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科学は子供の夢の敵なのか?

その昔、私が学生の頃、早稲田大学・大槻義彦教授のミステリーサークル調査団に加わって渡英したことは、拙ブログでも触れました(「『超常現象体験談』はただのエンタメ:真に受けず、深入りもせず」
 
そのころはミステリーサークル(麦が倒れ、麦畑に円形を主体とした幾何学的パターンができる現象)が一種のブームで、UFOの着陸跡だなどと主張する者も。

で、そういったUFO論を後押しする形で当時のTV番組が、お家芸とも言うべき印象操作をしてくださる‥。


UFO論者の我田引水

場所は、ミステリーサークルが多発するイギリスの田園地帯。

映像では、夜空を光点が明滅しながら移動。

その明滅と相前後して地上の光がまた明滅するシーンを映し出し、「上空のUFOと地上の乗組員(宇宙人)が交信しているのでは?」と。


夜空を点滅する光が飛んでいく


すると地上でも点滅する光が

あおるねぇ。

しかし冷静に考えて、今目の前に情報としてあるのは、夜中に上空と地上で点滅する2つの点光源の映像、ただそれだけ。

それだけですよ?
 
そこから、やれ上空の光点が宇宙人の乗った宇宙船で、地上に降り立った宇宙人との間で光を点滅させて連絡とり合っているなんて、想像力たくましすぎません?
 
それに、はるか宇宙の彼方から光速を越えてやってくるという、人類を凌駕する技術力をもつ彼らが、可視光の点滅などという、モールス信号か狼煙の延長みたいな原始的なやり方で連絡とり合うと、本気で思っているの?

先人の技術の過小評価

 UFO関連で思い出すのは、1970年代にちょっとしたブームにもなった、南米チリの本土からはるか4000km沖合に浮かぶイースター島のモアイ像。

有名なトンガリキのモアイ

何がきっかけだったのかは忘れたけど、確かに当時の少年雑誌にはそれの特集記事があったような。
 
あのモアイ像、なんとなく目線は上空向いているし。
 
「当時の文明や技術では固い岩からあのような巨像をつくり出すのはムリ。それに運ぶのに必要なロープを作ろうにも、その材料となる木がこの島には生えていない。だからモアイ像は、太古の昔に地球を訪れた宇宙人たちが作ったものに違いない」

なんのために?

「目印とするために。」
 
‥というのが「モアイ像実は宇宙人が作った」説。
 
けど実際には、7世紀ごろから17世紀にかけて作られたというその時期の技術でも十分製作可能らしい。
 
ラノ・ララクという場所には当時のモアイ工房跡が遺っており、製作途中のモアイが多数放置されている。
 
これによりその製作過程についてはかなり詳しく明らかになりました。
 
固くて加工が難しいということはなく、火山灰が堆積してできた(イースター島には火山が3つある)凝灰岩でできていて、それはどちらかというとむしろ非常にもろい。
 
運搬に必要なロープの材料についても、土中の花粉分析により、かつてイースター島にはロープの材料にもなるヤシの木が生い茂っていたことが分かりました。
 
現在のようにのっぺらぼうな大地が広がったのは19世紀から20世紀にかけて島全体が牧羊場とされたことによる土壌浸食が原因、とのこと。

そして「宇宙人が目印のために」

これはあまりにも苦しすぎるだろ。

岩を削って何百という巨像を作っておき、あとで飛来したときに「ここじゃない」、「ここでもない」と巨像を求めて島を一つ一つしらみつぶしに探すって、高度な文明を持つ宇宙人にしては頭悪すぎるし。

島の形状でも覚えとけ、と。

第一上空からなら、モアイより島本体の方がよほど目立つ。

何でもUFOのせいにするな

話は飛んで、今度はナスカの地上絵。
 
ここでの宇宙人論とは、「地上から見えないあんな巨大な絵、誰に見せるのだ?宇宙人の為としか考えられないじゃないか」といったもの。
 
これについては拙ブログ「太古の地球に宇宙人?」で論じているので、ここでは略します。
 
付言するとナスカの地上絵は数十メートル規模のものが多く、最大のとなるとフラミンゴの300メートル(あくまで今のところ、ですが)。
 
それに対してこの高原には長さが10キロメートルを越える直線が何本も引かれています。
 
これに対しても宇宙人論者は、宇宙船の滑走路だと主張したりする。
 
UFOの離着陸に滑走路って必要なの?
 
