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ジェンダーとか気にせず服選んで着たいよね、というおはなし

 『ジャンプ』や『マガジン』『サンデー』も読んでいたけれど、熱心に追ったのは『りぼん』『花とゆめ』というParsleyにとって、作中の女子のかわいらしい服というものはずっと憧れの存在だった。「あー自分も女の子に生まれたならこういうの着たかったな~」とか思っていた。

 そんな乙女成分が強いマインドで育った自分が、はじめて女子服を取ったのは、確かレディースのTシャツだったように思う。何の柄だったか忘れてしまったけれど、とにかくその時に「こういうキュートなの着たい!」という気持ちで買ったことは覚えている。で、家に帰って袖を通した。入った。鏡の前で見てみる。思いのほかヘンじゃない。そこから、私の中でメンズ/レディースという垣根が崩れたのだと、今なら分かる。

 次に着てみたのは、ワンピースとレギンスの組み合わせ。どちらかというと、柄がステキなレギンスに合わせようとすると、ワンピしか思いつかなかった、という方が当時の気分を説明するのにより近い。それで、幾分落ち着いた豹柄のレギンスと、無地のワンピを店に買いに行った。男性ということもあってスタッフさんに邪険にされるかな、と心配だったが杞憂だった。普通に選んで、普通に試着して、普通に買った。

 そこから自分のワードローブは8割方レディースになった。

 こんなことを書くのは、ハフポストのこんな記事を見たから。

 4歳の息子がある日「スカートはきたい」と言ってきた(ハフポスト) 

 自分はこの男の子の気持ちがよくわかる。裾がひらひらするの、面白いよね。足がすーすーするの、ズボンと比べるとラクだよね。カワイイな~と思ったら、とにかく着てみたいよね。

 一方で、お母さんが微妙な気持ちになるのもわからないでもない。社会的に未だにジェンダー規範というものが色濃く残っているし、もしかしていじめに合うかもしれない、と心配になるだろう。自分の場合は成人してからレディースを着るということを意識的に選択したけれど、4歳の男の子ならば将来的に性同一性障害になる可能性だって否定できない。しかも、女性服の象徴ともいえるスカートだ。自分のことならともかく、子どものことならば悩むことは責められない。

 とはいえ、服装なんて国や民族ごとの社会によって様式や規範が変わってくるものだ。例えばイスラム圏の男性が着ているガラベイヤなど、まんま長めの白いワンピースだ。日本だってヤマトタケルが女装したり、歌舞伎に女形がいるように、その場その時に応じて「適切な」装いをしてきたという歴史がある。それを現代の社会の常識で「かくあるべき」服を選ぶということは、シンプルにTPOの話で、逆に言えばそういうファクターを考慮しないでいいなら自由に着る服を決めていい。

 私の場合は、そこから一歩踏み出して、相手に「この人は乙女男子なんだ」と分かってもらうために、攻撃的に服を選んでいた時期もあった。その時に学んだのは、「みんな他人の服装には口を出さない」ということだ。例えば大臣の定例記者会見や企業の発表会などに敢えて派手な柄のスカートやワンピを着て行っていた。その場で「その格好はちょっと……」と言われたのは数えるほどしかない。逆に、女性の広報さんや職員さんと顔なじみになると、「今日も素敵ですね」と声をかけられる機会が増えた。ある意味でレディースを着ることが「武器」になった、とも捉えることができるかもしれない。

 ハフポストの記事でも、息子さんがスカートを着ていることを「すれ違う人たちはだれも不思議そうには見なかった」とある。そう、たとえヘンに思ったとしても、たいていの人は(少なくとも日本では)尊重してくれる。そういったことを4歳のうちで経験できたことをポジティブに捉えた方がいいように思う。

 単純な話、メンズ/レディースという枠を取っ払うと、選べる服の幅が広がる。女子のアイテムの方が流通量は多いから、実質的には倍以上だ。だから、他人の目を気にせず、ジェンダーとか社会的なまなざしとかは一切シャットアウトして、自分の着たい装いをするというのが、圧倒的に正しいと、私は信じている。


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