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【経験談】編入前後の履修と成績

みなさん、こんにちは。
東京外国語大学・元編入生のぱれすぅ〜です。
今日は日本の大学時代、どのような履修をして、実際どのくらいの成績だったのかについて、編入前後の変化に着目しながら書いていこうと思います。
では、スタート!


ぱれすぅ〜の大学遍歴について

ぱれすぅ〜は、最初の2年はD大学外国語学部フランス語学科に所属していました。そこでは、ひたすらフランス語の勉強、友人作り、バイト、そして途中からバレエに時間を費やしていましたw

その後、3年次編入試験を経て、東京外国語大学言語文化学部フランス語専攻に編入学。3年時は履修を詰め込み、4年時はコロナ禍の影響を受けつつも無事2年で卒業。

その後、半年の契約社員を経て、フランスのリール大学人間総合学部芸術学科舞踊研究専攻の学士3年(フランスの大学では最終学年にあたる)に編入学して、卒業して、他の専門学校に入って….とフランスの話は今回関係ないので省略。

つまり、日本の大学は前半と後半が各2年に分かれており、成績表も二校分あります。(裏話ですが、フランスの大学に出願する際、若干面倒でした。例えば、成績表の法廷翻訳を出さなければならず、二つ分やるのは正直金銭的に厳しかったので外大の分だけ最終的に提出したという…😅)

編入に関しては次のマガジンにまとめているので、ぜひ覗いてみてください。


大学前半期(編入前)

大学生活の始まり!当時の様子

実はD大学に入った当初、ぱれすぅ〜は大学受験に失敗した敗北感も相まって、編入するような心持ちではありませんでした。でも、一つ言えるのは、学ぶ楽しさを大学で再確認したこと!日本の大学は自分が好きなようにスケジュールを組める部分もあったので、自分なりに興味をもてそうなものをたくさん学べたのはとてもよかった!


【ちょっと余談】
高校時代は、地元の公立高校で自分の受験科目と関係ないことも勉強しなければならなかったぱれすぅ〜。実は進路選択を変更する前に理系クラスを選んでしまったもので…そして地元の高校は文転をさせてくれなかったもので…。高二の秋、パリへのバレエ留学のため一年休学した後、帰った時はすでに「フランスへもう一度行きたい」という心境のもと「外国語学部としてのフランス語を専攻できる大学」を目指していたのですが、高校側は文転を許すことなく、しかも成績優秀者じゃなきゃ取れない「推薦枠」をチラつかせる始末。やむなく、受験で使わない「物理・化学・生物基礎・地理」を勉強しつつ、「世界史・フランス語」を独学する羽目に。両親も独学では限度があると感じたようで、途中から苦手だった国語と独学でまかなっていた世界史、そして2時試験対策用の英語を勉強するため映像授業の塾に入れてくれたのですが、それに加えて仏検準2級合格したり、センター対策としてネットのフランス語の先生に助言を求めたり,etc.。バレエ少女は一変、スーパー・ガリ勉女子高生に転身していました。
そうして激太りし人生マックス体重になったにもかかわらず、じゃなくてw、、、やれることは尽くしたのにも関わらず、推薦枠は出席日数が足りないとかイチャモンをつけられてもらえず(「物理学年1位だったのに、化学の先生にあと30点取ればいい成績あげるよと助言されるだけ頑張ったのに、同じクラスの地理オタクの点数を抜いちゃって目をつけられて若干気が揉んだこともあったのに、私の努力を返せー!😭」と当時思いました😅)、志望校には入れず、センター利用でたまたま受かっていた大学に縋り付く勢いで浪人からは逃げたわけですが…。


受験勉強としての勉強は自分が興味がなくても無理矢理詰め込むようなものでした。しかし、そうして詰め込んだ知識をもとに展開する大学の講義は、聞いているだけで楽しかった。人よりもたくさん勉強して、それを一過性の知識ではなくするために自分なりに消化しながら身につけた受験勉強の知識は結構役に立つもの。
例えば、世界史や地理は、フランス語学科に入ってから「フランス語圏」限定で役に立ちました😅

ただ、この時期の履修傾向を見て思うのは、経済学みたいに興味はないけどある程度新しい知識を覚えておかなければならないものは点数が結構低く。どちらかというと、日仏歴史学や「ジブリ作品から読み解く日本神話」、「観光産業の実際」みたいな大学の教養科目っぽい授業で、自分で論文を読んでレポート書く系の方が好きで得意だったということ。高校時代の時みたいな授業に対する緊張感がなかったからか、好き嫌いがはっきりした成績が垣間見れました。