どんな飛行メカニズムだというのだろう?
 
地面に直線がないと方向が定まらない程度の技術で、よく宇宙から飛んで来られましたね。
 
 
訳わからんものをなんでも宇宙人やUFO(宇宙人の乗る宇宙船という意味での)にリンクさせるのが、UFOビリーバーしぐさ。
 
よく、科学者はロマンがないとか、科学でなんでも解明できると思うのは科学者の傲慢、とか。
 
でも本当は、「科学でなんでも解明できる」なんて1ミリも思っていないのが当の科学者だったりする。
 
なにかを無根拠に信じ込むことと対極にあるのが科学思考というものです。
 
夜空に動く光点を見ただけで宇宙人来訪と決めつける前に、どんなオプションが他に考えられるかその可能性を徹底的に追及する。

そういう態度で見えてきた実像が、モアイだったりナスカに対する現在の理解だったりするわけです。
 
そういうのをすっ飛ばして妄想を膨らませ、いつしか妄想が現実として脳内処理される過程、果たしてそれはロマンと言えるのか?
 
タレントの松尾貴史がその著書の中でうまいこと言っているので、載せておきましょう。

切り口が鋭利な動物の死体を見ても、空に光が浮かんだのを見ても、丸く踏み倒された麦畑を見ても、火星の表面のでこぼこが顔のような影を作っているのを見ても、居眠り運転で記憶が飛んでも、不可解に感じれば何でも宇宙人のせいにしてしまう発想を、私の解釈では『ロマン』とは言わない。『おっちょこちょい』である。

「なぜ宇宙人は地球に来ない?」(PHP研究所、2011年)

夢を壊すのは科学ではなく‥

1975年に起こった「甲府事件」について、それを地域活性化に活かす取り組みを報ずる記事が2023年6月19日報道されました。
“withnews”、「『UFOに遭遇』の小学生 甲府事件から半世紀を前に沈黙を破る」
最終更新日:2023年6月19日、最終確認日:2023年6月22日

甲府事件とは、 1975年のある日、一人の小学生が宇宙人に遭遇し、肩を叩かれた、というもの。

2023年のこの報道に対して、新潟青陵大学の社会心理学者・碓井真史は、宇宙人遭遇や宇宙人にさらわれる経験、UFO目撃に加え七福神が乗った宝船を見た人もいるとした上で、
 
「真実は分かりません。見たままを語っただけなのに、傷ついてきた人もいます。特に子供の場合は、大人が守る必要がありますね。科学は大切ですが、世界は夢と不思議にあふれています」、と。
 
子供への伝え方は確かに重要でしょう。
 
本人が見たと主張する者に対し、大人が強い立場で「そんなことあるはずがない」と頭ごなしに全面否定。
 
これでは傷つくのも無理はない。
 
私も小学6年生の時、背広姿だが首のない人が歩いているのを至近で目撃しました、友人と共に。
 
はっきり見た感覚があるのに、親は当然ながら全面否定、悲しかった。
 
甲府事件もおそらくは、当人の「見た」主観的経験は事実なのでしょう。
 
それを理解した上で、相手が子供であるという事実を考慮した対応は重要です。
 
体験したのは事実とした上で、しかしその体験の要因にはどのようなものが考えられるのかに思いを馳せることも、同じように重要なことです。
 
なぜなら事実関係に目を向ければ、それは体験したことが全てではないから(例えば拙ブログ「マインドコントロールと確証バイアス」
 
事実誤認に基づく妄想やバイアスのかかった認知を経た「経験」の丸吞みは、ハッピーなことでしょうか?
 
果たして「世界は夢と不思議にあふれて」と手放しで喜べるものでしょうか?
 
それはロマンでしょうか?
 
科学と夢は相反するものでしょうか?
 
誤認識とそれに基づく思考が結果として人の夢を奪い人生を奪ったケースについても、私たちは気にとめなければならない(拙ブログ「弱気につけ込む罠に心理的防御を」)。
 
それが自分の体験であるがゆえに、自身の主観的体験については、その確からしさに強い信念が伴います。
 
それはムリもない。
 
だからこそ、一歩引いたメタな視点を持ちたい。
 
相手が子供であれば、むしろチャンスではないでしょうか、人の感受性には様々な側面があることを伝える意味において。

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○ Youtubeチャンネル「見えない世界の科学研究会」
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