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《まなみこ》気分屋で機嫌の悪いあの人

ある日突然、何のスイッチが入ったんだか••😅
という感じで怒られた経験ありませんか?


わたしはホントついこないだありました!笑


その怒り人が現場を去って行った後、
そこに残された全員がキョトーン?となった訳なのだけど、


だんだんと腹が立ってきて「マジでムカつくぅ〜ーー!」と
ひとまず皆んなで叫んでおきました。笑


さあ!

それと、それを見ている私が同じってんだから、ここからが面白い。


その怒り人に私がいつも感じているのは『超・威圧感』
なんせ怒っている日もいない日も、
とにかく存在が威圧感そのものでしかない💀(シッ)


え?・・わたしあんなに威圧感すごいんですか?!
え、え、マジで身に覚えが無ッシングなんですけどww


とは、抵抗してみるも・・・うん待てよ?
確かに私って近寄り難いオーラ放ってるのわかる気もするぅ〜😂💡


そうね!
だって”コミュニケーションを取る”が出来なさ過ぎてw!!!🤣
だからやっぱりそっかあー〜!🤣🤣

ああ〜、そうだったなあ〜・・(遠い目)
母も大きな人数の輪に入るのが苦手な人だったし、
父も自分を認めてくれそうにない達にギャンギャン吠える人だったな。


そうそう、そうだ。
だから私は「凄い人、物分かりの良い人、出来てる人」を繕う必要があった。


そういう人間であれば誰にも文句を言わせないでいれるだろうと
そう一生懸命、振る舞えば振る舞うほど・・・・


ただただ虚勢を張っていただけってわけ ?!
😳


はい、威圧感の出来上がり〜〜🥂
はい、同じ〜🥂
ウェ〜〜イ


これまで私の思っていた「凄い人、物分かりの良い人、出来てる人」は
多少なりの犠牲が必ず無くてはならなかった。

「人のために」「私さえ我慢すれば」「私が全部を背負って」
そんな根性が当たり前にお約束だった。


一見、素晴らしいことかのように教え込まれてきたそれらの
「人のため」という行為は

実は「自分の都合のため」でしかなかったのだと、
今回ぶつけられた怒りを通して自分を見た時に初めてわかった。


“人のため”って本当に本当は素敵な思いだけれど、
ある視点から見ない限り、マジで絶対に出来ないようになっているんだって
ことに超絶ビックリした今回🌰⚡️

本当に「人のため」に出来ることって?
[目の前の"相手”という自分]を、笑わせる、喜ばせられることだな🐰💙

こりゃあ、感謝を忘れている時には絶対に絶対に絶対に出来ないやつだわ〜🥳


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