フランス語に関しても専攻なので週に8回の講義(12時間)がありましたが、自分が本当にやりたかったことだったので、とても楽しみながら受けていました。

そんな大学1,2年時のスケジュールは、
・基本的にフランス語の授業は毎日、英語は週に2回
・導入科目(フランス文化系)のほか、教養科目は選択式
・周りに言語オタクが多かった影響もあり、一年目はドイツ語、2年目はロシア語を第三言語として選択
・大体1日平均3、4科目(4.5〜6時間)履修
・月・水・金の夜、家庭教師のアルバイト。
・土日は銀座の飲食店でバイト。たまにコンビニ店員もしていた。
・火・木の夜、一年目はフラメンコ・サークルの活動、2年目はバレエレッスンを受けに外部へ遠征。

大学生って高校生より授業数が少ないから一見スケジュールに余裕があるように思えますが、バイトやら友人とのつるみやらサークルやら,etc.とプライベートも何かしらあり、かつレポート提出がかさんだりして結構時間がなかったことを覚えています。ましてや、その当時一人暮らし初心者でもあったので、家事をこなすのも一苦労。でも二十歳パワーやらでなんとかしてたっけw

あまり徹夜したことがなかったタイプでしたが、この頃から徹夜上等!って感じになっていましたwww

編入前の取得単位・成績はこんな感じ

まあ、こんな感じで大学生活を健全にエンジョイしていたぱれすぅ〜は、2年で84単位取りました。
その内訳は、

フランス語 24単位
英語    12単位
第3言語(ドイツ語・ロシア語) 6単位
学科の導入・専門科目 12単位
そのほか 教養科目  30単位

また、成績に関しては、Sが56%、Aが34%、BとCが10%ほど。
今風にいうGPAは大体3.4でした。
一年生の時はかなり頑張っていましたが、2年生の時は若干油断していてCを取っちゃったり…。あまり成績にこだわりはない方でしたが、大学前半期は自分が思うがまま好きな科目を存分に楽しんだ結果それなりの成績だったので、精神的には着実に英気を養っているようでした。
中でも、2年になった際、必修科目の講義が簡単すぎると感じたぱれすぅ〜は教授に相談。すると、1年時に受けたテストで大学内上位者の通知をもらっていたこともあり、週に2回分の必修授業を3・4年生がとる難易度高めの講義と交換して良いと許可が出ました。このように、相談すれば柔軟に応えてくれる大学だったので、のびのびと学ぶ場として最高でした。

*編入試験の書類選考に提出した時点ではもうちょっといい成績でした。つまり、2年生の秋学期は試験に生気を取られているような感じで、興味があるか微妙な授業では試験方式を聞き逃したりと若干抜けてたりしてww民俗学のテストは全く対策せず、教室着いた途端に気づいて超焦ったのを覚えてます😅まあ、こういう抜けた感じがぱれすぅ〜www

大学後半期(編入後)

引っ越しして、また一からスタートの大学後半戦

前に行っていた大学と外大は結構距離があったので、2月外大近くに引っ越して新学期を迎えたぱれすぅ〜。
もちろん、編入生は編入生なりの大変な大仕事(入学手続き)が入学前の12月〜3月にかけてありました。例えば、単位交換制度!詳しくは後述しますが、編入生は2年分の必修科目が免除されるほか、30単位ほど前の大学の授業から単位を持ってくることができます。ぱれすぅ〜は教養科目と英語、第3言語の単位を交換するため、外大の履修システムを学ぶことから始めました。
大学間によって履修システムはだいぶ違います。例えば、教養科目と一言で言っても、外大の場合ジャンル分けされていて、卒業するためには全ジャンルをある程度網羅していないといけないみたいなルールがありました。そのジャンルの分け方も独特で、最初は苦戦。

こうした手続きの後、迎えた外大生活はというと…。最初は授業が難しいと感じてとても大変でした。理由は単純で、3年生以降は専門科目の比率が増えること、また先生方の授業傾向に関するデータベースがないこと、そして外大は授業時間が少ない分たくさん課題が課されること、などが大きいと思います。

とりわけ編入当時苦戦したのは、授業傾向。前の大学は、「一般教養」としてのベースをもとにした授業構成でしたが、外大では先生の「専門研究」をもとにした講義が多く、ニッチな内容が多かったりします。

