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「人からでないと学べないもの」がわかる3つのストーリー

私がパラリア創業前までに先輩方から学んだことのうち、今でも強烈に自分を動かしている3つの例えを書きたいと思います。

出典など細かいことは気にしません。「私自身が非常に腹落ちした」・「今のパラリアにいきている」その二点が選定理由です。


自分の限界は自分では自覚できない

一つ目の例え話は、サーカス団のゾウです。私が学部2年の春に、30代の個人事業主の方から伺ったお話です。

サーカス団のゾウは、とても小さな鎖につながれて管理されている。結んである杭も小さく、ゾウなら簡単に引きちぎることができる。

しかしゾウは、その鎖を引きちぎったりはしない。引きちぎれないのではなく、引きちぎろうとしない。

なぜならそのゾウは生まれたばかりの頃、鎖を引きちぎろうとしてできなかった。そして「この鎖は引きちぎることができない」と学習し、大人になった今でも、その考えを持ち続けているからである。

「この鎖は引きちぎることができない」と学習してしまったゾウは、それが当たり前になってしまい、もはや鎖を「自分を制限するもの」とも思っていません。「鎖を引きちぎって、自由になりたい」という意識も芽生えません。


人間も同様で、自分の限界を決めているものは、自分一人では自覚できないことが多いです。それはその人の視野が狭い云々ではなく、そのように学習してしまったからです。


そこで、誰か他の人が教えてあげる必要があります。

ゾウにも教えてあげる必要があります。「その鎖、引きちぎれるよ」と。


しかしゾウは、簡単には鎖を引きちぎろうとはしません。教えてもらったことによってたとえ鎖を自覚しても、「自分にはこの鎖は引きちぎれない」と学習しているからです。



自分の限界は、破っている人を見ないと破れない

二つ目の例えは、ビンに閉じ込められたノミです。私が学部2年の時、当時の私の2つ年上の学生兼起業家の方から伺ったお話です。

ノミは、自分の身長(2ミリ前後)の150倍のジャンプ力を持っている(約30センチ)。このノミを、透明な小さなビンに入れ、透明のフタをする。

ノミはいつものようにジャンプするが、フタに頭をぶつけるため、ビンを出ることはできない。
そのうちノミは、頭をぶつけないようフタの高さギリギリまで飛ぶようになる。

その後、透明のフタを取り外しても、ノミは出てこられない。その高さで飛ぶのが当たり前になってしまったからである。飛べないのではなく、飛ぼうと思わない。(一つ目の例えのゾウと同じ)

しかしこのビンの中に、ビンの高さ以上に飛べる新しいノミを入れる。

新しいのみは、当たり前のようにビンの高さ以上の高さで飛んでいる。それを目の当たりにしたノミは、次第に飛ぶ高さを更新していき、ついに新しいノミと同じ高さまで飛べるようになった。

一つ目の例えのゾウと同じ、自分の限界を学習してしまったノミに対して、そういった学習をしていないノミを隣におくことで、その思い込みを変えることができるという例えです。


外から「あなたはできる」と言われたところで、自分が学習してきた考えを簡単に変えることはできません。

しかし、隣で実際にその限界を超えている人がいると、「できるんだ」という事実を目の当たりにし、「自分が思い込んでいるんだ」と自覚せざるを得なくなります。


もちろんここで多くの言い訳が言う人がほとんどです。「あの人はすごいから」、「自分はセンスがないから」等々。自分が学んできたものを信じようとするのは当然です。


「自分には無理だ」という気持ちに対して、「自分もあんな風になりたい」と思う気持ちが勝つか負けるか、それによってチャレンジするかしないかが決まります。



「できない」と考える余地をなくすと成長する

三つ目の例えは、私が修士1年の時、パラリア創業の半年前に、50代の社長から伺ったお話です。これはおそらく社長オリジナルの例えだと思います。

ジョギングしている人を自分の車の助手席に無理矢理乗せて、思いっきりアクセルを踏んでスピード感を体感してもらわないと、自分が見ている景色は伝わらない

これは、「成長してほしい人をどのように成長させるか」という問いを出発点としてお話していた時の例えです。


自分にはできない理由ばかりが浮かんでくる人に対して、隣で実際にやっていることをすべて見せてしまえば、もはやできない理由はほとんどなくなってしまいます。

さらに、「できた後の景色」を一瞬見せることによって、その人の基準が高まります。「今の自分がまだまだ甘いこと」を自覚することができます。


***


「以上の例えをパラリアに当てはめるとどうなるか」については書きません。もはや説明不要かと思います。


パラリアスタッフの行動指針の一つである山本五十六の言葉を最後に示します。あまりにも有名な言葉です。

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。

上記のような意識を持った親以外の人が、今の中高生の周囲にどれくらいいるのでしょうか。

ネットで探せば、その子の限界を超えている人はいくらでも出てくる時代ですが、その情報を自分事として考える中高生は稀だと思います。


中高生は基本的に、家と学校と往復です。親の偉大さを感じるのも難しい場合がほとんどです。

そういった状況では、中高生が自分の限界に挑戦しなくなるのも無理はないと考えます。


少なくともパラリアは、「できた後の景色」を見せられるような場でありたいと強く思います。

●まとめ:他人からしか学べないこと
①自ら決めてしまった自分の限界
②その限界を超えることができること
③その限界を超えた後の景色

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