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メキシコへ行ってカブトムシを捕ろう!ゾウカブト捕りに挑戦した父子の物語り

今では、メキシコでカブトムシを捕ることはできない。メキシコの法律で貴重な動植物を保護するようになったのだ。我々親子はその昔、メキシコに赴任していたころ、カブトムシ捕りに熱狂した。おそらく、メキシコでこんなばかげたことをした親子は後にも先にも世界中に我々だけだろう。これはその冒険の物語りだ。
夏休み、カブトムシを楽しみにしている子供たちは多いだろう。そして、少年に戻って子供たちとカブトムシ捕りに熱中するお父さんもそれに負けないくらい多いだろう。この物語りはそんな子供たちと、今でも少年のお父さんにささげたい。

あらすじ
ある日、茅波は三年間のメキシコ赴任を命じられる。単身赴任にするか家族を連れて行くか妻ともめるのだが、カブトムシ好きの息子に「メキシコでゾウカブトを捕ってあげる」と約束して抱き込み、家族一緒にメキシコ赴任することを決めてしまう。カブトムシなど簡単に捕れると思っていたが、いざメキシコに行ってみるとカブトムシ捕りがいかに難しいかを思い知らされる。そのうちにミツノサイカブト、ピサロタテヅノカブトなどを入手するがゾウカブトだけは見つからない。赴任中に絶対に息子との約束を果たさなければならない。あらゆる手段を使ってゾウカブトを探すが、収獲がないまま時間は容赦なく過ぎ去る。赴任最後の年、茅波はゾウカブトに関する重要な情報を入手し、メキシコ南部の村へ向かう。そこで、村人からゾウカブトを捕まえたら連絡するとの約束を取り付ける。帰任間近になり、茅波に村人から連絡が入る。村に向かう茅波と息子。はたして、ゾウカブトはいるのか?そして、茅波は息子との約束を守ることができるのか?

カブトムシ捕りの夢

里山の道路を車で走ると、クヌギが茂る場所に着いた。遠くに、ぽつ、ぽつと民家の明かりが見える。道路わきに車を止め、懐中電灯を持って車外に出る。木々のにおいとともに、生暖かく湿った空気が体にまとわりつく。続いて息子の隼も無言で車から降りる。隼は幼稚園の年長さんだ。森に入って、一本の大きなクヌギの木の裏側にまわって、懐中電灯で照らす。ちょうど隼の背丈ほどの高さに木肌がささくれた場所があり、そこから黒くぬれたように樹液が流れ出ている。黒く光るたまごぐらいの大きさの何かが群がっている。
「いた!カブトムシだ!」
隼が飛びつく。角を持って持ち上げる。とうとう捕まえた。
「オー!オー!オー!」
言葉にならない叫び声を上げる。生まれて初めて自分で捕まえたカブトムシだ。
息子は、カブトムシが大好きな男の子だ。
「やったな、隼!」
記念すべき第一号を祝福する。
隼にせがまれ、というよりも本当は私が行きたかったのかも知れないが、夜の里山へカブトムシを捕りにきたのだ。最近では自然のカブトムシやクワガタが少なくなった。私が小学生の頃は、自転車で十分も走ると森があり、いやというほど捕れたものだ。
我が家は神奈川県の海に近い場所にあるが、一時間も車で走ればそういう場所がまだ残っている。今日は、会社の同僚から事前にカブトムシがいると言われる場所を聞き出しておき、夜になるのを見計らってポイントまで来たのだ。
ポイントと言っても、闇雲に森の中に入って行っても捕れるものではない。カブトムシやクワガタはどの木にもまんべんなくいるものではないと、子供時代の経験から知っているからだ。どの森かを知っていてもだめだ。森のどこにあるどの木に集まるか、というところまで分からないと捕れないのだ。

子供時代の記憶がよみがえる。もう三十年も前の話だ。梅雨も終わりになる頃、日が昇る前に森に出かける。山と山に挟まれた細い田んぼのあぜ道を、ヘビに怯えながらも上っていく。草の葉についた朝露でくつが濡れ、草の実が半ズボンつく。やがてあぜ道は森の中の道に続いていく。森の中に入ると周囲の木を片っ端から蹴っ飛ばしていく。すると、「ガサガサッ」とか「ポタポタポタッ」と、落ち葉の上に何か落ちる音がする。ガサガサッという大きな音はカブトムシだ。ポタポタッと少し小さな音はクワガタだ。「パサパサ」というのは小さな枯れ枝のことが多い。すでに日は昇っているが森の中はカブトムシやクワガタをはっきりと確認できるほど明るくはない。大きな音がした場所を数ヶ所記憶し、すかさずその場所に行く。すると、落ち葉に潜り込もうとしている虫たちがそこにいるのだ。あるものはまだ体制を立て直せずにひっくり返ってバタバタしているが、あるものはすでに落ち葉の下に潜り込んでしまって姿が見えない。しかし、落ち葉の表面がモソモソと動いているのでそれと分かる。捕まえたら持ってきた紙袋に入れる。紙袋は八百屋でもらった茶色のガサガサした紙でできている。
「ガサガサッ」、「ポタポタポタッ」と音がした数ヶ所を手早く探す。あまり一ヶ所に時間をかけると、すぐに落ち葉や土の中に隠れてしまうので時間が勝負だ。カブトムシやクワガタは一度隠れてしまうとなかなか見つからない。
カブトムシやクワガタがいる木は決まっていて、何百本ある木のなかでほんの数本だ。いる木にはいつもいる、いない木にはいつもいない。でも念のため、どんな木でも取りあえず全部蹴っていく。一般的にカブトムシやクワガタが好むのはクヌギやコナラだと言われているが、経験ではそれ以外にも不思議と集まる木があった。木の名前は分からないが、ツバキのような木だった。
いつぞや、小高い岡にある小さな畑の隅に一本だけちょこんと立っている木を蹴ったときは驚いた。いっせいに黒い雨が降り、あたり一面ぞわぞわと動くミヤマクワガタに埋め尽くされた。ちょうどありの巣をつついた感じだった。そのときは朝ではなく、学校帰りに下見のついでに普段行かない山を見て回ったのだ。昆虫を入れる袋も持ってなかったので、取りあえず大きなものから十匹程度を野球帽に入れる。それ以上は帽子に入らなかったのだ。クワガタが入った帽子を左手に持ち、右手で自転車を片手運転しながらあわてて家に急いだ。が当然ミヤマクワガタは折りたたんだ帽子の隙間から出てくる。それをまた帽子に押し込みながら家路を急いでいると、左手の、「もそもそ」という感触が突然親指の先の激痛に変わった。何事かと思って指を見ると、中でも特大のミヤマクワガタが私の親指を挟み、あごの根元の突起が指の肉を貫通しているではないか!痛みに悶絶しながらミヤマクワガタの怒りが納まるのをじっと待ち、あごが開いたところで突起を指からはずす。あごが抜けた穴から血が出始め、みるみるうちに玉のように膨らんだ。そのうちに、帽子に血がにじんできた。あごが指から抜けると痛みは少し和らいだので、気を取り直して家に帰る。噛まれた痕はその後何年か残ったが、あとにもさきにもこれほど特大のミヤマクワガタは見たことがなかった。
何百本の木を何時間も掛けて蹴って回るのは大変だが、自分だけの秘密の一本を見つけたときの喜びは宝を掘り当てたかのように嬉しい。何より、ライバルを差し置き、すべての獲物を独占できる。
このように、森に入ってカブトムシやクワガタを捕るのは、素人がちょっと行ってできるほど甘いものではないことを良く知っている。その土地を知らない者が手軽にカブトムシやクワガタを捕るには、灯火採集が良い。街灯の光に飛んできた昆虫を捕まえるのだ。正確に言うと、昆虫たちは街灯の光に含まれる紫外線に飛んでくる。そのため、紫外線のない街灯には昆虫は来ない。昔は街灯によく水銀灯が使われていて、強力な紫外線を発生するためか地面が覆われるほどのおびただしい数の蛾や蚊など昆虫が集まったものだ。その後ナトリウム灯が普及し、ほとんど昆虫は飛んでこなくなった。ナトリウム灯は、よく見かけるオレンジ色の街灯だ。最近では白い光でも昆虫が来ないものが出始めたようだ。名前や原理は分からないが、以前、バグズフリー(虫来ない)という謳い文句の電球をアメリカのスーパーで見かけたことがある。
したがって、白い色の光なら必ずしも昆虫がいるというわけでもないので、こういう場合は蛾が飛んでいるかどうかで見分ける。蛾はとにかく光に集まりやすいし、蚊など小さな昆虫に比べて遠くから目立ちやすい。車で山間の道路を走りながら、蛾が飛んでいる街灯を見つけると車を止め、周囲を懐中電灯で探るのだ。必ずしも明るいところにいるとは限らない。カブトムシやクワガタは街灯の回りを大きく輪を描いて飛ぶので、たまたま街灯から遠いところでバランスを失い、落下するものもいる。また、落下すると物陰に隠れるという習性もある。溝や物陰を懐中電灯で照らし、丹念に探す。
こうして、この夏は隼と一緒に数十匹のカブトムシと数匹のクワガタを捕まえた。三十年ぶりに現役復帰し、少年に戻った。
隼は、生きたカブトムシやクワガタに限らず、カブトムシとクワガタに関するものは何にでも興味を示した。ちょうどその頃、カブトムシやクワガタをテーマにしたアニメが流行っていて、昆虫フィギュア、カード、DVDなどが多量に出回っていた。隼のお気に入りは、この夏おじいちゃんに買ってもらったカブトムシ・クワガタムシ図鑑だ。子供用の図鑑とはいえ、世界中のカブトムシ・クワガタの写真と解説が体系的に編集されていて、大人も見入ってしまう。
私が少年の頃は、ヘラクレスオオカブトぐらいしか日本に紹介されていなかった。当時、生きたヘラクレスオオカブトは日本に輸入されていなかったため、写真だけでしか見たことがなかった。その写真と世界最大という謳い文句を見て、「こんなカブトムシを自分で捕まえることができたらなあ」、と夢に見たほどだ。当時は一般の人が旅行で外国に行くなど珍しいことで、ヨーロッパやアメリカならまだしも、中南米などまったく地の果てに等しかった。そしていつしか、歳を取るにつれそうした夢も忘れてしまった。
外国のカブトムシは派手だ。世界最大のヘラクレスオオカブト、世界最重量のゾウカブト、大きさ、強さ、かっこよさ三拍子そろったコーカサスオオカブトなどなど役者ぞろいだ。
「パパ、このカブトムシ強いんだよ」
「パパ、このカブトムシどこにいるの?」
「パパ、このカブトムシ欲しい!」
図鑑を見るたび、隼のおねだりが始まる。最近ではこれらのカブトムシも日本で手に入ることは知っていた。多少値段は張るものの、手の届かないものではない。だが、隼はまだ幼稚園児だ。買い与えるにはまだ早い気がする。
「あれは、外国のカブトムシで日本にはいないんだよ」
「日本にはいないの?」
「ああそうだよ。パパも子供の頃、こういうの捕まえたいと思っていたよ。でも、外国だから行けなかったんだよ」
「うん、そうか・・・」
隼の顔に落胆の色が見える。今すぐにでも欲しい、と思っているのが手に取るようにわかる。がっかりして引き下がる隼を後ろからながめ、ふと自分が隼に言った言葉を繰り返してみる。自分はもう大人だ。外国でカブトムシを探し当てるくらいの知力、体力、財力、はついたはずだ。子供の頃の夢がよみがえる。
「ひょっとして」
だが、時間がない。海外でカブトムシを捕ろうとしたら、そういうツアーがあるならまだしも、個人旅行でしか行けないだろう。カブトムシの捕れるポイントは首都から離れ、交通の便が悪い場所にあるはずだ。日本から移動することを考えると、片道だけでも二、三日かかるだろう。一週間の旅行なら、せいぜい現地滞在は一、二日だろう。一〇日の旅行なら、三、四日は滞在できるか。よっぽど確かな情報が無い限り、そんな短期間でカブトムシを捕ることはムリだろう。だいいち、そんな情報などどこにも無い。
「やっぱり、だめかー」
この夢は再び忘れてしまった。

赴任辞令

その年の秋、いつものように仕事をしていると前触れも無く突然部長から呼ばれた。
「何か失敗しでかしたかな・・・」
恐る恐る部長の前の席に座ると、部長は使い走りでも頼むように軽く言った。
「おお茅波、メキシコに行ってもらいたい。メキシコでプロジェクトをやる。任期は三年。赴任は来年の四月一日付け」
「メキシコ!?」
なぜメキシコ?なぜ私に?
私は研究開発の仕事をしている。研究開発と言っても、新技術や基準化などの研究的な部分から、実際の商品化を行うプロジェクト開発まで幅広い。研究開発は日本の本社が一手に担っている。一方、プロジェクト開発は生産拠点や市場に近い場所に置かれるというのが、会社の方針だ。私はどちらかというと研究の仕事を長くやってきた。嫌いな仕事ではなかったが、どうしても技術や知識が人に付いてしまうため、一度そういう仕事を担当すると仕事が固定化して他の仕事に移りにくくなる。過去に何度か海外に行きたいと言ってみたのだが、代わりがいないので抜けられない。そのため、まったく相手にされず今日まで来た。最近ではすっかりあきらめて、海外に行きたいなどと口にしてはいなかったのだが、なぜ突然?
部長は背景や仕事の中身などを説明している。それはそれでちゃんとした理由があるようなのだが、なぜ私にという疑問の説明ではない。うわの空で聞いていると、
「何か質問ある?」
三年は長い。家族三人で仲良く暮らしている今の生活を崩したくなかった。何より隼の成長を近くで見たかった。
「あのー、家族を連れて行って良いでしょうか?」
部長は、もちろんと答え、
「他に質問が無いなら、明日までに行くか行かないか決めてきてくれ」
と締めくくった。
明日までとは、これもまた急な話だ。
「家族と相談して明日回答します」
そう答えて部長の席を離れた。

しばらくボーとしていたが、気を取り直して妻の携帯に電話した。部長から言われたことをかいつまんで話すと、妻は沈んだ声で答えた。
「メキシコなの・・・」
妻はもちろんメキシコという国を知っているが、現実に住むなどとは想像できないのだろう。
「治安が悪いって聞くし、わたし生活していける自信ないわ・・・」
「とにかく話をしよう。今日は早く帰るから」
と告げて電話を切った。

机に戻って仕事をしようとするが、「明日までに決めないといけない」と考えると仕事が手に付かない。部下にこのあとの仕事の段取りを伝えると、「今日は野暮用があるから」と言って早く帰った。
家に帰ると早々、「もう少し詳しく話しを聞かせて」と菜穂子が言う。もう一度順を追って事の次第を説明した。実際、固定してしまった今の仕事に飽き気味だったし、どこでもいいから海外で仕事して見たいと思っていた。「仕事の都合だから」とか、「チャンスだから」と説得を試みた。
「わたし、やっぱり生活が不安だわ。治安が悪いみたいだし、教育の環境もわからないし、隼を育てていく自身が無いわ・・・。でも、単身赴任だと隼がかわいそうね。隼はパパっ子だし・・・。どうしたらいいのかしら・・・」
菜穂子の心配はもっともだった。言われてみれば、確かに何も知らない。特に、隼は来年小学校に入学する。
「とにかく調べよう」
隼を早めに寝かせ、インターネットでメキシコに関するサイトを調べる。大使館を始め、日本メキシコ協会や、日本人学校のホームページ、ブログ。いろいろなホームページがある。
まず人口は一億ちょっと。日本と同じくらいだ。面積は日本の五倍。公用語はスペイン語。人種は、スペイン系一割、先住民系一割、残りの八割はスペイン系と先住民系の混血。首都はメキシコシティー。世界的に有名なリゾート地カンクンがある。
もし赴任するとなると、住まいはメキシコシティーになるだろう。日本人学校はメキシコシティーにあるようだから通えそうだ。
生活は?実際の生活となると、政府系のホームページより個人の情報の方が良いだろう。現地に住む日本人のブログを見る。アパートは広そうだが、水回りのトラブルが多そうだ。日本食は食べられそうだがちょっと高そうだ。治安は?強盗やひったくりに注意した方が良さそうだが、ブログを見る限りはあまり危機感が感じられない。
深夜になるまで調べ、メキシコの生活について作り上げたイメージはこうだ。
教育については日本と同じ教育が受けられる。住まいについては水周りのトラブルは多いものの、それを除くと日本より広くて快適。食生活については、日本の食材が手に入るが、種類が少なく高いので多少の不便はある。治安については確かにあまり良くないが、危険な場所に近付かないなど、気をつけていればそれほど神経質になる必要はない。
「これだったら大丈夫じゃないか?」
「でも、この情報だけじゃ不安だわ・・・」
菜穂子はまだ不安が払拭できない。無理も無い。ヨーロッパやアメリカなら行ったこともあるし情報もある。だが、メキシコとなると行ったことも無いし、サボテンとソンブレロ(ツバが大きいメキシコ帽子)ぐらいしか思い浮かばない。
「いつまでも迷っていてもしょうがない。それに、メキシコ絶対面白いよ」
確かに、新しい何かが始まる予感がしていた。自分自身、不安もあったが、それよりも期待のほうが大きかった。
「とにかく明日は、『メキシコに行きます』って部長に言うよ」
菜穂子はしばらく考えていたが、
「うん、わかった・・・。そうよね、きっといいことあるわよね。隼もパパと離れるなんて考えられないしね、家族みんなで暮らしましょうよ」
と、少し吹っ切れたように、そして少しためらい混じりに言った。、菜穂子の不安が完全に払拭できたわけではないことは、ときどき見せるどこかうつむき加減の視線から窺い知れた。そうして、深夜の会議は終わった。

ベッドに横になったがなかなか寝付けない。
菜穂子は、ああは言ってくれたものの、本当に家族全員が安全に暮らせるだろうか。生活の不便さは我慢できたとしても、もし家族の身に何かあったら悔やんでも悔やみきれない。それは全部、決断した自分の責任だ。だが、何かを変えなければ新しい世界は開かない。今がそのチャンスだ。単身赴任するという手もある。だが、隼を三年間も父親なしで育てたくないし、自分も隼と一緒にいて成長を見守りたい。それに、海外での体験は隼の人生にとっても、かけがえのないものになるに違いない。

昨夜は寝付きが悪かったうえに眠りが浅かった。ベッドから起き上がってコーヒーを飲んでも、頭がボーっとしている。やはりどこか吹っ切れない思いが交錯する。そのうちに隼も起きてきた。隼の顔をぼんやりと眺めていると、隼がカブトムシ好きなことを思い出した。やがてある思いが込み上げて来た。一生の宝物になるような体験をさせてやろう。絶対に後悔させない。と同時に、自分が子供時代に思い描いたカブトムシ捕りの夢がよみがえってきた。隼と一緒にカブトムシ捕りができたらどんなに良いだろう。自分でも予期しなかった言葉が思わす口を突いて出た。まったくの思いつきだったかも知れない。
「そうだ隼、メキシコへ行ってカブトムシを捕ろう!」
「パパ、ホント?」
自分で言ってしまった言葉に一瞬戸惑ったが、隼の目がきらきらと輝いているのを見て後には引けなかった。
「うん、メキシコにはゾウカブトっていう、ものすごく大きいのがいるんだ」
「ゾウカブト知ってるよ。ワーイ!ワーイ!約束だよ」
隼は事情もわからずただはしゃいでいる。
「うん、約束だ」
「隼、メキシコへ行きたいか?」
「うん、メキシコ行きたい!」
隼が事情を理解してメキシコに行きたいと言っているわけではないことはわかっている。そんなことを幼稚園児がわかるわけがない。でも、自分の決断が、隼にも何かすばらしいことをもたらすであろうと信じたかった。
カブトムシを捕れるという確証があるわけではないが、そのときはただ行けばなんとかなるだろうと漠然と思っていた。

赴任準備

年が明けると正式な内示も出て、いよいよ赴任準備が本格的になってきた。赴任まであと三ヶ月を切っている。菜穂子の要望は四月に家族全員で入学式を迎えること、会社の要求は四月一日にメキシコで新年度発足式に出席すること、だった。通常は夫が四月にひとりで赴任し、生活を整えたうえで家族を五月連休や夏休みに呼び寄せる。だが、そうすると隼の小学校入学式を家族で迎えられない。考えた挙句、三月末に家族三人でメキシコへ赴任することにした。これなら、現地の日本人学校で家族そろって入学式をすることができる。赴任経験者や上司からは無謀だと言われたが、結果としてうまくいった。

たたでさえ年度末は仕事のまとめで忙しいのに、赴任研修や語学研修を受けなければならない。現地に持って行くものは、手荷物、航空便、船便の第一便、第二便に分ける。残していくものは家にそのまま置くもの、貸し倉庫に預けるものを仕分ける。現地に持っていくものはそれぞれの便に枠がある。そのため、無駄が無いように綿密な計画が必要だ。
生活の荷物を整理しつつ、昆虫採集の準備を始める。
メキシコでの昆虫採集はどういうものだろう。まったく想像が付かない。森に入って木を蹴っ飛ばすか、街灯の下を探すぐらいしかやったことがない。隼の持っている昆虫図鑑を見ると、白いスクリーンを張って蛍光灯の光でおびき寄せる方法があるらしい。この方法をライトトラップというらしい。テレビでも見たことがある。これだ。白い布とロープくらい、現地でも手に入るだろう。メキシコの森は、森とは呼ばずジャングルだろう。ジャングルの中でスクリーンを張るのは難しいだろうし、だいいちジャングルに入ること自体危険だ。そうすると、スクリーンを張る場所は広い場所になるが、ロープを結ぶ木がない。何か棒のようなものを二本立て、そこにロープを渡して白い布をかければ良い。だが、どうやって?物干し台のような重いものを持っていくわけにもいかない。キャンプで使うタープはポール二本とロープと布だけで屋根を作る。ロープはペグと呼ばれる大きな釘のようなもので地面に打ち付ける。そうだ、タープと同じ構造にすれば二本のポールの間にロープを張れる。横に張ったロープに白い布を掛ければスクリーンになる。キャンプだったら学生時代から何度もやっているから設置にも困らない。何より、装備を非常にコンパクトにできる。
スクリーンの前に照明をぶら下げなければならない。これもスクリーンと同じ構造でロープを張り、そこに引っ掛ければよいだろう。
アルミの折りたたみ式ポールを四本、ペグ二〇本を買い求める。
ところで、照明はどうしよう。蛍光灯が良いらしいが、蛍光灯を使うためには電源がいる。発電機を持っていこうか。携帯型なら安くて軽いものがないだろうか?インターネットで調べるが、一〇万円以上するし重さも一〇キログラム以上と重い。それに、日本とメキシコでは電圧が違う。日本の発電機を持っていくなら日本の蛍光灯も持っていかなければならない。これではかさ張って赴任の荷物に収まらない。重装備過ぎて現地で身軽に動けないのではないだろうか。発電機と蛍光灯はメキシコに行ってから考えることにしよう。
ところで、ガソリンランタンはどうだろうか?ガソリンランタンは文字通りガソリンを燃料とするランプだ。いちばん下にカップ麺の容器を引っくり返したような形のタンクがあり、その上に筒型のガラスカバー、そしてその上に傘がついている。ガラスカバーの中には熱すると光る特殊な灰の袋がある。これをバーナーで熱することにより強い光を出す。
カブトムシを呼び寄せることができるかわからないが、少なくともキャンプでは虫が集まってきた記憶がある。多少かさばるが、発電機よりはましだろう。電気のないジャングルで強い光を長時間持続するにはこれしかない。
念のため、ガソリンバーナーも持っていこう。ガソリンバーナーはガソリンランタンと同じ形のタンクを使っているが、タンクの上がコンロのように鍋ややかんを置けるような五徳になっている(ガソリンバーナーは正式にはガソリンストーブと呼ぶのだが、暖を取るストーブと混同しやすいので、ここではバーナーと呼ぶことにする)。強い火力を長時間持続できることが魅力だ。ガソリンランタンもガソリンバーナーも、燃料がどこでも安く手に入るので予備の燃料を持ち歩く必要がない。無くなったらそのつどガソリンスタンドで買い足せば良いので、荷物を軽くできる。

キャンプ用のイス、アーミーナイフなど役に立ちそうなものも併せて持っていく。アーミーナイフは以前ヨーロッパに行ったときに記念品として自分用に買ったお気に入りだ。日本で使っているテントは家族用で大きいので止めておく。
他に何か必要なものが無いだろうか?図鑑を見ていると、カブトムシは必ずしも低地に住んでいるわけではなく、標高一〇〇〇メートルとか二〇〇〇メートルに住んでいる種類もあるらしい。標高が重要な鍵になるかも知れない。そうだ、高度計も持っていこう。ところで、高度計なんてどこに売っているのだろ?そもそもそんなものが市販されているのだろうか?使う人がいるとしたら登山ぐらいだろう。案の定、登山用品店に行くと、携帯の高度計が置いてあった。パッと見はコンパスのような丸い形だが、コンパスより少し大きくて厚い。値段は四千円ほどするが、カブトムシの生息地を調べる重要なツールであることを考えると安いものだ。
カブトムシを捕まえた後は虫かごが必要になるだろう。虫かごくらい現地にもあるだろう。もうすでに船便の荷物は制限ぎりぎりなので、厳選して選ばなければならない。
カブトムシが死んでしまったら標本にしよう。海外の、しかも自然のカブトムシの標本なんてめったに手に入るものじゃない。日本に持ち帰れるかどうかわからないが、取りあえず標本の道具だけは持っていこう。だが、標本なんて今まで作ったことがない。私自身、虫は好きだったが、単に好きだっただけであまりアカデミックな方向に進んでは行かなかった。
標本作りって、何か特殊な薬品だとか道具が必要なのだろうか?本を読んだり、インターネットで調べていくうちにだんだんわかってきた。カブトムシが死んだら関節が柔らかいうちに形を整え、虫ピンで固定する。乾いたら昆虫針と呼ばれる標本用の針を背中から刺す。ナフタリンと一緒に標本箱に入れる。意外と簡単そうだ。
とにかく、その昆虫針と標本箱とやらを買いに行こうじゃないか。標本グッズについては、志賀昆虫普及社というのが老舗のようだ。何でも、創業者の志賀夘助さんという方は日本の昆虫学に大変貢献されたということで、標本界では全員知っているという権威あるお店らしい。
渋谷駅から坂を上っていくと、ほどなく志賀昆虫という看板が見えた。思ったより小さなお店で、三、四人が入ると店の中が窮屈に感じられるだろう。外から覗くと漢方薬局を思わせる古めかしい雰囲気で、素人が入っていくには多少気が引ける。ちなみに、その後このお店は品川区に移転したとのことだ。
思い切って中に入ると、ピンセットや試験管が目に入る。さすがにプロの道具は質感が違う。ところで、昆虫針と標本箱はどれを買えばいいのだろうか。店員さんに特大のカブトムシを捕まえる予定だと言い、アドバイスをお願いすると、私のような素人にも親切に教えてくれた。昆虫針は、どれも同じ長さで特大のカブトムシといえども同じ長さのものを使う。ただし太さはいろいろあって、細いものほど高くなる。特大カブトムシでも標準的な太さか、それよりも一ランク太いもので十分と言うことなのでその二種類を買い求めた。
標本箱も、特大のカブトムシ用に特に深いものがあるわけではない。みんな同じ深さだ。ドイツ式というのが黒い枠で最も高級。見た目にも重厚感がある。桐の箱がその次で、白木の枠だ。ダンボールのものが廉価版で、小学校の夏休みの宿題ならこれだろう。お店の人によると、ダンボールのものはカブトムシが箱の深さよりも高いときは蓋を浮かせた状態で使えるし、実際にお店の標本もそうしているとのこと。ドイツ式、桐を一つずつ、ダンボールを数個買い求めた。
ひと通り必要なものはそろっただろうか。ほとんど最後は寝る時間も無く、荷物がまとまったのは船便の荷出し前日の深夜だった。

スペイン語研修

赴任まであと一ヶ月半と迫った二月の中旬、スペイン語研修が始まった。五日間の集中研修だが、年度末の仕事の整理で多忙を極めるなか、五日間を研修に使うのは正直きつい。だが、スペイン語圏であるメキシコでは日常生活の中で英語がほとんど通じないとのことだ。買い物、移動、電気・ガス・水道の修理など、生活に関することにはすべてスペイン語が必要になってくる。どうにか仕事の都合をつけて研修を受けたのだが、結果的にこのスペイン語研修が後のカブトムシ捕りに大きく役立つことになる。
研修は渋谷にある語学学校で行われた。雑居ビルのなかにいくつか教室があり、生徒の人数に応じていろいろな大きさの教室を使い分けているようだった。指定された部屋に入ると中央に会議机があり、その回りに数脚の事務椅子が置かれていた。壁にはホワイトボードがひとつ置かれているだけの飾り気の無い、教室というより会議室と言ったほうが似合う小さな部屋だった。
教室にはすでにもう一人の“生徒”がいた。口ひげをたたえ物腰の柔らかそうな紳士だ。話をすると同じ会社のひとで、私と同じ四月にメキシコに赴任するとのことだった。名前を東さんというが、部署も仕事もまったく違うために今まで面識がなかったのだ。我々は、先生がスペイン人だろうか、メキシコ人だろうかと話しながら時間をつぶしていると、事務と思しき若い女性が入ってきた。事務員は、我々の名前を確認し、研修の説明を始めた。生徒は私と東さんの二人だけだった。事務員は研修の説明を終わると、
「では、研修を始めましょうか?テキストブックを開いてください」
と言って授業を始めた。驚いたことに事務員と思っていたその女性は、実は先生であった。私は(恐らく東さんも)勝手に、先生が外人かもしくは日本人だとしても年齢の行った人物を想像していたのだ。その想像と比べると先生は若すぎる。大学を卒業したばかりか、それに近い年齢に見える。先生の名前は藤川さんと言い、小柄で色白の美人だ。藤川先生は、見た目の華奢さとは反対に、朝から晩までパワフルに授業をこなした。途中短い休憩が入るが、時間が来るときっちりと授業を再開する。おかげで私も東さんも、一日の授業が終わるとどっと疲労した。
私と東さんは渋谷界隈に詳しくないためいつも昼食をどうしようか迷った。藤川先生はそうした様子を察して、あそこの定食はおいしいそうですよ、とか、ここのランチが評判良いそうですよ、などとアドバイスしてくれた。我々は、言われた通りに近所の定食屋に行ったり、通りがかりに目に入った適当な居酒屋のランチに行ったりした。私と東さんは、藤川先生を誘っていいものかどうか迷ったが、おじさんたちが若い女性にランチに誘うのも迷惑そうな気がしたし、藤川先生もお弁当を持ってきているようで外に食べに行く気配はなかった。
昼食から帰ると、我々は今日の定食はおいしかったとか、昨日より良かったとか、昼食をネタにたわいもない話をした。私と東さんは、「藤川先生は食べたことありますか?」などと話題を振るのだが、藤川先生は「あの・・・、『先生』っていうの、何か居心地が悪いんですけど・・・」と苦笑いした。

