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47sai 静岡県浜松市小豆餅出身 東京在住 あずきもち=小豆餅 は地名です。 徳…

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47sai 静岡県浜松市小豆餅出身 東京在住 あずきもち=小豆餅 は地名です。 徳川家康が負け戦の逃げ道にて小豆餅を食べたことが由来。

最近の記事

世界一の金持ち(短編小説)

あなたの部屋の中に、今世界一の金持ちが来ています。コーヒーでも飲ませてくれと、あなたがいつも座っているテーブルに肘をついて座っています。さて、あなたはその人間に何の話をしますか?10秒以内に答えてください。

    • 人怖の覚書 地元浜松の心霊スポットにて

      40後半の私が、他に観るものも特になく、心霊スポット動画をYoutubeで観ることにハマり始めたのは、コロナも終息に近づいた頃だった。毎晩寝る前に色々な心霊スポット探索の動画を観ていたが、怖かったのは最初の二ヶ月くらいで、その後は慣れてしまい怖くも無くなっていた。そんな時、ふと地元に帰る用事があり、浜松市を訪れた。地元の夜、特にやることもなく、酒を飲むにもタクシーで帰らなければ行けないし金がかかる。そこで私は思い立って、子供の時に有名だったラブホテル廃墟の心霊スポットを思い出

      • 小豆餅80’s - 時空を超えたビンタ

        掛川市につま恋という有名なリゾートホテルがある。ある幼い少女がそこにある屋外ステージの壇上で、あのアントニオ猪木に花束を渡している。真っ赤な薔薇の花束だ。小さなコロセアムのようなに高低差が付けられた観客席には、ゴールデンウィークの喧騒がさらに凝縮したような、楽しくて仕方がない、あの80年台ジャパンの日本国民たちが座っている。猪木さんは「可愛いお嬢ちゃんだねえ」みたいなことをマイクで言いながら、花束を受け取る。それを天に掲げて客と共に言った。「1.2.3.ダー!」その後、絶妙の

        • 小豆餅80's - ジャック・ニコルソン先生

          小学校の卒業式も終わり、中学校が始まる前の春休み、翌週から始まる中学校に不安しかなかった僕たち。何をやったら良いかも分からず、プラプラと何故か小学校の校庭にいたところを、6年生の時の担任だった久米先生は優しく迎え入れて話しかけくれた。 「お前は最低湖東かな。お前は頑張って西狙え。村松は北だな。」 先生はもう高校受験の話をして不安をさらに煽り、でも敢えて茶化して楽しく笑い合っていた。 受験の話も終わった後、思春期のボーイズへのアドバイスが始まった。久米先生はオールバック的な

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          小豆餅80's - 小粋な手品師

          話を始める前に、以前書いたある濡れた幽霊の話を公開した直後、妻の顔面に痙攣のような症状が発生して、一週間経っても治らず、妻は眼科に行っても異常がないと言われ、脳まで心配し始めていました。話の投稿後、妹にそういった話を公開するのは霊に怒られるから気をつけなと言われたのを思い出し、試しに投稿を非公開にしてみました。すると痙攣が治りましたので、そういう事だと理解しました。はい。 話を変えて本題です。この前夕食の際に、一品料理とご飯で食べるような、ある種質素倹約なメニューを家族5人

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          小豆餅80's - ぼくちゃんの冤罪事件

          つげ義春のまんがに、窓から夜だったか世界だったかが入ってくるのを恐れて、布団に隠れたり、逃げたりするシーンがある。あれはわかる人間とわからない人間がいると思うが、わたしは6歳にしてすでにわかってしまう羽目になった。それの発端となったのが小学校に入ってすぐに発生した冤罪事件だった。犯人とされたのは小さな僕ちゃん、つまり私だった。 小学校1年生の1学期か2学期か、教室で道徳の授業が行われていた。そこでどういう経緯か、ある女の子、「ゆみこちゃん」という名前だったと思うが、問題提起

          小豆餅80's - ぼくちゃんの冤罪事件

          小豆餅80's - 何かに助けられた話(実話怪談)

          その日私は藤枝のおばあちゃん家に家族で遊びに来ていた。多分小学校6年生くらいだったと思う。中学生も見え始めた頃なので、親族の団欒にも飽き始めていたのだろう。私は旅行中にも関わらず一人で家を飛び出して、近所を散歩していた。 藤枝の葵という場所だったが、そこに川がある。川といっても浅く、ドブ川に毛が生えたような川だ。川の水は道路から10メートルは下にある。コンクリートで作られたような、目黒川とか、そんな感じの川であった。 一人で歩いていた私は、何故かはわからないが、川のヘリに

