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「テヘランでロリータを読む」【読書の秋2022】      

★アーザル・ナフィシー著 

 訳/市川恵里 (河出書房新社)



「テヘラン」+「ロリータ」でいったいどんな世界が待っているのだろう。
二つの単語の組み合わせが何ともスリリングなこのタイトル。

流行る気持ちでページを捲った。すぐに自分の勘違いに気付いた。これは小説ではないのだ。最初の著者ことわりがきを読むまでもなく、ちゃんと帯にも『回想録』と書かれているではないか。
ただし、著者アーザル・ナフィシーの母国イランの政情など諸々の事情により、事実の細部などに多少の入れ替えや変更があるものの、フィクションであることに変わりはない。

物語はイスラーム革命後のイランから始まる。
体制側の厳格な法律の下で、女性の服装は黒いヴェールとコートで全身を覆わなければならない。家から一歩出れば街中を民兵が巡回し違反をしていないか厳しくチェック。もし違反が見つかれば連行され監獄に放り込まれる運命が待ち受けている。
大学でずっと英文学の教鞭を執ってきた著者は教職を去る決心をする。今こそ長年の自分の夢を実現するべき時だ。こんな中でいい授業なんて無理に決まっているから。
著者が夢見るもの、それは黒づくめの服装の下にある自由という色に彩られた、文学研究のための少数精鋭による特別なクラス。自ら選び抜いた基本女子のみの教え子たちとの「秘密の読書会」と呼ぶべきものだった。

七人の女性たちは毎週一回著者の家に集まり、お茶を飲みながら課題の著書について自由に語り合う。 ナボコフの『ロリータ』を始め『ボヴァリー夫人』『デイジー・ミラー』『高慢と偏見』など、体制下では禁じられた作家の作品ばかりだ。

十九歳のナボコフは、ロシア革命のさなかにも

弾丸の音にも気を散らされずに書き続けた


彼女たちに向かってそう語る著者は、この過酷で惨めな状況下で生きのびるためには芸術と文学が必要不可欠であるという思いがある。
彼女らと違い、少女期に祖国の自由で華やかな思い出を体験した世代であるからこそ、現在の状況を自分なりの方法で何とか打破したいという思いが強いのだろう。

大人の男性を誘惑し破滅へと導く小悪魔的な少女ロリータに、著者は従来の解釈とは少し異なった見方でクラスの教え子たちの姿を重ねる。普通の女の子としての子供時代を奪われたロリータを憐れむのと同様、自国においてあたりまえの過去を奪われている彼女たちにも。
著者にとってロリータを読むことはテヘランの真実の姿を語ることでもある。人前で大声で笑うとか異性と握手するなどのささやかな自由さえ奪われようと、それでも存在することの意義について語り続けること、文学のほとんど魔術的で決定的な力こそが、重苦しい現実を変容させることができると信じているのである。

この秘密の読書会のベースとなるのは、著者の亡命先となった長期間のアメリカ生活にあるだろう。その後十七年振りに帰国した祖国の実情にカルチャーショックを受けながらも、まもなく就いた教職の道に没頭することで自身の立て直しを図ろうとする。
外国書籍の流通もままならぬ中『ギャツビー』を抱え授業へ向かう著者のユニークな授業の一つに、「ギャツビーの公開裁判」というのがある。
それぞれが裁判官や検察官、弁護人、被告、陪審員の役になりきり答弁するのだ。しかし左翼思想を持つもの、敬虔なイスラム主義者、反体制派など学生たちはさまざま。裁判はイスラム共和国対グレート・ギャツビーの対決といった状況に。
けれどもこのような政治や世の中について日頃は公然と語りにくい各々の思想を、作品を通し間接的に語ることができるとはなんと素晴らしいことだろう。これこそが読書会の最大の魅力だということに改めて気付かされる思いである。著者にとっては、後の秘密の読書会のためのヒントに大いに繋がっただろうと想像される。

「秘密の読書会」で印象的なのは、やはり彼女らが黒づくめの服装から著者が描いた自由という色彩の色にだんだんと染まっていく過程である。
読書会の名のとおり、もちろん課題図書を語り合うのが基本だが、回を追うごとに時には仕事などのプライベートにかかわる問題や、女性同士ならさしずめ恋バナということになるのはどこの世界でも変わらない。

時が過ぎ、七人の女性たちの人生にも変化が訪れる。
二年近くも続いた読書会。
最初は躊躇いがちだった者も含め、心の解放は彼女たちの外見、服装にも変化を及ぼすようになる。黒いコートとベールをさっと脱げば、その下から現れるのは思い思いの色彩溢れるファッション。まるで蕾が一瞬で開いた後に様々な花たちが各々の個性を主張しているように……。
服装の変化が示すように、彼女たちはそれぞれの新天地へ向けて出発する。でもテヘランでロリータを読んだ経験を彼女らは忘れないだろう。
もちろん著者にとっても、それは祖国を忘れないということの徴でもあるのだから。

ナボコフは『ボヴァリー夫人』についての講義の中で、すべての優れた小説は優れたおとぎ話だと主張した。じゃあ僕らの人生も、架空の人生も、両方おとぎ話だというんですか、ニーマーが訊いた。私は微笑んだ。そのとおりよ、ときどき、人生が小説そのもの以上に作りもののように思えるの。                              

本文より

この部分を読めば、最初に「これは小説ではなくれっきとした『回想録』である」と断り書きしておいてやはり正解だったようだ。

これは、小説そのものと見分けがつかないジャンルを越えたノンフィクションであり、またある意味で優れた読書案内の役目も果たしている。
この中に登場する数々の文学作品たち……読んだことがなくても不思議に読んだ気にさせられてしまうのは、著者の熱意と卓越した手腕によるものだろうか。
「なんて刺激的な読書会だろう。こんな読書会ならぜひメンバーに加わってみたいものだ」と、本書を読み終える頃にはきっと思わずにはいられなくなるに違いない。


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