休憩時間に私は、息子とメキシコでカブトムシを捕る約束をした話をした。東さんのお子さんは女の子なので興味がないとのことだったが、藤川先生は
「いい話ですね、捕れるといいですね。きっと捕れますよ。そんな気がします」
と言ってくれた。
ただ、藤川先生も学生時代に友達になったメキシコ人留学生に連れられて、メキシコには行ったことがあるものの、当然と言えば当然なのだがメキシコのカブトムシについては何も知らないとのことだった。藤川先生の励ましは根拠がなかったが、メキシコ経験者に言われるとなんとなく勇気付けられた。

こうして五日間の研修が終わる頃には、サバイバルできるくらいのスペイン語はひと通り身につけることができた。自分のことながら、人間、集中すると思わぬ力を発揮するものだと思った。習ったスペイン語は忘れないよう通勤途上で繰り返し勉強した。

メキシコ到着

シートベルト着用の案内が機内に流れ、飛行機が次第に高度を下げる。
ふと眼下を見ると、モザイク画のように見える無数の建物群。毛細血管のように走る道路、流れたり停滞したりするおびただしい数の車。赤いテールランプが血管を流れる血液のように見える。道路の両脇はオレンジ色の街灯が並び、街路樹が街灯に照らし出されている。日はすでに山の向こうに沈み、都市は夕闇に包まれているが、空はまだ赤み掛かった紫色の雲が筋となっている。
飛行機は都市の上空で九〇度方向を変え、都市を横切りながら着陸体勢を整えていく。モザイクのように見えた家々が、次第にはっきり見えてくる。壁を黄色や青やオレンジのペンキで塗られた三階建てぐらいのカラフルな建物群だ。こんな場所に滑走路があるのだろうか?もしかして住宅街に突っ込んでしまうのではないかと不安を抱くほど、近くに建物が見える。
やがて景色は滑走路に変わり、ちょっとした着陸のショックとともに左手の窓からは横長の空港ビルが見える。メキシコシティー国際空港だ。メキシコに到着したのだ。
メキシコシティーは都市圏の人口二〇〇〇万とも言われ、世界でも最も大きな都市のひとつだ。メキシコシティー国際空港は都市の東側に位置するが、日本で言えば東京二十三区内にあるようなものだ。

空港内の両替所で持ってきたドルをペソに替え、入国審査を無事に終え、手荷物を受け取る。手荷物と言っても大型のスーツケースとダンボールで一〇個ほどある。カートに荷物を載せて税関に向かう。税関では、荷物をエックス線検査に通す。荷物をチェックインするときにエックス線検査をすることがあるが、それと同じ装置だ。今までいろいろな国に行ったが、税関で荷物をエックス線に通すなんて初めてだ。
「妙に厳重だな・・・」
何かいやな予感がする。荷物には衣類や最低限必要な調理道具のほかに、即席みそしるやカップラーメン、日本人スタッフへのお土産に持ってきたしば漬けや真空パックの「いかめし」が入っている。
エックス線検査が終わると、また荷物をカートに載せ、最後に赤いボタンを押さなければならない。緑のランプが点灯するとそのまま通過してよし、赤だと荷物検査だ。
「ここで落ち着きがないと狙われかも知れない」
びくびくしながらも外見は平静を装い、ボタンを押す。緑のランプが点灯した。
ゲートを出ようとすると後ろから呼び止める声がする。警官のような制服を着ている。どうも税関の職員のようだ。何やらそわそわした様子で話しかけてくる。普通、税関の職員といえば落ち着き払って、お前たちの心を見透かしているんだぞ、と言わんばかりに威圧的に見えるものだが、この職員は様子が違う。浅黒い色をした東洋的な顔立ちに深いしわがあり、小柄な上に痩せこけていて少し猫背だ。制服を着ていなかったら、貧しい農村で見かけそうな風体だ。その動作はせわしく落ち着かないうえに、目があちこち泳いでいる。
「スペイン語、話せるか?」
と職員が聞く。
「ちょっとだけ」
と答える。赴任前にスペイン語研修を受けたものの、やはりスペイン語でのやり取りは分が悪い。ここは英語でのやり取りに持ち込みたい。
「英語話しますか?」
「ノー」
自信無さげに見えたその職員は、今度は事務的に言い放った。
職員はたくさんある荷物の中からスーツケースをひとつ選ぶと、これを開けろという。衣類が入ったスーツケースだ。職員は二、三枚めくると、次のスーツケースを開けろという。まずい。そのスーツケースには食品が入っている。
観念して開けると、職員は即席味噌汁の袋を見つけ、「これは何だ」と聞く。これは簡単だ。スープと答えれば良い。袋にも味噌汁の絵が描いてある。
「スープです」
「オーケー」
どうやらパスしたようだ。次に職員はカップラーメンを見つけた。
「これは何だ?」
カップラーメンはスペイン語でなんと言うんだろう。これは難しい。スープぐらいしか思いつかない
「スープです」
「オーケー」
これもパスしたようだ。
最後に職員はいかめしの真空パックに目をつけた。透明のビニールがイカにピッタリと密着している。日本人でもそれだけ見せられたらすぐに何かわからないかも知れない。
これは最高に難しい。スペイン語にいかめしという単語は無いだろうし、イカでさえどういうか知らない。せっかく日本から持ってきたいかめしだが、万事休すか。知っている限りのスペイン語を考えたが、魚だったら知っている。イカだったら魚みたいなものだろう。一か八かで言ってみよう。
「魚です」
職員は怪訝な顔つきでいかめしをひっくりかえしたり天井のライトにかざしたりしながら見ていたが、やがて、
「オーケー」
と見逃してくれた。

税関を抜けると曇りガラスの自動ドアがある。カートを押しながら近づくとドアが開く。いきなり、幾重にも重なった無数の人の顔が目に飛び込んでくる。自動扉の前のロビーには柵のようにバーが設けられ、それより内側には入って来られないようになっているが、バーを押し倒さんばかりに大人も子供も、男性も女性も押し寄せ、皆浅黒い顔をして、無数の目が無言でこちらを見ている。にわかに緊張が走る。誰もが皆、自分たちを狙っているように見える。
赴任前、いちばん危ないのは空港だと何度も聞かされていた。到着間際で勝手がわからないところを狙うのだそうだ。特に金持ちと思われている日本人は狙われやすいのだそうだ。手口はこうだ。両替所で大金を両替している旅行客に目を付ける。タクシーに乗ったところを後から車で付け、タクシーが信号などで止まったところでピストルを突きつけて金を奪うということだ。だから、空港の到着ゲートを出たら絶対に両替してはいけないと言われている。
こんな話を聞かされているから、見る人すべてが怪しく見えてしまう。もちろん、プロはすぐそれとわかるような格好はしていないだろうが。
無数の目にさらされ、不安に圧倒されて立ちすくんでいると、黒山の人だかりの中から、手を上げて呼び掛ける者がいる。現地駐在員が迎えにきてくれていたのだ。
「茅波さんですか?現地駐在員の館林です。」
「はい、茅波です。こちらは妻と子供の隼です。よろしくお願いします。」
「ようこそメキシコへ。お聞きになられているかも知れませんが、空港がいちばん危ない。すぐにここを離れましょう」
ゲートの周りには何人ものポーターが手押し車を持って、ある者は暇そうに、ある者は多くの荷物を持ってゲートから出てくる客に期待のまなざしを向けて待機している。舘林さんは近くにいるポーターになにやらスペイン語で指示をすると、二人のポーターがダンボール箱を手際よく手押し車に載せる。残りのスーツケースを私が両手に持ち、館林さんがひとつを、そして妻が隼の手をしっかりと握る。
「タクシー乗り場はあちらです」
そういうと館林さんは足早に歩き出した。大理石が敷き詰められた構内は、スーツケースを引くのには問題ないが、人ごみの中をはぐれないようについていくのには難儀する。左右には空港のショップが並び、旅行客なのか、お迎えなのか、はたまた強盗なのか、通路は車が通れるほどの広さではあるが、人で向こうが見えない。前を行く舘林さんを見失わないように、幼い隼の手を引く妻が遅れやしないかと心配しつつ、荷物を預けているポーターがとんずらしやしないかと目を配りながら、長い構内を無言で歩く。舘林さんは危ないと言われる空港を早く出たいのか、依然として早足で歩いていく。緊張していたせいか、だいぶ長い間歩いた気がした。やがて、左右のショップが無くなり、そのかわり車寄せが現れた。白地に太い黄色のラインが入ったタクシーが並んでいる。黄色のラインには飛行機のマークが描かれており、空港タクシーであることが一目で分かる。
「ここで待っていてください。」
舘林さんはそういうとすぐ先にあるタクシーのチケット売り場に行ってしまった。車寄せの向こう屋外だがすでに日が落ちて暗くなっている。夕暮れの最後に残った光のため、雲がほのかに明るく見える。ほどなく舘林さんが帰ってきた。バンタイプの大型タクシーを指差して、「あれです」という。タクシーの方に歩いていくとポーターも付いてくる。
「ポーターにチップを払ってください。」
言われるままにポーターにチップを払い、大型タクシーに乗り込む。荷室に一〇個の荷物を置いて、二列目のシートに舘林さん、三列目のシートに我々家族が座る。三列目といってもふかふかのソファーのように広々としていて、家族三人ゆったりと座れる。
両替は到着ゲートを出る前だったから見られていないはずだ。空港から無事離れることができた。やっと一息ついて緊張感から少し開放された気がする。外はすっかり暗くなっている。
空港の連絡道路に並ぶ大型の看板がライトで浮かび上がっている。そんな看板をぼんやりと眺めていると、タクシーはいきなり本線をそれて細いわき道に入り込んだ。薄汚れた建物、道路の両脇に止められたボロボロの車、裸電球を掲げた屋台に薄汚れた服を着て酒を飲む男たちがたむろしている。治安が良い場所でないことは誰が見ても明らかだ。
緊張が走る。まさか、強盗タクシーに乗ってしまったのではないだろうか。タクシーがグルだという話は、赴任前によく聞かされていた。客を人通りの無い場所に連れて行き、そこに申し合わせたように強盗が現れ、タクシーの運転手は逃げるのだとか。メキシコの強盗は良心的で、金さえ払えばめったに命を取らないらしい。それを良心的と言うのかと思うが、強盗に会わないに越したことはない。
不安に襲われ、舘林さんを後ろから覗くが動じている風はない。恐る恐る聞いてみる。
「あのー、ここってもしかして危ない場所じゃないんですか・・・?」
「あー、ここね。ここは抜け道なんだ。本線が込んでいるとこっちを通ることがよくある。びっくりした?」
アハハハと明るく笑う館林さん。
「ボクもね、初めてここを通ったときはついに来たか、と思ったよ」
空港のタクシーは安全で、強盗や誘拐にあうことなない。メキシコシティーでよく見かけるフォルクスワーゲン・ビートルのタクシーには絶対乗ってはいけない。メキシコ人でさえ強盗にあう。フォルクスワーゲン・ビートルは、かわいらしい丸いスタイルがカブトムシを連想させるため、カブトムシという愛称で呼ばれている。日本ではもうほとんど走っていないが、メキシコでは今でも多くが現役で活躍している。
ホテルへの道すがら、メキシコでの生活についていろいろ舘林さんに聞いてみた。治安については、夜に出歩かないとか、危ない場所に近付かないとか、ルールを守っていればそれほど神経質になる必要はないとのことだ。
夜のメキシコシティーをタクシーはホテルへと走る。薄暗い商店の明かりや近代的なビルの明かり、公園の木々を照らす明かり、メキシコシティーはさまざまな光に照らし出されながらその断片を見せるが、陽気なメキシコのイメージとはうらはらに、得体の知れない気味悪さだけが映し出されているような気がした。

ホテルニッコーはメキシコシティーのいちばんの繁華街、ポランコ地区にある高層ホテルだ。ホテルニッコーに着き、チェックインをするとすぐに日本人スタッフで食事をしようということになった。
部屋には手荷物を置いただけですぐにロビーに下りる。一〇個の荷物は後から部屋に運んでくれるとのことだ。ホテルニッコーには弁慶という日本食レストランがある。近くに日本人が多く住んでいるため、単身赴任者などは日本食を求めてよく集まるのだという。舘林さんが携帯電話で連絡を取ると、ほどなく数名の日本人スタッフが集まった。
弁慶ではにぎり寿司を食べた。食べ収めとばかりに赴任前の日本で食べた魚に、メキシコの寿司は当然かなうわけはないが、異国の地で食べる日本食はやはり日本人の心を落ち着ける力があった。日本人スタッフのメキシコ生活の喜怒哀楽を聞きながら、いつしか緊張感はほぐれていった。
部屋に帰り、初めて目の前に広がる夜景に気付く。眼下に、オレンジ色の光の点が水面に浮かぶように、彼方まで無数に続いている。その光の底で、屋台の裸電球にたむろする男たちや薄暗い商店で働く人たちを思うと、光よりも暗さがより深く、濃く見えてくる。
こうしてメキシコでの第一日目が終わった。

生活立ち上げ

目が覚めると暗い部屋の中に、遮光カーテンのわずかな隙間から光が漏れている。菜穂子と隼はまだ寝ている。ひとり起き上がってカーテンを開けると、一瞬強い光に目がくらむ。
昨夜のおどろおどろしさとは打って変わり、ヨーロッパ風の建物、整備された公園、緑鮮やかな木々、近代的な建物が目に飛び込んでくる。ここだけ見ると、まるでヨーロッパだ。緑が多いことが意外だった。サボテンも砂漠もどこにも無い。後からわかったことだが、サボテンや砂漠はアメリカ人が思うメキシコのイメージで、それが映画などで伝えられたためにさもそれが典型的なメキシコであるかのように多くの人たちが誤解している。日本がゲイシャ、サムライ、ハラキリと思われているのと同じことだ。
本当のメキシコの文化の中心は、メキシコシティーを中心とする標高二〇〇〇メートル前後の高地に古くから発展したコロニアルシティーだ。サボテンや砂漠はアメリカのとの国境沿いにあり、この場所はメキシコでも僻地の部類に属する。メキシコの低地は熱帯であり、害虫や、虫を介した伝染病のリスクが高い。そうしたリスクを避けるため、高地に住むようになったのだという。実際メキシコシティーに住んでみて、一年の気候は春と秋が繰り返し来るようなものであり、非常に快適だった。冷房も暖房も使わなかった。ゴキブリも蚊もいなかった。
菜穂子と隼を起こす。準備と長旅の疲れで菜穂子はなかなか起き上がれないでいるが、ゆっくり起きればよい。今日は土曜日だ。やがて菜穂子は、ベッドから体を起こした。
「そう言えば、メキシコの朝食っておいしいらしいの」
菜穂子は赴任前に研究したメキシカンの朝食を思い出したようだ。私と菜穂子は隼を起こし、いそいそと支度をするとホテルのレストランに出かけた。メキシカンの朝食はデサジュノと呼ばれ、朝食にしては豪華すぎる料理を、時間をかけていただく。メキシコの観光ガイドブックには、南国の果物やフレッシュージュース、肉や野菜を使った炒め物、サルサと呼ばれるフレッシュソースをかけた目玉焼きなど、興味をそそるメニューが写真付きで紹介されている。ちなみにサルサとは、ソースをスペイン語で読んだものだが我々の考えるソースとは違い、新鮮な野菜から作られる

朝食を終え、部屋に戻ると部屋の電話が鳴った。出てみると日本人だった。
「もしもし、茅波さんですか?須田です」
須田さんは同じ会社の現地駐在員のひとりだ。私と同じ小学生のお子さんがいるということで、赴任前から電子メールで現地の教育事情を教えてもらっていたが、声を聞くのは初めてだ。
「ようこそメキシコへ。メキシコの生活をご案内します。まず、携帯電話を買いに行きましょう」
須田さんは落ち着いた口調で、我々のメキシコ生活立ち上げに協力してくれると言う。
「すみません、休みの日なのにわざわざ私たちのために・・・」
「いえいえ、私も前任者から同じようにしてもらっていますから。ここでは日本人同士、助け合って生きていくのが当然ですよ」
須田さんの休日をつぶしてしまうのは申し訳なかったが、右も左もわからない状況では頼るより仕方が無い。
「お願いします」
と言うと、
「十二時に迎えに行きますから、ロビーで待っていてください」
須田さんはそう言って電話を切った。

須田さんの家は、メキシコシティーの中央やや南寄り、デルバジェ地区にあった。この付近は治安もよく、徒歩圏内に日本食商店やスーパーマーケットがあるため日本人が多く住む地域だそうだ。片側六車線の大通りに面した十二階建てのアパートの八階が須田さんの部屋だ。車を駐車場に止め、アパートのロビーに行くとガードマンがいる。ガードマンはスペイン語でポルテロと言うそうだ。ポルテロはガラスのドア越しに須田さんを見るとにっこりとほほ笑み、
「こんにちは!」
と言ってドアを開けてくれた。ドアが閉じると自動的に鍵がかかるようになっている。たまに見回りか何かでポルテロがいないときがある。そんなときは自分で鍵を開けなければいけないが、基本的に二十四時間ポルテロがいて顔パスで開けてくれる。
「日本人は皆、このようにポルテロが二十四時間いるようなセキュリティーがしっかりしたアパートに住んでいるんですよ」
須田さんの説明を聞きながら、こちらがエレベータですと開いたドアを見ると、なんとエレベータの床がロビーの床より十センチメートルも低いではないか。
「須田さん、このエレベータ故障してませんか・・・?」
「ああこれね、ひどいときは二十センチメートルぐらいありますよ。メキシコのエレベータは段差が無いほうが珍しいですよ。私も最初びっくりしましたが今では慣れました。一応大丈夫のようですよ、今まで落ちたことありませんから」
須田さんは明るく笑うが、ガクンというショックとともに動き出すエレベータに生きた心地がしない。エレベータは再びガクンというショックとともに八階で止まる。今度はエレベータの床が五センチメートルほど高い。エレベータを降りると小さなホールになっていて、日本の倍の面積はあろうかと思われる二枚のドアが向かい合っている。ひとつはお隣様だそうだ。ドアはぶ厚い無垢の木で出きていて、鍵が三つついている。
「鍵は三つ付けた方がいいですよ。日本人は大抵そうしています。アパートのオーナーに言えば付けてくれますよ」
須田さんはそういいながら部屋に通してくれた。メキシコ人は部屋の中でも土足で生活するために玄関と室内に段差は無いが、日本人はやはり靴を脱いで生活したい。ドアを入って一メートルぐらいのところに仕切りを設け、そこで靴を脱ぐようにしているのだと言う。
須田さんの家は、奥さんと、中学生の男の子、小学生の女の子の四人家族だ。ここで、日本人学校での生活や、アパートについてのレクチャーを受けた。一通りレクチャーが終わると、須田さんが
「さて」
と切り出した。
「携帯電話を買いに行きましょう。メキシコに住む日本人に携帯電話は命綱です。何はともあれ携帯電話です。ここでは日本人同士助け合っていかなければなりませんからね」
隼を須田さんの家に残し、私と菜穂子が須田さんに連れられて携帯電話ショップに向かうことになった。アパートを出ると目の前が六車線一方通行の大通りだが、道路の脇には人が三、四人横に並んで歩ける広さの歩道がある。歩道の脇には街路樹が植えられている。名前は分からないが日本と同じような広葉樹だ。サボテンなどは一本も見当たらない。
「こちらです」
と須田さんは大通りに沿って歩道を歩き出した。須田さんについて歩き出すが、コンクリートの継ぎ目や段差が多く、妙に歩きにくい。コンクリートの路面が陥没して傾いている。工事のたびにいい加減な補修で間に合わせているのだろうか、継ぎ目が凸凹している。歩道に面しておもちゃ屋や本屋など、小さな商店が並んでいる。歩道の一角に新聞や雑誌を売るスタンドがあり、日本と同じようにキオスクと呼ぶのだそうだ。タコスを売る小さな屋台もある。目を奪われながら歩いていると、前を行く須田さんが人の群れの中に消えそうになる。すれ違う人の目が我々を監視するかのように刺さってくる。よそ者としての居心地の悪さが全身を駆け巡る。
まっすぐにしか歩いていないはずだが、ここで逸れると道がわからなくなってしまうのではないかという不安にかられる。やがて歩道は、もうひとつの大通りと交差する。交差の角はちょっとした広場になっている。
「ここがインスルヘンテス大通りです。メキシコシティーを南北に通る最も重要な道路です」
言われてみれば大きな通りだ。全六車線に加え、中央にメトロブスと呼ばれ路上を走る電車のようなバスの路線がある。
「広場の向こうがデパートです。デパートの向こうにモールがあって、そこにいろいろな店が入っているのですが、携帯電話ショップもそこにあります」
解説をしながら歩く須田さんにやや遅れつつ、しばらく歩いていくとモールについた。やっつけ仕事で作ったような歩道とは違い、モールの中に入ると白を基調とした内装が小奇麗である。が、どこか安っぽく、日本のスーパーを思い出させる。東西に細長い三階建てのフロアーに洋服や靴を売る専門店が立ち並ぶ。おもちゃ屋にはニンテンドーが置かれている。中央のエスカレーターを三階まで上がると、フロアーの片隅にカウンターだけの小さなショップがあり、陳列ケースに携帯電話が数種類並んでいる。
どんな機能があるのか、表示はスペイン語なのか、値段はどうなのか、次から次へと疑問が沸いてきて、どうしたものかと考えあぐねていると、須田さんが私の戸惑いを察してか、笑いながら教えてくれた。
「いちばん安いモデルで十分です。日本語使えないからどうせメールしませんし、機能もほとんど使いません」
須田さんがカウンターにいる若い店員に何やら話しかけると、店員は近くの棚から箱を持ってきて中から携帯を取り出した。須田さんは、「これじゃない、もっと安いのを持ってこい」、というようなことを店員に話すと、今度は後ろの棚の奥のほうから箱を取り出してきた。
開いて見ると、表示は小さな白黒液晶画面だけ、その代わりにアンテナが付いている。今どきこんなモデルは誰も持っていない。いくらメキシコとは言え、これは明らかに時代遅れだということが見て取れた。
「値段は四〇〇ペソです。これがいちばん安そうですね。」
一ペソはおよそ一〇円と聞いていたので、ペソを一〇倍すると円になる。四〇〇ペソは四〇〇〇円くらいだ。四〇〇〇円とは生きた化石のような携帯の割には高い気がするが、これが相場ということであればそうするしかない。
「わかりました、これでお願いします」
と答えると、須田さんは店員に「これを二つください」と伝えた。店員は何かいじりながら設定らしきことをしていたが、間もなくこれでOKと言うように携帯を差し出した。
「あとはお金を払っておしまいです。日本のように書類を書いたりする必要はありません。電話代の支払いはカードでするんですよ。カードと言ってもクレジットカードではありません。紙のカードです。カードの裏側に銀色の部分があるのですが、そこをコインで削ると番号が出てきます。それを携帯に入力すると使えるようになるんですよ。カードはいろいろなところで売っています。車に乗って信号待ちしていると、車に売りにくることもあります。ここでカードも買っておきましょう。カードは一〇〇ペソ、二〇〇ペソ、五〇〇ペソの三種類です」
私は、五〇〇ペソのカードを買うと、次にどのようにしたら良いかと須田さんに尋ねた。
「銀色の部分をコインで擦ってください。番号が現れます。その番号を携帯に入力してみてください。」
言われるように入力し、携帯に耳を当てると五〇〇ペソ入金された旨が女性の声で流れた。
うまくいったようですね。須田さんはにっこり笑って、食事でもして行きませんかという。須田さんの奥さんが和食を作ってくれていた。我々家族は恐縮しながら一緒に頂くことにした。
メキシコシティーの真ん中で、日本人家族が暮らしていて、和食を食べているこの空間が、一瞬日本にいるのではないかと錯覚しそうだった。
「午後二時ぐらいに不動産屋が来ます。日本人ですから安心してください」
須田さんが不動産屋を手配していてくれていたのだ。海外赴任となれば住む場所くらいは会社が用意してくれそうなものだ。それも国によりけりのようで、ことメキシコに関しては自分で探さなければならない。面倒だが、考えようによっては好きなように自分の住む場所を決めることができるので都合が良い。
「ちなみに、アパートを選ぶ参考に我が家を案内します」
と言って部屋を案内してくれた。
リビングには、テーブルとソファーが置いてあった。日本のものに比べ倍ぐらい大きいものだが、それらを置いてもリビング内の家具と家具の間には十分なスペースがあり、余裕が感じられた。須田さんのお子さんそれぞれに部屋があり、日本から持ってきたという学習机が置いてあった。やはり部屋が広いため、ポツンと置かれている感じだった。三LDK+四畳半ぐらいのお手伝いさんの部屋、トイレとシャワーが各三つ、広さは全部で一六〇平米ぐらいというのが、日本人が住む平均的なアパートだということだ。
それから、大家との交渉のコツを教えてくれた。風呂が好きだったらバスタブを付けたほうが良い。湯沸かし器は新しい方が良い。家具は自分でそろえるのは大変だから家具付きにした方が良い。それらは全部大家との交渉次第だとのことだ。

そうこうしているうちに不動産屋から、アパートに到着したと連絡が入った。我々は須田さん家族にお礼を言って須田家を後にした。アパートの下に行くと不動産屋が中型のセダンを道路に横付けに止めて待っていた。
「茅波さんですね?鈴木です、よろしくお願いします」
中肉中背でスーツを着た誠実そうな感じがする青年だったが、なぜメキシコで不動産屋をやっているのか不思議だった。聞けば、不動産屋以外にも車のディーラーなど手広くやっていて、若い頃メキシコに渡ってきたがそのままいついてしまったようだった。だが、あまり詳しく話したがらなかったので触れずにいることにした。
数件の物件を見たがどれも気に入ったものは見つからなかった。治安が良いこと、ポルテロが二十四時間いること、三階以上であること、日本人学校のスクールバスのルートに入っていること、日本食が近くで手に入ること、これらが最低限必要な条件であり、広いメキシコシティーの中でもこれだけの条件を満たす場所はそうは多くない。
三日ほどアパート探しをしたが気に入った物件はなく、そのうちにホテル暮らしに飽きてきた。ちょうどそのころ、須田さんから「同じアパートに空きがあるが、興味があれば大家さんを紹介します」、と連絡が入った。同じアパートで須田さんの入る部屋のすぐ下の七階、家具付きの物件だった。バスタブがなかったので付けてもらうようにお願いすると、もちろんOK、と快諾してくれた。そう、日本人は毎月家賃を払ってくれるしきれいに使ってくれる、それに礼儀正しくお金持ちとのイメージがあるらしい。実際に家賃の設定でも、メキシコ人相手に比べて一、二割は上乗せしているのではないだろうか。それでも会社から支給される住居費用には十分収まるため、実害はない。アパート選びにうんざりして考えるのも面倒になってきたところだったので、さっさとその場で決めてしまった。とはいっても、なかなかの立地だ。スーパーと日本人の小児科医が目と鼻の先にあり、スクールバスも目の前に止まる。日本食の商店も車で五分の場所にある。他の日本人家族も近くに住んでいるのでいざというとき頼りになる。
結局は、みんな自然に同じような場所にかたまって住むということなのだ。住んでみるとここはなかなかの立地だ。日本食以外の食材は一区画隔てたアメリカ系スーパーで調達することができる。たまねぎ、レタス、キャベツなど定番の野菜、豚肉、牛肉、鶏肉の肉類、果物類、乳製品、日本食以外であれば何でも手に入る。ただし、野菜には寄生虫がいるらしく、消毒薬もセットで売っていた。また、野菜には農薬が、肉には成長促進剤が残留していることがまれにあり、ときに重症化するとの怖い話も聞いた。
アパートに入った直後、まだ車も無く日本食スーパーにも行けなかったとき、三日間マクドナルドでハンバーガーを買って胃袋を満たした。四日目、ついにハンバーガーに耐えかね、ウォルマートを探ってみるとなんとサルサ・デ・ソヤ、日本語に訳すと大豆ソース、つまりしょう油を発見した。それはキッコーと書かれたビンに入っており、紛れも無く我が日本のキッコーマンであった。それには狂喜した。私は料理を趣味にしている。日本にいたときから週末は大抵家族のために料理を作っているが、実のところ自分がおいしく飲みたいために、自分の好きな酒の肴を作っているのだ。
さっそく、キッコーと砂糖と牛肉とジャガイモとたまねぎを買って、適当に煮付けたところ、適当な肉ジャガが出来上がった。しょう油は、日本のそれとは違った味だったが、まったく違うものでもなかった。だが、メキシコで調達した食材で作った日本食第一号は、やっと生活の第一歩を実感させるものとなった。

