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最近読んだ本のはなし

本屋にふらっと立ち寄って、視界の端に入ったこの本を衝動買いした。

私の憧れ小林賢太郎氏の著書『短篇集 こばなしけんたろう 改訂版』。

天才・小林氏が紡ぐめくるめく空想世界が広がって、読み終わって本を閉じたとき自然と上を向いた。

特に最後の「砂場の少年について」は、(生意気な言い方をするけど)私にも共通する「人を楽しませることが好き」という気持ちの原体験を思い出させる素敵な短編だった。

とても刺激になり、久しぶりに劇脚本を書いてみたくなった。

さて、ひとことに読書と言っても、読書法にはいろいろある。
音読、黙読、速読、多読、精読etc…
もともと本を読むのはそんなに速い方ではないので、自分は精読を主として本に触れていこうと思った。

そんなとき思い出したのが、灘高校の国語の授業で1年かけて中勘助著『銀の匙』1冊を精読したという話だった。

私は教育学部国語学科を卒業し、中学・高校の教員免許を持っている。
大学時代は解釈学のゼミでメディアリテラシーを専門とする教授のもと、文学の読解法を応用してアニメ作品を読解する研究をしていた。
そのゼミで一番最初に行ったのが精読だった。

そのとき題材に使われた作品がなんだったかは忘れてしまったが、意識をせずに読むとサラッと流れてしまう一文が、それを構成する一文字一文字に血が通い出すような不思議な感覚になった。

いわゆる深読みの域までいってしまい、著者に「いや、そこまで考えてかいた文じゃないけど・・・」と言われてしまうかもしれない。それでもそこまでのめり込んで読んでくれることは喜んでくれるはずだ。

精読は作品に解釈という血を流す営みなのかもしれない。そんな貴重な経験を高校の多感な時期に行うなんて、それはそれは贅沢なことだ(と、気づくのは大人になってからなのかもね)。

と、いうことでその伝説の授業を行った橋本先生の本を買った。

この本は精読そのものについてというよりは、その国語の授業内容や授業に臨む橋本先生の苦労を書いた本なので、「この本を参考に精読しよ!」ってものではないが、私もかつて国語教師を目指した身なのでとても気持ちが引き締まる思いになった。

誰に見せるわけでもないし、まして教壇に立つわけでもないが、家にある本を橋本式の精読法で読んでみようかなと思える素晴らしい一冊だった。

今日、Amazonで買った「科挙」についての本が届く。
昨日の記事で書いた通り、今の私は「科挙」に興味津々なのだ。

これは小説ではないので「よーし、精読するぞ!」ってものではないが、せっかく興味を持った「科挙」のこと、勉強するぞ!

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