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肩書きが一つでは多すぎる。時々のバランスが軌跡になるだけ、ということ。

内的なことを記事に書くのは、実に9ヶ月ぶりかもしれない。
ここ最近ずっと、公開前提で文章を書くことを辞めていた。
何かを伝えたり表現するには「内圧」が必要な気がするだけど、アウトプットとすることでその圧が下がり、伝えることの力が下がる。そんな気がして。いまだにその考えは変わっていないので、今何かを書いてゆく気はないのだけど、ふと知っておいていただけると嬉しいな。と思うことがあり、筆をとってみる。

肩書きに興味がない

肩書きをみんな欲しいと思う。気持ちは分かる。自分自身「挑戦者の翻訳者」なんてとても魅力的(だと思える)肩書きをつかって仕事をしているし、いきなり画家になってからは、「画家」と名乗ろうか「アーティスト」と名乗ろうか、はたまた他の有効な肩書きがあるのか?と思案したこともあった。なんなら「挑戦者の翻訳者」の仕事として、人の肩書きをつくったことも数知れず。肩書きは端的にその人のことを表してくれて便利だし、こと個人事業主やフリーランス としてビジネスをやっていくために、渇望されることもあると思う。

私が挑戦者の翻訳者として理念づくりの仕事をしていたところからいきなり画家に転向。別に言葉の仕事を辞めた訳ではないけど、私の活動の割合は絵対言葉が9対1みたいになったこともある。

そうすると人はどういう訳か、もう言葉の仕事はしてない。と思ったり、今大野さんはアーティストなんだよね?という感じで接してくる。まぁ、その反応は至極無理はないのだと私は思うけど、その前提として

目の前の相手を何か枠におさめて安心したい

みたいなエネルギーを感じる。
そしてそれは、私にとってそんなに居心地のよいものではない。
だってさ、その時々でやってることのバランスってあるし、何かを始めることは何かを辞めることとイコールではない。そのときどきで取り組んでいる割合はあるかもだけど、その割合は結果的にそうなってる。みたいな感じで、すごく柔軟。にも関わらず「今は何の人なの?」と問われても、「うーん、あくまで今のバランスだし、なんか伝えるのってリスクだなぁ」と思えてしまう。

私自身、強い肩書きを持つことのメリットは理解しているし、体感している。しかしそれは何か特定のやっていることに対して有効であって、私自身を表すことは決してない。私自身の肩書をしいて言えば「大野幸子」であって、今はそれ以上の何かを必要としない。そんな感じ。

逆に言えば昔は、自分の肩書きをつくることで枠を規定し、そこにはまれることが安心だった。私は何か自分らしい、そしてユニークな肩書きをもっている何者かなのだ。と思いたい時期だったのだと思う。

きっと最近はそうやって得られる安心感に興味がなくなったのだ。よく言えば、そうやって自分を守ることをあとにすることができた。喜ばしいな、と思う。

肩書きはそのときどきで変えられるとしてもやっぱり不自由で、距離を置きたい。(もちろん肩書きは、柱につけた身長の印のようにその時々の自分を教えてくれたり、後から振り返って成長を感じるいいものでもある。でもまぁだとしたら、今の私は「肩書き不要」期として振りかえられるだろうか。)

私がマルチな人間だから?それとも?

こうやって書く私は、ちょっと特殊な人間だということもあるかもしれない。おそらく「マルチ」なタイプなのだ。言葉の仕事と絵の仕事両方をやってみたことで、自分の中の「幅」も感じたし、「軸」もより強くなった。で、結果的に「どっちか」ではないと思えるのだ。

コンサルも楽しいし、
1対1の対話も楽しいし、
言葉の仕事はどう考えても天職だし。

一方で純粋な作品づくりの奥は深いし、
人からの依頼の仕事で広がるし、
ビジュアルコミュニケーションの可能性を感じる。

それぞれのジャンルの仕事はその時々のご縁や、気分やもってるスキルセットで縦横無尽に広がっていく。それはコピーライターから画家。みたいな急激な変化さえありえることを経験してしまった。住む場所だって、たった1日で東京から京都に移住しよっかな。なんて考えて行動できてしまう私。

見えているのはあくまで今の割合であって、明日は分からない

だからみなさん、ぜひ私の仕事を決まったものとして見ないでほしいし、もし私とやって面白そうなことがあったら「こんなの一緒にどうかな?」って気軽に声をかけてほしい。

私の人生は、そんな私とみなさんとの掛け合わせでできていくだけ。
それを楽しみたい。というのが私の人生の大きな好奇心であり目的。
だから、規定しないで🥺というお願いをしたくって、この文章を書いてみたくなったのでした。

ただ、傾向として私がマルチ寄りというのはあるかもしれないけど、みなさんの中にも当然いろんな顔がある。肩書きは便利だけど、肩書をもたない選択もいいのかも。

割と最近の私の返答として、「今何してるの?」とか「仕事は?」と聞かれると、「えっとね、生きてる。」と答えることが多かった。そう、ただ真剣にひたすらに生きているだけなのだ。



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