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『わたしのつれづれ読書録』 by 秋光つぐみ | # 23 『風の中の詩』 串田孫一

#23
2024年4月4日の1冊
「風の中の詩」串田孫一 著(集英社)

パークギャラリーの近所の芳林公園の桜が満開。開店前にお掃除をしながら地面に散り散り広がる花びらを眺める。今年も咲いたなあとボンヤリしながらパークの玄関口へ戻ると、店先の紫陽花の葉が脈々と茂り始めている。こちらもそろそろ花が咲く準備を始めている。

冬の終わり、春の入り口、梅雨へのカウントダウン。季節が、時間が移ろい変わっていくことは、ワクワクもするし、ちょっとズキッと傷むこともある。

こうした季節の移ろいを植物から味わって、人は何かを感じたり、思ったりする。何も言えなくて、ただ息をしながら受け止めるだけだったり。

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この前の週末、長野へ行った。前日に青春18きっぷを1回分だけ入手して、電車で日帰りのひとり旅。

いつか乗ってみたいと思っていた JR 小海線で、行ってみたいと思っていた野辺山駅を目指して。

野辺山駅は、JR で最も標高の高いところにある駅として有名な場所。高尾駅からJR 中央本線で小淵沢駅まで行き、そこから小海線で山道をぐんぐん登っていく。

小淵沢駅までの途中、甲斐大和駅を過ぎ、旧大日影トンネルを抜けた辺りで到達する、勝沼ぶどう郷駅。そこから望む甲府盆地の壮大さに、心の中でワァと騒いだ。

生まれも育ちも長崎市の私は、すり鉢型の底に小さく広がる港町の風景に馴染んでいるので、山々の裾野に広がる甲府盆地のスケールに圧倒される。

さらにその盆地は、乗っている電車の窓際に迫る桜の木越しに望めるのだから、たまらない。しかし花は咲く前。今にも蕾が破裂しそうに、まるであたたかい空気を纏うことのできるその時を心待ちにしているかのよう。

1週間後にはきっと開花しているだろう。自分が今ここに居る瞬間と開花の時期のズレを思いながら、変わりゆく気温、季節の移ろいを想像した。

電車は勝沼ぶどう郷駅を発ち、小淵沢駅までどんどん登る。

小淵沢に着いてからは、南アルプスがぐんと迫ってこちらを見下ろしていることに気がつく。甲斐駒ヶ岳、北岳‥こちらの山頂はまだ雪化粧が施され、山脈の筋が美しく光っている。

駅の展望台に立つと、冷たく強い風が吹く。さっきまで、桜が芽吹きそうだったというのに‥

東京から山梨、そして長野へ。山間を走る一本の線を辿ることで、感じ取らずにはいらない土地の変遷、季節の移ろい。

なにか "つながり" みたいなものから1日だけ解放されたくて、何も考えずただ揺られようという心で乗り込んだ電車の旅。

1冊だけ持ち込んだ本がある。

串田孫一による『風の中の詩』。

昨年、開催した『旅と本と』 展でも展示していた本なので、見覚えのある人もいるかもしれない。

串田孫一(くしだ まごいち):
日本の詩人、哲学者、随筆家。山岳文学、画集、小説、人生論、哲学書、翻訳など、活動は多岐に渡る。主著は『羊飼の時計』『山のパンセ』など。1980年、紫綬褒章を受章。2005年、逝去。

『風の中の詩』は、著者があらゆることをきっかけに、山、土地、道を歩みながら、自然の中で見えるもの、聴こえるものを捉え、さらにそこで遭遇する人々との出来事や、思い出された記憶、それらの重なりの奇跡を小さくドラマティックに綴った紀行文だ。


誰も見ている筈もないそんな山の中での、全く自分ひとりだけの行動なのだから、何をしていようと勝手なのだが、矢張り何か言訳になるようなものをそれとなく探し、あるいは思いがけない収穫があればと願うのだった。

冒頭で、私は己の旅路を長々と語ってしまったが、この本をお供に歩み出したことで、実は身近に存在した旅の機会に、自分自身をほぐすことができた。

串田氏の文章に触れることで、自分の旅の軌跡を、瞬きをするごとに吸収した景色を、書き留めてみたくなった。

雲は重なり合ってゆっくりと流れているが、北の方に少し晴れ間が見えていた。立ち止まらないように、歩調を整えて進んで行くと、もうその辺はすべての草木が枯れ、乱雑になって倒れ、その死を霜が飾っていた。生命の関与する余地のないそこでは、美しさの次元も異なっていて、色彩に富んだ世界に生きている者には、それが耐えられない寂寞とした眺めであったかも知れない。

目の当たりにした大自然とたった一人の自分。都内からほんの数時間でたどり着くことのできるちょっとした秘境。後ろ髪引くような冬の残像と、気温の上昇を待ち構えている春の息吹。

この旅で何か大きなものを得たということはない。

ただ、いろいろなものの「あいだ」や「移ろい」を見ることができた。その発見は、いつでもできることではない。そう思うと、なんて儚くて脆いのだろうと思った。

季節の変わり目、天候が安定しなかったり、社会が目まぐるしく回ったりするので、それについていくことが難しく心の調子を崩しそうになることもあるけれど、自らそれ自体を正直に感じ取る。

儚さも、脆さも、弱さも正面から受け止めて抱きしめてあげたい。

自分を解放するつもりで外に、山に出てみたことで、結局は自分の中に還っていくこととなった。と同時に厳かであり穏やかに静かに佇む山を目の当たりにしたことで「自分などない」とも思った。

その日は寄り道もせず、一言も喋らず、もと来た路線をそのまま帰り、静かに自宅の扉を開けて、旅を終えた。

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PARK GALLERY 木曜スタッフ・秋光つぐみ

グラフィックデザイナー。長崎県出身、東京都在住。
30歳になるとともに人生の目標が【ギャラリー空間のある古本屋】を営むことに確定。2022年夏から、PARK GALLERY にジョイン。加えて、秋から古本屋に本格的に弟子入りし、古本・ギャラリー・デザインの仕事を行ったり来たりしながら日々奔走中。
2024年4月にパーク木曜レギュラーを卒業予定で、以後はパークギャラリーの「本の人」として活動することを企て中。

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