僕は講師として「隙のある」人間であり続けたい

僕は、世間で言われているところの「畏怖の念」を抱かれるような講師にはなりたくないなと思っています。

講師を何でもかんでもスゴイと思うと、生徒は言われたことを素直に受け止め続けてしまいます。

生徒が言われたことをするだけの学校生活・受験生活を送っているだけで、大学生になって放任された時に、主体的に動けなくなってしまいます。
(じゃあどのタイミングから教授型から主体的に行動させれば良いのか、という議論はいったんおいて置きます)

そんな状態で第一志望に送ったとして、講師として本当に気持ちいいのでしょうか。大人になっていく彼ら・彼女らの将来を長期的に考えているのであればなおのことです。

そうならないように、指導システムの工夫がなされている場を用意したり、講師個々人の指導スタンスを考えたりする必要があると思います。

講師それぞれの性格があると思うので、特性に合った指導スタンスがあると思います。

その中で、僕個人としては「隙のある」人間であり続ける、というスタンスを取っていきたいと思っています。

理由は2点

①生徒が、自分の主張に不安だったとしても、思い切って言えるようにするため
(間違いを恐れずに言える雰囲気を作る)

②僕自身が生徒から学ぶ姿勢を失わないようにするため
(余計なプライドを作らない)

何となく分かってしまうかもしれませんが、初めてまともに文章を書いて疲れてしまったので、詳細は明日書きます…

ここまで読んでいただいてありがとうございました!

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