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コーヒー日記⑱~もっと手前で死と向き合う~

夏川草介著 『勿忘草の咲く町で』という小説がある。
高齢者医療といかに向き合うかが主題のこの小説で、とてもお気に入りのセリフがある。

主人公の研修医、桂正太郎の指導医である三島のセリフだ。

「医療は今、ひとつの限界点にきている。『生』ではなく『死』と向き合うという限界点だ。乱暴な言い方をすれば、大量の高齢者たちを、いかに生かすかではなく、いかに死なせるかという問題だ。(…)」

「だが、だからといって我々が怠惰であっていいわけではない。むしろ、それだからこそ日常的に『死』を見守っている我々が、悩み続ける必要があるのだ」

この、「悩み続けること」の大切さは、もちろん医師だけでなく、高齢者医療に関わるスタッフ全体にもいえることだろう。

わたしは昨年から、リハビリテーション病院からデイサービスの施設へと転勤した。
理学療法士として担当する利用者の年齢層は病院に勤務していたときとさほど変わらない。平均して80歳以上だ。

だが、この一年で『死』と向き合う機会が多くなった。
しかも、上記の小説のような場面とは異なり、元気に通所されていた利用者がある日突然、自宅で亡くなっていた、という状況も度々あった。

緩和医療や、高齢者医療を担う病院だけではない。
もっと手前、自宅で比較的元気に過ごしている高齢者に対して理学療法を行ううえでも、『死』としっかり向き合う必要があるように思う。
だって、『死』は突然訪れることがあるから。

そしてその向き合い方に「正解」はない。
たった一つの倫理は、そう、「悩み続けること」なのだと思う。

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