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小豆餅80's - 父親の食いっぷち

以前記事で書いた「濡れ女」が庭にぶら下がっている家で生まれ育った男の子が二人いる。その兄弟の長男が私の父親である。父親に関しては誰でもそうだと思うが、一つの記事では到底書き切ることができない。少しずつにはなるがその片鱗でも感じ取っていただけたらと思い書き始める。

浜松市の小豆餅に80'sを過ごした家族の長がウチの父親だった。私の父親は普通の仕事をしている人間ではなく、所謂イベント会社というものを経営していた。元々は地元の大きな新聞社に勤めていたが、結構早めの段階で組織を捨て、好き勝手暴れられる自分の会社を起業したのだ。そのあたりの細かい状況は、幼かった私には知る由もない。

80年代に浜松市民会館などで、「稲川淳二の怖い話」というイベントが、これでもかという回数で頻繁に開催されていたのをご存知の方はいるだろうか?何を隠そう、このイベントを仕切っていたのがウチの父親だった。そう、私の父親の食いっぷちは「怪談イベント」だったのである。その他浜名湖パルパルで行われた「みんなでUFOを呼ぼう」というものだったり、「矢追純一のイベント」や「丹波哲郎の大霊界トークショー」なども開催していた。まさに私たち家族の肉体は、オカルトを糧として成立していた。

これまでの人生で、私は怪談に関わる仕事で5人家族を養うような輩に出会ったことはない。父親以外には。それも最近の怪談ブームやYoutubeの心霊スポット巡りを糧とする人が多数いる現代であれば想定内とは思うが、時代は1980年代である。これはかなり奇抜な家庭環境が想定できるのではないだろうか?

父親の風体はアウトレイジの西田敏行をそのまま画面から取り出して、スーツを脱がせてふかふかのウールのセーターを着せたような見た目だった。この男が剛腕で開く怪談イベントは、きっと当時の怪談マニアを唸らせ、浜松の若者たちを怪の道へどんどん送り込んでいったに違いないはずだ。これらのイベントに行って人生が変わった、という方がいれば、ぜひ当時のお話をさせてもらいたいくらいだ。

父親の話はなぜか疲れてしまうので、今日のところはこれくらいで許していただきたい。


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