雨の日の動きで、その人のスタンスがわかる
私は雨の日は気合いが入るタイプです。
集団の中の自分を考えると、自分と同じ立場の人が多ければ多いほど、そしてその人たちのモチベーションが高ければ高いほど、逆にやる気を失います。
理由は私自身ハッキリとはしませんが、今振り返って思うこととすれば、小・中・高とずっと、生徒数が非常に多い学校に行っていたからかもしれません。
それだけ人が多いと、自分が一番できることはなかなかありません。自分独自の何かを自覚するのも難しいです。
当時から、「自分独自の何かを持たなければ」と無意識的に思っていたのかもしれません。
基準の高さ、自分への厳しさは、雨の日の動きでわかる
雨の日は大抵の人にとって憂鬱です。自然とやる気が下がってしまい、中高生で言えば学習時間も低下してしまう場合が多いです。
この状況を私は非常にチャンスと捉えます。
晴れの日と比べて、ライバルたちが勝手に学習時間を減らしてくれるからです。
「学習時間は多ければ多いほどいい」という立場ではないことを確認した上で、学習効率が良いのであれば、あとは最終的には学習時間になってきますので、学習時間そのものも当然無視できません。
2019年現在の受験制度では、受験は偏差値で評価されます。つまり、「周囲と比較してどうか」が問題になります。「ライバルより勉強する」ことは当然、ライバルと差をつける一要因になります。
そのように考えると、ランダムに訪れる雨の日は、ライバルと差をつける絶好のチャンスと考えることもできます。
雨の日に、いつもと同じように勉強できる人は、「勉強に対する意識がしっかりしている」と判断できます。
私の場合、受験にとどまらず人生ベースで、「雨の日は頑張る人が減る」と思っています。そのため、雨の日は普段以上に自分の仕事へのモチベーションが高まります。雨の日は周囲と差をつけやすくなるからです。
こうした意識の背景には、大学受験で失敗した時の完全なる自己否定がベースにあると思っています。「自分は才能がないから、努力で勝らなければいけない」と深く刻み込んだのが原因だと考えています。一人で努力するという意味での「自習」を研究しているのも、そのためかもしれません。
今の中高生に話を戻しましょう。
勉強だけしていては、いよいよダメになる時代かもしれない
受験は変わりつつあります。それはもはや誰の目からみても明らかかもしれません。
AO入試をはじめ、学力以外で評価される場も増えてきています。
これは簡単に言えば、差別化を重視していると考えることもできます。少なくとも明らかなのは、「言われたことをただやるだけの人」より、「自ら考えて行動する人」が求められているということです。
「自ら考えて行動する」かどうかを中心に考えると、「ひとまず勉強して偏差値を上げて、良い大学に入っておこう」は、「自分で考えたかどうか」とは関係ないアドバイスということになります。
「自分で考えても考えなくてもいいから、とにかく偏差値を上げてくれ」という親御さんからのご要望は、そのまま飲み込むにはあまりにも無責任なものになってきています。
「雨の日に差をつける」ことはいいことだとしても、その「差のつけ方」そのものが変わってきている可能性があります。
「これがやりたくて大学へ」という高校生と、「やりたいことは大学に入ってから考える」という高校生は、同じように学習していたとしても、目的は大きく異なります。
学力は周囲と比較が可能です。一方で、学習の目的は、高い低いで比較することはできません。比較できるとすれば、「自分が受験勉強を頑張る理由をどれだけ考えたか」という、自問自答の時間数です。
そういった人生ベースの自問自答が非常に重要なのは明らかですが、一方で受験生はやはり、大学受験に向けて勉強しなければなりません。将来のことを考える際、「偏差値の高い大学に行く方が、将来の選択肢が増える」という考え方は的を射ています。
実際にはそのバランスが難しいところです。パラリアも、自分の人生を考える時間と、学習時間のバランスをとろうと、日々努力しています。
少なくとも「勉強だけ教えていればいい」というだけの学習塾のサービスは、時代の流れを考慮していないのではないかと私は感じています。
●まとめ:周囲から抜きん出る一つの方法
周囲が頑張っている時は同じくらい、周囲が怠けている時はいつもの倍以上頑張る。
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