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こたつ記事が蔓延するのは読者のせい? いいえ、スマートニュースのせいですよ

 心身に鞭を打って物書き仕事に戻ってから1ヶ月が過ぎた。以前と同じようなペースで働くのは難しいということはわかっていたし、だいたい30%の出力を心がけていたのだけど、それでも「苦しいな」というのが正直なところだ。

 何より、日々のニュースを見るのにまだ気が滅入るし、刻一刻と変わっていく状況を読もうとすればするほど、「しんどいな」と感じてしまう。とはいえ、「成果」と呼べるものはそれなりに出せはしたので、やっぱり「技術」は錆びていないと実感もしたし、遅くともいいから自分なりに歩みを進めていこうと思っている。

 ところで、自分は小児喘息持ちなので、生まれてこの方「炬燵」というものと縁がない。中学生の時に友達の家にあった時に入ったのが最後なんじゃないかな……。
 Webメディアでのお仕事ということもあり、復帰してから出したコンテンツは「コタツ記事」の割合が比較的多い。自分が考える「コタツ記事」については、以前にもつらつらと記した。

 その時から2022年のはじめまで、メディアもプラットフォームも特段大きな対策を取られていないというのが自分の認識だったが、ロシアのウクライナ侵攻に関連して、中日スポーツがフェイクニュースを情報源に「コタツ記事」をやらかしたと話題になった。

 自分の感覚だと、『スプートニク』をソースにするなんて「論外」だと思うし、「デジタル部門の記者とデスクが、ロシア政府系プロパガンダメディアとして認識できておらずネット配信してしまったのが経緯です」という中日スポーツ側の回答に驚きを禁じえないのだけど、結局のところこれも「信頼できる情報源を見抜けない編集体制」の典型例で、「コタツ記事」の問題ではないと思う。
 スポーツ紙がTwitterやInstagramなどを一次情報に記事を出すのが目立つようになってから既に6〜7年くらいは経っているし、少なくとも中日スポーツが「複数のソースにあたるなどして記者がまず事実確認することを原則とし、デスクがチェックしての配信を徹底するよう指示」とあるのが機能するかどうか怪しいところだろう。
 ついでにいうならば、ロシアのミハイル・ガルージン駐日大使が一時連日のようにテレビ出演していたが、いくら彼が日本語が堪能だからといって頻繁にモスクワの主張を垂れ流すという行為に加担したのは、自分の感覚だと「本当にいいのだろうか」と思うし、最低でもウクライナの大使も同程度の時間を割いて報道すべきなのではないだろうか、と感じた。

 そんなこんなことを考えていてモヤモヤしていたところ、スマートニュースが媒体ガイドラインを改定して、「他者の著作物への過度な依存」があるメディア・記事について「コンテンツの掲載を制限・停止する可能性があります」としたと聞いて、さらにモヤモヤが増した。

 ABEMAによると、スマートニュース側は以下のように意図を語っている。 

「SmartNewsの信頼性をより向上させることに取り組み、多くの方に安心して利用していただくことを目指すもの。当社ではコタツ記事というカテゴリーや、その設定に基づいた判断をしていないため直接はお答えできないが、この基準はあらゆるジャンル、性質の記事に対して適応する。媒体ガイドラインの判断は、人によってのみ行う」

https://times.abema.tv/articles/-/10019551

これについて、国際大学GLOCOMの山口真一先生が「スマートニュース社は創立当初から一貫して“情報のクオリティ”に目を向け、ユーザーがバランスよく情報に接触できるよう取り組んできた」「大手ニュースアプリ事業者がこのような取り組みを始めたのは非常に興味深い」と述べているけれど、いちライターとしては随分と好意的に捉えているんだな〜、と思わざるを得ない。

 スマートニュースの「チャンネル」にピックアップされる記事に関しては、選出されるメディアが偏るし、そもそも「チャンネル」と別カテゴリーの記事が上がってくるケースがあまりにも多い。個人的には、「コラム」に関しては「個人的な分析や意見が含まれている記事」にあたるものはむしろ少ないんじゃ、という疑問が拭えない。

 これはある日の「コラム」だが、文春オンラインの記事は取材した一般的な意味においてニュースだし、英語の達人WORLDの記事は「コタツ」。ムーンカレンダーの記事は「体験談」だからギリでコラムかも?? 個人的にこの中で「これはコラムですね」と違和がないのは、現代ビジネスの宇多田ヒカルの記事くらいだった。 

 もっと「??」といつも思っているのは、「政治」の「オピニオン」。

 スポニチの橋下徹氏の記事や、デイリースポーツの青木理氏の記事は、どちらもテレビ番組の要約まとめ的な「コタツ」。JBpressやアゴラは個人的な感覚だと「こんなの載っけていいの??」というレベルの論評が散見されるメディアなのだけど、少なくともスマートニュースは「識者の意見(=オピニオン)」として扱われているわけだ。

 「スマートニュースはユーザーについてパーソナライズされるから、誰もがこのようなピックアップされるわけではない」というツッコミがなされそうなのであらかじめ付記しておくと、自分の場合は属性を別にしたアカウントを3つ取得していたりする。そのいずれも、「チャンネル」の記事分けは「テキトーだね!」と言わざるを得ないし、メディアの選別も恣意的だと感じる。

 個人的に宇佐美典也氏は「なんだかなぁ」と感じることが多い人ではあるけれど、ABEMAの番組での「プラットフォームが旧来メディアの側に取り込まれたなという感じ」というのは同意見。基本的にレガシーなメディアが検証なしに「信頼できる情報源」とされているし、「著名人」「専門家」の発言がそのまま論評なしにピックアップされる傾向が強まっている。
 例えとしては悪いかもしれないけれど、今回のウクライナ侵攻に関して、外交・軍事関係の「識者」は「ロシアは侵攻しない」「ウクライナは太刀打ちできない」といった「分析」をしている人が多かったし、それを外したことに関して省みる作業がメディアに出ることは少ない(まだその段階ではない、ということなのかもしれないけれど)。
 だいたい、ひろゆきさんや堀江貴文氏の一挙手一投足にここまで注目が集まるのは、メディアもプラットフォームもそれを積極的にピックアップしているからだ。「読者が読むから」というよりも、「読者がこれが好きだろう」と人為的あるいは自動的に流されたものを「読者が読まされている」という方が実態に近いだろう。

 宇佐美氏は「別の見方やオピニオンを提供してきた中には、個人のブログを含む“こたつ記事”があったのではないか」と述べているが、自分もブログでそういうエントリーを書いてきたという自負がある。それこそBLOGOS初期の頃は「誰が言ったか」よりも「何を言っているか」の方を重視するネット黎明期の頃から引き継がれた空気がまだ残っていた。その頃と比較すると、2022年のメディア環境ははるかに権威主義的だと感じざるを得ないし、プラットフォーム側がそれを助長している。

 特にネットメディアは、スマートニュースからのアクセスに依存している傾向が強い。それだけに、「ガイドラインを改定する時間があるならアルゴリズムを毎秒改善してくれませんかね?」と思うし、「こたつ記事が蔓延するのは読者がそれを求めているから」といった論評は口が裂けても言っちゃダメだと感じるのだけど、ひとまず時間切れなので、今日はこれぐらいで勘弁してやることにして「コタツ記事」書きに戻ることにします。

 現場からは以上です。

 

  

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