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映画『愚行録』を見ました。

貫井徳郎の同名ベストセラーを妻夫木聡主演で映画化したミステリー・ドラマ。一人の週刊誌記者が未解決の一家惨殺事件の真相を追う中で、理想の家族と思われた被害者一家の意外な評判が明らかになっていくさまを描き出す。共演は満島ひかり、小出恵介、臼田あさ美。監督は本作が長編デビューとなる石川慶。
公開日: 2017年1月18日 (日本)
監督: 石川慶
原作者: 貫井 徳郎
エリートサラリーマンの夫、美人で完璧な妻、そして可愛い一人娘の田向(たこう)一家。絵に描いたように幸せな家族を襲った一家惨殺事件は迷宮入りしたまま一年が過ぎた。週刊誌の記者である田中は、改めて事件の真相に迫ろうと取材を開始する。殺害された夫・田向浩樹の会社同僚の渡辺正人。 妻・友希恵の大学同期であった宮村淳子。 その淳子の恋人であった尾形孝之。そして、大学時代の浩樹と付き合っていた稲村恵美。ところが、関係者たちの証言から浮かび上がってきたのは、理想的と思われた夫婦の見た目からはかけ離れた実像、そして、証言者たち自らの思いもよらない姿であった。その一方で、田中も問題を抱えている。妹の光子が育児放棄の疑いで逮捕されていたのだ--。

見ようと思ったきっかけは、上記のストーリー紹介に惹かれたからです。私も毒家庭育ちだったと思うし、幸せな家族に対する羨望は痛いほどにありました。そういった満たされない気持ちをフィクションを通じて癒してくれる、そんな予感を感じたからです。感想綴っておきたいと思います。ネタバレもあります。

登場人物全員クズ!!!

見事に全員クズなのであっけにとられました。でも、どんな人間も内にはクズさー愚かさーを秘めているものだと思うのです。女性社員をヤり捨てして笑い合う男の友情も、コネ目的で二股交際することも、自分の地位を守るために女衒のように他人を売り飛ばすことも。ぜんぶ現実世界でも普通に起きえる愚かさでしかない。だからこそ、ひやりとした嫌な気持ちになる映画。
現実の世界ではみんな仮面をかぶって生活しているからこんなことにはならないけれど、人間の内側にある自己中心的な愚かさが、この映画みたいに一同に会することになったらなんて恐ろしいんだろうな。その可能性を人間はそれぞれの中に愚かさとして持っているんだもんな。

格差社会・階級社会

このお話は慶応大学と早稲田大学と思われる大学が登場する。筆者は同志社大学の学生(大学からの外部生)だったので、なんとなく内部生との壁は分かる。
入学してすぐの紅茶サークルの見学会で知り合った女の子たちが内部生だった。実家がお金持ちとか、それゆえ身なりがお上品で近づきがたいとか、そんなこと以前に、彼女たちにはもうすでに長い付き合いがあって、今日ぽっと出での私に入れる余地はなさそうに感じたのは今でも覚えている。その紅茶サークルは正式入部の歓迎会が旅行を兼ねていて、旅費を親に頼むことができなかった私はそのまま疎遠になった。
そのあとの学生生活でも、今までの人生では出会ったことのない価値観の、いわゆるお嬢様やお坊っちゃんに出くわした。そのたびに少しだけみじめな気持ちになって、私も私の方で、彼女たちにお嬢様のレッテルを早々に貼って、どんな人間なのかを知ろうとはしなかった。

しかし、この物語の登場人物は違う。内部生と仲良くなりたいと積極的に関わろうとする外部生たちの存在が描かれている。内部生と仲良くなれば、彼らの華やかな生活のおこぼれに預かれるかもしれないからだ。そこから華々しい成功の人生が開けるかもしれない。
最近、親ガチャという言葉が流行ったけれど、ハズレを引いてしまったら、そのあとの人生でどんなに頑張ってもハズレがアタリになることはない。(もちろん例外はある。)私もいつの間にやら悟っていた。ハズレがアタリに変わることはないことを。この映画の一番切ないのは、満島ひかり演じる田中光子が、そのことを知ってしまった瞬間が描かれているところ。
「日本は格差社会ではなく階級社会」だと言った、市川由衣演じる稲村恵美の言葉が刺さります。格差はスペクトラムで高いところから低いところまで流れるように差があるだけだけど、階級には覆すことのできない壁が存在する。日本ではその壁がなんなのかは定義がなくて曖昧だけど、彼らにとって(私にとってもそうだったんだろうが、)最初に気付いた階級が内部生か外部生か、だったのだろう。

稲村恵美(市川由衣)

憧れは原動力になると思う。けれども時にそれは、妬みや自己嫌悪に変わる諸刃の剣。この映画には人間のたくさんの愚かさが描かれていましたが、その多くが自分の人生を(他人)より良くしたいという野心に基づいていた気がします。もはや野心を持たないハズレカードの私は、登場人物たちが人を傷つけてまで、のしあがっていこうとする様に冷めた目を向けてしまいます。そして、殺されてもしょうがないじゃん。人を散々犠牲にして生きてきたのだから、と虐殺された一家を思ってスッキリする。フィクションの世界はそれを許してくれるのです。

