誰の思い出でもない話

松田くんが家にやってきた。

松田くんとは中学と高校が一緒だった。かといって特別仲が良かったわけでもなく、6年間で会話した時間はトータル5分ないだろう。

松田くんは中学の頃クラスのちょっとしたヤンキーからマツダの名作コンパクトカーから取ったあだ名をつけられ、それが浸透してみんなから「デミオ」と呼ばれていた。

高校一年のときに同じクラスになり、最初のホームルームの自己紹介で松田くんが
「松田健太郎です。中学では野球をやってました。あと、名字がマツダなのでみんなから『アクセラ』って呼ばれてました。」
と言っているのを聞いて、「あ、デミオ嫌だったんだ」と知った。中学の時は別に嫌がってるそぶりもなく、普通に「デミオ」で反応してたからなんともないのだと思っていたが、人の本心とは分からないものだ。

僕がそんなことを考えていると不意に松田くんと目が合い、「お前、余計なこと言うなよ?」というメッセージをその眼差しから受け取った。

そんなちょっと詐称気味の自己紹介をした松田くんは高校では3年間「松田くん」と呼ばれていた。誰も「デミオ」とは呼ばなかったが「アクセラ」とも呼んでくれなかった。

そんな松田くんが我が家にやってきた。高校卒業以来7年ぶりの再会だ。
すっかり大人びた松田くんの装いはおそらくオーダーであろう綺麗なシルエットのスーツに身を包み、高そうな時計をして、立派な立派ないけすかない営業マンといった様子だった。

「いやー、久しぶりだね。高校以来だっけ?」
松田くんは嘘みたいに典型的なセリフを言い、僕は問いかけには答えず、
「どうしたの?急に。なにかあった?」
と用件を聞いた。

「いやさ、オレ今ヘルスケアグッズを扱う会社で働いてて。あ、これ俺の名刺ね」

そういって差し出された名刺には「株式会社 健康科学研究俱楽部 健康営業部健康営業第二課 健康主任 松田健太郎」と書かれていた。
松田くんはしばらく会わないうちに健康主任になっていた。

「でさ、今日はオレがプロデュースしたイチオシ商品を持ってきたんだよ。」
「あぁ・・・そうなんだ・・・。え、なんでウチに?」
「そりゃお前、春畑は中高の同級生だし?」
「だし?」
「・・・いや、終わりだけど・・・」
「あぁ・・・えっと、どんなやつなの?」
「あ、それな!ちょっと待って」

松田くんはビジネスバッグから1冊のパンフレットを取り出して、居間のテーブルの上に置いた。
パンフレットの表紙には、なんか細かな管がそこかしこに出ているグロテスクな銀色の装置の写真が載っていて、上部には商品名と思われる「Pure Liquid」という文字、右下には「ヘレン・ケラーもびっくり!」というキャッチコピーが書いてあった。

「これは・・・ん?なに?」
「これはな、最先端技術の粋を結集して作った超高性能の浄水器なんだよ」
「浄水器・・・え、松田くん、浄水器売るために地元に凱旋したの?」
「まぁ、『売るために』ってのはちょっとニュアンス悪すぎるけど。なんつーの?めちゃくちゃ頑張って開発したから故郷に錦を飾りたいっていうか、そんな感じよ」

驚いた。松田くんは自分の地元のことを忘れてしまったのか。
僕たちの地元は全国的にも「名水の地」として有名で、近所のおじいちゃんおばあちゃんは未だに井戸水で生活をしている。
その現状に問題がある可能性があるとのことで、最近どこかの研究施設が井戸水の水質調査をした結果、「問題なし。むしろ健康にいいくらい」という評価をもらい、それまで「井戸水なんて、ねぇ?怖いでしょ?」みたいなこと言っていたマダムたちも井戸水をがぶがぶ飲みだした。

そんな町で、この男は浄水器を売ろうとしているのか?
しかも、限りなく嘘くさい浄水器を?
これが彼の「健康営業」だというのか?

