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「写真」とは無数の小さな選択の上に積み重なった大いなる「実験」 | 新多正典 PHOTO ZINE 『GRAIN』 考

この連載では、さまざまなジャンルのアーティストたちの作品集やアートブック、ZINE の魅力を言語化することで、新たな価値や視点をまるで「衛星」のように付加していきます。ここで紹介されるレビューが、アーティストの活動の糧となり、みなさんにとって新たな楽しみ方や考察につながればと思います。

新多正典 PHOTO ZINE 『GRAIN』


今回紹介するのは京都在住の写真家・新多正典氏による PHOTO ZINE シリーズ『GRAIN』。2023年の2月にタブロイド型のリソグラフ ZINE として発表され、以降隔月で発行。この4月で8号目がリリースされる。


慎重に慎重を重ねているのか、写真展や写真集はもちろん、PHOTO ZINE の刊行でさえ何かと時間をかけたがる写真業界において「2ヶ月」というスパンで PHOTO ZINE をリリースするというスピード感に心地のよさを覚える一方、リリース当時はフィルムや *ゼラチンシルバープリント という「物理的な写真美」を選んできた新多氏が、リソグラフ印刷という表現手法を選んだことに、少しだけ違和感を抱いた。 

*一般的に「銀塩写真」とも呼ばれる白黒写真。制作は暗室で手作業で行われる。その豊かな表現の美しさ、奥行き感で1990年代まで人気を博した。

2色の濃い青のインクを用いたリソグラフ表現(GRAIN)
紙の質との相性やインクの濃淡で印象をコントロールできる

リソグラフに感じる違和感のワケ

その違和感のワケはシンプルで「流行っていた」から。1980年に日本で開発され、高精細な有孔印刷を可能にしたリソグラフは、2023年時点ではイラストレーションの業界でとっくに流行りはじめていた。おそらくぼくの知る限りだと1度海外のアートシーンで盛り上がり、逆輸入的に再燃した。「レトロだよね。なんかいい感じだよね。安価だよね。」という具合。

『TRANSIT』などの人気雑誌を手掛けてきた編集者の加藤直徳氏がリソグラフをふんだんに使った雑誌『NEUTRAL COLORS』を2020年にリリースしたのも、ブームに拍車をかけたと思う。リソグラフで写真は「あり」なんだと、少し遅れた感じで写真家たちもその魅力に気づきはじめる。

「再現度」を重視してきた写実表現と、単色の版を重ねていくリソグラフの相性は⋯あまり良いものとは思えなかったのだと思う。しばらくはリソ特有の粒子感(ざらつき)に酔っただけの単色刷りの写真表現が多かったような気がする。手法に依存しているだけのような、ファッション的な表現にも見えた。レトロでなんかいい感じ。その程度だと思う。

哲学を持ってリソという表現を選択している写真家はどのくらいいるのだろうと、ぼくはずっと懐疑的だった。

リソグラフを通じた暗室体験

新多氏の『GRAIN』が回を重ねるごとに色の使い方(選び方)が巧妙になっていったように、徐々にリソでもフルカラーに近い表現をするようになり、以前のような単色の表現と違い、鮮やかな写真作品が見られるようになった。しかし、その色合いや質感は独特だとは感じるけれど、伝えるための手段ではなく1つの「手法」というラインは越えないと思っていた。リソである理由があまり見当たらなかった。江戸時代の写真にデジタルで色をつけた画像を魅せられた時の感想に似てる。「で?」感。

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手法に依存すると写真の本質を見失わせると思っている。額に入れたらよく見えるというのと一緒で、リソで刷ればなんかよく見える、みたいなことがあってはならないと思った。それまでできるだけ「バイアス」を感じさせずにシャッターを切った時の空気や感情や意味を伝えるのが、写真家としてクリーンな表現だと思っていたというのもある。

