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グループエキシビジョン 『表現と概念』 色の研究レポート (前篇) 2021.03.03 - 03.14

今週からはじまりましたグループエキシビジョン『表現と概念』。

色についての研究室というサブタイトルにある通り、6人の作家によるモノクロームの作品が会場に並んでいます。

色を失った作品の中に、ぼくらは何を見るのか。

作り手は、モノクロームという制限の中で創作、自問自答を繰り返すことによって、自身のオリジナリティや技術と向き合う機会に。受け手(いわゆるぼくら)は、色彩が印象的な作家たちがあえてモノクロームで生み出した作品を通じて、作品の奥に流れるコンテクスト(背景)はもちろん、モノクロだからこそシンプルに浮かび上がってくる世界観を楽しむことができます。

例えば絵なら、普段気づけなかった線の繊細さや、塗りのていねいさに気づけたり、例えば写真なら、見慣れた景色がまったく違った景色に見えたり。もちろん、モノクロで作ってはみたけど「う〜ん手応えがない」、というリアクションや、モノクロだと見てても物足りない、というネガティブな感想が生まれるかもしれないというリスクも含みながら、それらも全部『研究』=『探究』=『好奇心』=『楽しむ力』というふうに変換して、みんなで考えるところまでを『1つの体験』として楽しめたらと思っています。

開催から3日経過しました。

今日まで集まったいくつかのお客さんのリアクションをもとに、パークディレクター加藤が作品を通じて感じたことを1つの研究レポートとしてここで報告することで、この週末や、残りの1週間での、「作品を見る」という体験がもっと豊かに、おもしろいものになっていけばいいなと思っています。あとは、こんなご時世ですから、会場に来れない人も、並んだ作品を想像しながら一緒に楽しめたりすればいいなと。そして、このレポートがいつか誰かのクリエイティブの役に立てば、と思ったりもしますが、まあ気楽に読んでもらえるとうれしいです。

補足
・会場でお客さんと話した内容のダイジェストを『ある日のディスカッション』としてほんの一部ですがまとめてます。鑑賞の際の視点に取り入れてみてください。
・ある日のディスカッションのように気づいたことがあるひとはぜひコメント欄におかきください。
・会期終了後に写真を作品の画像に差し替えますので、会場に来れない方も共有、共感いただけるかと思います。お楽しみに。

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① モノクロームのために持ち替えた道具

今回参加してくれたイラストレーターのしまはらゆうきさんは、普段は発色の鮮やかな『コピックマーカー』をメインにしていて、海外生活で培った独特な配色と、色の特性を活かした明るく力強いイラストが特徴的な作家なのですが、今回モノクロのテーマに向けて挑戦したのは『鉛筆』です。

筆圧や芯の硬さ(B=ブラック、H=ハード)、つまり濃淡だけで表現することになるので、慣れていないと塗りむらができてしまったり、上手にグラデーションがかけられなかったり、線の引きがあまいと『ラフ(下書き)』っぽくなってしまうのですが、はじめて挑戦したとは思えないクオリティに仕上がっています(実際に見てほしい!)。特に濃淡=明暗で表現した『光』の描写は、しまはらさんの絵には珍しい『わびさび』が表現されていて、見ていて絵の中に吸い込まれるようです(実際に吸い込まれるように絵を見ていくひともたくさんいます)。そういえば、いままでのしまはらさんの絵を思い返してみると、『光』はあったけれど『影』がそんなになかったのかも。モノクロというテーマのおかげで「自分の課題に素直に向き合えた」と話すしまはらさん。今後の作品が楽しみになりますね。

例えば普段使わない『モノクロフィルム』を使ったという写真家の星野佑奈さんもそうですが、いつもと違う道具を使ってみることによって思いもよらぬ『気づき』があったりするもの。鉛筆みたいになかなかごまかしが効かない道具で、自分のスタイルと向き合ってみるって時には大事なんだなあと改めて感じたのでした。以下、会場での声です。

ある日のディスカッション(覚書)
・顔の描き方がしまはらオリジナル
・基礎ができてないとこの表現は無理
・淡い部分に色を感じることができる
・モチーフの選び方がやっぱりしまはらさん(食いしん坊)


