うちの子は成績が悪いので、、」と話す場合もあるかもしれません。


上記の王道が少なくとも王道ではなくなっていることに関しては、以前書かせていただきました。学力だけでは差別化できない環境になりつつあります。


周囲と上手に付き合うという社会性は非常に重要です。どんな場面でも本音で話していては、逆にストレスがかかってしまう場合も多いと思います。

しかし、本心を忘れてしまっている場合も多々あります。


よくあるパターンは、

「学力よりも生きていく力が必要だ」と考えているお母様が、世間体を考えたり様々な理由から、「勉強しなさい」とお子様に伝えているとします。

その「勉強しなさい」の本当の理由(食いっぱくれなく生きていけるようになってほしいから)をお子様に伝えないまま数年が経ってしまうと、お子様は本心から「勉強ができないと認めてもらえない」と考えるようになります。

一度そのようにお子様にインプットされてしまうと、なかなか「成績が悪いから自分はダメだ、、」という考えから抜け出せなくなってしまいます。

さらに、お母様の立場からも、突然言うことを変えてしまうと一貫性がないとお子様に思われてしまうリスクもあり、簡単には発言を変えることができません。


このように、世間用の「仮面」と本心、お子様の世間用の「仮面」と本心を、しっかり区別しなければ、何が本心なのかわからなくなっていってしまうリスクがあります。


勉強できるようになりたいとは思っていない中高生

中高生は一人一人意識の高さが異なりますが、「勉強ができないと、将来生きていくのが難しい」と信じている中高生は実際のところそれほど多くありません。

先のことは全くイメージができず、大学や仕事とは何なのかも全くわからないため、現実味がないのは当然のことだと思います。

親や学校の先生等から勉強するように言われ、しぶしぶ勉強をしていますが、実際のところ「こんな勉強、将来役に立つわけがない」という疑問が払拭しきれない場合です。


こういった状況ですと、周囲がどれだけ騒いでも、最低限の勉強しかしない場合が多いです。「怒られない程度に」をレベルをあえて上げる理由はありません。勉強そのものがあまり好きではなく、将来のためになっているかもわからず、周囲からプレッシャーを受けるからです。

こういった中高生本人の素朴な疑問に目をつぶってしまうと「勉強しなさい」と縛りを厳しくしていくしか、勉強してもらえなくなります。「北風と太陽」の北風状態です。


実際のところ中高生本人が本心から「勉強は大事である」と考えない限り、勉強を頑張ったりはしない場合が多いです。私個人的には、むしろその方が自然で素直であると考えます。

(こういった状況の中高生一人一人に対して、勉強をやりたいかどうかを一緒に考えて、勉強が将来どんなに有用なものかを伝えるのがパラリアです)


「こういう親であるべき」というお父様・お母様の理想像

真面目なお父様・お母様ほど、「こういう親であるべき」という意識が強かったりします。

「良い親になるためには、親に言われたことをしっかりできる子供に育てなければいけない」、「良い親になるためには、子供の将来を考えてしっかり勉強させなければいけない」等の意識が、強くなり過ぎてしまう場合です。

こうした意識自体は、親として当然であるという考え方が一般的です。一人前の大人に育てるための、教育方針の一つだと思います。


こうした意識と理想とのギャップを受けて、「言うことを聞かない子供を育ててしまって恥ずかしい」、「勉強しない子供に育ててしまって恥ずかしい」なってしまう場合があります。


「成績が悪い」は相対比較である

「成績が悪い」と一言でいっても、外部模試の結果を見て言う場合と、学校の成績を見て言う場合は大きく異なります。

進学校の落ちこぼれと、中堅高校の落ちこぼれでは全く状況が違います。進学校の落ちこぼれは、日本全体で言えば中堅大学を狙えるレベルだったりもします。




以上のことを考慮すると、「成績が悪い=恥ずかしい」となるのは、どんなことを前提にしている場合でも、お父様・お母様本人の意識の高さや、周囲の環境と将来の目標との根本的なズレが原因であることが多いです。

成績が悪いことを恥ずかしがったところで、世間的に目立たなくなる以外に良いことがあるわけではないと考えます。



今できないから勉強する

パラリアにおいて、これまでの学習状況や現在の学力は全く関係ありません。

今できないから努力します。だたそれだけです。パラリアはそれをサポートします。

「目標を定めて、現在の状況を把握して、できないものを一つずつできるようにしていく」これがパラリアです。


パラリアは、自分を変えたいと思っている人が利用する場です。学力レベルや意識レベルは問題ではありません。どれくらい頑張るか、どんな高みを目指すかも、パラリアが決めることではありません。「頑張りたいかどうか」だけが重要です。


さらに言えば、過去のことを反省するだけにとどめ、将来に期待します。

これまでどんなにグータラな生活を送ってきていたとしても、その生活を反省して、改善点を列挙して、その子ができることから一つずつクリアしていきます。「これまでの生活がひどすぎるから、うちでは見ません」という発言は絶対にしません。


「一緒にクリアしよう」と決心してくれる人が、パラリアに合っています。それは、「壁にぶつかっても乗り越えようと努力する」と決断することを意味します。できるかできないかは問題ではなく、姿勢を変えることを決心します。


パラリアは、そういった中高生及びお父様・お母様を応援します。逆に言えば、変わりたいと思っていない人に、テキトーに勉強を教えて対価だけをいただこうという思考は最初から持ち合わせていません。


パラリアは「頑張りたいかどうか」に価値を置きます。

●まとめ:パラリアという場の捉え方
今できないから勉強する。学力の高低は関係なく、今自分がいるステージを上げたい人が集う場である。

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