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          小豆餅80's - 最高の駄菓子屋さのや

          子供の幸福度を上げる要素として、昭和最後の数年であるこの時代にはまだ駄菓子屋の存在が大きかった。週に何回も近所の駄菓子屋に行っては100円で買えるだけの駄菓子を買って、友達と食べている光景がまだまだあった。平成にはこの存在は消えてしまうので、本当に最後だったのだ。悲しい。 小豆餅には最高と誇れる駄菓子屋があった。「さのや」だ。 さのやは双子のおばあちゃんによって経営されている。70代くらいの寡黙で、笑顔は絶対に見せない人たちだった。この双子の佐野さんは、とにかく子供に媚び

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          小豆餅80's - 可哀想な「ひとくん」

          ひとくんのことを思い出している。ウチから70mほど向こう、通りを挟んであった小さい畑の脇に、ほったて小屋のような平家があり、そこに住んでいた私の一個下の小学生だった。多分ヒトシという名前から「ひとくん」と呼ばれていた。思い出す姿は彼が3年生くらい。坊主頭でまゆげが繋がっていて、肌がちょっと黒くて、冬は鼻水がつららになっていた気がする。いや違っていたら申し訳ない。 ひとくんとはある夜の出来事があってから、家族ぐるみでの絶交を余儀なくされた。そしてそれは紛れもなく私の責任である

          小豆餅80's - 可哀想な「ひとくん」

          小豆餅80's - 父親の食いっぷち

          以前記事で書いた「濡れ女」が庭にぶら下がっている家で生まれ育った男の子が二人いる。その兄弟の長男が私の父親である。父親に関しては誰でもそうだと思うが、一つの記事では到底書き切ることができない。少しずつにはなるがその片鱗でも感じ取っていただけたらと思い書き始める。 浜松市の小豆餅に80'sを過ごした家族の長がウチの父親だった。私の父親は普通の仕事をしている人間ではなく、所謂イベント会社というものを経営していた。元々は地元の大きな新聞社に勤めていたが、結構早めの段階で組織を捨て

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          小豆餅80's - 猫ミーム

          息子が猫ミーム(定番動画ネタみたなやつ)にハマっている。InstaやYoutubeのショートで流れてくる可愛かったり可笑しな猫たちの動画を見て、腐った公共教育からの現実逃避をしている。 80年代の小豆餅、私たちの家は借家で、大気汚染で煤けた空にマッチしたような茶色い建物だった。当然猫は飼ってはいけないんだと思うが、3人兄弟だった私たちは、理由は忘れたがきっと現代と同じように腐った公共教育からの現実逃避を求めていたんだろう、猫ミームではなく生きた猫ちゃんを実際に家で飼いたいと

          小豆餅80's - 猫ミーム

          小豆餅80's - あの男の目

          私は小学校低学年だったころ、浜松市の小豆餅という場所に住んでいた。昭和の後期、そのあたりは自衛隊基地の騒音の影響か、あまり人気もなかった エリアだと思われ、今思えばおかしな家がたくさんあった記憶がある。 人と目があった記憶って普通は些細なことで、無数に発生する事象であり、記憶になど残らないものである。しかし、子供時代から40年たった今も強く記憶に残っている目線がある。昭和の小豆餅で、あの男と目が合った、その瞬間の記憶が、私にはあまりにも鮮明に残っている。 その日、あれは午

          小豆餅80's - あの男の目

          小豆餅80’s - 濡れ女 (実話怪談)

          2024年2月5日、東京に雪が降った。 夕方雪だるまを息子たちと作って、風呂に入っている時、明日の朝はあの雪だるまも溶けているんだろうなと考えていると、ふと子供の時によくみた夢が脳内をよぎった。濡れ女の夢だ。 私が子供の頃、1980年代の前半頃、父親方の祖父母の家に時々遊びに行った。遊びに行ったと言っても、実は行くたびに、あそこの家は暗く陰気で、毎回着くと途端に家の外に飛び出して、弟と公園や水の干上がった田んぼで遊んでいた記憶がある。 静岡市の葵区というところにあったのそ

          小豆餅80’s - 濡れ女 (実話怪談)