リセオ

四月に入ると間もなく日本人学校の入学式が行われた。正式な名前は日本メキシコ学院、スペイン語ではリセオ・メヒカノ・ハポネスといい、メキシコでは通称リセオと呼ばれているらしい。リセオはメキシコシティーの南側に位置し、広大な敷地に日本コースとメキシココースが併設されている。日本人学校と現地校が併設される珍しい学校だ。日本コースは小学部と中学部があり、全部で百二十~百三十人の児童生徒が通う。我々親子三人は、須田さんの車に乗せてもらってリセオに到着した。正面入り口に行くと鉄格子の扉があり、警備員が何かチェックをしている。我々が事前に学校側に提出した名前と、我々の身分証明書が一致するか確認しているのだ。それが済むと、手荷物の検査をして問題無ければ扉を開けてくれ、中に入ることができる。一人ひとりチェックするために、扉の前はちょっとした行列になっている。
扉を抜けると広い敷地内に校舎や体育施設などが点在している。広場の前の音楽ホールのような建物が入学式の会場である講堂だ。中に入ると本当に音楽ホールの造りになっていて、音楽会や学校の式典など多目的に使われているとのことだった。入学式が終わると、一年生全員の親子は講堂の横にあるブーゲンビリアで埋まった壁の前に集まるように言われた。一年生は全部で二十六人だった。全員で記念写真を撮ったあと、それぞれの親子がブーゲンビリアの壁の前で、交代に記念写真を撮った。親子三人で小学校の入学式を迎えるという目標は達成できた。

ペットショップ

四月に入って最初の週末は、隼と一緒にペットショップを見に行くことにした。車が無いので歩いて行ける場所にしか行けないからだ。だが、もしかしたらカブトムシを置いてないだろうか、と淡い期待を持ったのが本心だ。カブトムシが置いてなくても何がしかヒントが得られるかも知れない。先日須田さんにショッピングモールへ連れて行ってもらったとき、ペットショップを見かけた。そのときは素通りしたが、いちど時間をかけてゆっくり見てみたかった。
隼は、ペットショップに行こうという私の提案に大喜びした。
「でも、カブトムシがいるかどうかわからないよ」
私が言うと隼はがっかりしたように少しうつむいたが、カブトムシがつねに手に入るものではないことをこれまでの経験で知っている。隼はすぐに納得した。
メキシコのペットショップは日本のそれとほぼ同様で、犬猫、熱帯魚、爬虫類系および関連グッズがそろっている。しかし、昆虫のペットは置いていなかった。その代わり、タランチュラ、青いサソリ、餌用のコオロギが置いてあった。おそらく、昆虫をペットにするという発想がそもそもないようだ。隼は初めて見るタランチュラと青いサソリを気味悪がった。
日本亀と書いてある・・・
ちなみに日本でおなじみのミドリガメも売っていた。ミドリガメはミシシッピアカミミガメというのが正式な名前で、ミシシッピと名前についている通りアメリカのカメだ。日本では外来種として生態系に影響を及ぼしている。このミドリガメの水槽を見ていると、スペイン語の名前がついている。トルトゥーガ・ハポネサ。トルトゥーガはカメ、ハポネサは日本という意味だ。なんだ!?日本亀というのがミシシッピアカミミガメのメキシコでの名前なのだ。メキシコとアメリカは同じ北アメリカ大陸なのだから、アメリカガメとでも名付けるのが道理だが、どこでどう入れ違ったのか、メキシコとは不思議な国である。
ペットショップの店員にカブトムシの写真を見せて、知っているか聞いてみたが、ちんぷんかんぷんだった。結局カブトムシも、そのヒントも得られなかったが、メキシコの珍しいペットには満足して帰った。

仕事始め

生活の立ち上げと平行して仕事の立ち上げも始まった。
私が赴任したところは、日本の会社の現地法人だ。メキシコシティーに本社があり、私が実際に働く場所である開発センターはメキシコシティーの隣のトルーカにある。四月一日にトルーカで新年度の開始式があり、新任の赴任者はこれには何があっても出席するように言い渡されていた。私は須田さんの車に同乗することになっている。朝六時半にアパートのロビーに降りていくと、外はまだ朝というよりは夜に近いほど暗かった。通りを歩く人影がわずかにわかる程度だ。程なく須田さんが現れ、私は須田さんの車の助手席に乗り込んだ。
トルーカはメキシコシティーの隣と言っても、渋滞のメキシコシティーを抜け、標高三〇三五メートルの標識がある峠を越え、片道一時間半かかる。日本人赴任者は、アパートから仕事場まで車で通勤することになっている。だが、すぐに車を運転できるわけではない。会社の規定で、次のような運転訓練プログラムが決められている。最初の一週間は近隣の日本人赴任者の車に同乗し、メキシコの交通状況、特にメキシコ人の運転マナーのひどさを理解する。次の一週間で行き帰りの道順を完全に理解する。その後、運転試験が実施され会社から車を貸与される。
「二週間後にトルーカで車を受け取りますが、とにかく、最初に車を引き渡されたときが最大の関門です。会社の人に先導してもらって会社から家まで帰るのですが、少しでも車間を空けたらすぐに車が割り込んできます。一台入れたら最後、次々と車が割り込んできて前の車を見失います。メキシコシティーの道路は複雑怪奇で、曲がるところを間違えたら一巻の終わりです。カーナビなんてありませんし、地図を見ても無数の地名から自分の位置を探し出すのはほぼ不可能です。すべて一方通行ですから来た道を引き返すこともできません。まさに恐怖です。私が初めて車で帰ったときは、先導車との距離をぶつかりそうなくらい詰めて付いていきました。もう必死です」
須田さんはメキシコシティーの交通事情の悪さを説明してくれた。
「ほら、前の車を見てください。左にウインカーを出しているでしょう?」
見ると、片側二車線の道路の左車線を薄汚れた旧式のセダンが走っている。メキシコは右側通行だから左車線は中央よりの車線だ。だが、道路の中央はフェンスで隔てられているため左に曲がることができない。確かに、言われて見ればさっきからずっとウインカーを出したままだ。
「これって、ただ忘れているだけなんですよ。メキシコ人はウインカーの消し忘れを恥ずかしいと思わないんです。それから、ウインカーを使うこと自体も、交通ルールと言うよりは思いつきや自己主張のためなんです。だから、車線変更のときもほとんどウインカーを出したり出さなかったりします。どうしても入れて欲しいときなんかは出したりしますが」
前のセダンはそのあと、左にウインカーを出したまま右に車線変更していった。
「メキシコシティーには片側六車線の道路があります。普通、右に曲がりたいときは右側の車線を走るでしょう?でもメキシコ人は違うんです。左側の車線からいきなり右に曲がったりします。でもぶつからないんです。曲がるほうも直進するほうも巧みに避けてしまうんです」
須田さんは、ある日突然道路に穴が開いている話や、高速道路を人や車が横切る話や、車線変更のときに急に寄ってきてぶつかると見せかけ、こちらがひるんだ隙に割り込む手口があるという話など、つきることなく話してくれた。
トルーカへは朝の八時に着いた。周囲を見渡すと、工業地帯のところどころに畑が点在している。そこから察すると、昔農地だった場所が徐々に工業化されているであろうことがうかがえる。事務所は鉄筋コンクリート三階建てで前面がガラス張り、骨格である鉄筋をデザイン的に外部に露出させた、小洒落た概観だった。須田さんに案内されて中に入ると、一階の中庭に面した窓際に私の机が用意してあった。日本にいた頃の机四つ分ほどの大きさであった。私よりポジションがひとつ上がると個室が与えられるとのことだった。
須田さんは私を机まで案内すると別のフロアーにある自分の部署に戻っていった。代わりに、私の到着を感じ取ってか、一人の日本人がやってきた。一年前から赴任していたという作田さんだ。作田さんは初対面にもかかわらず気さくに話しかけてきて、仕事や生活の話をしてくれた。作田さんによれば、昨今のプロジェクト拡大にともない、この一年で急激に部下が増え、作田さんが今まで面倒を見てきたチームを半分に分割し、一方は作田さんが引き続き担当し、他方を私が担当するとのことだ。
そうこうしているうちに九時になり、新年度式のために講堂へ移動するように促された。作田さんとともに講堂に入ると既に多くの従業員が新年度式の開会を待っていた。従業員の数はざっと二〇〇人ぐらいだが、今後二倍程度に増えるだろうとのことだ。式は三十分で終わり、自分の机に戻ると一人のメキシコ人がやってきた。小太りで浅黒く顔には常に笑みを浮かべている。髪の毛はパンチパーマのように短くちりぢりだが、ごま塩のように白髪が混じっている。
「カヤナミさんですね?次長のオクタビオです。私があなたの上司になります。今日はまず、あなたの部下を紹介します。それから午後は銀行口座を開設しに行きましょう」
スペイン語なまりの英語だが、一語一語がはっきりしているために聞き取りやすい。オクタビオさんは仕事の概要を説明したり、現在事務所の置かれている状況などを話した。オクタビオさんは私と作田さんの共通の上司であり、オクタビオさんの上司が舘林さんであることがなんとなくわかった。私は日本での仕事の経験や、家族と一緒にメキシコに来たことなどを話した。一時間ほど雑談したところで、オクタビオさんは「カマチョ!」と誰かを呼んだ。
「はい、オクタビオさん」
すかさず近くに座っていた筋肉質で精悍な顔つきをした男が立ち上がった。この男は名前をカマチョというらしい。
「新しく赴任されたマネージャーのカヤナミさんだ。メンバーの紹介をしてくれ」
オクタビオさんはカマチョに指示すると、
「カヤナミさん、主任のカマチョです。仕事でわからないことがあったら彼に聞いてください。午後また来ます」
と言い残して自分の席に戻っていった。
「カヤナミさん、メンバーの紹介をします」
カマチョはオクタビオさんと同じようにスペイン語なまりだが流暢な英語でそう言い、自分を含めて六人のメンバーを中央の会議テーブルに集めた。カマチョはじめ、メンバーが順繰りに自己紹介を行う。聞くと、カマチョこそ入社して十五年のベテランだが、その他はすべて新人で、長くて一年、短い者だと三ヶ月の在籍期間しかなかった。誰もが流暢な英語を話し、他の企業での就業経験があった。会社の採用基準がそうなっているので当然と言えば当然なのだが、日本企業はメキシコ国内でエリート企業として通っており、結果として一流大学出身者が集まっていた。メキシコ人部下たちは、日本からやってきた新しい上司を前にして、多少緊張しながらも持ち前の陽気さで、ちょっとしたジョークをまじえて話をしてくれた。私も、共に成長でき、いい仕事ができるよう願っていると新天地での期待を述べ、自己紹介タイムを終えた。
その後は、パソコンの設定やメールアドレスの開設など事務作業に終始した。時計を見るとそろそろ十二時近だ。長年の習慣のためか、不思議なもので十二時を指した時計の針を見ると反射的に空腹感を感じる。部下と連れ立って食堂に行こうと思い回りを伺うが、誰も動く気配が無い。そのうちに行くのだろうと思って待ってみたが、一二時半になっても誰も食堂に行かない。一時を回っても誰一人席を立つものはいない。みんな黙々と仕事をしている。一時半になっても状況は変わらなかった。
「もしかしてメキシコ人は昼食を取らないのだろうか?」
私の関心はもはや空腹ではなくなり、メキシコ人が昼食を取るか取らないかに変わっていた。日本人の誰かに聞いてみようと思ってみたが、あいにく同じフロアーに日本人はいない。出歩こうにも初めての建物内でどこに誰がいるかもわからない。カマチョに聞いてみようと思ったが、これまた仕事に集中している様子で、たかが昼食ごときで声をかけづらい雰囲気をかもし出していた。
二時近くになってもやはりメキシコ人が昼食を取る気配はなかった。明らかに変だ。メキシコ人はともかく、日本人はどうしているのだろう?昼食を取らないなど日本の食習慣ではありえない。好奇心が頂点に達した二時過ぎ、作田さんが現れた。
「茅波さん、昼飯食べに行きましょうか?」
「メキシコでは昼食は二時からなんですか!?」
私は思わず作田さんに質問した。声が上ずっていた。
作田さんによれば、メキシコの昼食は二時から三時であり、一日のうちもっともメインとなる食事だそうだ。その代わり夕食は軽食にとどめるらしい。
食堂に行くと、すでにトレーを持って給仕を待つ行列ができていた。メニューは、スープ、野菜、肉か魚のメインディッシュ、米かパスタ、デザートからなる定食で、これらが日替わりで出てくるとのことだ。料理を取り終えると作田さんに連れられてテーブルにつく。テーブルの上にはメキシコらしくトルティージャが置かれている。しばらくすると七、八名の日本人スタッフが同じテーブルに集まってきた。日本人同士固まらず、メキシコ人スタッフと食事をした方がよいのではと思ったが、別の理由があるらしい。遠くメキシコの地で働くことはともすれば心細く、孤独になりやすい。一日のうちほとんどの時間はメキシコ人スタッフと過ごすため、食事の時間ぐらいは日本人同士で話をして、ストレスを解消しようということだ。メキシコ人もそれをよくわきまえていて、快く受け入れてくれていた。今日は私を含め新しい赴任者の初出社日ということで日本人スタッフが集まったそうだ。実際、いつも日本人同士固まっているわけではなく、あるときはメキシコ人の輪の中に入ったりして、両者の間を行き来するのが常だそうだ。
ところで、食堂の食事はお世辞にもおいしいとは言えなかった。ホテルで食べたメキシコ料理はおいしかったが、同じメキシコ料理とは思えない。メキシコ人にはおいしく感じられるのだろうか?食事を終えて席に戻るとカマチョにこのことを聞いてみた。
「はっきり言ってまずいです」
カマチョは開口一番そう言った。
「誰もおいしいなんて思っていません。でも、九ペソと格安だから仕方ないですね」
と続けた。
昼食に対しては会社から助成金を出さなければならないため、材料費をケチっているのでは?というのがカマチョの見解だった。
作田さんによると、週に一回木曜日だけは日本食が出るとのことだった。前日までにチケットを買わねばならず、値段も二十五ペソと定食の三倍近く高い。
午後になるとオクタビオさんがやってきて、予定通り銀行口座の開設に向かった。オクタビオさんの車に乗って事務所から一〇分くらい走ると、周りの風景が工業地帯から商業地帯に変わっていった。店舗の並ぶ一角に白くて四角な、地味だが小奇麗な、いかにも銀行らしい建物があった。だが、日本のそれと違うのは玄関の脇に自動小銃を持った二人のガードマンがいることだ。ここで、冗談でもへんな真似をするとあの銃で撃たれてしまうのだろうか?オクタビオさんは私の心配をよそに、ガードマンの脇を抜けて銀行に入っていく。私も恐る恐る後に続く。銀行に入ると窓口はすべて防弾ガラスで仕切られている。また、銀行員と客の間で書類を受け渡しするときは、両者が直接接触できないような仕組みになっている。
オクタビオさんに言われるままにパスポートを出したり、いくつかの書類にサインをしたりすると、口座が開設されたらしく、ATMのカードと小切手の束を渡された。小切手を見るのは初めてだが、メキシコでは公共料金やアパートの支払いは小切手でするのが普通だとのことだ。
口座開設が終わるとこの日の仕事は終了し、須田さんの仕事が終わるのを待って帰宅した。

運転免許

翌日は赴任に伴う諸手続きのため、メキシコシティーにある本社へ出勤するよう言われていた。須田さんはトルーカへ出勤するため、本社へは私一人で行かなければならない。問題は、タクシーで行かなければならないことだ。メキシコでは流しのタクシーには絶対乗ってはいけないと、赴任前から耳にたこができるほど聞いている。後からメキシコ人に聞いたことだが、失業対策のために誰でも簡単にタクシー免許を与えるため、チンピラやマフィアなどがタクシーの運転手になるケースが少なくないという。そういう連中が客を誘拐して、仲間の待つ場所まで連れて行き、集団で身包みを剥ぐのだそうだ。タクシーに乗るときは信頼できるタクシー会社に電話をして来てもらうか、決められたタクシー乗り場に行くしかない。私は、須田さんの奥様がよく使うタクシー会社の電話番号を教えてもらっていた。メキシコに来て初めてスペイン語を実践で使う。ちゃんと通じるか少し不安であるが、チャレンジする好奇心のほうが勝った。
電話をかけると、やや低いだみ声の男が出て、愛想無く
「タクシーか?」
という。タクシーの予約電話に掛けているのだからタクシーに決まっている。
「一台お願いします」
続いて住所と名前、電話番号を伝えると、だみ声は
「一〇分くらいで行く」
と答えた。
意外にも、スペイン語の会話は思っていたよりも簡単にできた。相手の言っていることもわかるし、私が言ったことも相手に通じているらしかった。スペイン語研修できっちり勉強したし、毎日の通勤でスペイン語会話のCDを聞いていたのもよかったのだろう。
一〇分ほどしてロビーまで降りていくと、ポルテロが
「おはようございます、カヤナミさん。タクシーが待ってますよ」
と声をかけてきた。
見ると、アパートの前に白い車が止まっている。側面にタクシー会社のロゴと電話番号が書いてある。運転席から愛想のよいおじさんが出てきて「こちらだ」と言うように合図をする。運転手は私がロビーに降りてくる前にポルテロと話をして、このアパートで間違いないことを確認していたのだろう。タクシーは日産のツル(鶴)だった。一九九〇年代前半、日本で走っていた日産サニーが名前を変えて、メキシコでは今もこうして現役で走っている。以前はフォルクスワーゲン・ビートルがタクシーの主流だったが、何年も前に生産を中止している。そのため、ビートルのタクシーは徐々に数を減らし、変わって日産ツルがメキシコのタクシーの主流となっているとのことだ。
タクシーの後席に乗り込み、紙に書いた本社の住所を見せると、「はい」と言って車を発進させた。運転手は私に愛想よく話しかけてきて、日本車は高性能だとおだてたり、通りの名前を教えてくれたりした。
運転手は、インスルヘンテスに面するショッピングセンターの前で車を止めた。通りを挟んだ向かい側が紙に書いてある住所だと言う。三〇ペソを運転手に渡して車を降りると、回りはオフィスとショップが混在したような通りだった。通りの向かい側にガラス張りのビルディングがあり、最上階のあたりに会社のロゴが見えたのでそれとわかった。ビルに入ると広々としたロビーがあり、可愛らしい女性二人が受付をしている。人事担当者の名前を言ってパスポートを提示すると、受付の女性が臨時IDカードを発行してくれ、人事のオフィスは八階だと告げられた。エレベータで八階まで上がると既に他の赴任者も到着していた。
「あちらの会議室でお待ちください」
声のほうに顔を向けると、三十歳前後の落ち着いた感じの日本人女性がオフィスの隅の方を指差している。私を含め三人の赴任者は促されるままに会議室に入った。しばらく待って九時になると、先ほどの女性が会議室に入ってきた。
女性は、「人事の高橋です。このたびはメキシコへの着任、お疲れ様でした」と挨拶をして、自己紹介を始めた。聞けば、高橋さんはメキシコ人と結婚していてかなり長いことメキシコに住んでいるらしい。スペイン語が堪能なことを買われ、現地スタッフとして採用されたとのことだ。日本人がメキシコで働くとなると、保険や年金など、メキシコの法律に沿った複雑な手続きが必要になる。こんなとき、高橋さんのような人がいると助かる。
高橋さんは次から次へと我々に書類を手渡し、我々は言われるままにサインをした。それが終わると、治安の話や、アパートの選び方、日本食の入手方法など、メキシコの生活についてレクチャーがはじまった。どれも赴任前や赴任後も須田さんに聞いた話だが、人事から説明を受けるとそれなりに説得力がある。特にアパートを選ぶときは三階以上にするようあらためて念を押された。私以外の赴任者はまだアパートを決めていなかった。
さて、レクチャーが終わると運転免許を取りに行くとのことだ。私を含め三人の赴任者は高橋さんが運転する乗用車に乗り、免許交付所に向かった。やがて、車はスーパーの駐車場に入った。
「そうか、免許交付所には駐車場がないのだな」
と想像した。
高橋さんは車を止め、我々に後について来るよう促した。やがて、高橋さんは駐車場の隅にあるプレハブ物置のような小さな建物に入っていった。駐車場の支払いでもするのだろうか?だとしたら我々が続いて建物に入る意味は無い。どうしたらよいかわからずもじもじしていると、高橋さんが入り口で手招きする。おずおずと入ると、そこには小さなカウンターがあり、制服を着た女性がカウンターの向こうに立っていた。いぶかしがっている我々の様子に気が付いたのか、高橋さんは「ここが免許交付所です」と言った。免許交付所の“ロビー”は四人も入ると身動きが取れなかった。ロビーの横に暗幕で仕切られた小部屋があり、撮影用のスクリーンとカメラが置いてあった。建物はそれがすべてだった。高橋さんは我々からパスポート、ビザ、それと三〇〇ペソの免許交付料を受け取ると、制服の女性に渡した。高橋さんは言いにくそうに、さらに我々に一人一〇〇ペソずつ出すように言った。
「先ほどの三〇〇ペソは赴任時の必要経費として会社から支払われますが、申し訳ないんですけどこの一〇〇ペソは個人で支払ってもらうことになります。そのー・・・、手続きをスムーズに行うためのメキシコの慣例というか・・・」
ストレートに言うと袖の下、つまり賄賂だ。我々赴任者は「わかってますよ」と目で答え、高橋さんに渡した。高橋さんは制服の女性に袖の下の三〇〇ペソを渡すと、その女性は少し表情を強張らせながらそそくさと三〇〇ペソをカウンターの下に隠した。ひとりずつ撮影所に呼ばれ写真を撮ると、我々は“プレハブ物置”の外に出て次のステップを待った。きっと、何か試験のようなものがあると思っていたからだ。駐車場で待つ間、大きな木に咲く薄紫色の花を見ていた。木の枝ぶりといい、葉がなく花だけをつける咲き方といい、花の色が薄紫であることを除くと桜のようだ。少しひんやりとして乾いた空気に、メキシコの強い日差しを浴びて鮮やかに見える。日本では桜が咲いているか、散り始めている頃だろうか。二〇分ほど待っていると、高橋さんから声が掛かった。免許が出来上がったという。我々は結局何の試験も無く、制服の女性から事務的に運転免許を受け取った。高橋さんによると、本当はスペイン語で試験をする必要があるのだが、先ほどの一〇〇ペソのおかげで試験なしで済むとのことだ。メキシコでは運転免許は取得するものではなく、買うものだと知ってカルチャーショックを受けた。ちなみにこの免許の有効期限は「永久」と書かれていて、南北アメリカ大陸のどの国でも死ぬまで使える。

通勤開始

須田さんと一緒に通勤を始めて一週間経った頃、ようやくメキシコ人の運転や道路事情がどんなものかわかってきた。つぎの一週間は道順の暗記だ。アパート近くの本屋さんでロードマップを買い、須田さんに行き帰りの道順を蛍光ペンで塗ってもらう。面倒なのは、ほとんどの道路が一方通行のため、行きと帰りで道順が違うことだ。まず、地図上で道順と道路名をすべて覚える。次に通勤途上、須田さんから目印になる看板や建物、車線変更のタイミングなど、事細かにレクチャーを受ける。特に最大の難所は、市内を東西に抜ける片道三車線の大通りに左から合流し、数百メートルの間に車線変更を二回行って右端の車線に入り、右に分岐するポイントだ。
「この分岐に間に合わないとそのまま道路をまっすぐ走っていって、自分がどこにいるかわからなくなってしまいます。何があっても絶対にここで右端の車線に入ってください」
須田さんはこのポイントに来ると、毎回決まって念を押した。そのポイントは、あるときは高速道路のようにぶっ飛ばした車が流れ、あるときは激しく渋滞している。だが、どちらの場合でも、いかに先に自分の車の鼻先を相手の車の前にねじ込むか、至るところでギリギリの勝負が繰り広げられていた。須田さんは私に説明をしながらも、盛んに後ろを見たり横を見たりして、このポイントに来ると明らかに緊張していることが感じ取れた。こうして須田さんの献身的なレクチャーにより、一週間が過ぎる頃にはどうにか道順と要領を覚えることができた。
その週の最終日、車を運転してよいかどうかを見極めるために、実技試験が行われた。実技試験と言っても会社の回りを一時間ほど走るだけだ。これに合格すると車の運転許可が降りると同時に、車の支給がある。車は数種類のうちから自由に選んでよいことになっている。私はその中で唯一選べるSUVである日産エクストレイルを迷わず選択した。カブトムシを捕るためにジャングルを走れる車が欲しかったのだ。
会社はトルーカの街外れにあり、周囲には商店や民家などもあるが基本は工場や畑が広がる田舎だ。上司である舘林さんが試験官として助手席に乗り込む。記念すべきメキシコでの最初の車運転だ。
「じゃ、エンジン回してください」
舘林さんに言われたようにエンジンを始動すると、シフトレバーをドライブレンジに入れる。ゆっくりと車が動きだす。会社の敷地を数十メートル走ると門があり、そこから先は一般道だ。
「門を出たら一時停止して、右に曲がってください」
舘林さんは至って冷静に指示をだすが、それもそのはず会社の周辺は田舎なので車が少なく、交通事情も平穏だ。
「じゃ、高速道路を走ってみようか」
舘林さんに言われるように高速道路に入り、左右に空を覆うほどに育った並木を見ながら走っていると、なんともまったりとしたドライブに思えてくる。
「実はこんなところ走ってもぜんぜん試験にならないんだけど、会社の決まりだから形だけでも一応試験やっとかないとね。本当の試練は今日車を受け取ったあと、アパートまでの帰り道だろうね。無事にアパートまで帰れれば合格。俺が初めて車を受け取ったときは、自分の持てる最大の運転テクニックを駆使して先導車との車間を二〇センチメートルに保って絶対に割り込まれないようにしたよ。それでどうにかアパートまでたどり着いたけど、生きた心地がしなかったよ」
舘林さんの経験談を聞きながら、一時間ほど田舎のドライブをすると車は会社に戻ってきた。
「合格。この車、今日から使ってください。今日の帰りは須田さんが先導すると思うけど、須田さんに言って明るいうちに帰ってください。暗くなると道に迷ったときに不安になるんで」
私は舘林さんから車を受け取るとその足で須田さんの机まで行った。
「須田さん、今日は明るいうちに帰れますか?」
「今日はいよいよ車の持ち帰りですね。五時ぐらいには上がりましょう」
須田さんは現在進行中のプロジェクトを抱えているので忙しいはずだが、赴任者の初めての車の持ち帰りというビッグイベントに快く応じてくれた。いや、もしこれで私が道に迷って、夜のメキシコシティーのどこか知らない場所にぽつんと置き去りになるようなことがあったとしたら、それこそ大事になりかねない。遠く治安の悪い異国の地で暮らす日本人同士、ある意味当然の助け合いかも知れない。(そういう私も次の年から当然のこととして新規赴任者に手厚くサポートした)。時計を見るともうすでに午後三時を回っていた。
「ありがとうございます。それでは五時に正面玄関で待っています」
私は須田さんと待ち合わせの約束をすると、自分の机に戻り蛍光ペンで塗られた帰宅ルートをたどりながらひたすらイメージトレーニングした。メキシコシティーの狂気のドライバーと、複雑怪奇な道路と、はぐれたときの危険を思うと不安と緊張を覚えた。部下のカマチョに「今日は車の受け取りなので五時に上がる」と伝えると、カマチョも心得ていて応援してくれた。
「カヤナミさん、仕事の方は心配しないでください。今日が初めての運転ですね。明るいうちに帰ったほうがいいですよ。メキシコシティーを走るときは私だって緊張します」
五時に合わせて正面玄関にいくと、ほどなく須田さんもやってきた。
「それじゃあ、行きましょうか。なるべくゆっくり走りますから車間を空けないで付いてきてください。はぐれたときはそこから動かず、携帯で連絡してください。迎えに行くか、電話で道順を教えますから心配しないで下さい」
須田さんから最終の注意事項を聞くと、二人はそれぞれ車に乗り込んだ。須田さんのセダンがゆっくりと動き出し、私のエクストレイルがそれに続く。会社を出るとすぐに高速道路の側道に入る。メキシコの高速道路はインターチェンジがない。都市と都市をつなぐ高速道路の中間に料金所があるだけだ。高速道路に入るときは側道から合流するか、一般道を走っているとそのまま高速道路になったりすることもある。側道は高速道路のすぐ脇を平行していて、数百メートルから数キロメートルごとに側道と高速道路を行き来する道路が設けられている。ただしこの合流用の道路は加速車線なしにいきなり高速道路に入るため、後方から猛スピードで走ってくるクレージーな車に十分気をつけなければならない。須田さんは合流の手前で車が途切れるのを待って、サッと走行車線に入る。私も間髪いれずに須田さんに続く。高速の合流は三時間ほど前に運転試験で経験しているのでなんなくクリアした。須田さんは速度に緩急を付けず、車線変更も最小限にして運転している。後続する私を気遣ってくれているのが、その走り方から感じ取れる。高速道路を追走するのはまったく問題ない。ただ、メキシコの高速道路は設計が滅茶苦茶だ。標高三〇三五メートルの標識を越え、メキシコシティーへと向かう長いワインディングロードが続く。直線道路がいきなり急カーブになったり、カーブの途中でさらに急カーブが現れたりする(日本の高速道路ではカーブは一定の弧を描くのが常識だ)。その後、この高速道路は毎日の通勤ルートになるわけだが、赴任期間中、一週間に一度ぐらいはカーブの罠にはまって大破したり、コースアウトしている車を見かけた。
須田さんはカーブの罠に気を遣いながら慎重に先導してくれている。やがて高速道路が終わり、自然に一般道に変わる。メキシコシティーに入ったのだ。わき道から次々とポンコツ車や高級車やタクシーやぼろぼろのトラックが合流してくる。三車線の道路はたちまち渋滞に陥る。それらの車が混沌となって、一台でも前に出ようと激しい鍔迫り合いが始まった。車の半分でも車間を空けようものならあっという間に鼻先を突っ込んで割り込んでくる。私は須田さんの車との距離をぶつかる寸前のところまで詰めて必死に割り込みを阻止した。渋滞の列は、少し流れ始めたかと思うとすぐに止まるというような動きを繰り返していたが、私はいかなる割り込みも許さないでいた。そうこうしているうちに、また全体が少し流れ始め、須田さんの車の前に少し間隔が空いた。そこにすかさずタクシーが入り込もうとして、須田さんが驚いてブレーキをかけた。私も急ブレーキをかけて追突を避けた。タクシーは割り込みをあきらめてまたもとの車線に戻り、須田さんも車を発進させたが、私はもう少しで衝突しそうな状況に動揺し、ほんの一瞬だったが須田さんとの間に車一台分の距離を空けてしまった。その瞬間、隣の車線からおんぼろのフォルクスワーゲン・ビートルが私と須田さんの間にそれこそ手品のように入ってしまった。「やられた!」と思ったが遅かった。ビートルの運転手は窓から手を出して、手のひらを上げた。これはメキシコ流のお礼のポーズだそうな。やられてはいけない割り込みを許しはしたが、まだ須田さんの車は二台先にいる。私はこれ以上離されまいとしてビートルを追従した。ところが、ビートルは自分の前に車を割り込ませることには平気のようだった。ビートルが車間を空けるたびに次々と車が割り込んできて、あっという間に須田さんの車は五、六台先に行ってしまった。わずかに車の影が見え隠れしていたが、そのうちに見えなくなってしまった。
ひとつの信号を過ぎると渋滞はなくなっていた。そろそろ右に分岐する道路に入らなければいけないはずだが、目印の看板が見当たらない。似たような分岐路がいくつもあったので、ひょっとするともうすでに通り過ぎてしまったのかも知れない。路肩のない道路なので須田さんも車を止めて待つこともできないだろう。心細さを感じながらも道路を直進すると、見覚えのある看板が遠くに見えてきた、と同時に一瞬須田さんの車が右に曲がるのが見えた。
「よかった」
思わず心の中でつぶやいた。須田さんとはぐれずにすんだのだ。気が付くと手には汗がにじんでいた。
分岐した道路は先ほどと違い、交通量はそれほど多くない。須田さんが道路の脇で車を脇に寄せて私を待っていのがすぐにわかった。須田さんは、私の車が後ろに付けたのを確認すると、またゆっくりと走り出した。
トペの道路標識
次の関門は、三車線を左から合流し数百メートルの間で車線変更を二回行い、右に分岐する道路だ。ビアドクトという名前で、メキシコシティーを東西に横切る幹線道路だ。高速道路のような道路だが、脇に車を停車する幅がない。帰宅ルートのなかでも最高に難しい。いちばん左側の車線に合流すると、三車線の道路は車がびっしりと埋まりながらも全体としては軽快に流れていた。恐れていた最悪のパターンだ。渋滞していればゆっくりでも車線変更できる。車が少なければ速度は速いものの、流れに乗ってしまえば車間が広いため車線変更はそれほど苦ではない。だが、車間が詰まりながら流れているとなると、簡単には車線変更できない。周囲を見回すとどの車も一台分の車間を空けていない。ウインカーを出すが、気付いている気配もない。そもそもメキシコではウインカーが役に立たないと須田さんが言っていたことを思い出した。須田さんは二、三台先を行っていたが、一瞬の隙をついて中央の車線に移動した。中央の車線のほうが私の走っている左側の車線よりもやや流れが速い。私の車は須田さんの車から徐々に離れていった。早く車線変更しないとそのままどこか知らない場所へ行ってしまう。隙をうかがっているとついつい速度が遅くなり、後ろから容赦ないクラクションが鳴る。あわててアクセルを踏み、流れに乗る。そうこうしているうちに、分岐のポイントが近づいてくる。もうダメかとあきらめかけたとき、中央の車線に車一台分のスペースが空いた。すかさずハンドルを切って割り込む。どうやら、後方で無理やり車線変更しようとして接触しそうになる出来事が起こったらしく、車の流れに乱れを生じたのだ。そのため、ところどころに車間が空いたのだ。中央の車線から右側の車線へも、この乱れのおかげでどうにか移動できた。分岐路のすぐ手前だった。
最大の難所を切り抜けた。分岐路を右に抜けると、しばらくいった住宅街の道脇で須田さんが待っていてくれた。須田さんは私の車を後方に見つけると、またそろそろと走り出した。住宅街の道路は、小さな交差点では信号が無い代わりに、日本で言う停止線の位置にトペと呼ばれる突起がある。電信柱を縦に半分に切って横たえたようなイメージだ。どの車もトペがあると人が歩くよりも遅く速度を落として慎重に通過する。そうしないと乗員は衝撃で跳ね飛ばされて天井に頭を打ちつる。最悪車が壊れて走れなくなってしまうこともある。そのため、住宅街を走る車の速度はいたって穏やかだ。いくつかのトペと信号を通過すると、まもなく見覚えのあるアパートの前に着いた。ポルテロが私の顔を確認すると、にっこり笑って駐車場の扉を開けてくれた。あらかじめ指定されていた駐車場に車を止めると、緊張のためにずっと力が入っていたのだろうか、体全体がぐったりと疲れていることに気が付いた。須田さんも、私を無事アパートまで先導できたことでほっとした様子だった。一時間半ほどの運転だったが、メキシコで車を運転することがどれだけ大変なことか、思い知らされた初運転だった。
ただ、この運転も毎日繰り返すうちに次第に慣れてきて、一ヶ月もするとメキシコ人のように自然に運転できるようになってきた。なんというか、メキシコ人のリズムようなものがわかってきて、それに乗ることができてきたのだろう。

