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『「許せない」がやめられない』を読んでみた

SNS上での、とりわけ「ネットフェミニスト」に焦点を当てて、なぜ個人的な怒りが増幅してしまうのか、ということに真正面から切り込んでいる一般社団法人ホワイトハンズ代表理事の坂爪真吾氏の著書『「許せない」がやめられない』を拝読したので、簡単に感想をメモしておく。

 坂爪氏は、東京大学の上野千鶴子教授のゼミ出身ということもあって、女性学→フェミニズムへの造詣が深い。それだけに、性志向の少数者をフェミニズムが切り捨ててきたことを詳らかにして、同じベクトルのグループが閉じたコミュニティになっていく過程を丁寧に説明している。つまり、「ネットフェミニスト」がSNSで狭いつながりを形成して攻撃的になっている現状の心理について、そうではない人が把握する一助になることを試みているように感じられた。

 このような「不寛容」の連鎖については、近年のSNSではさまざまな観点から研究が出ており、少数の「声の大きいアカウント」により、Twitterのタイムラインが覆われていくという現象が起きていることについては、自分も日経のコンテンツなどを引用して記事にしてみたので、そちらも参照して頂くと嬉しいのだけど、坂爪氏の視点としては「許せないからの脱却」というところに触れていることが重要なように感じた。

 彼の主張は、SNSで表出する「怒り」については「依存症」として、そういった人たちがリアルでは「社会的孤立」をしているケースが多いという言及がなされている。これは自分の認識と近い(「依存症」と呼ぶのは躊躇われるが)ところでもあるし、彼らが「人間関係の構築と生活環境の改善」が処方箋になるというのも同感で、社会的弱者と見られがちな風俗業の支援をしてきた人らしい考え方だと思う。

 個人的には、あくまで「個々の体験」だったものが「コミュニティの課題意識」として扱われ、それが「社会問題」にまでなるという「成功体験」が、極端で攻撃的なアカウントの中身の人の行動原理になっているように感じられる(「#KuToo」などはその典型だろう)。となると、「理念には賛成できるけれど、この人には近づかないでおこう」といった防御規制が働く大多数の存在が見えなくなるし、可視化された問題や意見をピックアップしがちなメディアの問題にも繋がる。

 あと、本書でいうところの「社会を変えられなかった人たち」という存在についても触れておきたい。そういった人たちが集まる場所としての「インターネット」という側面が、『2ちゃんねる』創設後の2000年前後からあったように思えるし、第一次ブログブームの2005年前後で「アルファブロガー」とされた人たちにも「敗者復活戦」という位置づけができるように思える(失礼ながら中川翔子さんや眞鍋かをりさんあたりはブログがなければ鳴かず飛ばずだっただろう)。自分もHPやブログを運営していたから実感があるのだけど、「きっと何者にもなれないお前ら」(by『輪るピングドラム』)の集合体としてのインターネット、あるいはSNSという面は2010年代前半まではあったように感じられる。

 それが、2020年現在になって、著名人がSNSや動画、ネット活用が増えた。必然的に彼らの知名度に「何者でもない人」は勝てない。だからこそ誹謗中傷が先鋭化するし、SNSでのツイートが攻撃化し、「仲間」を見つけて狭いサークルでのRTや「いいね」の付け合いになってコミュニティーが閉じていくという現象が頻発しているのではないかと思うのだけど、それはまた別の機会に自分自身が考察してみたい。

 

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