つまり、一般向けではなく「プレ研究発表」みたいなもの。

そういった講義は、興味のストライクゾーンが狭いので、自分が想像していたものとは違うなんてこともザラでした。読みが当たりにくいんです。

そんな中でも、諦めが悪いぱれすぅ〜はがんばりました。
3年生の最初から1、2年生と同じペースで履修。一個一個の内容が重く、家に帰ると頭のパンクで雪崩れ込むように倒れるなんてことも。ゼミも始まり、自分の研究対象も楽しみつつ悩む日々。前の大学よりも勉強スペースに入り浸ることが増えていました。
しかし、勉強だけやっていては気がおかしくなる恐れがあったので、クラシックバレエ部に入部。イベントに向けて振付・構成を担当したり、踊ったり。春学期は大学で手一杯だったのでバイトはしませんでしたが、秋からは週末の飲食店バイトを始め、4年生からは塾講師と某教材出版の編集助手のバイトに転身しました(ただ、4年生の時はコロナが始まった頃で、バリバリ働ける感じではありませんでした。)

編入後の取得単位・成績はこんな感じ

前の大学よりもさらに健全な大学生活を送った外大時代。
中でも3年次は勉学においてとてもハードな一年で、約50単位を取っていました。
外大は4学期制なので、春・秋学期は各20単位を取り、夏は短期集中講義を5週連続受けて10単位を取ったみたいな感じです😅
編入生は特に、多くて63単位しか持ってない状態で3年生をスタート(つまり、前の大学の20単位ほどの頑張りはなきものに、泣)なので、少なくとも65単位分を2年(最長で4年)で取る必要があります。大学5年生に持ち込みたくなかった、そして大学4年はフランス留学のためにオフィス・バイトを詰め込みたかったぱれすぅ〜は、専門科目を多く抱えた状態では本来すべきじゃない詰め込み具合で修行?しました。
おかげで4年生は自分が好きなことだけ、あとは卒業論文にだけ絞って取り組むことができましたが、コロナ禍のzoom講義はあまり得意ではありませんでした。

外大で迎えた卒業単位は131単位。
内訳は

認定 62単位(内、必修の免除が29単位、自己申請が33単位)
フランス語 9単位
英語 2単位
専門科目 32単位
一般科目 10単位
ゼミ・卒業論文 16単位

成績に関しては交換した単位を除くと、Sが24%、Aが62%、Bが13%と、前の大学より頑張っていてもなかなか辛口な評価が多く、難しかった…。
最終的なGPAは3.3と健闘した方だとは思いますが、同じ数値でも努力の厚みが大学によって変わってきそうだなぁと思いました。

また、外大では忙しさと難しさでフランス語の講義を何個か落としました。フランス語好きでも哲学の文章翻訳みたいなレベルになると、授業に参加するのも恐怖でした…。かと思えば、プレゼンの授業は結構得意で、生き生きと参加していたり…。向き不向きを分かった上で履修する難しさが顕著に現れた大学生活でした。

まとめ

2つの大学の履修や成績を比べると、それぞれの大学のシステムの違いに遭遇します。それを現代ではGPAなるもので視覚化して就活に利用されるようですが、正直これは客観的な指標とは言いづらい現実があるように思います。

なぜなら、大学の教授によってS,A,B,C,Fの評価基準は異なり、大学内の相対評価は全国水準とは異なるから
*外大の相対評価は特に厳しく、Sをもらえる生徒の割合が著しく低いそう。前に行ってた大学は逆にSをもらえて当然な人率が高かったので、ある種カルチャーショックでした。

GPAの元となる成績は出席だけではなく、教授の趣向を読み取る巧みさや講義との相性も含まれます。
果たして、そこに「社会的平等な視点」から見た評価であると言えるでしょうか?学問の中でのヒエラルキーと社会が求める能力はやはり違うと感じることがあります。数値は勉学における「努力の過程」を教えてくれない可能性も十分にあります。

この記事ではどんな成績だったかについてもやんわりと書いていますが、より大事なのはその成績に至るまでのプロセスで結果ではないということ。

要するに、GPAは私の編入前後の努力量を反映してくれていません!!!(編入後のGPA向上に対する期待の裏切り😇)

外大の方が勉強量もレポートに注ぐ熱量も正直大きかったですが、相対評価に組み込んでしまうとどうしても個人的能力レベルの限界を感じてしまいます…。他者と比べられることで、自分のミニマルヒストリーは流されていくような…。
だから、ぱれすぅ〜は数値だけを発表するのではなく、こうしてタラタラと長いプロセスを書きました😅

4年もあれば、勉学に集中できなかった時期や逆に波に乗っていた時期があって当然。人間だから。より良いGPAやら成績を取るために行動するくらいなら、悪くても講義を楽しんでいる人の方が話の引き出しが広がり、それが未来の力になるように思います。

だから、成績に対して完璧主義者になるのではなく、大学生活をいかに楽しく為になるように過ごせたかを大事にしたい(今もフランスで学生なので、決意)と思ったぱれすぅ〜なのでした。






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