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「お別れホスピタル」が描くリアルな「死」の物語

漠然とした考えでしかなかった母の「最期」について、2023年は考えてばかりいました。

今日は、NHKドラマ「お別れホスピタル」をリンクさせて「延命治療」について考えてみたいと思います。


療養病棟が舞台のドラマ「お別れホスピタル」

主人公は、療養病棟で働く看護師。

物語は、重度の医療ケアが必要な人や在宅が望めない人を受け入る療養病で、主人公を中心に「死」に向き合った医療ドラマとなっています。

第一話から、ものすごくリアルな話が展開されたことに驚いた。

例えば、朝は元気だった老人が夕方には亡くなってしまう。同じ病室の老人が次々と亡くなってしまう。

ドラマは、そういうリアルさがあって緊張感をもたらした。
特に、究極の選択を迫られる患者家族の場面は、去年のあの日を思い出して体がこわばった。

”呼吸器をつければあと一年は持つ”といわれた患者。でも、そのために気管切開をすることになる。そうなれば、もう二度と言葉を発することはできない。

ドラマのストーリーは、家族が決めないと誰も決められない。責任の所在は「家族」。ここを知らずして、高齢化社会を乗り切ることはできないものばかりでした。

救急医療は、パーキンソン症状の患者に対する治療を共有しながら対応して欲しい

レビー小体型認知症の母には、パーキンソン症状があります。7年前に認知症のグループホームに入所し、月1回の神経内科、形成外科への病院付き添いは家族でしています。

パーキンソン症状のある人たちは、一日に何度も身体硬直を繰り返し、緩和するための薬物治療は欠かせません。

発熱で救急医療へ行った時の話しです。

救急医療というところは、仮説を立てて、どこに原因があるのか?を徹底的に調べ尽くします。母の場合、熱の原因がどこなのか?の検査に時間が、かかり過ぎてしまった為、切らしてはいけないパーキンソンの薬のタイミングが外れてしまったことがありました。

家族は、専門的な知識には乏しく、「かかり医と連携している」と聞かされると医療にお任せするしかないのですが、入院して3日目に、食事を全く取れず点滴治療のみの状態だということが分かりました。

延命措置をどうする?

そのため、鼻チューブで栄養を取ることになったのですが、医師からは同時に、胃ろうや呼吸器挿入などの延命に関わる方針も迫られました。

母が高齢であること、食事が取れなくなった状態が長かったことが要因だと説明されました。

結果的には、パーキンソン症状に対する薬投与で硬直が緩和され、少しずつ食事をとることができるようになり、胃ろうも呼吸器も必要なく元の施設へ戻ることができました。その間に熱の原因も特定できました(蜂窩織炎)。

無事に退院できたのですが、その時、これからの母の最期をどこで過ごすか?今後の医療をどうするか?を真剣に家族で話し合うことになったのです。

最期をどうするのか?シビアな現実に向き合う

実家の父は温厚な性格ですが、愛する母のことになると感情の起伏が激しくなり、冷静な判断に欠けます。そこで兄弟で、ある程度の話し合いを進めた後、父と話し合うことになりました。

気道を確保するための気管挿管も本人にとっては辛く、苦しい行為だということを十分に理解しましたし、心肺停止時の蘇生処置も、高齢者にとっては肋骨の折れる状況であることも学びました。

長くなるので、詳細はまた次の機会に書けたらいいな、と思いますが…。

ただ、延命治療をしない、という選択は、思った以上に、きれいごとでは済まされないことをヒシヒシと感じました。

認知症の進んだ母が苦しまずに逝けるには、延命に関わる医療を施さないことが、本当に母のために良いことなのか?と、悩みに悩み抜いた時間でした。

「お別れホスピタル」。
第2話はこれから見ますが、また思ったことを書ければいいな、と思います。


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