そんな疑問を拭えないとレビューは完成しないと思い「どうしてリソなのか」という問いを新多氏に投げかけてみると、リソは「暗室に入った時のようだ」という返答があって、自然と納得した。一発で理解した。彼がゼラチンシルバープリントにこだわっていたのも、紙焼きというプロセスを自分のものにするという意図があった。フィルムに閉じ込めてきた空気を自分の手で送出していく。写真家の定番アウトプットとなりつつある「インクジェットプリント」では得られない作業だ。

リソグフラフには “刷ってみないとわからない” ラインが存在している

色を選び、版を重ねていくその「実験」にも似たプロセスを通すことで、「暗室」での現像やプリントと同じ喜びを得ているという。つまり極論、それができるのであれば別にこの先「リソグラフ」じゃなくてもいいと割り切る態度に、彼の哲学を見た。

「思考停止」へのアンチテーゼ

さらに新多氏はここ数年のコロナ禍という背景もゼラチンシルバープリントからリソへ移行した理由だと続ける。ギャラリーからは人が離れ、写真を見る機会や写真を売る場所が減っていった。お金と時間をかけて作品を制作することが徐々にリスクになっていき、比較的コストを抑えられるインクジェットで刷られたライトな表現が、若い写真家たちの標準となっていった感は否めない。コロナだけのせいにはできないが、写真作品や写真集は知名度でしか売れなくなり、写真作品の価値はどんどん曖昧になっていった。

高尚なプロセスを経ることで、作家が図らずとも作品然としてしまうゼラチンシルバープリント、ならびにオンデマンド印刷で機械的に刷ったカタログ的な写真集では、届けたいひとに写真が届かないかもしれないという危機感を抱いた時、新多氏の前に「リソグラフ」が現れた。安価でラフなだけではなく、「印刷過程に立ち会う」という暗室でのプロセスも守られる。インクの調合によって、写真の中の何がどう浮かび上がってくるか読めないあたりも似ていたのかもしれない。

それは当たり前のように「フィルム」、当たり前のように「インクジェット」、当たり前のように「額装」、当たり前のように「オンデマンド印刷」、といった最近の写真家たちが抜け出せない一連のジレンマ、もしくは「思考停止」とも言える現状へのアンチテーゼとも言えた。

確かに同じリソで表現するにも、銀塩写真、タイプCプリント、ポラロイドなどのさまざまな印刷方法やフィルムや印画紙との無数の組み合わせの中から「リソ」を選んだ写真家と、流行っているからとリソグラフに飛びついた写真家では厚みや深みが違ってくるように思えてくる。それは態度にも現れると思う。

もちろんインクジェットも進化しているけれど、新多氏とのやりとりの中でわかったのは、大事なのは「何を使うか」ではなく、どのくらいの選択肢の中から、何を、どのように「自分の手」で選んできたか、ということだと思う。その結果がインクジェットならそれはそれでいいし、コンビニのコピー機ならそれでいい。

フィルムかデジタルかからはじまり、どのメーカーのどの機種にするか、どこに行き、どこに立って、何を撮るか、撮らないのか、本当にそこでいいのか、もっと他にないのか、そもそもその目で見えているものを信じるのか、信じないか。その実験的とも言える「期待」と「疑い」を日々繰り返して、自分の心と目で見たものと、ファインダー越しにのぞいた世界と、送出したものを重ね合わせる。その行為の連続こそが『写真家』をたらしめるのかもしれないと思う。そこにはあまり写真の内容やよしあしは関係ない。

フィールドワークでブラジルに通い続けている新多氏。
リソグラフでもフルカラーのように鮮やかだ。

『GRAIN』 のネタバラシ

整理すると、「写真」とは無数の小さな選択の上に積み重なった大いなる「実験」で、新多氏がやろうとしているのは、写真という実験を用いた「コミュニケーション」と言えるような気もしてくる。それが『GRAIN』の正体なんだと思う。

『GRAIN』はあくまで、ZINE であり、この ZINE の制作自体がトライ&エラーを起こすことや、こうした写真に対する考察を目的とした新多氏のフィールドワークであり、細かな選択の連続である。モチーフ選びやカメラ選びに躍起になって、このトライ&エラーや、細かな選択作業を怠ると、いい写真家にはなれないとさえ思う。少なくともぼくが好きな写真家は、いまもなお起伏の激しいトライ&エラーや、無数の選択と向き合っている。