② ワールド・イズ・マイン

ワールド・イズ・マイン。もしくは『未来は僕らの手の中』。ご存知の通り、誰かのルールや誰かのモラルはいらない〜のが『表現』であり『アート』です。むしろ、自分の中で育まれた肉体や精神、感性、技術は誰かと交換しようにもできないし、仕方ないというくらい、ぼくらは自分の中に持っているものしか『表現』に変換することができません。逆に言えば、『表現』をもってして自分の世界を手に入れたり、未来を塗り替えたりできるのは『自分』でしかないというわけです。そこに他人の介入が許される余地があるとするならばそれは『概念(コンセプト)』のシェアかなと思います(概念は自家中毒を起こして宗教になる=メモ)。

写真家の Nobu Tanaka くんと出会ったのは、去年 PARK GALLERY で開催された ZINE の展示販売イベント COLLECTIVE がきっかけでした。彼は『光彩』を意味する『Luster』という PHOTO ZINE で参加してくれていて、その ZINE の中に散りばめられていた虹色の光が印象的で、声をかけさせてもらいました。イラストレーターだけでキュレーションするというのももちろん考えたのですが、

色彩とは光そのものである

というニュートンの言葉にもあるように、『光』がなければぼくらは『色』を感じることができないので、光を記録するための『写真』の展示は外せないと考えました。

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いつも通りカラーフィルムで撮り下ろした写真を、パソコン上の編集でグレースケール(白黒に変換)し、プリントした Nobu Tanaka くんによる3つの作品が会場には並んでいます。

カラーの写真をモノクロにする作業は、色のある世界から色のない世界に、自分の手で勝手にイメージを変えられる神様になったみたいだった。

彼が感じたこの感覚は『表現』をする上でとても重要な感覚だと思います。『コントロール』という概念があることを知った上で表現することの大切さと言うか、世の中に『アウトサイダーアート』というジャンルがあるように、作者が作品の中の世界をコントロール『できた』か『できなかった』かはさほど問題ではなくて、大事なのはあくまで自分がエゴイスティックなまでに『主』であることを自覚しているかだと思います。そうじゃないと「誰がやってもおんなじッス」と言ってることと変わらないので、それではやっぱり表現者としてはいけなくて、どんな表現も、意識的であろうと無意識だろうと自分なので「これは私の作品です」「THIS IS ME」という感覚を大事にすべき(著作権の話ではなくて態度の話)だし、道具さえあれば誰でも撮れてしまう『写真』という表現を選ぶならなおさらこの意識は持った方がいいなと感じています。現像した作品に対して「これは私の作品というか…」と言い淀んでしまう場合は、写真が悪いのではなく、やはりまだ何か写真に対する姿勢に、少し満ち足りなさがあるのではないかと感じます。絵はもう少し技術に寄る話もありますが、ある程度の技術が一定あれば、同じことが言えると思います。

モノクロだろうとカラーだろうと撮りたいものは変わらないという Nobu くんの言葉の中に、「これは私の作品だ」と言い切る強さが垣間見えます。写真好きなんだなっていう。

そして、この3つの作品は、彼(主)の手の中にある世界だと思って向き合ってみると、不思議と色が浮かび上がってくるような感覚に陥ります。もしくは写真が動き出します。ぜひそんな体験を。

ある日のディスカッション(覚書)
・モノクロになると時が止まって見える
・写真には光と影があるのだと改めて気付く
・絵より写真の方がオリジナリティが出しづらい
・モノクロの写真だからって寂しいわけじゃない


③ 見えないものが見えてくる

光と影とか、神様とか、見えないものが見えるとか、まるで宗教みたいな話になってきてますが、最後に宇宙についての話です(本当に)。

ある日、instagra で、クリームソーダみたいな色の、どこか懐かしい、でも未来を描いたような不思議な作品を見つけました。『チョイス』入選の実績も持つイラストレーターの小雨そぉださんの作品。

https://www.instagram.com/kosamesoda/

『そぉだ』という名前や色合いはもちろん、炭酸みたいに弾けるポップな世界観が心地よくて、いつか必ずパークで、と思っていた矢先でした。「はじめまして。色なしでお願いします」という謎の要求だったにも関わらず、快諾してもらえたのがうれしい(みなさん本当にありがとうございます)。