「松田くん、せっかく来てくれて申し訳ないけど僕はいらないかな。僕は、っていうかこの町の人は買わないんじゃない?」
「お前、そんな水を差すようなこと言うなよ、浄水器だけに!」
「・・・帰ってもらえる?」
「ごめんごめん!でも本当にものはいいんだって」
「いや、その浄水器を信じてないっていうよりは、この町の水のキレイさをめちゃくちゃ信じてるから、みんな。だから、なんていうのかな。変な機械を通すくらいなら直でいきたいんだよ」

松田くんと僕の距離感はちょうど少し気を遣うくらいの一番やりづらい距離感なので、きっと松田くんはこんなにはっきり断られるとは思っていなかっただろう。そう思っていたが、僕の言葉を聞いた松田くんは待ってましたと言わんばかりに別の資料を取り出した。

「出た!そうなんだよ。この町の人たちは地元の水を過信しすぎんだよね。ちょっとこれ見て」

松田くんが出した資料には、よくわからないグラフがたくさん書かれていた。

「これが一般的な河川の水の汚染率ね?で、これがこの町の井戸水の汚染率。どう?そんな変わらないでしょ?でもPure Liquidを使った水はほら、こんなに汚染率に差があるんだよ!すごいだろ」

確かに松田くんが出してきた資料には「一般河川 .482」「井戸水 .440」「Pure Liquid .281」と書いてあり、Pure Liquidの数値が低いことは一目瞭然だった。
気になることといえば、Pure Liquidを利用しても汚染率が2割8分もあることと、このグラフの下に小さく「楽天ゴールデンイーグルス年度別成績」と書いてあることだった。

「一応聞くけどさ、これ嘘じゃないよね?嘘だったら松田くんのやってることって詐欺だよ?」

松田くんは逆に潔白なんじゃないかと思うほど強烈に取り乱した。

「詐欺!?おい、さすがにお前、それは言っていいことと悪いことがあるんじゃないか?こっちは少しでも地元のためになりたいと思って東京から出てきてんだよ!そんな俺をお前、詐欺ってそれは・・・おい!」
「じゃあ聞くけど、ここに『楽天ゴールデンイーグルス年度別成績』って書いてあるのはなんなの?」
「え?あ・・・あーこれはアレだ。東北の新聞の裏紙に印刷しちゃったから」

その受け答えから、松田くんは組織から騙されているのではなく、明確な意図をもってこの詐欺を働いていると感じた。

「新聞に裏紙とかねぇよ。両面とも文字びっしりでしょ」
「いやいや、東北の新聞読んだことないでしょ?スペースを贅沢に使うんだから」
「松田くん、僕が今なにしてるか知ってる?役場の職員だよ」
「へぇ、そうなんだ?すごいじゃん」
「水道課所属だよ」
「あ、そう・・・なの?」
「うん。だから水質調査の正確な情報とか知ってるんだよね」
「へぇ・・・」

松田くんは誰が見ても明らかなくらい元気がなくなっていった。
とても健康営業第二課 健康主任とは思えないほどしょんぼりしている。

「松田くん、もうやめたら?せっかく地元にきて、こんなしょうもないことしてさ。普通に里帰りしてゆっくりすればいいじゃん」
「いや、うん・・・まぁそうだな。悪かったよ。あのさ」
「ん?」
「あんまみんなには言わないでもらえるかな?その、こういう仕事してること」
「大丈夫。僕、みんなに言えるほど友達いないから」
「あ、そう・・・それはそれでごめん」
「うん・・・」
「じゃ、帰るわ」
「うん、気を付けて」

松田くんは東京へ帰っていった。
白いデミオに乗っていた。おそらく社用車なんだろう。

それから2年後、松田くんは健康営業部健康営業第二課長になって帰ってきたが、あまりに嘘みたいな名前過ぎて当時松田くんを「デミオ」と呼んでいた連中にも「松田」と呼ばれ、間合いをはかられていた。

今日もこの町の水は綺麗だ。

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