メキシコ人に聞いてみた

一ヶ月ほどたち、すでにスタッフたちとも打ち解けて話ができるようになってきていた。休憩の時間を利用して世間話もするようになった。生活や仕事の立ち上げで精一杯だったが、カブトムシのことを考える余裕も出てきた。家族の話が出たついでに、息子はカブトムシが大好きだという話をしたところ、どうもピンと来ていない様子だ。カブトムシというのは卵ぐらいの大きさの体に角が生えた昆虫だ、と説明するがそれでも反応が悪い。
翌日、子供の図鑑を持ってきてゾウカブトの写真を見せながら説明すると、
「こんなの、メキシコにいるの?見たこと無い」
「ここにちゃんとメキシコと書いてある」
写真の下に書いてあるカタカナの「メキシコ」の字を見せながら言う。
数名が集まってきて、それぞれに「へー」とか「フーン」とか言いながら見るのだが、誰一人として知っている者はいないという。
「メキシコ人の子供は、カブトムシとか昆虫に興味ないの?」
「ない」
私は念を押して聞いた。
「ぜんぜん?」
「ぜんぜん」
これは驚きだった。メキシコ人は昆虫にまったく興味がない。
「日本ではカブトムシは子供が熱狂するほど人気のあるペットで、外国のカブトムシが輸入されて数千円で売られている」
と説明すると、主任のカマチョが言う。
「カヤナミさん、メキシコ人に昆虫をペットにするという発想はありません。カブトムシだろうがゴキブリだろうがメキシコ人にとっては同じです。ただの虫です」
これには少なからずカルチャーショックを受けた。
「でも、日本人の子供が昆虫をペットにするのは分からないでもありません」
彼は、以前に日本に行ったことがあるそうだ。彼によると、
「店先で角を持った虫同士が戦う不思議なゲームを見たことがある。とっても変なゲームだった」
それだけ聞いても何のことか分からない。
「どんなゲーム?」
「なんか、ガガガッという感じで・・・」
彼は両手の指で角を形作り、激しくぶつけたり交差させたりして見せた。それを見て思い当たるふしがある。もしかして、それって「ムシキング」のゲームのことではないだろうか。そうに違いない。隼もメキシコに来る前は熱狂していて、何十枚もカードを持っている。
「わかった!それはカブトムシをテーマにしたアニメで、日本ではとっても人気がある」
そんな世間話に興じていると、部下の一人カルロスが言う。
「ボク、見たことありますよ。角があるコガネムシみたいなやつでしょ?」
「えっ本当?どこで見たの?」
「バジェ・デ・ブラボという場所。ちょっとしたリゾート地で、湖があって湖畔にあるきれいな町です」
どこにあるのか聞こうとすると、話をさえぎってラウルが言う。
「それよりも、ソノラ市場に行けば見つかると思うよ。」
「ソノラ市場?」
「そうだ、ソノラ市場なら見つかるだろう。サルだって売っているんだから。」
カマチョが言うと、みんなが納得した。
ソノラ市場とは、メキシコシティーの中心部に近い場所にある、どうぶつ専用の市場だそうだ。ペットはもちろん、家畜などメキシコ中の動物が売られているという。ただ、治安が良い場所ではないので日本人だけで行くのはよろしくない。私が案内してあげましょう、と部下のひとりラウルが買って出てくれた。ラウルは陽気でお調子者のメキシコ人だが、仕事のセンスがある優秀な部下だ。
「お子さんも奥さんも招待しますよ」
まずは観光をかねてどんなところか行ってみよう、ということになった。

ソノラ市場

ソノラ市場は、メキシコシティーの中心ソカロの東側にある。ソカロとは、町の中心の広場を言う。大小の違いはあれ、たいていどの町にもあるのだが、メキシコシティーのそれはとりわけ大きく権威がある。広場の大きさは一遍二〇〇メートルのほぼ正方形。国立宮殿、連邦区庁舎、ラテンアメリカ最大の教会などが取り囲む。世界遺産であるメキシコシティーの中心だ。もともとはアステカ時代の宮殿があった場所だが、スペインが征服したあと、アステカ時代の宮殿を取り壊し、そのうえにスペイン人の建物を建てたものだ。教会の横にはアステカ時代の遺跡、テンプロ・マヨールがあり、わずかにアステカ時代の栄華を今に伝えている。
さて、そのソノラマーケットだが、ゴチャゴチャした場所にあるので車の駐車スペースがない。ソカロの近くに有料駐車場があるのでそこに車を置き、地下鉄で行くのが最も便利がいいだろう、と言うのでそうすることにした。
ソカロの周辺はほとんどヨーロッパと錯覚するような石造りの建物が並ぶ町並みで、スペイン人がいかに故郷を模して街造りをしたかが伺える。私と菜穂子と隼はラウルの案内で広大なソカロを散歩しながら、ソカロの脇にある地下鉄乗り場に下りていく。地下鉄は安全かと問うと、気をつけた方が良いだろうとのことだ。
やや緊張気味に車両に乗り込み、ラウルに言われるままに乗換えをし、メトロ一号線メルセーで降りる。メルセー市場は肉や野菜を売る巨大な市場だ。駅の階段をあがるとそこはもうメルセー市場の中だった。血生臭い匂いが鼻をつき、カウンターの上に山積みされた加工前の肉の塊や、吊るされた豚の顔が目に入る。反対側を見るとパパイヤ、マンゴー、メロン。整然と積まれた鮮やかなトロピカルフルーツがきれいだ。
ラウルによると、このあたりは巨大な市場がいくつか集まっていて、市場ごとにテーマが決まっている。メルセーは食品だが、隣接して動物を扱うソノラ市場がある。ソノラ市場には呪術用を売る場所もあるという。大きな道路を挟んで向かい側はおもちゃ市場だ。
メルセー市場を出て、両脇に露天が並ぶ道をソノラ市場に向かう。フルーツ、ジュース、ナッツ、タコスなどを売っている。午前中のためか、まだそれほど人通りは多くない。つぎつぎと売り子が声をかける。
ここがソノラ市場だと教えられ、人が一人通れるだけの狭い入り口を入る。入り口の両脇にはペット用品だろうか、天井からフロアーまでさまざまな商品が吊り下げられている。ごちゃごちゃしていて、大きなひとつの建物なのか、小さな建物の集合体かは分からない。中は薄暗く、小さな店舗が密集していて通路も狭い。迷路のようだ。すれ違うときはお互いに背中合わせにするようにすれ違う。どの店も鈴なりに商品を吊り下げているので、ジャングルか穴倉に入っていくようだ。熱帯魚の店、爬虫類の店というように店ごとにテーマが決まっている。ニワトリやヤギなど家畜の店もある。家畜が乾燥した糞の上を歩き回ることによって細かな粉塵になり、それが換気の悪い室内のなかで舞い上がる。周囲には異臭がこもっている。
ラウルが、「カブトムシを扱っていないか」と聞きながら中を進んでいく。みんな、「さあ、知らないな」という顔をしながら、「あの店に行ったらどうか」と教えてくれる。だが、誰も知らない。
ほとんどあきらめかけていた頃、
「死んだものだったら見たことがある。あちらの店だ」
と教えてくれる人がいた。死んだものとはどういうことだろうか。売れる前に死んでしまったのだろうか。それとも、標本を売っているのだろうか。
道を聞きつつ店まで行ってみると、色の黒い小柄な女性店員がラウルの質問にうなずいている。確かにカブトムシを持っているようだ。見せてくれと言うと、奥の方から紙でできた白く平たい箱を持ってきた。箱を開くと、底に敷いた綿の上に標本のように整然と黒い甲虫が並んでいる。大きさは、日本のカブトムシより一回り小さいし角が無い。コガネムシかな?と思ってよく見ると、頭の先に一本の短く細い反りあがった角が付いている。足が取れていたり、形が整っていなかったり、標本にしては保存状態が悪い。値段を聞くとひとつ一〇ペソだが、どうしても生きたものが欲しければ一〇〇ペソで入手してやっても良いという。一〇〇ペソというと大体一〇〇〇円ぐらいだ。隼は「パパ、これほしい」とねだったが、店員から足元を見られているようで悔しい。いやこんなものは小さすぎて欲しくないと断った。まだメキシコに来て一ヶ月だ。チャンスは何度でもあるだろう。狙いは大きくゾウカブトだ。
ところで、標本にしてはあまりにも保存状態が悪い。これは標本かとラウルに聞くと、ラウルが店員と何やら話している。
「カヤナミさん、これは標本じゃなくて、魔術に使うらしいです。黒魔術や白魔術で、このカブトムシを火にくべたりして使うそうです」
「ナニ!黒魔術?」
エコエコアザラクのアレか?そんなものが実在するのか。言われてみると回りはろうそくの台、線香、薬草の干したようなものをはじめ、怪しげなグッズで埋め尽くされている。呪術グッズだけで市場ができるとはすごい。黒魔術は人を呪うとき、白魔術は病気治癒など良いことに使うらしい。そこまで本格的でなくても願いのかなう石鹸というのが売られている。恋人ができるとか、お金がたまるとか、効能が箱の絵に描かれており、石鹸を使い切ると願いが叶うのだとか。努力なしというのが良い。
呪術グッズは面白かったが、結局ゾウカブトは見つけられなかった。ラウルがすまなそうな顔をしていたので、カブトムシは残念だったが十分面白かったと礼を言った。隼には、まだまだチャンスはある、がんばろうと勇気付けた。菜穂子は、
「こんなところ、二度と来ない!」
と怒った。家畜売り場の粉塵が耐えられなかったのだ。
四人はソノラ市場を後にした。


バジェ・デ・ブラボ

カルロスによるとバジェ・デ・ブラボでカブトムシを見たのは雨期に入ったころだという。メキシコでは、六月ごろから雨期が始まり、十一月ごろまで続く。今は既に六月、メキシコに来て二ヶ月以上が経っていた。確かに最近よく雨が降っている気がする。だが、メキシコの雨期は日本の梅雨とは違って、しとしとと長く続くようなことはない。ザーッと降って、パッと止んでしまう。どちらというとスコールに近い。とにかく、バジェ・デ・ブラボに行ってみよう。そう思った。
バジェ・デ・ブラボは日本語にすると“素晴らしい谷”ということになる。メキシコシティーから西に三時間ぐらい行ったところにある古い田舎町で、町に面した湖を利用して釣りやマリンスポーツなども楽しめる、ちょっとしたリゾート地だとのことだ。カルロスによると、とにかくそこに行ってマリンスポーツのボート乗り場に行くと、いろいろな人が「マリンスポーツはいかが?」と声を掛けてくる。そこで、カブトムシを捕りたい、と言えばたぶん誰かが案内してくれると思う。カルロスは、「カブトムシはスペイン語でエスカラバホと言います」と教えてくれた。ただ、話を聞く限りはカブトムシと言うよりも甲虫一般を指しているようだった。時期は、雨季に入れば大丈夫だとのことだ。「本当にいるの?」と聞くと、「自分が歩いていたら頭にコツンとぶつかってきた」と、かなり具体的な証言が得られた。これは期待が持てる。
翌日から準備が始まった。準備と言っても地図を買ってきてルートを確認したり、インターネットで情報を収集したりと、それだけなのだが。とにかくメキシコでは道路標示が信用できないし、道に迷ったらどうなるか分からないので、事前の確認は重要だ。
その週の週末、朝五時にアパートを出発して隼と二人でバジェ・デ・ブラボへ向かう。メキシコシティーからバジェ・デ・ブラボへは、途中までは通勤ルートと同じだ。メキシコシティーから高速を使い、いつものように標高三〇三五メートルの標識がある峠を越え、早朝なら一時間ほどでトルーカに着く。トルーカは人口一〇〇万人の大きな都市で、工業が盛んだ。そこから片側一車線の曲がりくねった山間の道路を二時間ほど走るのだが、この道路は右側走行であることを除けば道幅、舗装の状態、曲がり具合、特に道の両脇につらなる松や杉など針葉樹の森が日本と錯覚するほど似ている。赤道下のメキシコに針葉樹林があるのは意外な感じがするかも知れないが、標高二〇〇〇メートル以上の高地であるため針葉樹に適した気温なのだ。
そんな道を一時間半ほど走ると、やがてバジェ・デ・ブラボと書かれた道路標示が現れ、道が枝分かれしている。メキシコには珍しく、ここにはちゃんと道案内の表示があった。迷わずそちらに曲がると、道はどんどん下っていく。針葉樹の森はいつしか広葉樹が混ざるようになり、やがて広葉樹だけの森となる。民家がポツポツと見え始め、町が近いことを伺わせる。やがてコナラやクヌギと思しき木立の向こうに民家と湖が見えてきた。バジェ・デ・ブラボについたのだ。日本から持参した高度計を見ると標高一八〇〇メートルだった。
バジェ・デ・ブラボは、広葉樹の森の中にきれいな湖が広がる小さな田舎町だった。煉瓦ほどの大きさの石を敷いた石畳と白い壁は、一瞬スペインの古い田舎町を思い出させるが、どこか泥臭さが残る。メキシコ人は、メスチーソと言われるスペイン人と先住民との混血が八〇%を占めているが、このような町並みを見ると、建物にもスペインと先住民の文化の融合を思わせる。湖の大きさはそれほど大きくは無く、周囲に山や町がある風景は、日本で言うと芦ノ湖をイメージすると分かり易いかも知れない。
とにかく、ボート乗り場に行こう。しばらくするとすぐにそれらしき場所が見付かった。車を近くに止め、誰か声を掛けてこないかとその辺をブラブラと歩くのだが、あいにく朝早いためか客引きも仕事前らしい。二、三人のおじさんが店先の地べたに腰掛けてだべっていたりする。仕事の前のくつろぎタイムのようだった。彼らは我々東洋人の親子を見つけると、会話を止めて「こんなところに何をしに来ているのか?」というように興味深げに見入るのだが、声を掛けることはしない。
しばらくして、涼しかった空気も陽光で温められ、日差しの強さを肌に感じるようになったころ、桟橋に人が現れ、ボートの準備を始めた。それとなくぶらぶらと近づいていくと案の定「ボートどう?」などと声を掛けてくれる。隼が持っている図鑑を開き「こんなカブトムシを探したいんだけど」と言うと、「うーん、知らないな・・・」という答えが返ってきた。何人かに聞いたのだが、その中の一人は「いるけど、ちょーっとだけ」と親指と人差し指をあわせて見せた。ここはあまり知っている人がいないらしい。場所を変えてインフォメーションの近くに行って見よう。
町の中心には小さなインフォメーションがある。電話ボックスをちょっと大きくしたような建物に案内のお姉さんがいて観光用のパンフレットなどを配っている。例によって図鑑を開き、カブトムシはいるかと聞く。「うーん、わかんないな・・・」とやっぱり知らないとの返事しか返ってこない。お姉さんが「ちょっとこんなの見たことある?」と別のお兄さんに聞くがやっぱりわからない。先ほどから東洋人親子と案内のお姉さんのやりとりを、少し遠くから興味深げに伺っていたおばさんが、好奇心にがまんできなくなって割り込んできた。すると、おばさんにつられて何人かが集まってきた。それを見た通りがかりの人が、「何の話か?」と立ち寄ってきた。それを何か騒ぎだと勘違いして、つぎからつぎへと人が集まってきた。とうとうインフォメーションの前は黒山の人だかりになってしまった。
そのうちに人ごみの奥から小学校の高学年ぐらいの女の子が押し出され、知っていると言う。聞くと、あっちの森にいるかもしれないとのことで、その“あっちの森”とやらへ行くこととした。
“あっちの森”は、湖沿いにしばらく走ったところにあり、森の中に小川が流れる公園になっている。その公園に少年が待機していて、訪れる人にみやげ物を勧めたりや飲食店への客引きやガイドなどをして、小銭稼ぎしている。我々が公園に入ろうとすると案の定近寄ってきて、何やらと勧めてくる。小学校の低学年から高学年までいろいろいるが、共通しているのは何日も着ていると思われる薄汚れたシャツを着ていて、はだしであることだ。この子供たちなら期待が持てそうだ。いつもこの森で遊んでいるに違いない。そこで、
「エスカラバホを見つけたいんだけど・・・」
と聞くと、
「エスカラバホ?そんなの簡単だよ」
隼も期待に目を輝かせた。私は聞いた。
「え?、どこにいるの?」
「その辺にいるよ、地面の下にいるよ」
そうか彼らはエスカラバホを知っているのだ。我々は彼らをガイドとして雇うこととした。
「じゃ、エスカラバホを捕ってくれない?」
「うんわかった」
と子供たちはあたりを掘り始めた。しばらくすると子供のひとりが「見つけたよ!」と勇んで駆け寄ってきた。見ると、それはカブトムシではなく、ムカデだった。
「これ、エスカラバホ?」
「そう、エスカラバホ」
彼らにとってエスカラバホとは虫一般を指すもののようだった。やはりカブトムシには興味がないのだ。
「ちがう、ちがう、探しているのはモヨテ」
私はメキシコ人から聞いていたカブトムシを意味する方言を試してみた。
「なんだモヨテか、ツノのあるやつね」
今度は通じたようだ。子供たちは一時間ほど周囲をほじくり返して探してくれたが、とうとうモヨテは見つからなかった。誠意だけは認めてひとり五ペソづつチップをあげた。
もしかしたら、夜にならないと出てこないかもしれない。時間はそろそろ夕方になってきた。朝の五時から歩き回っているので疲れてきた。仮眠して、夜に備えよう。公園の駐車場に車を止め、隼と一緒に仮眠をする。
気が付くとすっかり暗くなっていて、激しく雨が降っている。時計を見ると夜の七時だ。腹も減ってきたことだし、何か食べに行こう。食べている間に雨も止むかも知れない。
湖の周りを車で走っていると、まだ明かりがついている一軒の食堂を見つけた。
扉を開けると他の客はいなかった。テーブルにはビニールのテーブルクロスが掛けられ、コロナビールのロゴが入ったプラスチックのイスが置かれている。観光地の安食堂といった感じだ。そろそろ店じまいの様子だったが、我々親子を見るとおばちゃんが快く招き入れてくれた。
ギシギシと鳴る床を歩き、窓際の席に座る。食堂は湖に注ぎ込む沢の横にあり、下のほうに水が流れ落ちる音を聞きながら食事ができる。明るければ景色も良いのだろうが、流れは見えず雨に濡れた木々の枝だけが店の明かりで照らされている。
「何を食べようか?」
雨が降って寒くなってきた。暖かいスープが飲みたい。ソパ・デ・トルティージャ。これはトマトをベースとしたスープの中に揚げてカリカリにしたトルティージャを入れたものだ。トルティージャとは、トウモロコシを粉にしてクレープ状にして焼いたものだ。メキシコの主食で、メキシコ人は何でもこれで包んで食べる。肉や野菜を焼いてトルティージャで包むとタコスになる。タコスという特別な料理があるわけではないのだ。
チョリケソというのも目に止まった。おばちゃんに「これは何?」と聞くと、チョリソとケソを合わせて焼いたものだと言う。チョリソはメキシコのソーセージ、ケソはチーズだ。本当のチョリソは、日本のスーパーでよく売られているトウガラシの入ったソーセージとはまったくちがう。さまざまな香辛料やナッツなどが入っているが辛くなく、皮を破ると中身がひき肉のようにボロボロになる。これも、トルティージャで包んで食べるとタコスだ。
ソパ・デ・トルティージャとチョリケソを注文すると、まもなくおばちゃんがそれらを運んできた。ソパ・デ・トルティージャは熱々の湯気が立っていて、中央に大きな干しトマトのようなものが乗っている。チョリケソは土鍋の中で溶けたチョリソの油とチーズが混ざり合い、ジリジリと音を立てて香ばしい匂いが漂っている。
「どっち食べる?」
私が聞くと隼は、
「こっち」
と、ソパ・デ・トルティージャを指差した。
隼はソパ・デ・トルティージャを自分の前に置くと、スプーンで干しトマトのようなものをすくい上げてガブリと噛み付いた。その瞬間、目を白黒させて飛び上がった。
「辛い!」
なんとその干しトマトのようなものは大きな干しトウガラシだったのだ。日本で見るトウガラシと違い、ふっくらした形をしているので見た目に辛いとは想像できない。隼はソパ・デ・トルティージャを食べるのをあきらめた。代わりに私が食べることにした。スープ自体に辛さはなく、トマトとしっかりとした鶏のだしの中にカリッと揚げたトルティージャが浸かっている。奥深い味わいと歯ごたえの組み合わせが不思議な食感のおいしさを演出している。そこに辛味を加えたい場合は干しトウガラシをスープに浸けて、トウガラシのエキスをスープに溶け込ませる。甘みと香りのあるトウガラシで、スープにアクセントが生まれる。
一方チョリケソは見た目の印象とは逆でまったく辛くはなく、トルティージャに包んで口の中に入れるとチョリソの肉のうまみと塩味、チーズのまろやかさが絡み合い、トルティージャのかすかな甘みと混ざり合って見事な味のハーモニーを作っている。隼にチョリケソを渡すと、あっという間に平らげてしまった。
隼と私は、思いがけないメキシコ料理のおいしさに満足しながら、雨が止むのをゆっくりと待っていた。時間はたっぷりとある。夜の九時ごろ、おばちゃんが店の片づけをはじめ、もうそろそろ店じまいの空気がただよってきた。雨も知らないうちに止んだらしい。
「隼、夜の電灯探しに行こう」
「うん、何かいるといいね!」
昼間には人の行き交っていた田舎のリゾート地はひっそりと人影のない眠った町になっていた。明るい間に確認しておいた商店や住宅街の街灯の下を探しに行った。期待していた灯火採集だったが、まったく何もいない。それにしても寒い。昼間は暖かかったのに、雨のためか、はたまた標高一八〇〇メートルという高地のためか、夜になると急に冷え込む。街灯をいくつか見て回るが、蛾さえも飛んでいない。電柱に止まるカミキリムシを一匹捕まえたが、あとは全く何も捕れなかった。
深夜になり、あきらめて家に帰ることにした。バジェ・デ・ブラボからメキシコシティーの家に戻る途中、隼は疲れて車の助手席で寝てしまった。
その後、二度バジェ・デ・ブラボに出かけたが、ついに何も捕れなかった。メキシコに来ればカブトムシなどすぐに捕れると、漠然と考えていた自分の甘さを思い知るとともに、隼に申し訳ないことをしてしまったと思った。

プレゼント

そんなある日、カルロスがプレゼントだと言って白いプラスチックのカップを持ってきた。アイスクリームのカップだろうか?カップには紙のフタがかぶせてあった。
「開けてみてください、カヤナミさん」
おそるおそるフタを開けてみると・・・
薄い黄色がかった土の上でスローモーションのようにゆっくり動く一匹のカブトムシが・・・。
「サイカブトだ!」
ありがとう、どうしたの?と聞くと、
「カヤナミさんの依頼を受けて友達に言っておいたんですよ。そしたら、友達の友達が捕まえて持ってきてくれたんですよ」
メキシコ人は友達同士のネットワークが強くて広い。カルロスによると、友達だけでなく親兄弟親戚に言ってくれたそうだ。彼によると、彼のおじさんがグリーンメタリックのカブトムシを見たことがあるそうだが、政府の立ち入り禁止区域内にあるため一般の人は立ち入れない。彼のおじさんは高圧送電線の工事のために立ち入りできたのだそうだ。
カルロスがくれたカブトムシは、頭の先に細り反り返った角がある。ソノラ市場で見た魔術用のものと同じ種類のようだった。
「カヤナミさん、この土のようなもの、何だかわかりますか?」
部下の一人がニヤニヤしながら聞く。見ると、土と思ったそれはわらのような繊維がたくさん混ざっている。
「もしかして、ウンコ?」
「その通り!」
一同声を合わせて言うと、ギャハハハと大笑いになった。
カブトムシがウンコの中にいようと驚かない。日本でも、カブトムシの幼虫は牛糞の堆肥で育つことは常識だ。それにしても動きがスローモーだ。ナマケモノが動くようだ。戦うタイプのカブトムシではなさそうだ。だが、糞の中にもぐっていく力は強い。
その日は、隼にカブトムシを見せてあげたくて早く帰った。カブトムシを見るや隼はカップを持ちながら跳び上がって喜んだ。生まれて初めて見る生きた外国のカブトムシだ。サイズとカッコよさには欠けるが、カブトムシはカブトムシだ。その日、隼は遅くまで寝ようとしなかった。

