見出し画像

フランス留学するまでの道のりpart2

こんにちは!ぱれすぅ〜です!
今日は、フランス留学するまでの下積みpart2(大学生バレエ再開編)です。

今回は、前回のテーマに引き続き「過去の自分が未来を導く」面もありますが、
人との出会いが人を作る
という言葉もテーマになってくると思います。

というのも、大学に入学したことで「私の人生にとって何が幸せか」をじっくり考え見識を広げていくことができました。
パリ時代から続く、自分や身内の常識とは異なる価値観を持つ人との出会いの数々によって、ぱれすぅ〜人生の第二章が開幕していくことになります。

前回の記事はこちら:


しょんぼり迎えた入学。しかし、そこには…

初めての一人暮らし。
家族に手伝ってもらい引っ越し作業を終えつつ、大学の入学式へ。

大学受験はほぼ壊滅。むしゃくしゃする心からか髪の毛はロングからボブにして髪もメッシュ入りの明るい茶色にして、リクルートスーツを着て行った入学式で同じ新入生とちょっと会話しつつ履修関連の資料をもらい、その日は終えました。
その数日後、初めての授業兼オリエンテーションがありました。

ぱれすぅ〜は結果的にD大学の外国語学部フランス語学科にセンター利用で入りましたが、この大学のフランス語学科は若干変わっている部分がありました。というのも、フランス語学科の中で既習クラスと未習クラス、合計5クラスに分かれていたのです。

ぱれすぅ〜はもちろん既習クラスでしたが、なんとこの学年には7人しかいませんでした。他の4つの未習クラスは各々20人ほどで、その内フランス語をガチで学びたい勢からは顔を覚えられ、見知らぬ人から「フランス人とのハーフなんですか?」と聞かれたことも😅ぱれすぅ〜はどちらかと言うと東南アジア系の顔なので、髪色の威力はすごいと改めて思いました…。


話は戻り、初めてのオリエンテーションの日、そのクラスの担任(フランス語学科、いや当時の外国語学部の学部長の先生でした)とその七人で集まり自己紹介をしあう場がありました。もちろん、この大学に知り合いはゼロだったので若干緊張したのですが、既習クラスにいる人たちもそういうソロプレーヤーがまあまあいたのですごく親しみ深さを感じました。7人中4人は日本の高校でフランス語を専攻していたから来た人たちで、残りの私を含む3人は高校時代に一年フランス・ベルギーに留学していたため一年年上でした。
そのぐらい少人数だと仲良くなるのも早く、友達の友達の連鎖であっという間にたくさん友達ができていました。また、ぱれすぅ〜のように一人暮らしの人も多かったので、バレエや受験勉強といった圧もなく自由気ままに過ごせる大学生にとって仲が深まるのは容易かったです。ここでの出会いは、ぱれすぅ〜の頑なすぎる部分を和らげ、時には自分のプライドを捨てて柔軟でいることの大切さを学びました。

そして、この大学の最もよかったこと、それは結果を残していればちゃんとそれを反映してくれたこと。ぱれすぅ〜のクラスは少人数でかつ海外経験者が多かったのでクラスの進みが例年より速かったのか、先生たちが準備していたもの以上のことをできる自由がありました。なので、当初ならA2-B1レベルのものをB1-B2レベルでやっていて、文法の基礎学習に当てるはずだった時間をより実践的な会話や文章の読み書き、聞き取り、翻訳などに回している感じでした。
ところが、2年生になると未習クラスの優秀な生徒が入り約倍の人数に。
クラスのレベルも無理に上げられない(話す能力は一年やっただけの人と海外にいた人では全然違ってきます)ので、元からいた既習生は不満に思っていました。そのことを学科長に伝えたところ、前年のTCFの学内成績上位者なら3・4年の難しいクラスと単位交換ができると提案を受けました。ぱれすぅ〜は該当者だったので、2クラス交換しました(その交換したクラスの一つを持っていた先生は、他のクラスに比べて比較的きっちりしていたためかクラスは少人数で、たくさん添削してもらっていました。のちにInstitut Françaisでもお世話になり、後のDELF B2対策でもたくさんの助言をいただきました)。

といったように、自分のペースに合わせて交友関係も大学での勉強も(あと、バイトも)取り組んでいるうちに、ぱれすぅ〜の心に余裕ができていました。

元々母からは外大の3年次編入は受けるように言われていたのですが、フランス語の枠組みを持ちつつもっと海外全体を専門的に学べる外大そのものに魅力を感じていたのは確か。D大学も居心地は良かったのですが、一般教養や専門科目をとっている時になんとなく物足りなさを感じていて、友達の間で自分が物知りキャラになっていて勉強面では若干距離を感じていました。つまり、バレエ少女時代から上ばかりを見てきたぱれすぅ〜にとって、居心地がいいから挑戦しない自分は許せない部分がありました。

でも、正面からぶつかるのは、受験勉強の苦々しい思い出が先行してしまうので、今回はやっていることは前向きでも心持ちは後ろ向きで行きました。

「落ちても居心地がいいところにいられるし、受かったら受かったで嬉しいだろうし、とりあえず自分がやりたいと思う分だけ勉強しよう。やりたくなければやらなくていい。自分がしたいことを論理的にちゃんと説明できるようになろう。」

