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AIと労働

ある翻訳プロジェクトに参加してました。先端テクノロジーの論文の要約を独和翻訳する仕事でした。当然、AIや言語処理、機械翻訳などのテクノロジーもありました。
先端テクノロジー故、内容を理解するのに苦労しました。数年間、週7日間休みなく、朝から夜遅く迄、在宅で仕事しました。コロナ期間中だったので、助かりましたが。
結局、その翻訳プロジェクトのクライアントである某公的機関は、機械翻訳を全面採用することになり、その翻訳プロジェクトは解散しました。テクノロジーの翻訳故、ロジックがしっかり把握できればいいので、機械翻訳のレベルの発達により、それでよしと判断したのでしょう。
機械翻訳のテクノロジーの末端にほんの少し貢献したのに、その機械翻訳によって、翻訳の仕事を奪われました。皮肉なことで、笑ってしまいます(^O^)
今では、翻訳者の仕事も変わって、機械翻訳したものをチェックする「チェッカー」に成り下がってます。文芸系の翻訳者は違うでしょうが。

AIの発達により、仕事が奪われるという危惧が言われています。まぁ、翻訳者なんてのは、その最たるものなのでしょう。
これは悪いことなのでしょうか。

翻訳者も突然仕事が奪われたのではなく、翻訳アシストDBシステムが登場し、随分助けられました。それが、今では、機械翻訳の「チェッカー」へと変化したのであり、そうだとしても、当然、その翻訳言語の高いレベルの能力を要求されます。つまり、「翻訳」のやり方が変化しただけなのだと理解できるのではないでしょうか。
私は、それでいいのだと思います。
テクノロジーの進化により、人間の労働も変化して当然なのでしょう。テクノロジーの変化・進化に柔軟に対応していくこと以外に何ができると言うのでしょう。

実は、AIの進化・テクノロジーのパラダイムシフトに翻訳者として関わって、AI、最先端テクノロジーの一端を知るにつけて、絶望的な危惧を抱いております。それはまた別の問題として議論するとします。

現実が止められない/止まらないのだから、それに柔軟に対応していくしか、仕方がないじゃないですか!
(写真は、昨年エルサレムで撮りました。)

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