メキシコでの生活

この頃にはメキシコでの生活もだいぶ慣れてきた。
メキシコでの生活でまず大切なのは日本食の確保だ。メキシコ料理はおいしいが毎日だと飽きる。メキシコシティーでは日本食が手に入る場所は二つある。ひとつはアパートの近くデルバジェ地区にある山本商店、もうひとつは市の中心付近にあるスーパーミカサだ。山本商店は日本人のおじいさんとおばあさんが営む小さなお店だ。山本商店とは日本語に訳した名前で、正確にはスペイン語でティエンダ・ヤマモトと言う。品揃えは少ないが、ネギや白菜など日本の野菜と、刺身で食べられる魚を売っている。野菜は自家製とのことで、寄生虫や残留農薬を気にしなくて済む。メキシコでは卵の表面にコレラ菌がいる可能性があるため、生卵を食べることは常識としてありえないが、ここの卵だけは生で食べられる。米はカリフォルニア米だが、日本の米と言われても気が付かない。
一方、ミカサはスーパーとは言え、大きさは日本のスーパーの四分の一ほどしかない。しかし、野菜、肉、魚に加え日本の調味料やインスタント食品が手に入ることが魅力だ。ただ、メキシコでは日本のインスタント食品は目が飛び出るほど高い。例えば、カップラーメンは四〇ペソ(日本円に換算すると四〇〇円)だから、日本での価格に比べると四倍の値段だ。だから、家族でカップラーメンを食べることはこの上も無い贅沢とされている。赴任者の中には贅沢を知られぬよう密かにカップラーメンを食べたり、逆にカップラーメンを食べることを自慢したりする者もいた。
このように、日本食に関しては決して恵まれているとはいえない環境だったが、ひとつだけ恵まれていることがあった。六月半ばのとある週末、山本商店を訪れたところ、店の陳列台の上に一抱えもある発泡スチロールの箱が一つ置かれていた。何気なく箱を覗き込むと、土で汚れたような物体がごろごろと入っている。一瞬、サトイモか何かに見えたがよく見るとキノコの形をしている。松茸だ!赴任直後から日本人スタッフに、雨季が始まったら松茸が出る、と言われていた。まさに今は雨季に入って二、三週間経ったときだった。店のおじさんに、これは松茸ですか?と聞くと、おじさんはそっけなく「そうだよ」と答えた。見た目は日本で売られている松茸とまったく変わらない。ただ違うところは、日本では檜の葉とともに木の箱にうやうやしく納められている松茸が、ここではその他の野菜と区別されることも無く、無造作に扱われていることだ。これにはちょっとしたショックを受けたが、気を取り直して発泡スチロールのなかから一本を取り出し、鼻に近づけてみた。まぎれも無く松茸の香りだ。おじさんによると、格好を気にしないなら傘が開いている方が香りはいいとのことで、どれを選んでも量り売りなので値段は一緒だとのことだ。なるほど、傘が開きかけたものはより強い香りがするし、日本のスーパーで見かけるような傘が開いていない形のものは、格好はよいが香りは弱い。私は傘が適度に開いたものを大小織り交ぜて一〇本ほど選んで値段がいくらになるか聞いてみた。店のおばちゃんが松茸をカウンターの秤に載せて値段を計算した。なんと、それは日本に比べて約十分の一の値段だった。私は食べきれないほどの松茸を買い求めて帰った。
その日は、松茸ご飯、松茸のお吸い物、焼き松茸と、松茸づくしを堪能した。次の日も残った松茸で松茸づくしにした。
次の週末、山本商店を訪れると、松茸を入れた発泡スチロールの箱が二つになっていた。雨季が本格的に始まって、松茸が多く出回るようになったとのことだ。私は例のごとく松茸を買い求めた。その次の週末も、松茸は日々の野菜のように山本商店に置かれていた。そうして、それは雨季が終わる一〇月まで続いた。
我々は、最初はありがたがっていた松茸にも、夏を過ぎる頃にはすでに興味を失っていた。松茸が、冷蔵庫の中の残り物になる頻度が次第に増えてきた。ある日、菜穂子が冷蔵庫の中の残りもので松茸の野菜炒めを作ってくれた。松茸の香りがキャベツに移り、なんとも不思議な野菜炒めだった。こんなに贅沢な野菜炒めはもう一生食べることがないだろう。


情報収集

雨季が終わり、それはカブトムシシーズンの終わりを意味していた。
いろいろとがんばったものの、メキシコに来て最初のシーズンはカルロスからもらった小さなサイカブト以上の収獲は得られなかった。思った以上に手ごわい。あれだけ大々的に情報提供を募ったのに、大した情報は得られなかった。日本だったら、簡単に情報が集まるだろうに。興味の無い人は情報も持っていないということだろう。それなら、メキシコに長く住む日本人なら知っているかも知れないと思い、何人かに聞いてみたのだがやはり有効な情報は得られなかった。
メキシコではカブトムシの情報は得られない。カブトムシの情報があるのはもしかしたら日本ではないのか?もう一度インターネットで調べてみる。日本で売られているメキシコのカブトムシの情報はいくつか得られたが、メキシコのどこにいるのかという具体的な情報はなかなか得られない。だが、いくつかのヒントは得られた。
ゾウカブトはベラクルス州の南部に産地がある。ベラクルス州は、メキシコ湾に面した細長い州だ。ゾウカブトに近い種類で、オキシデンタリスゾウカブトというのがいる。ゾウカブトより大きさが一回り小さく、横に張り出した角の角度がわずかに異なるほかは、見た目はゾウカブトとそっくりだ。これは、ゲレーロ州にいる。それから、ヒルスシロカブトというのがいる。ヘラクレスオオカブトと同じ仲間に属し、上下に一本ずつ角があるがヘラクレスのものよりずっと短い。全体が白い色だ。メキシコのあちこちに分布しているようだが、メキシコシティーの近くでは隣のモレーロス州、プエブラ州にいるようだ。また近年、ミヤシタオオカブトというのが新種として報告されたようだが、これはヒルスに大変近い種類のようだ。プエブラ州の外れテウアカンで見つかった。
ここまで調べて気が付いた。同じ会社に勤めるセルヒオさんは、モレーロス州に住んでいる。モレーロス州から会社までは車で二時間ほどかかるが、セルヒオさんは毎日通っている。だったら会社の近くに住んだらいいのにと思うが、そうはいかない。むかし、おじいさんが商売で一発当てたとかで、セルヒオさんはモレーロス州に家や別荘を持っている。一度別荘に遊びに行ったことがあるが、大きなプールと犬を自由に走らせる広い芝生の庭がある。冬は肌寒いメキシコシティーと違い、標高は一〇〇〇~一五〇〇メートルぐらいなので一年中プールで泳げる暖かさだ。メキシコシティーからは一時間半で来られるので、お金持ちの週末の保養地になっている。そういうことなら、なかなかこの土地を離れることはできないだろう。
セルヒオさんだったらモレーロス州のことが詳しいはずだ。カブトムシの図鑑を持って行き、これを見たことがあるか?と聞くと、当然のように答えた。
「あるよ。この前も別荘の玄関にいたよ。たくさんいるよ」
「エェー!別荘の玄関?」
そんなに簡単にいるものなのか。今までバジェ・デ・ブラボに気を取られていたが、こんなに近く、モレーロス州にいるとは。
「で、そのカブトムシどうした?」
聞くと、セルヒオさんは恥ずかしそうに言った。
「グシャッと踏み潰した」
「エェー!踏み潰した?」
ゴキブリじゃあるまいし、メキシコではカブトムシは見つけると踏み潰すものなのか?
とにかく、今度見つけたら踏み潰さないで持ってきてくれとお願いした。
数日後、
「カヤナミさんが探しているの、これでしょ?」
とセルヒオさんが死んだカブトムシを持ってきてくれた。
大きさは日本のカブトムシと同じくらい。ちょうど恐竜のトリケラトプスと同じように前方に突き出た三本の角があり、カッコいい形だ。
いつ頃現れるのかと聞くと、意識したことがないのでよく分からないが、雨期が始まる頃ではないかとのことだった。
とにかく貴重な情報をありがとうとお礼を言うと、死骸を大事に持ち帰った。隼は、カブトムシの死骸を見ると、
「かっこいい!」と喜び、
「生きているのが欲しい!」
とせがんだ。
「そうだよな!よし、次のシーズンに捕りに行こうな!」
私も決意を新たにした。
図鑑で調べてみると、このカブトムシはミツノサイカブトというらしい。セルヒオさんの別荘の玄関にいるとなると、にわかに期待が高まる。今はまだシーズンオフだが、雨期がはじまったら捕りに出かけよう。ゾウカブトやヒルスシロカブトはまだ確かな情報がない。今のうちから情報集めと準備が必要だ。
ミツノサイカブトは、メキシコシティーの自宅から日帰りできるモレーロス州のセルヒオさんの別荘周辺にいる。これは確かな情報だ。まずはここに行ってみよう。だが、ゾウカブトやヒルスシロカブトはどうしようか?セルヒオさんも見たことが無いと言っていた。ゾウカブトとヒルスシロカブトはインターネットでどの州にいるか分かったが、州が分かったところでポイントを絞るのは難しいだろう。メキシコの州は日本の県より何倍も大きい。広大な州の中で、ある地域の、ある村の、ある森でしかカブトムシが生息していないかも知れない。闇雲に行ってもだめだ。事前にある程度あたりを付けておく必要がありそうだ。だが、どうやって?
近くならまだしも、ベラクルス州の南部となると行くだけで一日かかる。インターネットで何か調べられないだろうか。調べてみると、メキシコでは観光用PRのホームページが沢山ある。州や市、ホテル組合などが主催だ。手当たりしだい、それぞれのホームページのお問い合わせコーナーに電子メールを出すことにした。スペイン語は自信が無いので文章は英語にした。ゾウカブトとヒルスシロカブトの写真も付けた。
数日すると何通かのメールが帰ってきた。ほとんどのメールは「知らない」とそっけなく答えるだけのメールだった。だが、その中に一通だけ知っているという返事が来た。名前をジェシカと言い、ベラクルス州の南部で、自然保護活動の団体を主宰する女性のようだ。ベラクルス州はメキシコ湾に面して低い土地が続くが、南部に山があり、山の回りに豊かな森が広がる。その森にカブトムシが生息するというのだ。カブトムシが見られる季節は六月が良いとのことだ。子供の夏休みに合わせて行きたいのだが、七月の後半でも大丈夫か、と聞いたところ、ギリギリ間に合うだろうとのこと。子供のカブトムシ図鑑を見てもゾウカブトが現れるのは雨期の五月頃と書いてあるので、時期も一致する。現実味を帯びてきた。具体的な計画を立てなければならない。そのためにはどうしても地図が必要だ。

地図の入手

カブトムシに必要なのは森だ。それから、標高が重要だ。標高が高すぎると寒いし、逆に低くすぎても暑くてカブトムシの生息には適さない。ヒルスシロカブトの場合は標高一五〇〇メートル近辺、ゾウカブトの場合はもっと低いようだ。タテヅノカブトの種類では二〇〇〇メートルのようだ。そうだ、標高が分かればそこからある程度絞り込むことは可能だ。だが、どうやって標高を調べたらよいだろう。日本なら五万分の一の地形図で調べることができる。メキシコにも地形図があるのだろうか?取りあえず、地図を調べてみよう。
メキシコでは、一般的な地図は本屋で手に入る。休日に近くの本屋に行ってどんな地図があるか調べてみた。道路地図や市街地図しかない。カブトムシを捕るためには森の中に入っていかなければならないだろう。そうすると、林道や農道が描かれている地図が必要だ。道路地図はドライブ用の地図のため、標高が分からないし、林道や農道は載っていない。市街地図に至っては論外だ。
どうしても地形図が必要だ。そこで、部下のラウルに聞いてみた。
「標高が分かるような地図はないか?できれば地形図がいい」
「うーん、イネヒだったらあるかも知れない」
「イネヒ?それなに?」
ラウルによると、イネヒはINEGIと書き、人口、産業、地理などメキシコの様々な統計を司る政府機関だそうだ。日本の国土地理院に相当するが、取り扱う範囲はもっと範囲が広い。ラウルに地図のことを調べてもらうように依頼すると、快く引き受けてくれた。
数日後、ラウルがくるくると巻いた紙の筒を持ってきた。聞くと、メキシコ国際空港にイネヒの出張所があり、地形図が置いてあったという。だが、一部しか置いてないとのことで、サンプルとして一枚だけ買ってきたとのことだ。
取りあえず見てみよう。開いてみると、まさに地形図だ。標高や農道、林道、森までちゃんと入っている。
「パーフェクトだ!」
ラウルにお礼を言って代金を渡した。一枚三〇〇ペソと高いが、これしか頼れる情報がないのでしょうがない。イネヒに行こう。
仕事では地方の出張が多いために、よく空港を利用する。そのついでにイネヒの出張所に立ち寄ってみた。国内線ロビーの一角にイネヒの事務所はあった。人が二、三人も入ると身動きが取れないような小さな事務所で、見た目にも地味だ。事務所を探すために何度か前を通り過ぎたが分からなかった。数多く並ぶ店舗を端から一軒一軒確認してようやくそれと気付いた。事務所にはパソコンが一台と、統計書物が二〇冊ほど展示されている。衛星写真やメキシコの地図が壁に貼ってある。地図を入れているのだろうか、奥にはグレーの色をした幅広のキャビネットが置いてある。パソコンにはスーツを着た、痩せた中年の事務員がひとり座っていて、私が店内に立ち入ると無愛想に挨拶する。
しばらく店内をながめたあと、その事務員に聞いてみた。
「あのー、五万分の一の地図はありますか?」
ええありますよ、でもちょっとしか置いていません。と奥のキャビネットに案内すると、大きくて平たい引き出しのひとつを開いて見せた。引き出しの中には数枚の地形図が重ねてある。さらっとめくって見てみたが、探しているものではない。
「ベラクルス州の南部のものが欲しいのですが」
「ここには置いてない」
「どこで手に入りますか?」
「知りません」
ただの店番なのだろうか、事務的に答えるだけだ。多少ムッとしたが、腹を立てても知らないものは知らないのだろう。気を取り直して店を出る。またも地図探しは頓挫してしまった。

それからしばらくして、アグアスカリエンテス州に出張の機会があった。アグアスカリエンテス州は、メキシコシティーから車で五時間ほど北にある小さな州だ。アグアスとは水、カリエンテスとは熱いを意味し、文字通り温泉のことだ。私は行ったことがないが、実際に温泉があるらしい。だが、日本人の想像する温泉とは違い、温水プールに水着ではいるようなものらしい。
乾燥して赤茶けた土の上に低い木々が一定間隔で生えている。その景色を横目に見ながらまっすぐ続く高速道路をひたすら走っていくと、道路沿いに粗末な建物が目立ちはじめる。やがて道の両脇の景色は商店やガソリンスタンドになり、街が近いことを予感させる。アグアスカリエンテスの中心部に向かいさらに車で走っていくと、右手に大きな建物が見える。高さはないが、南極のテーブル型氷山のように広大な敷地に白く横たわった建物だ。現地スタッフに聞くと、
「あれはイネヒの本部ですよ」
という。
「イネヒの本部?」
イネヒの本部がこんなところにあったのか。
イネヒはその昔メキシコシティーにあったが、大きくなりすぎて事務所が手狭になった。しかし、引越しするにもそれほど巨大な建物を建てる場所が見つからないため、メキシコシティーの外に建てたとのことだ。真偽のほどはわからないが、とにかくイネヒの本部が偶然にも目の前にある。いくらなんでもイネヒの本部ならメキシコ全土の地形図くらい置いてあるだろう。
仕事の合間を見つけ、イネヒの本部を訪れた。まず、受付で身分証明書を見せ、用件を言わなければならない。地図を探しにきたというと、隣のビルが地図関係を取り扱っているという。巨大なイネヒのビル群の中では小さなビルだが、それでも地上四階と地下一階に収容されているものがすべて地図だとするとその量は半端なく多い。
ビルにはいるとロッカーに荷物を預けてください、と警備員に促される。ロビーからも図書館のように収容された書物が見える。さて、ぶらぶらと見て歩こうとすると受付の警備員に止められた。こちらでコンサルタントを受けろ、という。見ると、受付にコンサルタント用の机があり、係の人がこちらへどうぞと手招きしている。なんともお節介なシステムだな、と思いつつも係の人に、標高がわかる地図が欲しい、と伝える。係の人はそんな地図あったかなというふうに首をかしげながら、こちらへどうぞと地下の書庫に案内した。地下は地図専門のエリアになっているらしく、薄く横に長い引き出しがたくさん重なったキャビネットがいくつも置いてある。ひとつひとつ引き出しを開けて見るのだが、あるものは人口密度の地図、あるものは産業構造の地図というようにかなり専門的な地図だ。欲しいのは単なる地形図だとうったえたが、ここには無いという。
「何でイネヒの本部に無いの?」
と聞いたが、
「無いものは無い」とすまなそうに答えるだけだった。
イネヒの本部はあまりにも専門的な地図ばかりで、それはそれで貴重な資料なのだが、探しているものがないことを悟った。それにしてもなぜコンサルタントが付くかというのがよく分かった。専門的過ぎて素人がすぐに見つけることができないからだ。それに、貴重な資料なので紛失や損傷の予防のためもあるだろう。
またも、地図探しは振り出しに戻ってしまった。

出張から帰ると、
「カヤナミさん、地図は手に入りましたか?」
ラウルが心配して聞いてくれる。
いいや、と言うと、
「実は友達から地図に関する情報を入手しました。まだ必要でしたらお教えしましょうか?」
「もちろん、お願いするよ。イネヒの本部にも置いてないんだ。助かるよ」
とラウルの話を聞く。ラウルによると、インスルヘンテス大通りのロータリーの下にイネヒのコピーセンターがあり、そこで五万分の一の地図を一枚二十二ペソでコピーしてくれるとのことである。これはいい情報だ。地図が大量に必要なので二十二ペソという値段もうれしい。
インスルヘンテス大通りはメキシコシティーを南北に貫く六車線の道路だ。メキシコシティーには珍しく、三車線づつの対面交通だ。中央の二車線がメトロブスと呼ばれる路線バスの専用道路、その他が一般道路だ。四〇〇キロメートル先のアカプルコまで続くことを考えると古くて由緒ある通りなのだろう。アカプルコはケネディ大統領が新婚旅行に行ったことでも有名で、かつては国際リゾートとして栄えたが今ではメキシコ人の週末のリゾート地になっている。北にまっすぐ行くと有名なティオティワカンのピラミッドがある。インスルヘンテス大通りの南側は両脇には街路樹が植えられ、お洒落なショップやレストラン、一流会社のオフィスが立ち並ぶ。メキシコシティーのなかでも華やかな通りだ。だが、ロータリーがある中心付近は小さな店や露店が多く、猥雑な雰囲気のする場所だ。ロータリーは直径一〇〇メートルほどもある左回り一方通行の巨大な円だ。地上にはメトロブスの駅があるが、下は地下鉄の駅になっている。近くの繁華街の有料駐車場に車を止め、ロータリーに向かう。両側に怪しげな露店が立ち並び、細い道から人が流れてくる。そちらの方向に駅があるはずだ。普通の通路だが満員電車のように人がごった返している。スリに気をつけながら、人が流れてくる方向に進んで行くと、案の定そこはロータリーの中心だった。中央は広場になっていて、広場の中に地下鉄への入り口がある。回りの道路の下がテナントになっていて、軽食やインターネットカフェの店が立ち並ぶ。ラウルによると、このどこかにコピーセンターがあるはずだ。だが、ざっと見てそれらしき店が見当たらない。よく見ると道路の下をくぐって外に抜ける暗い通路がある。通路に入ると通路の両脇が店舗になっている。ふと見ると、ガラス越しにいくつか展示されている冊子が目に入った。イネヒで見た統計関係の資料によく似ている。看板も無い、アルミの枠にガラスがはめ込まれただけの殺風景な店だ。ここだろうか。中を見るが暗くてよく分からない。照明もついていないように見える。休みなのだろうか。入り口と思しき戸を開けると、意外にも鍵がかかっていない。営業中だったのだ。
カウンターに小太りで毛むくじゃらのお兄さんがいる。薄暗い店内には何段もある棚が置かれている。棚には、地図だろうか、大きな紙が無造作に重ねて置かれている。外のまぶしさにくらべ、店内の蛍光灯がやけに薄暗く感じる。
「何かお探しか?」
カウンターのお兄さんが聞く。二十代だろうか、毛むくじゃらでわからなかったがよく見ると結構若い。
「五万分の一の地図は置いてありますか?」
「どこのが欲しい?」
「ベラクルスの南の方だが、土地の名前はよく分からない」
毛むくじゃらのお兄さんは、棚の上に何十枚も積み重なって置かれている地図をほんの数秒めくっていたが、すぐに一枚の地図を取り出した。
「これか?」
地図は、回りが破れたりささくれたりしているのでまるで宝島の地図のようだ。だが、まさしく地形図で標高も農道・林道も入っている。
「これだ、これの上下、左右のものも見せて下さい」
そうお願いすると、お兄さんはまたほんの数秒のうちにそれらを見つけ出した。地図を並べて必要な部分を選び、コピーをお願いする。店の中に大きなコピー機があり、畳の三分の二ほどもある地図もコピーが可能だ。
コピーが終わり、値段を聞くと事前に聞いたとおり一枚二十二ペソだった。もともとの値段は二ドルらしいが、この中途半端な値段はドルをペソに換算しているのでそうなっているようだった。
地図の入手には半年かかったが、どうにかシーズンが始まる前には入手できた。もうすぐ、メキシコに来て一年が過ぎようとしていた。
須田さんは三月末で任期を終え、日本に帰国することになった。我々はお世話になった須田さん家族を、感謝を持って送った。


二年生とホームパーティー

四月になり、新年度が始まると須田さんの後任に、江藤さんが着任した。江藤さんは須田さんの部屋に入れ替わりで入った。江藤さん以外にも、同じアパートに何家族かの新しい日本人が越してきた。私の上の階には、畑岡さんという家族が入った。江藤さんはもちろん同じ会社だが、畑岡さんは別の日系企業の海外駐在員だ。みんなそれぞれ幼稚園から中学生までの子供たちがいて、毎朝同じスクールバスで通学する。また、母親たちも子供をスクールバスに送り届けるために毎朝顔を合わせる。そのため、新学期がはじまると同じアパートに住む家族同士、あっという間に仲良くなった。
そのうちに、醤油や味噌など、無くなった調味料の貸し借りなどをするようになった。昔の日本ではよくあったことだが、今の日本では近所同士の付き合いが減って、無くなってしまった風景だ。それが、少ない日本人が遠く異国の地で助け合う生活をしているうちに、意図せず復活したのだ。階段をちょっと上り下りするとすぐに“ご近所さん”に行ける手軽さもある。まさにメキシコに出現した“長屋”だ。アパートの外に出ることも無いので安全上の心配もない。
ある金曜の夜、八時くらいにアパートにもどると部屋の電灯がついているが菜穂子も隼もいない。呼んでみるが返事がない。今日は、外出の予定は無いはずだ。食事の用意もされていない。一瞬、誘拐されたのでは、との不安がよぎる。ふと見ると、ダイニングテーブルの上に菜穂子からの書置きがあった。
「江藤さんの部屋にいます。着替えたら江藤さんの部屋に来てください」
言われるとおり部屋着に着替え、江藤さんの部屋の呼び鈴を押すと、江藤さんの奥さんが出てきた。奥でわいわいと笑い声が聞こえる。
「どうぞ、みなさんお揃いですよ」
中に通されると、テーブルを囲んで江藤さんと畑岡さん夫妻と菜穂子が歓談しながら飲み食いしている。子供たちは子供たちで、別に設置されたテーブルで飲み食いしている。
「おかえりなさーい!」
みんなお酒が入って上機嫌のようだ。テーブルの上にビールやワインのビンが散乱している。
「どうしたの?何かあったの?」
思わず菜穂子に聞いた。
「みんな、家で食事するのがつまらないという話になって、おかずを持ち寄ってみんなで食べることになったの」
そういうことかと合点して、早速ビールをいただいた。疲れた体に染み渡る。
その夜は遅くまで飲み食いとおしゃべりをして、酔いが回って眠くなるとそのまま部屋に戻った。階段をちょっと上り下りするだけでいいのでこんなに楽なことはない。メキシコの治安を心配しなくてもよいからだ。このホームパーティーは気軽な上に楽しいので、その後ことある毎に開催されることになった。

メルカド・デ・サンファン

この飲み会の中で、メキシコの食事で不満に思っていることが話題になった。そのうちのひとつが、おいしい刺身が食べられないことだった。メキシコには多くの日本食レストランがあるが、どこに行っても満足な刺身が出てきたことはない。魚好きの日本人にとってはかなり苦しいことだ。それから、アサリが手に入らない。アサリはどこのスーパー、魚市場に行っても見つからない。それからキノコがないこと。スーパーにはマッシュルームしかないし、山本商店には松茸しかない。シメジやエノキといった日本では普通に手に入るキノコがメキシコではまったく手に入らない。
ある日カマチョとラウルにこの話をすると、「もしかしたらカヤナミさんが探しいているものがあるかも知れませんよ」と教えてくれたのがメルカド・デ・サンファン(サンファン市場)だ。二人は以前メキシコシティーに住んでいたことがあるので、この手の相談をするのに打って付けだ。
地図でサンファン市場の場所を確認すると、シティーの中央ソカロの南側の込み入った場所に位置している。去年訪れたソノラ市場はソカロの東側だ。ソノラ市場は治安面でラウルの付き添いが必要だった。サンファン市場のある場所はおしゃれな地区ではないものの、それほど治安が悪いということでもない。メキシコ人の付き添いは必要ないとのことだ。
週末、隼と一緒にサンファン市場に行くことにした。いくつかの小さな市場が点在していて、車ですぐ市場の脇まで行って路上に止められる。例によって路上で駐車を仕切っているおじさんがいて、五ペソや一〇ペソをあげると車を見張っていてくれる。
サンファン市場はこぢんまりとしているが、魚、肉、野菜がひととおり揃っていて、その品揃えは他の市場とひと味違っていた。鯛、平目、鱸などもとより、時々カサゴやアジなどが入ることもあった。どれも新鮮で、刺身にするには申し分ない。アサリ、ムール貝、牡蠣など貝類も置いてある。肉では、鴨が置いてあった。アメリカから輸入されている冷凍ものだ。小ヤギをその場でさばいているのはショックだったが、肉の新鮮さを保証しているともいえる。野菜では、白菜など普通のスーパーでは売っていない中国野菜が置いてあった。一〇種類ほどのキノコも置いてあったが、どれも形が不ぞろいで土のつき具合から野生のものとわかった。
サンファン市場は我が家を含め、日本人家族の食卓に華やぎをもたらすものになった。毎週のように行っていろいろな魚を刺身にした。私は釣りをするので魚をさばくことは得意だ。赴任時、日本から自分の名前を刻印した和包丁を持参してきている。鯛は総じて油がのっていないために、刺身としては食べられるがうまみが少ない。だが、日本食レストランで食べるよりはずっとましだ。平目は、当たり外れが大きく、当たった場合は日本のそれにかなり近いが、外れた場合は味がない。どうにか当たりと外れを見分ける方法を試行錯誤したが、とうとうその方法は見つからなかった。鱸とカサゴは外れがなく、いつも満足する味だった。アジは刺身としては食べられなかったが、味噌とネギでたたいて「なめろう」にすると酒の肴に申し分なかった。特に隼は、ごはんと「なめろう」の組み合わせが大好きだった。
アサリは、日本のそれとちょっとちがって貝殻が白く、形も丸みを帯びているが、味はまさしくアサリで酒蒸しやスパゲティ・ボンゴレに活躍した。殻付きの牡蠣は、ちょっと怖かったがそのまま殻を開けて生のまま食べた。味は日本産の牡蠣にそん色ない。メキシコ赴任中、数回この生牡蠣に挑戦したが腹を壊したことは一度もなかった。
鴨は一羽丸ごとパックされているため、さばいて腿肉と胸肉に分ける。 ガラでスープを取り、肉は厚めにスライスして鴨鍋にする。焼き鳥のように焼いて鴨焼きにしてもおいしい。
キノコは、「どう見ても毒キノコでしょ」というような毒々しい黄色や赤色のものがあったが、比較的抵抗感が少ないシメジに似たものをいくつか選んで食べてみた。しかし、食感だけはキノコだが、どれも味も香りもなかったため、それ以降買うのを止めてしまった。メキシコのキノコは松茸だけで我慢することにした。
ちなみに、この市場はゲテモノも数多く取り扱っており、怖いもの見たさも手伝って訪れるたびに楽しませてくれた。
私が趣味で作る刺身は、ホームパーティーで喜ばれた。やがて、「メキシコでもっともおいしい刺身は茅波さんところのだ」と言う人も現れるほどだったが、自分でも自分の作る刺身がいちばんおいしかったと思う。たぶんコスト無視でいちばんいい魚を買ってくるからだと思う。それでも自分で作ればレストランで食べるよりかなり安く上がる。アサリの酒蒸しや鴨料理も人気料理になって、ホームパーティーに彩を加えるものになった。不便なメキシコ生活の中で少しでもみんなと楽しみをともにできたことがうれしかった。