夏原友希恵の闇

夏原自身も外部生でした。しかし持ち前のコミュニケーション能力と美貌で内部生の仲間入りを果たし、他の外部生から羨望の眼差しを受けます。
彼女には、私が取り持ってあげれば、くすぶっている外部生の女の子を内部生側に昇級させてあげられる、という上から目線の自負がありありと感じられます。同じ外部生に仲間意識なんて全然なくて、ランチに誘えば食いついてくる子たちを内心バカにしているのが感じられます。
その一方で、彼女もまた名誉内部生にはなれても、外部生であることに変わりはありません。夏原さんの生い立ちなどは描かれていないので想像でしかありませんが、女を武器にしてあそこまで闘うには、彼女の親ガチャも芳しいものではなかったのではと思ったり、内部生たちと仲良くしていても、心のかよった付き合いはできていないのだろうな、といったことを思うのです。

「お子さんは?」

稲村恵美への取材の際に、稲村が妻夫木聡演じる武志にたいして、「お子さんは?」と訊ねるシーンがある。私がセンシティブすぎるのだろうが、なんとなく違和感のある台詞だったので気になった。今の時代、結婚しているか、子供がいるか、なんてことは気軽に聞ける話題ではなくなっていると認識しているが、このシーンでは稲村が子供を同伴させているといった理由だけで、なぜか唐突に子供の有無を訊ねる台詞が入ってきたように思われた。武志は「独身なので…」と回答し、とくに会話も発展しない。こんなセクハラっぽいシーンいるか?と思ったら、まんまと私も武志に騙されていたわけです。

千尋ちゃんが亡くなって病院に武志が駆けつけたシーンの妻夫木聡の演技で直感的にわかります。そこから急にこの映画のテイストが変わっていって、ミステリーやサスペンスなんてものではなく究極に愚かな毒家庭の話だったのだとなるのです。
性的虐待、親近相姦についてはエンタメとして消費したり、考察したりするのが苦手なので割愛します。

他人から見えている世界、自分から見えている世界、真実、全部違っているのだということ

宮村淳子(臼田あさ美)

この映画は取材という形で、登場人物たちが各々思っていたことを独白していく。映画の鑑賞者たちは、この事件の外側にいて、各々が思っている内容にはズレが生じていることを感じることができると思う。これは何もこの映画だけの話ではない。現実世界で生きていても、自分に見えているものが他人にとっても同じように見えているとは限らない。当たり前のことのように思うかもしれないが、そのズレが大きくなればなるぼど嫉妬や悪意を生み出しかねない。

父親から性的虐待を受けていたことを知らずに、光子のことを野心的で、ああはなりたくない。と言った宮村。光子がどんな想いで這い上がろうと大学生活を送っていたか知っている武志からすれば、そのズレは殺意を生むほどだったのだろう。
夏原は田向と結婚し、子どもも一軒家も手にいれ、幸せそうに見えたかもしれないが、稲村の「似てきたと思いません?」という一言は、暗に田向の不倫どころか隠し子の存在まで浮かび上がらせる。また、稲村は夏原が自分との不倫に気を病んで心中したと思っているが、それもまた間違いなわけで。しかもその間違いの中で、田向の正妻である夏原に勝ったような気持ちでいる愚かさと強かさ。

もし、今苦しいことがあるなら、自分が見えている世界と真実に何かズレが生じてないか冷静に考えてみてばいかがだろう。自分の内にある愚かさを発露させてしまう前に。

イヤミスのおもしろさ

銀魂の作者、空知英秋先生がいっていたことだと思うのだけど、物語の最終回って置いていかれるような寂しさがあって、それが嫌だから作る方になろうと思った、というお話。私自身もこの感覚ってめちゃくちゃよく分かるんです。特に仲間と一緒に何かを成し遂げたりするような物語は。
イヤミスの良さって、読後の後味の悪さなんだろうけど、置いていかれた感が無くて、むしろ読後感が良いってことなんじゃないかなあ。物語の中で、素敵な仲間と冒険を追体験したあとの現実世界は侘しすぎる。でも、イヤミスを読んだあとの世界なら、人間少しはいいところもあるよね!って積極的に思い直しにはいかないけど、なんかそんな気持ちになったりする。それに物語の中で、人間の愚かさや悪意に触れることで、自分の中にある同じそれを、宥めたり解放したりできると思っている。他人から受けた悪意なんかもそう。他人から傷つけられたときは、悲劇を嗜んだ方が癒しが得られる。イヤミスはスッキリ解決ハッピーエンド!と希望も救いもない悲惨なほどのバッドエンドの間に立って、実は癒しを与えてくれる存在なんじゃないかって、私は思っています。

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