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小雨そぉださんのイラストの魅力ってもちろん『かわいい』って感じたり『ノスタルジック』だなと焦燥したり、心に気持ちがいい直感的な楽しみ方もできるし、もっと言えば『シティポップ』とか『サイエンス・フィクション』『80's』『アニメ』、いわゆるカルチャー寄りのバイアスをかけて頭で語ることもできると思うのだけれど、せっかく『モノクローム』というフィルターを通すのだから、クリームソーダみたいな色から受ける印象以外のコンテクスト(背景)を楽しみたい。と思い、作品を預かったんですが、何度見ても、どう見ても、脳内でクリームソーダ色に彩られていくんですよね。不思議。改めて見ると確かにモノクロなんだけれど、少し絵から離れると、記憶の中で、着色している自分がいるんですよね。モノクロのりんごの絵を見て、赤を思い浮かべるくらいかんたんに。

もしかしたら、額に塗られた蛍光のピンク(額の色にモノクロの制限はないので)が、脳内で色を自然発生させる<装置>になっていて、見る人たちが勝手に色を想像して楽しんでしまうのかもしれないとも思ったり(催眠術みたいに)。そうなってくると自分の中にも小雨さんの色彩感覚に似た感覚があって、それで共感=好感を持っているのかもしれないなと考える。だとすると普段の小雨さんの作風を知らない人はどういう色を思い浮かべるのだろうか、というのは1つ気になるところ。残りの1週間でいろいろな人に聞いてみたいなと思います。

それともう1つ。色を失くしたことで浮き彫りになった『スペース(宇宙)』について。今回展示している3つの作品に共通して描かれている小雨さんによる宇宙。もしかしたらいつも通りパステルで彩られていたら気づけなかったかもしれない(この展示を機会に改めて小雨さんの過去の作品を見返してみると、結構な頻度で『宇宙』表現が出てくることに気づきます)。まさに「見えないものが見えてくる」瞬間。ぼくらを宇宙へ誘う入り口は『夜空』だけではなく、クリームソーダのグラスの中、タバコの煙、目玉焼きの黄身と、たくさんあります。例えば今回なら歯磨き粉、ジャムだって。

モノクロームの小雨そぉださんの作品を見られる機会は少ないと思いますので、ぜひ、この機会に。

ある日のディスカッション(覚書)
・改めて見るとプロフィール画像がすでに宇宙服
・小雨さんは流動性のあるものを宇宙にしているのではないか
・色がなくても小雨さんだと感じるのはどの部分か(むしろ色がない時よりそぉだ感)
・デジタルだとは思えない!


後篇では、参加してくれているもう3人の作家の作品について、紹介して行きます。お楽しみに。


このレポートが、展示を見る時に、より豊かに感じることができたり、みなさんが何か表現する際の役に立てば幸いです。

PARK GALLERY 加藤でした。



最終日にアートディレクターでデザイナーのミウラユウタくんをゲストに招いてこのレポートの延長も兼ねたトークイベントを開催します。

【 イベントのご案内 】
3/14(日)の最終日は、色彩感覚が豊かなデザイナーをゲストに招き、色にまつわるこだわり、日常生活への関係性などを、参加者といっしょに語り合うトークイベントを開催します。
それぞれの好きな色について、その色に感じ得るものを共有し合い、身近な『色』の存在や重要さについて再確認して、これまで以上に色への楽しみをいっしょに見つけていけたらと思います。お気に入りの色が伝わるアイテムの持参も大歓迎!展示作品も楽しみながら気軽にご参加ください。

進行:加藤 淳也(PARK GALLERY)
ゲスト:ミウラ ユウタ(デザイナー兼グラフィックアーティスト)
日程 :3/14(日)17時から
会場:パークギャラリー
開催時間:約1時間(💁🏻‍♀️ ライブ配信も予定しています)
会場限定で質疑応答の時間をもうけます。

* マスク着用、入口での消毒をお願いします。
* 人数制限をする場合があります。あらかじめご理解ください。
* 新型コロナウイルスの影響によって営業時間や鑑賞ルールが変わる可能性があります。お越しいただく際は、SNS 等、ご確認ください。

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