武田尚子

パリで開かれるランジェリーの見本市に通い続けている記者です。それが中断している今、納戸…

武田尚子

パリで開かれるランジェリーの見本市に通い続けている記者です。それが中断している今、納戸に山となっている歴代の資料を掘り起こしながら、30数年にわたる世界のランジェリーの動向を振り返っていきたいと思います。 2021年3月、みすず書房から『もう一つの衣服、ホームウェア』を発刊。

最近の記事

鴨居羊子のホームウエア

『もう一つの衣服、ホームウエア』に書き忘れたことがあります。書き忘れたというより、意識的に書かなかったのかもしれませんが、少し後悔もしています。 私は30代後半で鴨居羊子の評伝『下着を変えた女―鴨居羊子とその時代』(平凡社・現在絶版)の初版版(1997年発行)を出しました。そこで「チュニック」の商品については、エポックメーキングだった初期のカラフルなナイロンの下着を中心にして、後年長く人気を得ているナイトウエア・ラウンジウエア(綿素材が主流へ)についてはあまり書くことをしませ

    • 第7回 グローバル化に向けて節目となる1991年

      「パリ国際ランジェリー展」は1987年から定点観測が始まったわけですが、その4年後、1991年からはリヨンで開催されていた「リヨン・モードシティ」にも取材に行くようになり、年2回のパリ展示会取材が定着しました。30年以上にわたって年2回のランジェリーの展示会取材を続けてきたジャーナリストは世界にもあまりいないと思われます。少なくとも日本では私が唯一の存在となっています。 パリだけではなく、ヨーロッパの別の都市で開かれているランジェリーの国際見本市にも足を運ぶようになり、イタリ

      • 第6回 80年代末期の欧州ランジェリーブティック

        初めてパリに行った1987年をきっかけに、フリーランスとなった翌年以降もまた足を運ぶことになります(それがいつのまにか2020年まで続くわけですが)。 はじめ数年は何度か、ある素材メーカーが主催する業界視察ツアーに便乗するかたちで、パリ以外の都市にも足を運びました。その主宰者である女性が店頭回り(ランジェリーブティックの視察)に熱心だった影響で、私も各都市の売場を見て歩きました。見本市ではいち早く次シーズンのコレクションが発表されるわけですが、それらがどのように店で売られてい

        • 第5回 ランジェリーモードが活況 (87年「パリ国際ランジェリー展」)

          前回の第4回《1987年「パリ国際ランジェリー展」の情報発信》で紹介したランジェリーのトレンドというものを、もう少し整理して分かりやすくお伝えしたいと思います。これも当時私が記者をしていた『ボディファッション・アーティクルス』に、海外取材レポート第二弾(1987年4月号)として詳しく書かれていました。当時の私の熱がこめられているので、そのレポートのリード文を引用します。  いつの時代においても女らしさを追求することでは変わらないのが下着である。ジュニアを意識したコットンから

        鴨居羊子のホームウエア

          第4回 1987年「パリ国際ランジェリー展」の情報発信

          今も昔も、パリで開催される「パリ国際ランジェリー展」は、世界のランジェリー業界の縮図であり、ここで情報発信されるトレンドは大きな影響力を持っています。世界トップクラスのプレステージブランドであるイタリアの「ラペルラ」に代表されるように、ここにまったく出展しないブランドもありますが、業界全体の趨勢というものは同展に集約されているのです。 前回の《成長期に入っていた1987年の「パリ国際ランジェリー展」》に引き続き、ここでは1987年の会場ではいったいどのような情報発信がされてい

          第4回 1987年「パリ国際ランジェリー展」の情報発信

          第3回 成長期に入っていた1987年の「パリ国際ランジェリー展」

          パリがモードの中心地であるとことは昔も今も変わりません。つまり世界中からファッションのビジネス関係者が集まってくるセンター(プラットフォーム)であって、パリで開催されるといってもフランス企業やフランス人ばかりでないことはいうまでもありません。ただ、フランスは情報発信基地としてのディレクションやブランディングが実に巧みで、とにかくおしゃれ。まさにこの国の強みです。 どうしてそれほど集客力があるかというと、やはりパリの街の魅力が大きく、フランスおよびパリの文化が人々を引きつけるわ

          第3回 成長期に入っていた1987年の「パリ国際ランジェリー展」

          第2回 1987年から、なぜパリへ?

          冒頭の写真は、「1987パリ国際ランジェリー展」のカタログとインビテーション&プレスバッジ。イラストの女性の肩をはらりと落ちるランジェリー。この美意識がフランスなのです。 長年の年明け年中行事 「パリ国際ランジェリー展(SALON INTERNATIONAL DE LA LINGERIE PARIS)」には、1987年から昨年2020年まで、一度も休むことなく出かけました(湾岸戦争の時も変わらず飛行機で飛びましたが、さすがに今回のパンデミックには太刀打ちできませんでしたね

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          第2回 1987年から、なぜパリへ?

          第1回 才能なくてもフリーランスで生きてきた私

          肩書はいつも居心地悪いしがないフリーのライターでありながら、「フリーライター」という言葉のひびきが私はどうしても好きになれません。 肩書をいれなくてはならないときには、とりあえず「ジャーナリスト」などとカッコつけているのですが、それは海外での呼び方の慣習にしたがっている程度のものであって、むしろ「レポーター」という呼び方が現状にいちばん近いような気がします。「ジャーナリスト」という肩書に深い意味をこめているわけではなく、写真は撮ってもフォトグラファーではないし、デザイナーでも

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          第1回 才能なくてもフリーランスで生きてきた私