同時に、500円という価格を設定することによって、ぼくらが気軽に写真の世界にタッチすることを可能にした。採算は度外視だろう。タブロイド型は多少かさばるけれど、バッグの中でページが折れてしまってもいいし、好きなページを切って額に入れたっていい、写真が好きな友人にプレゼントしてもいい、本棚に入りにくいなと思いながら部屋の壁に飾ってもいい。そしてぼくらがそうしている間にも、新多氏は新たな実験を繰り返している。

フルカラーの写真よりもリアルに表現できたというブラジルのスラム街。

写真家とは「新しい表現を常に試みるひと」と言う新多氏。

新多氏の表現が『実験』だと裏付けるかのような写真同人誌が、かつて70年代に写真家・三好耕三を中心に、達川清、鋤田正義、大西公平、広川泰士らとともに発刊されていた。そのタイトルこそが『GRAIN』。当時、高尚なアートと世俗的なコマーシャルの二極化になりつつあった「写真」をいかにライトに多くのひとに届けるか、という課題が業界に蔓延していた。荒木経惟、森山大道、中平卓馬など、さまざまな写真家がいろいろなアプローチをしていたし、孤高に表現する写真家もいた。その最中、『GRAIN』は、写真で世の中と関わるということを目的に写真同人誌として出版された。そのオマージュが今回の新多正典の『GRAIN』だ。

半世紀ほど前に当時の写真家たちが取った態度を、いまの時代を生きる写真家が焼き直し、自らの態度とする。このプロセスもまた、ある意味写真におけるフィールドワークの正攻法のようだなとも思えてくる。「パクり」と揶揄することはかんたんだけれど、重要なのは態度だ。

表紙のデザインまでもがかつての『GRAIN』のオマージュ。

いま立っている場所を疑え

似たようなモチーフの似たような光の似たような写真を見ることが増えた。フォトジェニックな被写体を撮って Instagram で発表し、「自分の作品」と言い切るようなチープな表現も増えた。ギャラリーを運営していると嫌でもそういう写真が目に飛び込んでくる。

そんな競争の中、写真における「自分のオリジナリティ」を見出すのは難しいことだと思う。でも、新しい試み(トライ&エラー)の繰り返しと、常に自身を疑い、移動を続け、選択をやめないという態度こそが、オリジナリティに近づくヒントだと思う。

まず、いま立っている場所を疑え。いま持っているカメラを疑え。それで本当にいいのかを考えろ。

2ヶ月ごとに刷新されていく新多正典氏の PHOTO ZINE 『GRAIN』からはそんな声が聞こえてきた。

おわり

新多正典 『GRAIN』 を購入する

PARK GALLERY 店頭、ならびにオンラインストアで購入することができます。ぜひリソグラフの世界を味わってみてください。

新多正典(にったまさのり) 
京都市在住。写真業に従事しつつゼラチンシルバープリントなどアナログワークによる作品製作でグループ展等に参加。近年はリソグラフ印刷にシフトし、隔月刊行シリーズ『GRAIN』を制作・販売中。
https://www.instagram.com/nitta_masanori/

レビュー:加藤淳也(PARK GALLERY)
https://www.instagram.com/junyakato_parkgallery
1982年山形出身。東京・末広町の PARK GALLERY のオーナー兼ディレクター。写真家を中心としたクリエイターのエージェント業や制作会社でのディレクター業を経て2012年に独立。現在はギャラリー運営の傍らアートディレクターや編集者として、東京を拠点にさまざまな地域の魅力を発信する活動を行なっている。主な仕事に、佐賀の観光ガイドブック「さがごこち」、宮城県石巻の総合芸術祭「Reborn-Art Festival 公式ウェブサイト(2019〜)」、岩手県野田村「ON&OFF Village 公式ウェブサイト」、東京新聞「STAND UP STUDENTS」など。

ラジオ耕耕のパーソナリティも務める。
https://lit.link/radiokoukou

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