クエルナバカの下見

こうして、メキシコ生活での楽しみを充実していくと同時に、カブトムシ捕りの準備を進めていた。
イネヒのコピーセンターでコピーしてもらった地図を持って、まずセルヒオさんに聞きに行った。
「カブトムシはどのへんにいるの?」
「そこらじゅうにいるよ」
「そこらじゅうって、もう少し絞れないの?」
「そうだな・・・、別荘のあるこの辺とか、遊泳施設のあるこの辺とか・・・」
何点か候補をあげてもらい、地図にしるしをつけてもらった。同時に安全に関わる注意事項も聞いた。街がある場所には夜は近寄らないほうが良い、ヘビや毒虫はいないから大丈夫だ。
雨期は六月ごろ始まるのであと一ヶ月しか時間が無い。雨期が始まる前に現地の下見をしておこう。いきなり夜の田舎をうろつくのはどう考えても危険だ。日本ならまだしも、ここはメキシコだ。間違って治安の悪い場所に入り込んだり、道路の穴にタイヤが落ち込んで立ち往生したり、危険はいろいろ考えられる。
五月のとある週末、隼と一緒にモレーロス州へ出かけることにした。インスルヘンテス大通りを南下していくと途中から高速道路に入る。途中、標高三〇〇〇メートルの峠を越え、峠を降りるとモレーロス州だ。ちなみに、メキシコシティーから北以外の東、西、南の州に行くときは、必ず標高三〇〇〇メートルの峠を越えなければならない。モレーロス州の州都はクエルナバカと言い、十四世紀アステカ帝国を滅ぼし、スペインによる征服を成し遂げたコルテスが晩年を過ごした場所でもある。メキシコシティーからは車で一時間半と、手軽に来られる場所だ。
峠のドライブインで昼食のタコスを食べ、まずは腹ごしらえだ。メキシコでは、たいていどこも峠付近にドライブインがある。ドライブインと言っても、高速道路の脇に小さな飲食店が数十件並んでいる区間だ。どの店も目を引くため、派手な蛍光色の飾りをこれでもかと付けている姿は壮観だが、日本人から見ると引いてしまう。店に入ると至って普通で、どの店もタコスをはじめ定番のメキシカンと飲み物が主なメニューだ。思ったよりも建物の作りはちゃちだが、ちゃちな割には値段がシティーの相場より高めだ。観光地価格ということか。
カルニタスのタコスを五個注文する。カルニタスは塩味を付けた豚肉のかたまりを油で揚げ、細かく刻んでトルティージャに包んだタコスのことだ。お好みのサルサをかけていただく。生のトマトやトウガラシを刻んでつくるフレッシュな風味と、肉のコクのコントラストがおいしい。
腹ごしらえが終わると、峠を一気に下りてモレーロス州に到着だ。地図にしるしをしてもらった候補地につくと、早速聞き込みを開始する。道路工事で休んでいるお兄さんや、農作業の帰りのおじさんに声をかけ、写真を見せて聞いていく。その辺りに住んでいる人は大体みんな知っていると見え、もう少し標高が低い場所にいるだとか、雨が降り始めないと出てこないなどと、親切に教えてくれた。これは確からしい。
街灯の場所や商店街の雰囲気なども見ておく。メキシコの商店は、コンクリートの壁に直接ペンキで看板を書いたりメニューを書いたりするが、そのデザインや字体がメキシコ独特で、日本人から見ると怪しげに見える。中にはペンキも塗らず、コンクリートむき出しの店もあるが、それはそれで不気味に映る。だが実際には危険とか不衛生とかいうこともなく、田舎に行けばごく普通の商店だ。
それから、ライトトラップのスクリーンを張れる場所も探す。安全上、あまり人目について目立つのは良くないだろう。ロープを張る広い場所が必要だし、森が近くになければ虫がいないだろう。標高は一〇〇〇メートルから一五〇〇メートルぐらいが良いだろう。こうやって実際に場所を探して見ると、なかなかすべてにあてはまる場所を見つけるのは難しい。だが、ようやくいくつか条件にあてはまる場所を見つけた。
一日かけた調査で、だいたいモレーロス州の地理と状況がわかってきた。後は雨期になるのを待つだけだ。

ミツノサイカブト

六月に入るとほどなく雨期が始まった。
いよいよモレーロス州に出かける時が来た。夕食用におにぎりを用意する。隼は、梅干のおにぎりがいいというので、日本から持ってきた貴重な梅干でおにぎりを作る。
夕方の六時、メキシコシティーの自宅を出る。六時に出ればポイントに着くのは七時半だ。メキシコではサマータイムを採用しているのでこの時期は八時を過ぎてもまだ明るい。
現地には予定通り七時半に着いた。車で幹線から外れた農道を入っていくとほどなく雑木林を見下ろす空き地に出た。遠くふもとに小さな街が見える。高度計を見ると標高は一三〇〇メートル、この前の下見で見つけておいた場所だ。車を止め、その横にスクリーンを張る。隼がポールを持って立つ。ポールのてっぺんにロープを掛け、ロープの先端を輪にしてペグを通す。ハンマーでペグを地面に打ちつけて固定する。もうひとつのポールも同じように立たせ、二本のポールの間を一本のロープでピンと張る。そのロープに白い布を掛ける。白い布の前に同じようにポールとロープで橋を作り、ガソリンランタンを吊るす。作業は十五分もあれば終了だ。あたりはゆっくりと薄暗くなっていく。キャンプ用のイスに座って、遠くに見える山々をぼんやり眺めていると、気が付くとあたりはもうすっかり夕闇に包まれている。
「そろそろ、ランタンをつけようよ」
隼にうながされ、ランタンを取り出す。ポンプをプッシュしてタンク内に空気を送り込む。二十回ほどプッシュを繰り返すと次第に重くなり、タンク内の圧力が高くなったのが分かる。つまみを回すとシューという音がして、バーナーの先からガソリンが混じった空気が出てくる。ライターの火をバーナーに近づけるとボッという音とともに火が付く。火は最初赤黒いが、次第にマントルが白熱灯のように明るく光りだす。マントルとは、バーナーの先端につけられた袋状の灰で、熱すると明るい光を放つ。布の袋をバーナーに被せて、火を付けると袋がそのまま灰になる。灰なので脆く壊れやすく、取り扱いには注意が必要だ。
二つのランタンに灯をともし、スクリーンの前にぶら下げる。
「パパ、カブトムシ来るといいね」
「そうだね、来るかも知れないし、来ないかもしれないね」
実際にスクリーンで採集するのは初めてだったし、ランタンを使うというのも初めてだった。
「とにかく、やってみないことにはわからないからやってみよう」
チャレンジは始まった。
一通りの準備が終わった。あとは虫が飛んでくるのを待つだけだ。
「隼、おべんとう食べようか」
「うん、おなかペコペコ!」
持ってきたおにぎりのパックを開ける。お米の香りが広がる。メキシコに住むとお米のありがたさがよく分かる。ランタンの光の下でおにぎりをほおばりながら、虫が飛んでくるのを待つ。静寂の中に、シューというランタンの燃える音だけが聞こえる。
ランタンの光は強力だ。光がスクリーンに反射し、そこだけは昼間のように明るい。問題は、昆虫が集まるだけの紫外線が出ているかだ。昆虫はみな紫外線に集まる。人間には紫外線が見えないので虫の集まり方で判断するしかない。ほどなく小さな蛾が飛んできた。蛾が飛んでくるということはちゃんと紫外線が出ているという証拠だ。
しばらく待っていると、コガネムシが一匹飛んできてスクリーンにとまった。ビー玉ぐらいの大きさで、茶色の何の変哲もないコガネムシだが、第一号に隼は大喜びだ。コガネムシを捕って虫かご代わりのペットボトルの中に入れた。またしばらくすると、同じ種類のコガネムシが飛んできた。それもペットボトルの中に入れた。すると、次から次へとコガネムシが飛んできて、あっという間にペットボトルがいっぱいになってしまった。それでもコガネムシは次から次へと集まってくる。
ペットボトルのなかでもぞもぞとうごめく大量のコガネムシ・・・。
「やっぱり、逃がす・・・」
隼は急に気味が悪くなってしまい、逃がしてしまった。それからしばらく続けたが、依然としてコガネムシしか集まってこない。スクリーンはコガネムシで覆い尽くされている。
「パパ、コガネムシばかりだね・・・」
「ここには、カブトムシはいないらしい・・・」
二時間ほどでスクリーンは止め、スクリーンを折りたたんで街灯を探しに行くことにした。少し行ったところに小さな田舎町がある。下見のときに候補に上げておいた町だ。昼間の陽気さに比べ、夜の町は不気味だ。商店はすべてシャッターが降りていて、人通りもない。シャッターに落書き、窓には鉄格子。数十メートルしかない商店街は、オレンジ色のナトリウム灯が多いが、ところどころ薄暗い蛍光灯もある。薄気味悪さにビクビクしながら、蛍光灯の下を懐中電灯で探すが何もいない。
そうした小さな田舎町を二、三訪れたが何もいなかった。
町のはずれにガソリンスタンドがあった。深夜だが、まだ営業している。商店街の薄暗さと対照的に煌々と照明が灯っている。客と間違われないように車をガソリンスタンドの脇に止め、壁際や溝を探す。カーキ色のツナギを着た給油係の店員が、さっきからこちらを興味津々で観察している。無理も無い、こんな田舎でしかも深夜に外国人親子がガソリンスタンドで何を探しているというのか。
店員の好奇心が頂点に達したころ、こちらから声をかける。
「あのー、カブトムシを探しているんだけど。この辺にいるかな。子供が大好きなんです」
店員は、あーそうかと一瞬で納得し、とたんに笑顔に代わる。
「最近ここで見たよ。壁際の土の中にもぐっているんだ」
と言って、一緒に探してくれた。
しばらくすると、店員さんがほらっと、一匹のカブトムシを持ってきてくれた。
前に突き出た三本の角がある。
「ミツノサイカブトだ!やったー!」
メキシコに来てはじめてのカブトムシらしいカブトムシだ。
「ありがとうございます!!」
と親子で何度もお礼を言ってガソリンスタンドを後にした。店員さんは照れくさそうに笑顔で送ってくれた。夜更け過ぎ、家路についた。

次の週も、モレーロス州に出かけた。今度は場所を替え、もっと標高の低い南の地域に行ってみることにした。山の中の道路の脇にポツンとガス会社の貯蔵所らしき施設があり、その前が広い空き地になっている。周囲はすべて森だ。前回と同じようにスクリーンを張り、ランタンに灯をつける。ガス会社の施設には門に警備員がいる。さっきからこちらの様子を伺っていたが、たまらなくなって近づいて来た。小太りの陽気そうなおじさんだ。警備員のおじさんも恐る恐る声を掛ける。
「何をしているんだ?」
「カブトムシをとっているんですよ」
何だそうだったのかとおじさんの緊張した顔もほぐれる。
この辺りにカブトムシはいますか?と聞くと、うーんどうかな、とあまり心当たりはないようだ。おじさんは好奇心を満足させると、また警備室に戻って行った。
二時間ほど試してみるが、今度はコガネムシさえ飛んでこない。わずかに蛾は飛んでくるが、ずっと少ない。気温が低いのだろうかそれとも場所が悪いのだろうか?場所を替えてみよう。
スクリーンをたたみ、車で場所を移動する。しばらくすると、道路の右手に水銀灯が見える。メキシコでも水銀灯は珍しい。近くに車を止め、水銀灯に向かって歩いていく。水銀灯には無数の虫が飛んでいる。水銀灯の下にトラックの荷台ばかり、無造作に置かれている。トラックの荷台を扱う業者のようだ。荷台置き場の奥には業者の住まいと思われる小屋がある。水銀灯は防犯用のようだが、柵が無いので自由に立ち入ることができる。
勝手に入って怒られないだろうか。気にしつつも水銀灯の下に行ってみると、
「あっ、いた!」
地面を歩くカブトムシだ。大きさは日本のカブトムシよりやや大きい。角は無いが普通は角のある位置がこぶのように盛り上がっている。足の形がミツノサイカブトとそっくりだ。ミツノサイカブトのメスだろう。
「あっ、ここにも、あそこにも」
見るとそこら中にいる。荷台の下、荷台の中、つぎつぎと見つかる。水銀灯の根元に小さな穴がある。もしやと思い掘ってみると、そこからも出てきた。それらを次々と虫かごの中に入れる。
虫取りに夢中になっていると、キーという長いブレーキ音のあと、ガッシャン!という音が近くで聞こえた。何が起こったかすぐにわかった。この道路の手前は長いまっすぐな下り坂のあと、突然左カーブになっている。スピードの出しすぎでカーブを曲がれず道路わきに突っ込んでしまったのだ。道路に出てみると、一〇〇メートルほど向こうで、乗用車が道路脇の溝に突っ込んでいるのが見える。
周囲の民家から野次馬が出てきた。荷台置き場の奥の小屋からも白いランニングシャツを着た痩せたおじいさんも出てきた。シャツは汚れ、ところどころ穴が空いている。白髪の無精ひげが水銀灯の光で白く光っている。荷台置き場の関係者だろう。こそこそしていると怪しまれると思い、
「ここでカブトムシを捕っています」
と事情を話した。
するとおじいさんはそれには触れず、
「事故は近いかね?あっちの方かね?」
と聞いてきた。
「あちらです」
と音のした方向を指し示すと、おじいさんは道路脇から遠巻きに事故を眺めていた。やがて戻ってくると
「ありゃ、ひどい事故だ」
とぼそっと言った。
適当にあいづちを打っていると、ようやく我々がメキシコ人ではないと気が付いたらしい。
「おまえさんがた、どこから来なすった?」
「日本人ですが、今はメキシコシティーに住んでいます」
そう答えるとおじいさんは
「そうか」
とひとこと言って奥に行ってしまった。
取りあえずここでカブトムシを捕るのは黙認されたらしい・・・。
荷台置き場を離れ、道路わきの街灯を回るとあらたに二匹を見つけた。どちらもミツノサイカブトのメスだ。結局この日は十六匹をゲットした。三匹はオス、他はメスだった。
私はこの採集ポイントを“荷台置き場”と名付けた。


カブトムシツアー

たくさんのカブトムシが取れたので隼の同級生に分けてあげることにした。クラスの男子で欲しいという子が五人ほどいたので、プラスチックのカップの中に入れてそれぞれ一匹ずつあげた。
このうわさはあっという間に日本人学校の中に広がり、カブトムシおじさんとして私は子供たちの間でちょっとした有名人になってしまった。自分もカブトムシ捕りに行きたいとの声も次第に大きくなってきた。
カブトムシのポイントを教えてご自由に行ってくださいという方法もあるが、無防備に行って事件や事故に巻き込まれては大変だ。また、私が子供たちを連れて行くというのもだめだ。ここはメキシコだ。どんな危険が潜んでいるかわからない。自分の子供だけならまだしも、人様の子供を預かって万が一事件や事故があれば責任を負いきれない。
考えたあげく、親子カブトムシツアーというのがよかろうと思いついた。親がついていれば各自子供を守ってあげられるし、子供もカブトムシ捕りを体験できる。親子の良い思い出になる。そうだ、そうしよう。
隼を通じてカブトムシツアーの募集を行った。三名が募集に応じたとのことで、お父さんに確認をとったところOKだという。
カブトムシツアーと称するには、必ずカブトムシを捕まえさせなければならない。それは前回の荷台置き場が良いだろう。だが、それだけではつまらない。スクリーンでの採集も体験してもらおう。今までのトライではカブトムシは捕れなかったが、カブトムシが取れなくても珍しい昆虫が来る。昆虫好きなら十分楽しめるだろう。
問題は場所だ。参加者は自分たちを入れて四家族。かなり広い場所が必要だ。それに、四家族も集まると目立つので、目を付けられないように気を付けなければならない。毒蛇や毒虫にも注意しなければならない。安全は何よりも優先する。でも、そんなに条件がそろっている場所があるだろうか?調べていくと、荷台置き場からはちょっと離れるが、森に囲まれた丘の上に広場があることがわかった。現地に行ってみると十分な広さもあるし、森もある。森に囲まれているので目立ちにくい。ウォータースライダーのようなものや野外コンサートホールのような建物があるが、ペンキがはがれていて今は使われていないようだ。
場所としては申し分が無い。問題は安全だ。
会社に行ってセルヒオさんに聞くと、その場所ならよく知っているという。昔、プールなどがある遊園施設だったが今はつぶれて公園のようになっている。子供の頃近くに住んでいて、よくその森を抜けて遠足をしたものだ。毒蛇や毒虫はいないので安心してよいという。夜の安全が心配なら、今度見に行ってあげよう、と言って快く下見を引き受けてくれた。
数日後、セルヒオさんから報告があった。あそこだったら治安の面でも安心だ。近所の人にも聞きまわってくれたらしい。それに、夜は警備員が回っているので事情を話せば大丈夫だ。ただし、その場所にカブトムシがいるかどうかはわからないとのことだった。
場所が決まった。
七月の土曜日に日取りを決めて、ツアーの案内を作った。

土曜日午後六時半、メキシコシティーから峠を越え、モレーロス州に下っていく途中の道路わきの展望台が待ち合わせ場所だ。展望台からは遠くモレーロス州の平野が見渡せる。時間通り待ち合わせ場所につくと、既に他の家族は到着していた。子供たちはメキシコでのカブトムシ捕りに尋常でないはしゃぎぶりだ。直哉などは興奮のあまり、展望台の柵から下に落ちてしまうのではないかと心配するほどだった。
展望台で地図を広げ、景色と見比べながら採集ポイント、ツアー時間割、注意点の説明をする。説明が終わるといよいよ出発だ。四台の車が連なって採集ポイントへ向かう。
採集ポイントにつくと、早速スクリーンの準備に取り掛かる。日が沈み、空の色は青から紺へ変わりつつあり、星がちらほら見え始めてきた。森はまったくの暗闇に見える。人の顔がかすかにわかる。私は、ツアー参加者にライトトラップの準備を見せたいと思っていた。私と隼にはいつもの作業だが、他の家族にとってはちょっとしたイベントになると思ったからだ。
私はまず車からガソリンランタンを取り出した。ポンプをシュコシュコと何度か押し、マントルにライターの火を近づけると、ポッと赤黒い炎が付き、やがてそれはシューという音とともに白くまぶしい炎に変わった。みんなの顔が白熱電球に照らされているように、夕闇の中に浮かんだ。ガソリンランタンの光は柔らかく力強いが、ときおり揺らぎを生じ、人工的でないやさしさを感じさせる。大人たちは、何か懐かしいものを見るかのようにうっとりとした。子供たちは、電気ではない光に何か特別なことを感じ取ったのか、はしゃいでその辺を走り回った。私はもうひとつのガソリンランタンを取り出して同じように火をつけた。これは、ライトトラップの準備用だ。車からポール、ロープ、ペグを取り出し、手際よくロープを張ってペグをハンマーで地面に打ちつける。そこに白い布をかけると、あっという間にスクリーンができあがった。スクリーンの手前にガソリンランタンを設置すると、ライトトラップの準備完了だ。ガソリンランタンの光が白いスクリーンに反射して、暗闇の中にスクリーンの前だけステージのように浮かび上がっていた。
我々はスクリーンの近くに、それぞれ持参したキャンプ椅子を車座に置いた。我々は、それぞれが持参したお弁当を広げて、飲み物を飲みながら語らいを始めた。こうしているとキャンプファイヤーのようだ。空を見上げると、空はすっかり暗くなり、星に埋め尽くされている。街から遠く離れていること、高地であること、そして乾燥して澄んだ空気であることが、日本では見られないような星空を見させてくれる。
子供たちはお弁当を食べ終わると、スクリーンに飛んできた、珍しい羽虫や小さなコガネムシ類を見つけた。子供たちはそのたびに大はしゃぎしたが、残念ながらこの森にはカブトムシはいないようだった。大人たちはライトトラップをしながらキャンプの雰囲気を楽しんだが、どちらかというとそれは余興だ。本命は一ヶ月前に大量捕獲した“荷台置き場”だ。子供たちにカブトムシを捕らせないことには話しにならない。子供たちが眠くなる前に“荷台置き場”に行くことにした。
我々は手際よくスクリーンを片付けると、四台の車に分乗して“荷台置き場”に向かった。二十分ほどすると“荷台置き場”に到着した。道路わきに車を止めるとみんな車から降りてきた。
「あの水銀灯の下だよ」
私が子供たちに声をかけるとみんな一斉に水銀灯の方へ走っていった。水銀灯の下は昼間のように明るかった。乾燥した土の上に、無数の羽虫にまぎれて黒光りする大きな飴玉のようなものが落ちている。
「カブトムシだ!」
裕樹がミツノサイカブトを見つけて飛びついた。
「あっ、ここにも!」
直哉も見つけた。龍太も、隼も続けて見つけた。子供たちの虫かごは見る見るカブトムシで埋まっていく。
地面の上をひと通り探し終わると、私は水銀灯の支柱の下に開いている小さな穴を子供たちに指し示した。
「ほら、あの穴を掘ってみてごらん」
子供たちは一斉に土をほじくり返した。土は簡単にポロポロと崩れて、容易に穴を広げることができた。穴の入り口は小さかったが、中は少し広くなっていてその中に黒光りするものが見える。
「あっ、いた!」
穴の中にもミツノサイカブトが隠れていた。支柱の回りにはいくつか穴が開いていたが、三つに一つぐらいの割合でカブトムシが入っていた。ひと通り穴をほじくり終わると今度はトラックの荷台の中を探した。トラックの荷台は枡のように上だけが開いた箱型になっている。上から中を覗き込むと、荷台の隅にたまったごみの中にうごめく黒いものがいる。
「ミツノサイカブトだ!」
体の大きな裕樹の父さんが荷台をよじのぼって中に入り、子供たちにカブトムシを捕って分け与えた。既に子供たちの虫かごはカブトムシであふれかえっていた。
カブトムシツアーは大成功だった。どの子も満足するほどのカブトムシをゲットすることができたし、怪我も事故もなかった。私は、カブトムシツアーを企画したものの、怪我や事故が発生してはいけないとずっと気にかかっていた。無事に終わり、肩の荷が下りた気がして、ほっと息をついた。それぞれの家族は夜更けに帰路についた。メキシコに赴任した家族のよい思い出になればと、夜空の星を見上げて思った。

ベラクルスへの準備

モレーロス州でミツノサイカブトを捕っていた頃、一方ではベラクルス行きの準備をしていた。
一週間の夏休みをベラクルスでカブトムシ捕りに行きたいと菜穂子に申し出たところ、反対されてしまった。
「せっかくの休みなんだから、家族でリゾートに行きたいと思っていたのよ!」
と言う菜穂子を、
「こんなチャンス一生のうちに一度しかないから、どうかお願い!」
とようやく説得した。
「そうね。二人の夢のためなんだから・・・応援するわ。パパと隼の『男の約束』だもんね」
菜穂子はそうは言いながらも残念そうだった。菜穂子にしてみれば、楽しみにしていた家族そろっての旅行がふいになってしまったのだ。私と隼の夢の実現に、自分の楽しみを犠牲にして応援してくれる菜穂子に申し訳なかった。
「なんだったら、一緒にどう?」
と聞くと、
「何で私がカブトムシがいる場所に行かなきゃいけないのよ!」
と怒らせてしまった。確かに女性が、カブトムシがいる場所を好むとも思えない。嵐が過ぎ去るのをじっと待つしかなかった。

ジェシカによると、山塊に挟まれて美しい湖があり、湖に面して小さな街がある。街や湖のほとりにホテルがあるという。どうせならと、景色の良さそうな湖のほとりのホテルに泊まることにした。
ベラクルス州の南部に生息するカブトムシはゾウカブトとヒルスオオカブトだ。ゾウカブトは標高が低い場所にいるだろう。おそらく、標高〇メートルから一〇〇〇メートル。一方ヒルスシロカブトは一〇〇〇メートルから一五〇〇メートルだ。地形図の一〇〇〇メートルをオレンジ色に、一五〇〇メートルの線を赤の色鉛筆でなぞっていく。ジャングルの場所をグーグル・アースで確認していく。グーグル・アースはネットワークを通じて、世界中のあらゆる場所の衛星写真が見られるサービスだ。ジャングルか牧草地か、たちどころにわかる。カブトムシがいる場所はジャングルに違いない。牧草地は道路わきに並木があるだけで、カブトムシの生息には適さないはずだ。次にジャングルに通じる農道や林道を青の色鉛筆でなぞっていく。いくら豊かなジャングルがあっても、そこに近付くことができなければカブトムシに遭遇できない。農道や林道はグーグル・アースではわからない。道のように見えるが、本当に車が通れる道かどうかは衛星写真からはよくわからない。これは、地形図でしかわからない。それから、ジャングルの近くにある村をチェックする。ジャングルの近くに住む村人が、カブトムシを見たことがあるか、季節はいつか、最もよく知っているはずだ。
こうして、地形図の上にカブトムシ採集の候補地が描き込まれていく。だが、すべての条件を満たす場所はそうは多くは無い。拠点となる湖の回りに一〇点ほど候補地をあげた。あとは、現地に行って安全やスクリーン設定ができるかどうかを確認して最終決定すればよい。
ジェシカに七月二十一日の夕方に現地に到着する予定だと電子メールで連絡する。到着したら会って打ち合わせをしよう、ホテルに行くので着いたら電話をくれ、との返事が来た。オーケー、そうしようとこちらの携帯電話の番号を送った。
準備万端だ。

いざ、ベラクルスへ!

夏休みの初日、朝九時。
愛車の日産エクストレイルでメキシコシティーの自宅を出発する。メキシコシティーから隣のプエブラ州に向かう高速道の工事のため、いきなり大渋滞だ。目的地へは、メキシコシティーから東に向かい三〇〇〇メートルの峠を越え、隣のプエブラ州に向かう。プエブラ州をまっすぐいくと、途中で道は二手に分かれる。右に行くと太平洋、左に行くとメキシコ湾、ベラクルス方面だ。ベラクルス方面にしばらく進むと、一四〇〇メートルの標高差をただひたすら下る長い下り坂がある。コーヒーの産地を通り、徐々に標高を下げていく。やがて、周囲にヤシの木が目立ち始め、外の空気が湿気を含んだ熱気になるころ、高速道路は再び二手に分かれる。まっすぐ行くとベラクルス市まで六〇キロメートル、右手に行くとメキシコ湾沿いに南下する。この道はどこまでもまっすぐで、どんなに行っても道の行く先が針のように細くなるまで、ジャングルの中を地平線まで続いている。右を見ても左を見てもジャングルが延々と続く。ところどころ土の色に混濁した川を渡る。あまりにも退屈なので、アクセルをめいっぱい踏み込み時速一八〇キロメートで巡航する。退屈も頂点に達した頃、高速道路を降りる看板を見つけ、一般道に下りる。一般道といっても、これもジャングルの中を貫く一本道だ。ところどころ、道の脇に数件の粗末な家が点在する村があるが、村を通り抜けるとまたジャングルの道が続く。やがて、ジャングルを走っていて初めて道は民家と商店が軒を連ねる場所に入る。メキシコ湾の直ぐ脇を走る国道に突き当たった。突き当たりを右に曲がり、さらに南を目指す。この付近唯一の幹線のためか、スーパーやガソリンスタンドなどもあるし、国道沿いにいくつかの街が点在している。やがて、左手に湖が見え、湖の脇に目指すホテルを見つける。
メキシコシティーから八時間、六〇〇キロメートルのドライブだ。
ホテルでチェックインを済ませ、部屋に荷物を運ぶ。部屋は外からフロントを通らず出入りできるようになっていて、前が駐車場になっている。これなら、夜中に出入りするにも人に気兼ねが要らない。ベッドが二つとテレビが一台。小さなシャワーとトイレ。ベランダもある。殺風景だが清潔そうな部屋だ。
先にジェシカに連絡を取ろう。電話をかけると予想に反して男の人が出た。英語で「ジェシカはいるか」と話しかけると、相手も流暢な英語で答える。ジェシカの父親だと言う。
「ジェシカは今外出中です。今夜は遅くなるので、明日こちらから掛けなおします」
はい、わかりました、と電話を切ったものの、約束をほったらかしにされてちょっとムッとした。だが、最近ではメキシコ人というのはそういうものだとわかってきたので、腹も立たない。メキシコに住み始めた頃、水道や鍵の修理を頼んでも時間通りに来たためしがない。早くて数時間遅れ、遅い場合は翌日来たりする。
「何で約束した日に来ないんだ!」
と問い詰めると、
「昨日来たが留守だった」
と平気でウソをつく。いちいち相手をしていると疲れるだけだ。
まあ、ジェシカも同じようなものだと思いなおして夕食をとることにした。
八時間のドライブで外のレストランに行く元気は無い。ホテルで食べることにした。ホテルには簡単なレストランがあり、ファーストフードや一通りの郷土料理が置いてある。湖に面したテーブルで、親子でハンバーガーをほおばる。湖面に映る対岸の夜景を見ながら、長くて変化に富んだ今日のドライブのことを語り合った。