つまり、勉強を真面目にしている感覚はなく、ひたすらに自分やりたいことの説明に必要な引き出し(資料)を集め、つなげることばかりを自由奔放にやっていました(大学のレポートもそうして書いたほうがいい成績をもらえたので、それが大きな気づきだったかもしれません)。

すると、やはりそういった知識欲の原点には、フランス留学の経験があり最終的にはバレエに対するものだと気づきました。

分岐点2. 入り口。

大学2年夏。
地元のバレエ教室の先生に誘われたのをきっかけに、久しぶりに舞台に立ちました。春から三か月間、2年半も踊っていなかった身体を呼び覚まし、舞台に出るための費用をバイトで稼ぎ、技術ではなく自分なりの表現を考えるなど、心身の準備に奔走しました。
すると、現役時代では見えていなかった踊る楽しさを見出し始めました。

例えば、現役時代は何も考えずできていた振付が筋力の低下でなかなか体現できません。短い期間でどうやってできるようにするのか。
その振付の前後の体力配分を調整し、できない部分に意識を向けられるように工夫したり、少ない筋肉使用量で効率よく動くために基礎を見直したり。また、小芝居と技術の流れを円滑にできるよう身体に覚え込ませるように練習して、歯磨きくらいの日常的な動作認識レベルになるまで身体にすり込ませて疲れを感じないように、と考えたり。

また、高校まではバイトなど自分で稼いだお金で自分のために使うといった感覚を知りませんでした。しかし、一度バレエを離れ一人で生活する経験をしたことで、日常のバレエとは無縁な自分が生み出したお金をバレエに注ぎ込む際の覚悟、意識が変わったようにも感じました。

そうしてがむしゃらに大学・バイト・バレエの練習を繰り返しているうちに、自然と現役時代に気になっていた「他人の評価」なんてどうでもいいように思えてきて、演技も自分がやりたいように好き放題やれる気持ちになっていきました。

実際の舞台は、それまでに見たことないくらいの歓声を受け、人生1幸せだと思いました。

そうしてバレエの実技世界に舞い戻ってしまったわけですが、この時のぱれすぅ〜はバレエを再開した春の時点で、思いがけないプランを立ててしまっていたのです…。

分岐点3. 夏の冒険。

大学に入ったのは、「フランスに行くため」。
今まで海外にいったきっかけは、「バレエを学ぶため」。

高校までのぱれすぅ〜にとって、「バレエ」という目的がなければ海外に行く必要を感じていませんでした。

しかし、フランス・パリに一年住み、もう一度行きたいと思ったぱれすぅ〜。
バレエ再開に伴って金欠学生となったぱれすぅ〜は、ただ遊びに行くためだけにフランスに行こうなんて思わない性。
また、バレエの再開とも時期が被り…。

「どうせ再開したんなら、もう一回フランスでバレエを学べばいいんじゃん。
やり残した感も若干あるし。」

そう思いぱれすぅ〜はフランスのどこかでサマー・インテンシヴでもやってないか検索。すると、マルセイユでパリオペラ座の先生やフォーサイス・スタイルを知る先生方が1週間教えるインテンシヴを発見。

「めっちゃいいじゃん!費用も思ったほど高くないし!」

と、ここで終わるはずが、ぱれすぅ〜は一つ思い残しを思い出すのです。

「フランスで学んだ身体の使い方をしっかりと知りたい。やっぱり、フランスのバレエ教師国家資格が気になる。」

もうこの時点で、バレエを再開してもプロになる考えは全くなかったのですが、バレエ自体は好きで「教える・伝える」側にとても興味がありました。
日本のバレエ界でプロ未満アマチュア以上でいるのは時に「プライド」と言う心の葛藤を招くわけですが(この部分は「表現モンスター」と言う記事をご覧ください)、ぱれすぅ〜は表現者としてではない立場でバレエに携わるにはどうしたらいいかを考えるようになっていました。

留学時代、海外の上の世代の方々との教養の差に愕然としたと書きましたが、バレエ教育においても自分の「バレエのための教養・知識」の無さにショックを受けていました。例えば、解剖学や舞踊史、音楽の知識など。

「より論理的にバレエを教えるにはどうしたらいいんだろう。
そして、もし自分がその立場に立つとしたら、生徒にとってどんな先生が必要だろう。」

フランスで教わった先生たちの教授法は、これまでのものとは全然違っていました。時には学術的で、時にはアーティスティックで。身体の基本的な使い方から動きの質までを言葉で表現することに長けていて、説得力のある指導法と言う印象を持ちました。

ぱれすぅ〜は自分自身の身体の感覚を他者に伝えるだけではなく、そうした実体験に論理性を持たせたかったんだと思います。
日本の大学でフランス語を学び、論理武装が得意なフランス人像に触れているうちに、そのフランス独特のバレエ教育への興味がどんどん高まっていました。

ネットサーフィンの甲斐もあり、国家資格の試験を管轄しているセンターのリストを発見。しかし、その国家資格の具体的なカリキュラムは見えて来ず、もっと深掘りしたいと思いました。

「マルセイユ行ったついでに廻るか。」

こうしてそれぞれの事務にアポをとり、5都市を廻る下調べの旅が決行されました。

ここまででだいぶ話が長くなってしまったので、分岐点3. の続きは次回書こうと思います。
では〜!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?