#259 「幸せに働く」教師のマインド
教え子との再開
先日、バッタリ教え子に会った。
数メートル先から「なんか見たことある顔だなあ」と思っていたら、目が合い出し、「◯◯先生、(自分の名前)です!」と。
183cmの僕と目線が合うくらい大きくなっていた。(184cmになっていたので、物理的に僕より大きくなった、初めての教え子だ!)
4年生から卒業までを担任させてもらった子。人前で話す時に声が小さくなる子だったが、立派にあいさつしてくれた。心が静かにあたたかくなった。
教師の喜び
卒業シーズンになると聞こえてくる言葉がある。
「いや〜、苦労した分だけ卒業式は感動するなあ。」
手のかかった分だけ、立派な姿で旅立つ子ども達な姿に感動する。
僕は、涙を流す子どもの姿に、やられてしまう。涙を必死に堪える姿。様々な想い、感情が揺れ動く子どもの姿。涙が溢れてきます。
教員の魅力の一つに挙げられるのが、この「子どもの成長への喜び」がある。1年間でも、卒業でも、その後の再開でも、子どもの成長はほんとに喜びになる。
幸せになるために働く
では、僕たち教師は、ブラックと呼ばれるような労働を経て、子どもの成長を目の当たりにするために働いているのだろうか?
未来に「幸せ」があるから「今」を我慢して働いているのだろうか。
確かに、大きな幸せが待っていることは間違いない。
でも、「幸せになるために働いている」つもりはない。
幸せに働く
僕は、「幸せ」に働いている。
今が幸せだ。
日々、子どもは成長する。その一つ、一つが嬉しい。
日々、子どもたちと何気ない会話をする。何でもないことで大笑いする。
叱ることもあるが、「きっとこの子たちなら成長した姿を見せてくれるはずだ」と信じている。喜びが待っていると思えば、人は幸せを感じられる。
他にも、授業が楽しい、行事で積み上げていく感じも楽しいし、保護者に思いが伝わることは嬉しい。同僚と思いを共有できるのも嬉しいことだ。
もちろん、やりたくない仕事もある。しかし、その仕事が「教育」という営みを支えていることを理解すれば納得できる。(これが教師の仕事かな?というものが残っているの事実ですが・・・)
日々の仕事には2つの喜びがある。
「今すぐ目の前に現れるもの」「この先起こることを想像し感じるもの」
幸せになるために「今を我慢する」するのではない。
この先に「喜び」があるから、「今が幸せ」に感じられる。
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