カブトムシポイントの下見

あくる朝、朝食を取るためにレストランに行く。
オレンジジュースとオムレツを頼む。メキシコでは、オレンジをそのまま絞った果汁一〇〇%のものだけをオレンジジュースと呼ぶ。それでは、日本のように果汁を水で薄めて甘味料を入れたものを何と呼ぶかというと、オレンジ水という。“オレンジジュース”は贅沢な飲み物だがメキシコではこれが普通だ。
レストランには我々のほかにも食事をする客がいた。二人で食事をするポロシャツ、半ズボン、サンダル履きの白人男性だ。ほかにも、一人でコーヒーを飲む白人男性もいる。年齢は五〇から六〇ぐらいだろうか。白人だが、スペイン系の白人では無い。見た目にはアメリカ人のようだ。メキシコ人はレストランで絶対に半ズボンとサンダルをはかないので、きっとアメリカ人だ。服装はラフだが、目つきや振る舞いに知性を感じる。家族で来ていないということはリゾートではないらしい。こんなメキシコの片田舎のホテルに、なぜアメリカ人がいるのだろうか?
朝凪の湖を眺めながら、コーヒーを飲む。隼と一緒に今日のスケジュールを話し合う。今日は、あらかじめチェックしておいた場所の下見に行こう。それから、今日こそジェシカに会おう。そのあと、夜の灯火採集とライトトラップに出かけよう。でも、そのまえに夏休みの宿題をしてからだ。
部屋に戻ると、ベランダに出て隼に夏休みの宿題をさせる。ベランダにはテーブルとイスが設置されている。湖畔を渡る風が心地よい。日が高く昇ったところを見計らって、ジェシカに電話する。意外にも、ジェシカは英語がほとんどと言っていいほど話せなかった。今まで英語の電子メールでやり取りしていたし、彼女の父親も流暢な英語を話していたので、当然ジェシカとも英語でコミュニケーションが取れると思っていた。取りあえず、夕方五時にホテルで待ち合わせすることになった。
宿題を終えると、下見に出かけることにした。商店の並ぶ国道をしばらく行き、小さな薬局の角を曲がる。両脇に民家が並ぶ坂道を走っていくと、次第に粗末な民家が目立ち始め、やがて民家が無くなり周囲は牧草地帯に変わっていく。時おり、牛の一行が道路をゆったりと横断している。さらに牧草地を登っていくと、やがて道はジャングルに入っていく。山のふもとには町と牧草地が広がり、山の中腹にはジャングルが残されているのだ。道路は、ジャングルの中を縫うようにして貫く。道の脇にスクリーンを張る場所を探しながら進むが、木々や雑草が道路に張り出すように道を狭くしているので、なかなか広い場所がない。道の向こうには村があるのだろうか、ときおり作業用の小型トラックとすれ違う。とにかく、行けるところまで行ってみよう。木々は、道路の上を覆っているので昼でも夕方のように薄暗い。標高は一二〇〇メートル。「この森はどこまで続くのだろう」と、だんだん不安になってきたとき、道は下り坂に変わってきた。知らないうちに峠を越えたようだ。さらに道を下っていくと、パッと周囲が明るくなった。ジャングルから出たのだ。道の脇に数件の民家があり、あたりは牧草地が広がっている。牧草地に迫るように深いジャングルに覆われた山が張り出している。どうも、山の向こう側に来てしまったようだ。
牧草地の脇に車を止めて外に出てみる。青い空にところどころ雲がある。雲は、メキシコ湾の方から流れてくるのだろうか。東の方向数キロ先にはメキシコ湾があるはずだが、牧草地の向こうにあるジャングルに阻まれて見えない。
気が付くと、十数頭の牛の群れがやってきた。牛の群れの後ろから、馬に乗ったおじさんがついてくる。よれよれのカーボーイハットに薄汚れたTシャツとジーパン。木の枝を切り倒すために使うのだろう、腰にサーベルのような長いナタを挿している。浅黒く、ぽっちゃりとした丸顔にあごを取り巻くように無精ひげを生やしているが、陽気な目をしている。
「ブエナス・タルデス!(こんにちは)」
とこちらから声をかける。
「ブエナス・タルデス」
と返すが、陽気な顔のなかにやや怪訝そうな色が見て取れる。
「カブトムシを探しているんだけど知りませんか?」
と図鑑を見せる。カウボーイならぬカウおじさんは、図鑑を手にとって見るとニヤりと笑いながら答えた。
「いくらで、買う?」
自信ありげだ。これなら期待できる。だが、値段交渉となると本能的に値切ってしまう。とはいっても、あまり安く値切ると相手もモチベーションが下がってしまう。相場もわからないが、取りあえずキリが良いところで言って置こう。
「一匹一〇ペソ!(一〇〇円)、生きているものだ」
こちらとしては貴重なカブトムシが手に入るなら、ただも同然の値段だ。言った後で、ちょっと値切りすぎたかな?とおもった。案の定、カウおじさんは、全然ダメだという感じで首を横に振った。やはり、法外な値段を吹っかけるつもりか。
カウおじさん
「十二ペソだ」
カウおじさんは、これ以上譲れないという気迫を込めて低い声で言った。
二ペソの上乗せとはセコイ吹っかけでずっこけてしまったが、それを顔に出したら負けだ。ポーカーフェイスで対抗する。
「一〇ペソだ。ダメだったらいらない」
そういって、背中を向けると、
「一〇ペソでいい、一〇ペソでいい」
とあわてて引き止める。
そうでしょうとも、とにっこり笑って握手を求めるとカウおじさんも照れくさそうに手を差し出して二人握手をする。カウおじさんは、三日くれ、その間にブツを用意するからと言う。オーケー、では待ち合わせはどこかと聞くと、
「ここをずっと下っていくと村がある。その村で自分の名前を言えば家の場所を教えてくれるので、家まで来てくれ。村の場所がわからなくても、とにかくその辺を歩いている人を捕まえて自分の名前を言えば誰でも知っている。名前はアントニオだ」
なるほど、広大な牧草地だが村というには小さすぎる数軒の集落がポツン、ポツンとあるような場所だ。離れていても、知り合い同士なのだろう。名前を聞くと、とても覚えられそうにもないので、裏が白い広告とボールペンを渡して書いてもらう。アントニオは紙を渡すと、アスタ・ルエゴ(それじゃあ)と陽気に微笑んで、遠くに行ってしまった牛を追ってその場を去った。
カウおじさんを見送りながら、隼と二人でニンマリと笑いあう。幸先が良い。
次の集落に行くと、一軒の飲み屋ある。飲み屋といっても民家に毛が生えたようなものだが、店先に掲げられたビールの看板が、土色と灰色からなる集落には不釣合いに見える。飲み屋の前を車で通ろうとすると、みすぼらしい服を着た一人の痩せた老人がふらふらと陽気に車に近付いてくる。関わらない方が良さそうだが、轢いてしまいそうなので止まると、何やら話しかけてくる。窓を開けてみると、老人は昼間から酔っ払っているようだ。とりあえず、カブトムシを探しているが知っているかと聞くと、知っているという。取ってくれたら一〇ペソで買うよ、というと、よっしゃわかったというので、三日後に来るからこの辺りにいてくれと依頼した。
じいさんと話していると、何事かと飲み屋のおばちゃんが出てきた。どうもこのじいさんは怪しげなので、車を降りて行っておばちゃんにも話を聞くことにした。おばちゃんは、中年で小太り、いかにも人が良さそうで陽気そうだ。だが、心配そうに出てきたところを見ると、いつもこのじいさんに手を焼いているに違いない。おばちゃんに、この辺にカブトムシはいるか?と聞くと、
「そうねえ、夜なんかこの電灯の回りをぐるぐる飛んでいるけどねえ」
と、近くの街灯を指差してぐるぐると指を回しながら答えた。
「季節はいつ頃ですか?」
「うーん、いつかねえ」
まったく、興味は無さそうだ。このおばちゃんからはこれ以上聞きだせそうもない。村を後にして、来た道を戻ることにした。
帰る道すがら、もういちどスクリーン張りに良さそうな場所を物色しながら戻ってくる。来るときにちょっと気に留めておいた場所があった。道の横に、ジャングルの中にぽっかりと空き地があり、空き地の奥に見上げるほどの白い十字架が立っている。十字架は、無造作に作られたコンクリートの土台に立っている。空き地の下にはジャングルが広がっている。その向こうには遠くに町がかすんで見える。教会を建てようとして断念したのか?それとも、放置された広場が荒れているのか?空き地の意味をあれこれ推測しながら、スクリーン採集に適しているか見て回る。雑草に覆われ、ところどころ砂利を含んだ地面が露出している。平坦だが、草むらのなかにところどころタイヤがはまりそうなくぼみがある。
これなら、車を止めて横にスクリーンを張れる。深い草むらを避ければ、毒ヘビや毒虫も心配ないだろう。眼下の広いジャングルに向けてスクリーンを張れば、広い範囲に光を届かせることができる。標高は八〇〇メートル。ヒルスの生息域にはちょっと低めだが、ゾウカブトの生息域には入っているだろう。取りあえずやってみよう。今夜のライトトラップの場所が決まった。


ジェシカ

目覚まし時計の音で目が覚めると、午後の四時半だった。
下見の後ホテルに戻り、今夜の採集に向けて昼寝をしていたのだ。五時にジェシカと待ち合わせをしている。隼を起こし、服装を整えていると次第に眠気から覚めてくる。地図や資料を用意する。そうこうしているうちに、時間となったのでホテルのロビーに向かった。
ロビーに行くとほどなく、玄関からラフな格好をした小柄でスレンダーな女性が入ってくるのが見えた。ジェシカだと直感して、声を掛ける。
「ジェシカさんですか?」
「カヤナミさん、ですね?」
「カヤナミです。はじめまして」
にこやかにあいさつをして、対面を喜び合った。ジェシカは、飾り気がなくすっぴんだった。かわいくないわけではない。しかし、十分に大人なのだろうに、小学生のように中性的な雰囲気をもった女性だった。
ロビーのテーブルに座って飲み物を注文し、筒状に巻いた地図を広げた。
カブトムシのいる場所を教えてくれというと、ジェシカは地図を見ながらいくつかの場所を指し示した。民家を示す黒い点が地図上にあるだけで、名前すらない集落だ。当然普通の地図には載っていない。しかし、どうやって行くのか?地図上に道が見当たらない。
ジェシカは、道はあるはずだと地図を見ながら、これが道だと言って点線を指し示した。地図では、点線の二重線が舗装していない道路ということになっている。だが、ジェシカが示した点線は二重線ではない、一本だけの点線だ。小川か、道だとしても登山道のように見える。車で行けるのか不安になってきた。もしかしたら何かの境界線かも知れない。
「これって、道なの?」
ジェシカは、
「確かに道です。車で行けます、大丈夫です」
と言う。どうも、根拠の無い自信のように思えるが、信じることにしよう。
「村についたら、ガイドを頼んだほうが良いでしょう。後はガイドが案内してくれると思います」
ジェシカは最後にそうアドバイスをくれた。
「オーケー、そうします」
何度もお礼を言ってジェシカと分かれた。
ポイントさえわかればしめたものだ。後は現地でどうにかなる。早速、明日から村に出かけるとしよう。
その前に、今夜はベラクルスに来て初めてのライトトラップだ。腹ごしらえをして、今日選んだ場所に行こう。

モハラ鯛

ジェシカとの打ち合わせが終わると、車に乗ってホテルを出た。
湖の回りはちょっとした観光地になっていて、観光客向けのレストランが何件かある。客引きにここの名物は何かと聞くと、モハラ・アル・モホ・デ・アホがおいしいという。モハラ鯛のニンニクソース掛けといったところだろうか。この辺のレストランではどこでも食べられるとのことだ。小さな街を一回りして、比較的地味な食堂を選らんで入る。
食堂に入ると窓際の席をとり、迷わずモハラ鯛のニンニクソース掛けをオーダーする。しばらくすると、料理がテーブルに運ばれてきた。大皿の上に丸ごと油で揚げたモハラ鯛を横たえ、その上に油で揚げたニンニクをこれでもかというほど敷き詰めた豪快な料理だ。モハラ鯛は、ちょうどおおぶりの鯛ほどの大きさと形で、斜めの切り込みが入れられている。切込みから肉をほぐし、揚げニンニクをからめ、塩とライムをかけて口に運ぶ。鯛のうまみにニンニクの香り、それにライムのさっぱり感がからみ、単純な料理だが奥深い味が楽しめる。塩とライムの代わりにサルサ・ベルデをかけて食べてもおいしい。サルサ・ベルデとは青トマトのフレッシュなソースだ。
「パパ、これおいしいね」
隼も満足だ。しばし、父と子で争うように食べる。二人とも無言だ。
たらふく食べて満足すると、ウェイターに聞いてみた。
「この魚はおいしいけど、そこのメキシコ湾で捕れるの?」
地図で見ると、湖の東側のジャングルの向こうはメキシコ湾だ。
「いいえ、そこの湖です」
「えっ、ここの?」
そうなのだ。臭みがなく、鯛に似たその味は当然海の魚だと思ったのだが、意外にも淡水魚だったのだ。
ちなみに、このモハラ・アル・モホ・デ・アホに味をしめ、私と隼は毎日いろいろなレストランへ行って必ず注文した。バターとニンニクのみじん切りを炒めたソースをかけたものが、どうも定番だということがわかった。だが、最初の店のものがいちばんおいしかった。最終日にもう一度食べ納めに行ったほどだ。

ライトトラップ

食事を終えると、さっそく今日決めておいたポイントに出かける。あたりはすでに夕暮れだ。国道脇には、オープンエアーのバーが何軒かあり、いい気分になったおじさんたちがビール片手に談笑している。商店には、帰宅前に買い物をする客が行きかっている。
国道から脇道に曲がり、民家の間をすり抜けて坂を上っていく。家の前にイスを出して、みんな家族で夕涼みをしている。どこか昔見た日本的な風景だ。こんな時間に山に登っていく、見慣れない車を興味深げに目で追ってくる。
空き地に着いたときは、遠くにちらほらと電灯が灯り始めていた。いい時間だ。スクリーンを張り終える頃には、あたりはどっぷりと暗くなっているだろう。
隼と一緒に車の後ろから荷物を取り出し、スクリーンの設置場所に運ぶ。言われなくても分かっている、隼はポールをつなぎ合わせて地面の上に立てている。
「パパ、ここでいい?」
「もうちょっと右、そう、そこ」
隼にポールを持たせてロープを掛け、ペグを地面に打ち付けていく。地中には大きな石がないと見え、ペグは打ち付ける毎に見る見る地中に潜っていく。
隼と二人でスクリーンを設置していると、一台の車が空き地に入って止まった。古いポンコツの乗用車だ。こちらからは暗くて車の中は見えないが、向こうからこちらを伺っている様子が見て取れる。強盗だろうか。緊張が走る。むやみに反応しない方が良いだろう。ここは、知らん振りを決め込もう。我々はポンコツ車に関心が無い振りをしているが、実際のところ緊張で会話もできない。黙々と組み立てるのがやっとだ。メキシコの犯罪はほとんどが都市部で起きる。田舎に行けばそんなに危険なことは無いと聞いたが、出任せだったのか?
やがて、こちらの様子を見極めたのか、車のドアが開いて一人の男が出てきてこちらに歩み寄ってくる。Tシャツに半ズボンの二十歳ぐらいの若者だ。
「ブエナス・ノーチェス!(こんばんは)」
怪しい者ではないことをアピールするため、こちらから元気良くあいさつする。
「ブエナス・ノーチェス」
若者も答える。見たところ悪い人間ではなさそうだ。
「何をしているの?」
若者が聞いてくる。
「カブトムシを捕っているんだ」
「ふーん」
「この辺りにカブトムシはいるかい?」
「さあ、ジャングルの中にいるんじゃないかな」
若者は周囲の森を指差して言った。
二人の会話する姿を見て、ポンコツ車の助手席からTシャツを着た女の子が出てきた。女の子は若者に後ろから近付き話しかける。
「ねえ、何をしているの?」
「カブトムシを捕っているんだって」
などと二人でコソコソ話をしているのがわかる。どうも恋人同士らしい。
「ブエナス・ノーチェス!」
と女の子にも挨拶すると、女の子も同じように返してくれた。
「この光と白い布で虫を集めるんだ」
と説明すると、ああそうか、と合点したようだが、次々と若者の頭の中に疑問が沸いて出ていることがこちらからも見て取れる。
「どうして虫を捕っているの?」
若者は続けた。趣味とかペットにするとか言ってもメキシコ人には理解されないだろう。今までの経験で、メキシコ人が虫に全く興味がないことも、虫をペットにするという発想がないこともわかっている。ここは、虫の研究をしているということにしよう。
「虫の研究をしているんだ」
答えると、若者はたたみ掛ける。
「ということは、あなたは科学者か何かですか?」
自分は科学者ではない。単なる虫好きだが、それを言ってもややこしくなるだけだから、このさい科学者で通そう。
「そうだ、大学の教授で昆虫学者だ」
大学の先生と聞いて、若者のまなざしが尊敬のまなざしに変わっていくのがわかる。
「先生、手伝いましょう」
若者はスクリーンの設置を手伝ってくれることになった。
「先生、どこから来たんですか?」
若者は手伝いながらも、なおも好奇心が満足しないと見え、質問攻めにする。
「日本からだ。今はメキシコシティーに住み、こちらの大学でメキシコの昆虫の研究をしている」
ほらがほらを呼び、もうどうにも止まらない。
若者と話しに興じていると、別のポンコツ車が次々と現れ、あれよあれよという間に数台の車が空き地に集まった。それぞれの車からカップルが出てきては、若者に何をしているのかと聞く。
若者がそのたびに、
「この人は日本から来た偉い科学者で、ここで昆虫の研究をしている」
と自慢げに説明する。
「へえー、この人が」
と我々親子を上から下まで感心しながら眺めると、スクリーン張りを手伝ってくれた。
こちらはくすぐったくてしょうがないが、今さら違うとも言えないので、どうもありがとうと厚意を受ける。ほどなくスクリーンが完成し、ランタンの灯を点けスクリーンの前に掲げると若者たちは満足して十字架の方に集まっていった。
若者たちはコンクリートむき出しの十字架の土台を腰掛代わりにして、談笑している。
その姿を見てハッと気が付いた。この場所はきっとデートスポットなのだ。暗くなる時間を見計らってここを訪れ、ムード満点の夜景を見ながら十字架の下や車の中で愛をささやきあうのだ。これは悪いことをしてしまった。愛をささやき合うはずの場所は、今やランタンとスクリーンで煌々と照らされ、ムードなどあったものではない。
若者たちは一時間ほど話し込んでいたが、やがて、がんばってねとか、じゃあねなどと口々に言って帰って行った。みんな、親切でやさしい若者だった。
若者たちが帰ると、急に寂しくなった。ランタンのシューという音と、コオロギのような虫の鳴く音しか聞こえない。暑くも、寒くもないが湿気を含んだ重い空気がTシャツにまとわりつく。ぽっかりと開いた空き地の上こそ、どんよりとした鈍く光る夜空が見えているが、周囲はランタンの光をすべて吸収してしまう黒いジャングルが迫っている。
スクリーンには蛾が数匹集まり始めているが、思った以上に虫が飛んでこない。虫がいる場所なら、種類はともかく一時間もすればスクリーンは虫でいっぱいになるはずだ。とにかく、待つよりほかにすることもない。こんなとき、隼は昔話を聞きたがる。
「パパも小さいときは、こうやって虫捕りしたの?」
「パパが小さいときは、森に行って木を蹴飛ばして捕ったんだよ」
「木を蹴飛ばすとどうなるの?」
「ドサドサ、ポタポタ、カサカサっていう音が回りでするんだ。ドサドサはカブトムシ、ポタポタはクワガタ、カサカサというのは枯れ枝だよ」
「カブトムシ、捕れた?」
「捕れたよ。耳をすまして、音の場所を覚えておくんだ。あたりは暗くて見えないからね。そうして、音の場所にすばやく行くんだ。そうすると、カブトムシやクワガタがもぞもぞ動いている。枯れ葉にもぐらないうちにすばやく捕らないといけない。一回もぐってしまったら、絶対に見つからないからね」
「ふーん」
クワガタの種類は、大きさは、どこで捕まえたか、何匹捕まえたか、どうやって飼ったか、えさはどうしたか。隼の質問は終わりが無い。話すにつれ、忘れていた少年時代の記憶が甦る。ゆっくりと、少年時代の情景を思い出しながら、なかば自分に語りかけながら夜は更けていく。

ふと空き地の向こうを見ると、ジャングルの黒幕を背景に何か点のように小さな光が見える。やや緑掛かったその光は、ふわふわと空中を漂いながら、ときおり見えなくなったり、また少し離れた場所に現れたりしている。
「ホタルだ!」
私は声を出して言った。隼は生まれてこの方ホタルを見たことがない。
「あれがホタルだよ!」
「あれがホタルなの?ワーイ!」
隼は一目散に光めがけて走っていく。
「ちょ、ちょっと待て!」
周囲はジャングルだ。それに、空き地といっても腰の高さまで雑草が茂っている。サソリや毒蛇が潜んでいるかも知れない。あわてて引きとめようとするが、隼には聞こえない。はじめて見るホタルに、頭が真っ白になっているのだ。
どうにか隼を呼び戻し、地面が見える場所にしか行ってはいけないと言い聞かせる。よくみるとホタルは一匹ではない。あちらにも、こちらにも、いくつも飛んでいる。
隼は、とりあえずパニック状態を脱し、地面が見える範囲でホタルを追い回している。キャンプイスに座りながら、そんな隼を見守っているとまた、幼少の頃の記憶が浮かんでくる。
こんなにホタルが飛んでいるのを見るのは何年ぶり、いや何十年ぶりだろうか。自分がまだ幼い頃は、ホタルなどは珍しくもなんともなく、家の周りの田園で普通に飛んでいた。いつだったか、歳の離れた姉に連れられて神社の夏祭りに行ったとき、小川の脇に無数に飛び交うホタルの中を歩いたことがある。歩いていると口や鼻にホタルが飛び込んできそうで、ホタルを手で払いながら歩かなければならなかったほどだった。その小川は秋には護岸工事が始まり、その幻想的な風景は二度と見ることが出来なくなってしまった。
ようやく隼は一匹のホタルを捕まえたらしく、おにぎりを作るときのように両手を合わせて帰ってきた。
「ほら、捕まえたよ」
そうっと両手の隙間を細く開けて中を覗き込むと、手で作った小部屋の中がホタルの光でほのかに照らし出されたり、暗くなったりしている
「ほんとだ、ホタルだ」
日本のホタルと同じく、黒くて尻の先が光る。光ると、腹の節が光で透けて見えている。隼は、しばらくホタルを観察していたが、かわいそうだから逃がしてあげなさい、と言うと観察に満足したのかホタルを空中に放った。

ふたたび、キャンプイスに座りながら待つ。
「パパ、何か来たよ!」
スクリーンの近くに黒くて大きい甲虫が現れ、辺りをぐるぐると旋回している。ランタンの光に一瞬照らされるだけだが、甲虫だということは飛び方でわかる。蛾は、羽が光を受けひらひらと羽ばたいているのがわかる。しかし、甲虫は羽が高速に動いているためひらひらという感じはなく、飛ぶ軌跡に鋭さがある。
「甲虫だ。でも、コガネムシじゃない、もっと大きい」
その甲虫は数回の旋回後、ポタッと小さな音を立ててスクリーンの下の方に当たった。
「やった!」
甲虫はスクリーンにくっついている。真っ黒で角が無くて丸っこい。羽の表面に縦の縞模様がある。頭はシャベルのように平たく半円形をしている。胸に角はないが、イボのように盛り上がっている。カブトムシではないらしい、でもコガネムシでもない。コガネムシよりずっと大きいが、カブトムシほど大きくない。
「ダイコクコガネだ!」
図鑑で見たことがある。角がある種類もあるようだが、これには角がない。メスなのか、それとも角がない種類なのか。日本のものは絶滅危惧種に指定されていて、めったにお目にかかれないらしい。
隼がダイコクコガネを手に取る。
「うわ、すごい力!」
ダイコクコガネは隠れようとして、指の隙間をほじって頭を突っ込もうとしているのだ。隼はしばらくダイコクコガネと遊ぶと虫かごに入れ、次の獲物を待つ。

ふたたび、じっと待つ。ときおり、面白い模様の蛾が飛んできて目を楽しませてくれる。が、待てど暮らせどカブトムシはいっこうに飛んでこない。ここにはいないのだろうか?
ライトトラップをあきらめて、街灯の下を探すことにしよう。手早くスクリーンをたたみ、車に積み込む。最後に、ランタンのつまみを閉めると光はスーッと細くなりやがて消えた。辺りは静寂と暗闇に包まれた。車に乗り込んでヘッドライトを点ける。ヘッドライトの光があたったところだけ、闇の中にジャングルの木々が浮かび上がる。ゆっくりと車を出し、来た道を引き帰す。ヘッドライトの光は、黒いジャングルに吸い込まれてしまう。もしここでタイヤを落としてしまったら、と不安がよぎる。朝まで助けは来ないだろう。車の中とはいえ、暗闇のジャングルで一晩を過ごすのは心細い。
走っていると、ヘッドライトに驚いたのか突然目の前に鳥が現れる。鳥は一目散に逃げ、また闇の中に姿を消す。かと思えば、目の前の道路をパッと一瞬何かが横切る。イタチのような動物だが、ほんの瞬間なので姿をよく確認できない。目の前に何かが現れるたびに、ハッとしてブレーキを踏む。
ようやくジャングルを抜け、牧草地や民家がある場所まで降りてくる。夕方には夕涼みで賑わっていた道路沿いの住宅街だが、深夜ではひっそりと静まり返っている。住宅街といっても、コンクリートむき出しの粗末な建物が道路わきに並んでいるだけだ。薄暗いナトリウム灯が、コンクリートむき出しの壁を照らしている。鉄格子の奥のガラス窓には光が無い。
住宅街を抜けて国道に出ると、ホテルにもどる道すがら街灯の下を探す。国道脇の街灯には水銀灯や蛍光灯やナトリウム灯がある。蛾の来ない街灯にはカブトムシも来ない。オレンジ色のナトリウム灯には虫は来ないので最初から無視すればよい。だが、最近では白い光でも虫が来ない街灯がある。車の中から街灯を覗き、蛾が飛んでいるものを狙う。近くに車を止め、懐中電灯であたりを探す。時折、車が国道を走る。
国道を走っていくと、深夜にひときわ明るく輝いている場所がある。やや黄色味がかった白熱灯の光が、背後の白い壁に反射している。壁にはガスと書いてあり、給油機のような箱が置いてある。白い壁には蛾が群がっている。ガススタンドのようだが、人がいない。柵も鎖もないので簡単に入れるが、黙って入ったら怒られないだろうか?怒られるだけならいいが、こちらの警備員は銃を持っている。どろぼうと間違えられて打たれたら大変だ。でも、あの蛾の群がり方は魅力だ。きっと何かいるに違いない。しばらく遠巻きに様子を伺っているが、人の気配はない。恐る恐るガススタンドに立ち入る。が、誰も現れる気配は無い。どうやら、警報装置はないようだ。
「よし、大丈夫そうだ。行こう」
懐中電灯を持って、車から降りる。コンクリートの床にはおびただしい数の蛾や羽虫が落ちている。明かりの影になっているところや溝の中も丁寧に探す。コンクリートの台の影を懐中電灯で照らしたとき、ひっくり返って足をバタバタさせている茶色の虫が。
「いた!」
ミツノサイカブトだ。モレーロス州で捕ったものと同じ形だったのですぐわかった。期待したものではなかったが、取りあえずカブトムシ一匹目をゲットだ。
その日の収獲は、結局ミツノサイカブト一匹で夜更け過ぎにホテルに帰った。

