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捨てる辛さ

私は、本を所有しない主義になりました。15年ほど前の引っ越しがきっかけです。そのとき、大量の専門誌を捨てた無念と大変さが身に染みたからです。

10年ほど大好きなスポーツの専門誌を2種類、毎月、購入していました。当時は、その背表紙が本棚に、ビシ~ッと並ぶのが嬉しくて、自慢のコレクションのようなものでした。

1年間に24冊です。10年で240冊。別冊なんかもあるわけです。250冊とかですかね、1冊900円くらいだったかな、紙も良質なんで重いんです。250冊というと、ものすごい重量で。

毎号、きっちり読んでいたかというと、やっぱり大きい試合とか、自分が応援している選手の試合が載っているとか、そういう号は熱心に読んでも、そうではないと、パラッとめくっただけで本棚にしまう号も、結構ありました。25万円くらい使ったんですね。いやあ、読んだときは楽しくても、読まない号もあったんだし、もったいなかったなあ。

引っ越しすることになり、それを「どうしよう・・・」と思いながら、本棚から出していったら、一番下に並べていたのがほとんど、湿気を吸って、それが渇いて、歪んでいたんです。考えてみたら、最新号を読んで足していくだけで、古い物を探して読むなんてこと無かったな・・・と思いました。

これからも増えるだけで、古いのなんて読まないのだろう。まして、傷んだものを保管していても価値はない。そう考えて、250冊を全部、燃えるゴミで捨てました。古本屋に電話したら「専門誌はちょっと」と言われたのと、二束三文で引き取られるくらいなら、一気に成仏させた方が後悔が少ないのでないかと思ったからでした。

25万円、もったいなかった・・・と思ったのですが、もっとお金を使った試合のチケットは惜しくないんですよね。その時に「楽しかった」で終わっています。それに比べて、本当は役目を終えているにも関わらず、物質として残る物は、いつまでも未練があり、ぐずぐずと所有したいのだなあと思いました。

90才を超えた叔母が数年前、他界しました。私の父とは20才近く年が離れた叔母は、生涯独身で定年まで公務員として勤め、定年してからは一軒家で悠々と暮らしていました。叔母がおかしい、と父が言いだしたのが85才頃。家はゴミ屋敷のように物がたくさんで整理されていない状況になっていました。

しばらくして叔母は施設に入り、父が一軒家の掃除をして、私も手伝いました。一軒家の処分も可能性として出たからです。そのために、とにかく片付けをしなければとなったのですが、一番の難関が書斎。ガラスが入った大きな本棚が4つ。その中に、びっちり、高そうな本が並べられていました。父が、地元の図書館に寄贈を申し出たそうですが、断られたとのことで、その本棚には手をつけられず。

床に積み上げられた本や雑誌、新聞なども、ものすごい量があり、こちらは何も考えず、まとめもせず、軽トラックの荷台に2階からバンバン投げ入れて、ゴミ集積場へ。「丁寧に見ていたら、作業が終わらない」と父は言っていました。それでも2~3日、かかったんじゃないかな。

さすがに「これは・・・」となったのが、叔母の旅行アルバム。燃えるゴミで出そうとした父に「いや、さすがに燃えるゴミは・・・」と言う私。

父「持っていたって、誰も見ないぞ。」
私「でも、本棚の中に入れておけば・・・。」
父「今日、俺が捨てるか、何年か先にお前が捨てるか、どっちにしても捨てるしかないぞ。」
私「う~ん、でも・・・。」
父「本は、もしかしたら誰かが欲しいって言えば、売るか、くれるかするかもしれんけど、これだけは、悪いけど、誰も要ると言わんぞ。」
私「そうね・・・。」

ということで、結果、燃えるゴミで捨てました。叔母はお金があったので(残さないで使ったので、うらやましい人生だな~と思います)、世界中、あらゆる観光地へ旅行していました。写真アルバムは何冊もあって、これも、私の専門誌と共通することろがあり、楽しいという経験と思い出だけならそれで終わりなのに、残る物っていうのは、なんとなくもったいなくて、処分するときに辛い思いをするものだなと思いました。

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