【ゲーム】格ゲーマーはなぜ謝るのか:『会話を哲学する』から
はじめに
対人戦は会話か?
最近『会話を哲学する コミュニケーションとマニピュレーション』という本のオーディオブックを聴いているのだが、そこで思いついたことがある。
この本の内容は対戦ゲームにも当てはまるのではないか、ということだ。
以下では、個人的に好きだという理由から2D格闘ゲームを例にこれを考えてみる。
この考えを参考にすると、格ゲーマーがなぜ謝るのかが見えてくる。
会話はマニピュレーションとコミュニケーションから成り立つ
この本の主な主張は、会話はコミュニケーションとマニピュレーションという二つの要素から成り立つというものだ。
コミュニケーションは前提や文脈の共有
会話は、ただ言葉を交わしているだけではない。
言葉のやり取りが会話になるには、ある前提を共有してそれについて話すことが必要だ、テーマと言い換えることも出来る。
互いに共有している文脈がないと、ただ二人で独り言を喋っているのと区別がつかないことになる。
格闘ゲームにおける前提は、キャラの特徴や各行動のリスク・リターンや
セオリーなどが挙げられるだろう。
こういったものがあるから、
こっちのキャラクターの方が遠距離戦に強いから、相手は無理にでも前に詰めてくるはず
投げより打撃の方がダメージが高いから、一旦相手はガードしてくるはず
相手が先に1ラウンド取っているから、この劣勢ではゲージを温存したいだろう
などの読み合いが成立する。
マニピュレーションは相手を操作すること
会話は前提の共有だけでなくマニピュレーションも含む、というのが本書の主張だ。マニピュレーションとは、日本語だと操作や操縦といった意味がある。
操作というと聞こえが悪いが、これは一般的に行われていることだ。
例えば、朝に「今日は雨降るらしいよ」という言葉には傘を持っていかせようという意図が含まれている。
他にも自慢話は、自分をすごいと思わせたいという印象の操作を目的としている。
こういった会話に意図を持たせることを、マニピュレーションと表現している。
格ゲーで言えば、飛び道具なんかがわかりやすい。
波動拳などの飛び道具自体は、当たっても大したダメージではない。
しかし相手の下がりを咎めたり、飛びや弾抜けを狙わせたりすることが出来る。
そういう相手の行動や思考を制限する意図を持った行為が、格ゲーには無数に存在している。
なぜ格ゲーマーは謝ったりキレたりするのか
コミュニケーションのミスが原因
ここまでを踏まえて、格ゲーマー特有の謝罪について考える。
格ゲーにおいて謝りたくなるなるシチュエーションには次のようなものがある
コンボをミスって補正切りの形になったとき
無敵技をパナすとき
漏れたり押し間違えた攻撃が相手にヒットしたとき
これらに共通するのは、相手との前提や約束を破壊することではないだろうか。
自分のミスや不利な状況が有利になる、つまりこのゲームにおける約束を破ってしまったことへの申し訳無さが謝罪に繋がると考えられる。
この逆に、これらの行為をされた側には約束を破られたことに対する怒りが生まれる。
マニピュレーションの成功は気持ちいいポイント
逆に相手の行動を制限して、意図通りの行動を引き出して狩るというのは格ゲーにおける最も気持ちいい瞬間だ。
鳥かごやシミーなどの名前のついた戦術は、マニピュレーションの要素が入っている。
有効なだけでなく気持ちよさもあるからこそ広まっているのではないだろうか。
まとめ
まとめると、
会話にはコミュニケーションとマニピュレーションの要素がある
対戦ゲームには会話と共通する部分がある
格ゲーマーが謝るのは約束を破ってしまった感覚があるから
といった感じだ。
参考にした本では、いろんなジャンルのフィクション作品の会話を例に挙げて会話について考えていく。
なかなか面白かったので、興味があったら触れてみてほしい。
最後まで読んでくれてありがとう。
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