素敵な願掛け

そういえば、円周率ってどうやって求めたっけ。円に対して外接する多角形の傾きを求めていたような。後で調べよう。

そのあとのツイートには円周率を書いたグラスを生徒が割ってしまったので、今度は素数を書いたらしい。

その生徒は円周率を割った男と呼ばれたとか。

大事なものだから、割れないもので包むというのは素敵な願掛けですね。

日本に限った話では無くて、世界中に見えないものに対しての敬意というものがあって、数学というのは合理的で不確かなものを寄せ付けない態度を持っていますが、理路整然ともやっとしている部分にくっきりと実線を引いてくるような所は神めいた力を感じてなりません。

願掛けと神や仏にすがる気持ちはやっぱり個人の力が及ばないときに少しでも近づきたいというもので、

見えない何かを信じない人には滑稽に見えてくることも。

それでも、見えない何かが見てくれていると思えば、まだ歩いて行けることが出来るんですよ。神仏を信じない人はそういう信心というアイテムがないので、絶望に踏ん張る力が出ないことが(個人の見解)。


拝み屋のおじいさんがそういうのを信じない娘にケセランパサランを見せるシーンがあって、見た目は羽毛の塊みたいなものなのだけれど、娘にこれを預かった経緯を話すわけです。

それはある女性から引き受けたもので、戦地で夫を亡くし乳飲み子を抱えていたときに神社で見つけたという。ものの無かった時代に小麦粉やら何やらを与えていたら、不思議と力が湧いてきたと。


近年、自殺率の割合を調べたときに宗教や信心を持っている人が少なかったんだとか。

見えない何かを信じることは弱さという人もいるだろうけれど、自分にはどんなときでも、アレがあるから。と言うものがあるのは、したたかさがあるんじゃ無いかなと思うんですよ。



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