ジェシカの親父さん

あくる朝、目が覚めるとすっかり日が昇っていた。早くしないと、ホテルの朝食時間が終わってしまう。あわてて隼を起こしてレストランへ向かう。湖畔を臨むテラスの席を陣取り、オムレツとオレンジジュースを頼む。
今日はどうしよう。まず隼の夏休みの宿題をして、それからジェシカから教えてもらった村へ行ってみよう。夜は、街灯探しを徹底的にやってみよう。コーヒーを飲みながら一日の予定をゆったりと考える。どうせスケジュールが決まっているわけではない、急がなくても時間はたっぷりある。
レストランには、遅い朝食を取るアメリカ人らしき客がちらほらといる。昨日と同じ風景だ。きっと、アメリカ人の個人客が多いのだろう。それにしても、ここにいるアメリカ人はなぜか知的な雰囲気がある。隣のテーブルに座っている客は、ポロシャツ、半ズボン、サンダルという典型的なアメリカ人のいでたちで、髪もぼさぼさだが、目つきは鋭い。向かい合って何やら論議しているもう一人は、綿の襟付きシャツに長ズボン、五十を過ぎているだろうか、だが髪を肩まで伸ばしている。この歳で髪を肩まで伸ばしていられるのは、学者かロック歌手ぐらいだろう。どう考えてもロック歌手がこんなところにいるはずはない。そうすると、学者か。この周辺は豊かな自然に恵まれ、国立公園に指定されている。そうすると、アメリカの自然学者が調査に来ているのかも知れない。そうすると合点がいく。耳をそばだてて会話を聞くと、どうも典型的なアメリカ人の発音だ。このホテルは清潔さと安全性ぐらいしか取り柄がないが、このあたりでは唯一の四つ星ホテルだ。アメリカ人が宿泊するとしたら、ここぐらいしかないだろう。
このアメリカ人たちは誰なのか。こんなメキシコの片田舎になぜいるのか。なぜ、家族連れではないのか。考えると不思議でたまらない。あれこれ考えながらぼんやりとしていると、やがてコーヒーを飲み終わったのか、隣の席のアメリカ人たちが席を立った。サンダル履きの人はそのまま部屋に帰って行った。もう一人の長髪の方は、我々のテーブルの方に歩み寄ってきた。メキシコの片田舎では珍しいアジア人の親子に興味を持ったのだろうか。長髪のアメリカ人は、流暢な英語で声を掛けてきた。
「カヤナミさんですね」
「えっ!?」
どうして自分の名前を知っているのだろうか?この町には自分たちを知る者など誰もいないはずだ。ここはメキシコのど田舎だ。メキシコシティーに住む日本人もこんな田舎は誰一人知らない。知っていたとしても、好き好んで来る人は誰一人いないだろう。仕事上、メキシコに来る前からアメリカにはよく出張に行くことがあった。もしかして、仕事で付き合いのあったアメリカ人が旅行に来ているのだろうか?だが、思い出そうとしても思い出せない。この男はいったい何者なんだ。一瞬にしていろいろな考えが頭の中を駆け巡る。
パニックで声が出ないこちらの様子を察してか、長髪のアメリカ人は正体を明かした。
「ジェシカの父です、はじめまして」
やっと状況がつかめた。昨日電話したときに出てきたジェシカの親父さんだ。きっとジェシカは父親に、日本人の親子がカブトムシを捕るため、このホテルに滞在していることを話しているのだ。もしかしたら、英語がおぼつかないジェシカのために、私が英語で書いた電子メールをスペイン語に訳してジェシカに伝えていたのかも知れない。
「昨日、電話で話した方ですね。茅波です。はじめまして」
「ジェシカとは話ができましたか?」
「はい、昨日ホテルで会うことができました。地図でポイントをいくつか教えてもらいました」
ああ、それはよかったと、ジェシカの親父さんはにっこりと微笑んだ。
「ジェシカは英語がほとんどしゃべれないから心配していたんです」
「大丈夫でした。私も少しスペイン語が分かりますし、どうにかコミュニケーションが取れました」
私は昨日の結果を報告すると、続いて自分が仕事で日本からメキシコに来ていること、今はメキシコシティーに住んでいること、日本ではカブトムシがペットとして人気があること、ここにはゾウカブトという特大のカブトムシがいること、それを夏休みに親子で捕りにきていることなどを話した。
最後に、
「今日は、ジェシカに教えてもらった湖の向こうにある村に行ってみるつもりです」
と話すと、
「捕れるといいですね。グッド・ラック!」
と我々の幸運を祈ってくれた。ジェシカの親父さんはそのままホテルのロビーの方に消えて行った。
部屋に戻る前に湖畔を散歩しながら、ジェシカの親父さんのことを思い返していた。ジェシカの親父さんはいったい何者なのだろうか。
ジェシカという名前は典型的なアメリカ人の名前だ。だが、ジェシカは英語がほとんどと言っていいほどしゃべれない。ジェシカの親父さんは流暢なアメリカ英語を話すし、典型的な白人系アメリカ人の顔と体格をしている。昨日ジェシカにもらった名刺によると、ジェシカの名前は四つからなる。そのうち二つはメキシコ系の名前だが、ジェシカとスワンソンはアメリカ系の名前だ。メキシコでは、父方と母方から一つずつ苗字をもらう。すると、ジェシカの父親はアメリカ人、母親はメキシコ人ということだろうか?国際結婚すると、たいてい母方の言葉が優位になる。母親の方が子供と接触する時間が長いからだ。ましてやこんな田舎では英語教育ができる学校もないだろう。ジェシカが英語をしゃべれない理由が説明できる。
それでは、ジェシカの父親はなぜアメリカを離れてメキシコのこんな片田舎に住んでいるのだろうか?それは、ジェシカが代表を務める自然保護団体にヒントがあるように思えた。その自然保護団体のホームページを見ると、メンバーに博士、大学の研究機関、貴族が名を連ねる。アメリカ人のメンバーもいる。ジェシカはこの団体のプレジデント、つまり代表者となっているが、これだけのメンバーをまとめるには若すぎるし、話した限りは強いリーダーシップの印象もなかった。ましてや英語もしゃべれないとなると、彼女が代表というのは無理があるのではないか?
そこで、一つの物語が浮かんできた。ジェシカの父親は、アメリカの生物学者でこの自然豊かな地の調査をしていた。この地のあまりのすばらしさにいつしかここに住み着くようになり、やがて地元の娘と結婚した。ジェシカの父親は、自然破壊を見るにつけ生物学者としての心を痛めていたが、豊かな自然を守るため自然保護団体を立ち上げた。が、後継者を育てるべく代表の座を娘に譲り、自分は娘を助ける裏方にまわった。
そうこう思いを巡らせているうちに部屋についた。こんなに悩むのなら、話をしたとき聞いておけばよかった。

タランチュラの村へ

部屋に戻ると隼に夏休みの宿題をさせ、その間に昨日ジェシカに教えてもらった村への行き方を確認した。
五万分の一の地図をテーブルの上に広げる。湖を囲むように道路がある。今いるホテルから湖を半周すると、小さな村があり。村には一つだけ交差点がある。交差点を左手に曲がるとほどなく道路は実線から点線に変わる。農道のようだ。その点線を追っていくと、やがて山間部に差し掛かる。道がくねくねと曲がり、いよいよ山に突き当たるところで行き止まりだ。行き止まりには民家を示す、ゴマのような黒い点々がある。ここが目指す村だ。
隼が宿題を終えると、地図や図鑑を車に積み込む。いよいよ出発だ。ホテルを出ると、すぐに湖のほとりにある小さな町に入る。湖の向こう側に行くためにはこの町の中心を通らなければならない。さほど大きな町ではない。湖沿いの通りが目抜き通りらしく、みやげ物屋やレストランが並んでいる。湖には観光船が見える。よそ者であることは車のナンバーを見ればたちどころに分かるので、客引きが盛んに声を掛ける。ここの客引きはそれでは飽き足らず、バイクでいつまでも追い掛け回してくる。止むを得ず車を止めて、もうホテルは決まっている、観光も結構、と説明するとバイクの青年はやっと追跡を止める。そうやって数台のバイクの追跡を振り切りつつ、湖の向こうに抜ける道を探すが一向に見つからない。
この町の道路はきれいな碁盤の目状になっていて、どれか一本が湖の向こうに通じているはずだ。だが、看板も無いのでどれがその一本か分からない。ここだ、と行ってみると行き止まりになっている。何回か行ったり来たりしてようやくそれらしき道に出た。
道はアスファルトで舗装されているが、ところどころ穴が開いている。湖の周りは熱帯の木々に覆われていて、時おり右手側に湖が見える。湖を半周ほどすると、小さな村に着いた。ざっと三十戸ほどの民家が交差点の周りに点在している。
地図によると、目的の村に行くためには湖沿いの道路から山に入って行く細い道があるはずだ。この交差点がその道だろうか。交差点の角に、粗末な商品棚にガムやスナック菓子を置いただけの小さな商店がある。道路の上では子供たちがサッカーをして遊んでいる。とにかく行ってみよう。
子供たちの横をゆっくりと通り抜ける。我々が東洋人と気がついたのか、ジーっとこちらを目で追ってくる。道は五十メートルほど行くと、いきなり悪路となった。タイヤが通る轍の土が削れて雨で流され、角張った石が露出し、ナイフのように立っている。道のまんなかは残った土と石で高く盛り上がっている。このまま進めば、タイヤが引き裂かれてしまうかも知れない。かといって、横に避けるほど道幅に余裕はない。道にできたわだちにはタイヤ二本分の幅があるので、その幅のなかで最も安全な場所を選ぶしかない。比較的尖った石が少ない場所を慎重に選びながら、歩くほうが早いのではないかと思われるほどゆっくりと進む。ときおり、床の下からゴトッと石が当たる音や、ザリッと床と石が擦れる音がする。道の左右はジャングルを切り拓いて作られた牧場だ。牧場は、周囲を柵の代わりに隙間無く植えられた並木で、持ち主ごとに区切られている。並木は、人の背丈ほどの高さで切りそろえられているが、いちばん上がこぶのように盛り上がってこけしのような形になっている。切ったところから枝が生え、それをまた切ってという作業を何年も繰り返しているのだろう。
この道は、牧場に住む人たちが物資を運ぶために使っているのだろう。ときおり、レンガを積み上げた小さな家が道の脇にある。家の横には家畜小屋がある。
道が上り坂に差し掛かると、牧場地帯がジャングルに変わった。本当にこの先に村があるのだろうか。だが、道沿いに小さな電信柱が並んでいて、細い電線が先へ先へと続いている。この先に村があるに違いない。進むにつれ、左右に山が近付いてくるが、なおも電線は先に続いている。いよいよ車がやっと通れるほど道が細くなると、急な下り坂になった。緩やかに曲がる坂をゆっくりと下っていくと、目の前が急に開けた。両側に迫った山のなかに、そこだけぽっかりと平らな土地がある。二十戸ほどの民家がやや距離を置いて点在しているが、それだけで埋まってしまうほどの平地の広さだ。小さな集落だが、家のまわりや道の脇には木が植えられ、南国の赤い花が咲いている。よく手入れされているようだ。ヤシの木やバナナの木もあり、バナナの木にはまだ青いバナナの房がぶらさがっている。経済的には豊かではないが、村人たちは心豊かに暮らしているのではないだろうか。昔読んだ桃源郷の物語が思い出される。
村の入り口で車を止める。小さな村と言っても車を止める場所はいくらでもある。車を降りて、誰か人を探すが誰もいない。しばらく待っていると、おじさんが歩いてきた。おじさんは五十から六十歳くらいに見え、がっちりとした体つきだ。
「私に何かお手伝いできることがありますでしょうか?」
一通りあいさつを終えるとおじさんは丁寧な口ぶりで言った。気負うわけでもなく、見栄をはるわけでもなく、ごく自然に出てきたというしゃべり方だ。こんな山奥に似つかわしくない。
村の風景
「カブトムシを探しています、ガイドをお願いしたいのですが」
そう言いながら図鑑のカブトムシの写真を見せるとおじさんは、ちょっと見て言った。
「私は詳しくはありませんが、この村に詳しい者がいます。その者を紹介しましょうか?」
「お願いします!」
こちらです、と言うとなぜかおじさんは急に村の奥に向けて走り出した。反射的におじさんの後を追う隼。どこから現れたのか、その後を村の子供が追って行く。やや遅れて私がついていく。村の中心の広場の小さな広場に来ると、ここで待っていてくれと手で指し示しながら、おじさんは一軒の家の中に入っていった。しばらくすると、半ズボンに黄色のTシャツを着たお兄さんが現れた。
「彼がガイドをしてくれます」
おじさんが紹介してくれる。名前はアルベルトさんだという。見たところ二十五歳くらいだろうか、若いがメキシコ人らしい口ひげを生やしている。身体は引き締まっていて、スポーツマンのようだ。
カブトムシを探しているんです、と事情を話すと、今の季節は難しいな、と首を傾げる。が、とにかく探してみましょう、とあたりをほじくり返し始めた。村のあちらこちらに朽木や枯れ草が落ちている。それらを片っ端から引っくり返してみる。だが、カブトムシはもとより幼虫の痕跡も無い。
しばらくするとアルベルトさんがこれはどうだ、と言いながらバットほどの太さの朽木を持って向こうから歩いてくる。朽木は半分地面に埋まっていたと見えて黒く湿り、枯れ葉のようなごみもついている。しかし、朽木にしては大切そうに持っている。ほら、と言われて差し出された朽木をよく見ると、ごみのように見えたのはごみではなかった。毛で覆われた八本の足が朽木を抱えるようにしてくっついている。足を広げるとちょうど大人が手のひらを広げたぐらいの大きなクモだ。
「タランチュラだ!」
うひゃっと叫んで隼と二人、思わず後ろに跳び避ける。しばらく遠巻きに様子を見ながら、やがて危害を加えるものではないことがわかると、ゆっくりと近付く。よく見る黒いタランチュラとは別の種類のようだ。全体的に薄い茶色で、足の付け根がこげ茶色だ。頭胸部は異様に大きく、平たい。頭の部分には大きな二本のキバがある。二人ともはじめて見る自然のタランチュラに目が釘付けだ。タランチュラの映像はむかし、テレビで見たことがあるが、手のひらに乗るくらいの大きさだった。以前ペットショップで見たものはこの半分ぐらいだった。だがこれは、手のひらに乗せたらはみ出るくらいの大きさだ。
「これ、欲しい?」
アルベルトさんがニコッと笑いながらタランチュラの朽木を差し出す。
「ノー!」
とんでもない、と隼と二人、あわてて首を横に振る。だが、この大きさは感動物だ。アルベルトさんに朽木を持ってもらい、特大タランチュラを写真に収める。アルベルトさんは、我々を驚かして満足したのか、タランチュラを辺りの草むらに捨て、再びカブトムシ探しに戻った。
我々も、ふたたびカブトムシ探しに戻る。驚いたことに、この村ではタランチュラは決して珍しいものではなかった。落ち葉を掻き分けたり、石を引っくり返したりすると何回かに一回はタランチュラが出てきた。だが、アルベルトさんが持ってきたような巨大なものではなく、手のひらに乗るようなかわいいものだった。隼は、タランチュラを見つけるたびに歓声を上げて喜んでいる。
一時間ほど村のあちこちで探索を行ったが、ついにカブトムシを見つけることはできなかった。ジェシカが言うように、ほんとうにこの村にカブトムシはいるのだろうか?アルベルトさんも申し訳無さそうな顔をしている。
青いタランチュラ
「アルベルトさん、今の季節にカブトムシはいるんですか?」
「今は、ちょっと難しいな・・・」
「どの季節に見られるんですか?」
「そうだな・・・、十一月、十二月それから一月かな・・・」
ジェシカが言っていることとまるで違う。ジェシカは七月までがシーズンだと言っていた。隼が持っている図鑑にも、ゾウカブトは雨期が始まる五月から六月に羽化すると書いてある。確かにメキシコの雨期は五月から六月頃に始まり、一〇月から十一月頃終わる。十一月は乾季のはじまりだ。ベラクルスでは雨季と乾季が逆転しているのだろうか?それともアルベルトさんは口から出まかせを言っているのだろうか?
「そうですか・・・」
アルベルトさんにカブトムシ探しを手伝ってくれたお礼を言い、チップを渡して村を後にした。

モルフォ蝶

来た道を帰る。二人とも無言だ。期待が裏切られて、がっかりともやもやが心の中に入り乱れている。隼も同じような気持ちだろう。
道の両脇はジャングルに覆われていて、空は狭いが道路だけは日が差している。日光が真上から来ているからだ。道はカーブに差し掛かった。木々の深い緑色で作られた暗がりが、目の前で暗幕のような壁を作っている。その暗幕に、カメラのフラッシュを焚いたような一瞬の閃光がパッ、パッと光りながら移動している。光は鮮やかなコバルトブルーで、一回光るごとに数十センチほど場所を移動しているが、上に行ったかと思うと左に行ったりして方向が定まらない。しかし、全体的に見ると一定の方向に移動しているようにも見える。
「なんだ、あれは?」
思わず車を止め、光の正体を突き止めようと車を降りた。光のほうに駆け寄っていく。光に数メートルほど近付いたとき、それまで光しか見えなかったその物体は、ひらひらと羽ばたいていることがわかった。蝶のようだ。大きさは、日本のアゲハ蝶よりひとまわり大きい。それにしても、この鮮やかなコバルトブルーは・・・
「モルフォ蝶だ!」
話には聞いていた。モルフォ蝶は、羽を開いたときは目も覚めるようなブルー、羽を閉じたときは周囲に溶け込む地味な色で連続フラッシュを作り出す。そうすることにより敵を撹乱し、自分の飛行経路を悟られないようにしていると。だが、生きているうちに実際にこの目でみることができるとは夢にも思っていなかった。
なんとかして写真に撮りたい。カメラで追うが、なかなかファインダーに入らない。ピカッと光ったところにカメラを向けるとその瞬間に光は消え、また別の場所がピカッと光るという繰り返しで、どのタイミングで撮ってよいかわからない。頭上を飛んでいるので、写真が取れたとしても逆光でよく写らないかも知れない。モルフォ蝶はしばらく頭上をあちらこちらに飛び回っていたが、やがて生い茂った木々を背景に背丈ほどの高さに降りてきた。隼がすかさず手の届くところまで近付く。そのタイミングでシャッターを切った。写真の枠には入ったはずだ。もう一枚、と思った次の瞬間、蝶は木々の間に吸い込まれるように消えてしまった。
しばらく待ったが蝶はもう出てこなかった。とりあえず、撮った写真を見てみよう。プレビューを拡大してみるが、どこにも写っていない。そんなはずはない、確かに枠の中には入ったはずだ。さらに拡大して探すがそれでも見つからない。この目で見たのは幻だったのだろうか?もう一度、確かに蝶がいたはずの場所をよく見る。隼の視線の先にいるはずだ。すると、そこに何か枯葉のようなものが写っている。だが枯葉ではなさそうだ。枯葉の裏側にわずかにブルーが見える。そうなのだ。運悪く、ちょうど羽が閉じたときにシャッターを切ってしまったのだ。
写真にはうまく取れなかったが、フラッシュのように光る鮮やかなコバルトブルーが、強い光を見たあとの残像のように心に残る。モルフォ蝶を見たのだ。図鑑でしか見ることがないと思っていたモルフォ蝶を、思いもかけず見てしまったのだ。
脳裏に焼きついたモルフォ蝶に恍惚としながら来た道を引き返したが、あとはどのように帰ったか記憶に残っていない。
ホテルに戻るとすでに日が西に傾き始めている。今夜の灯火採集に備えて昼寝に入る。

巨大ナメクジ

昼寝から目が覚めると、すでに外は薄暗くなっていた。
明日はジェシカから教えてもらったポイント、エル・ビヒアに行くことにしていた。エル・ビヒアはホテルから直線距離で二十キロメートルほどだが、山脈の逆側にあるため山の裾野をぐるっと半周しなければならない。ざっと見て、田舎道を一〇〇キロメートルほど走らなければならないだろう。一般道を通って山の反対側の裾野には行けそうだが、そこから林道を行かなければならない。地図では点線で示されている道だ。エクストレイルであれば行けるだろうか。平均時速二十キロメートルで行くとしても五時間はかかるだろう。現地に着いたところで食事が取れるかどうかわからない。ホテルではピクニック用にサンドイッチのサービスがある。ホテルのフロントに翌日の朝七時に二人分のサンドイッチを予約し、外出する。
まずは腹ごしらえだ。例によってモハラ鯛が食べたくなる。今日はどの店にしようかと湖畔沿いを車で流すと、小さなホテルがあり窓越しにレストランで食事をする数人の客が見える。今日はここにしよう、とレストランに入ると窓際の景色の良い席へ通された。レストランは外観から見るよりずっと中が広く、窓際こそ人がいるものの中はがら空きの状態だった。
「失敗したかな・・・」
と思いつつメニューを見ていると、ホテルの横に大型の観光バスが横付けされた。中から年配のアメリカ人と思しき団体がどやどやと降りてくるとレストランに押し寄せ、あっという間にレストランはいっぱいになった。団体客が席について落ち着いた頃を見計らって、ベラクルスの華やかな民族衣装を着た若い踊り子が楽団の奏でる陽気な音楽とともに現れた。レストランは一瞬のうちにお祭り騒ぎとなった。一曲が終わると間髪いれずに次の曲が演奏され、踊り子も曲に合わせて休みなく踊った。おそらく、団体ツアー用に派遣された楽団なのだろうが、思いがけず我々もショーのおこぼれにあずかることができたのだ。その曲のひとつにアメリカでヒットしたポップス、“ラバンバ”の原型となるものも含まれていた。観光客用のショーであったがベラクルス州の音楽と踊りは陽気さの中にもどこか悲しげな音色を含んでいるようであった。メキシコの歴史はスペインによる侵略の歴史だ。自分の中に侵略者と征服された者の血を併せ持ち、奴隷として虐げられた生活の中にも少しばかりの楽しさを見つけて耐え忍んできた、そんな葛藤がこの音楽を奏でているのかも知れない。
このレストランのモハラ鯛ニンニクソース掛けはニンニクをバターで炒め、ソテーしたモハラ鯛にかけたものだった。上品な白身の味と濃厚なソースのコントラストが美味であった。
食事を終えると既に午後九時を回っていた。明日、遠出をすること考えると今日は無理をせず隣街まで国道に沿って街灯の下を探すことにした。国道沿いにはガソリンスタンドや学校があり、夜でもライトが光っている。ライトを見つけると近くに車を止め、地面や溝や建物の影を入念に探すがどこに行っても何も見つからない。帰り際に、国道沿いに暗い街灯がおおよそ五十メートルごとに並んでいるのが目に付いた。それは、国道に並行する歩道の街灯だった。歩道の両脇は草で覆われ、民家もまばらな薄気味悪い場所だった。が、可能性がありそうな場所はすべてチェックしようと思っていた。車を国道端に止め、街灯の下に行こうとするが国道と歩道の間は三メートルほどあり、腰の高さほどの雑草が茂っている。毒蛇や毒虫がいるかもしれない。つい昨日もタランチュラを見せられたし、以前泊まったホテルではマットの下からサソリが出てきたこともあった。懐中電灯で草むらを照らし、木の棒で周囲をつつきながら何もいないことを確認すると隼を小脇に抱えて一気に草むらを飛び越えた。幸い毒虫には刺されなかったようだ。暗い街灯の下を探していると何やら細長いものがいる。細長いというより小判型を縦に伸ばしたような形だ。長さは十五センチメートルくらいで足はなくベージュ色をしている。蛇でもミミズでもない、細長い生き物は大抵円筒形だがこの生き物は中央に厚みがあるが端は薄い。地面に張り付いている格好で、ゆっくりと頭部を左右に振りながら前進しているようである。初めて見た生き物だ。危険はなさそうだが気持ち悪い。だが、興味の方が勝って目が離せない。隼も無言でその生き物を見詰める。しばらく観察しているとその生き物の頭には角があることに気付いた。角を持っていてゆっくりとぬるぬると動く動物。そう、ナメクジだ!このナメクジは日本のものと違い、巨大で平たい。横に広いため、余計に大きく見える。
カブトムシは取れなかったが、その日は珍しいものを見た興奮で満足しながら眠りに付いた。

エル・ビヒアへの道

次の日は朝六時に起床した。湖に面したホテルのテラスで朝食を食べる。湖を渡る風が涼しい。
今日はジェシカに教えてもらったエル・ビヒアへ行く予定だ。五万分の一の地図上に、赤鉛筆でルート沿って印を付けてある。七時にホテルのフロントでお弁当を受け取ると国道を南東に向かって走り出す。しばらくすると国道から分岐して地方道路があるはずだ。だが、分岐付近に来てもそれらしい道路が見つからない。道路わきにある住宅地へ続く道はいくつかあるが、明らかに生活道路だ。道先案内表示もない。付近を何度か往復したが全くそれらしい道路は見当たらなかった。しばらく地図と道路を交互に眺めていたが、地図にある分かれ道に、場所も方向も最も似ている道路に入っていくことにした。その道路は最初の数十メートルは住宅街を通っていたが、幹線を離れるとすぐに農道となった。両脇に大人の背丈ほどのトウモロコシ畑が地平線まで続き、道路は赤茶けた土がむき出しになり轍が凹凸になっている。轍のくぼみには泥水がたまっている。
引き返そうにも方向転換するスペースがない。仕方がないのでどこかの幹線に出るまで農道を行くことにした。道路の凸凹のためにゆっくりと進む。しかし、どんなに行けども一向に幹線には出ない。トウモロコシ畑とまっすぐな泥道が続くだけだ。
「どこまで続くんだろう・・・」
道を間違えたことは明白だ。最初に計画した道はこんなにもまっすぐではないし、すぐに他の道路とも交差するはずだ。一時間走ったが依然として同じ風景が続く。このまま知らない場所に行ってしまうのだろうか・・・?
すると前方の彼方にわずかにトウモロコシ畑が途切れている場所が見えた。その途切れは次第に大きくなり、近づくと道路だということが分かった。道路は車がやっとですれ違えるくらいの幅だったが、アスファルトで舗装されているところを見ると地方道路のようだった。地方道路には出たものの右に行ったら良いか左に行ったら良いか分からない。道路標識もない。そもそも自分がどこにいるか分からない。あたりに人は見当たらない。道路わきに二軒の家があり、一軒は雑貨屋のようだったが閉まっていた。もう一軒は農家のようだった。何か近くにヒントになるようなものはないかと見回していると、農家からひとりの女性が出てきた。ついさっきまで家事をしていて、用事を思い出して近所に出かけるところだという感じだった。恐らく農作業のためか日に焼けて色黒の顔だが、肌には張りはある。
「こんにちは。道に迷ってしまいました。ここがどこか教えてもらえませんか?」
私は五万分の一の地図を広げてここはどこか指し示してもらうようにお願いした。
女性は我々に気付くと、挨拶をしながら道路を渡って近づき
「それはお困りでしょう」
と地図を見てくれた。
「うーん、これがここでしょう、それからこれがここで・・・」
女性は自分の知っている地名と地図を照らし合わせながら次第に今の場所を絞り込んでいく。そのうちに、
「今いる場所はここよ!」
と地図の一点を指し示した。それは全く予想とは違う場所だった。道に迷って知らないうちに変なところに来てしまったのだ。ただ、幸運にも目的地には確実に近づいていた。
「じゃあ、ここに行くためには右に行けばいいですね?」
と聞くと、女性は答えた。
「いいえ左です」
自分の頭の中と地図が百八十度逆転している。道に迷ったときに方向感覚までおかしくなってしまったようだ。信じられないのでもう一度女性に聞く。
「本当に左?」
「左です」
女性は、地図を見ながら信じられないという顔をしている私を見ながら、おかしそうに笑って答えた。
「分かりました。左に行きます。どうもありがとうございました」
礼を言う我々に女性は微笑みながら、左に行く我々を見送ってくれた。
しばらく走ると女性が言ったように左が正しいことがわかった。地図ではよく分からなかったが、女性と会った場所は道が蛇行していていたため、道の方向と地図の方角が一致しなかったのだ。
当初計画したルートとは違ったが、その後目的地への進行は順調に進んだ。分かれ道を慎重に選びながら、ジャングルを切り裂いたまっすぐな道路を駆け抜け、牧場を横目に走り、小さな町のお祭りを見物し、車はエル・ビヒアのふもとの町についた。小さなT字路があり、ここだけ何軒かの商店や市場が並んでいる。道路には赤茶けた土が浮いている。ここでは四駆の小型トラックがバス代わりなのか、荷台に人を乗せたトラックが行きかう。トラックが止まるとばらばらと人が降り、同時にざわざわと乗り込む。地図によるとT字路を左に曲がり、しばらく行くと右に入る道があるはずだ。ゆっくりと右側を確認しながら進むと民家の横に見過ごしそうな路地がある。道路標識はないが、地図が示す道路だ。そこを入ると間もなく民家はなくなり、しばらく森が続いたあと周囲は牧草地であろうか草原となった。土の道路は鋭い石のごつごつした林道へと変わった。車は右に左に大きく揺れながらゆっくりと林道を上がっていく。タイヤがパンクしないように尖った石を慎重に避けながら進む。はるか前方に数人を荷台に乗せた小型トラックがやはりゆっくりと林道を上がっていく。その光景を見て、なぜここではトラックがバス代わりなのかその理由がわかった。バスではこのような険しい道を行けないのだ。恐らくここでは周囲の村々からこのトラックの荷台に乗って町に出て買い物をし、またトラックに乗って村に帰っていくという暮らしをしているのだ。
間もなくトラックは視界から消えた。ゆっくり行くように見えたがトラックは我々よりわずかに速かったのだ。道先案内人を見失って心細かったが一本道なので迷うことはなさそうだ。ジェシカも道はあると言い切っていた。しかし、人里離れた山の中で車にトラブルが生じはしないかと心配だった。鋭い石を踏んでタイヤがパンクしてしまっても不思議ではなかった。気を抜くとすぐにでも道のくぼみにはまって抜け出せない。ボコボコというタイヤが跳ねた石が車体に当たる音も、「ここは都会の人が来る場所ではない」と言っているようであった。もしここで立ち往生してしまったらどうしよう。泣き出したい気持ちを抑え、とにかく行けるところまで行ってみようと勇気を振り絞る。
そうした気持ちとは裏腹に、どんなに進んでも村らしきものは見えてこない。やがて前方に、川のようなものが見えた。だが、水が流れていないから川ではない。一抱えもある灰色の岩がごろごろと転がる河原のようなものが山の上から下まで川のように続いているのだ。その岩の川の上に盛り土をし、大きな岩は横にどかされて形ばかりの橋が作られている。道路は盛り土の橋に続いている。恐らくここは大雨が降ると川になるのだろう。川の水が表面の土を削り、下の岩を露出させているのだろう。盛り土の橋も大雨のたびに流されているに違いない。
盛り土の橋は岩の部分が高く残り、土の部分は削られて深いくぼみになっている。道路というには危険すぎる。今まで勇気を振り絞って進んできてはみたが、今度だけは本当に立ち往生するかもしれない。だが、ジェシカはエル・ビヒアこそはカブトムシのポイントだと言った。そこはすぐこの先にあるはずだ。ここであきらめるわけにはいかない。橋の前に車を止め、表面の状態を調べてみることにした。凸凹は激しいものの、高い場所を選んでいけばくぼみに落ちずに済みそうだ。橋は三十メートルほどだ。左右のタイヤが落ちないようにルートを作り、高い岩を目印にして頭に叩き込む。車に乗り込むと橋の前で車を一旦止めた。橋の全容を眺め、もう一度ルートをイメージするためだ。
ルートが完全に頭に入っていることを確認するとゆっくりと車を前進させた。車で行くと、思ったより路面の凹凸は激しかった。体が大きく左右に振られ、頭をぶつけそうになる。車体が地面に接触し床下からガリガリと歯の浮くような音がする。このまま車体が岩の上に乗ってしまったら亀のように動けなくなってしまうだろう。三十メートルを渡るだけだがなかなか向こう側に着かない。五回ほど床下を擦ったとき、ようやく橋を渡り終えた。タイヤも車体も無事のようだ。気を取り直して再び前進を続ける。しばらくすると高台に数件の民家が見えた。そこが目指すエル・ビヒアなのだろうか?村に近づくと道はいきなり急な上り坂になった。坂を登ろうとするがタイヤがすべる。土が湿っているうえに小石が混じっているからだ。アクセルを踏みすぎるとタイヤが空回りする。タイヤが滑らないようにすると上まで登れない。後ろまで下がって勢いをつけて登るのだが、あと一歩のところまでいくがズルズルと滑ってしまう。一〇回ほどの挑戦でやっと高台に上がった。ホテルを出て五時間が経っていた。


エル・ビヒア

道はその村で終わっていた。ここが目的の村なのだろうか?緊張で忘れていたが腹が減っていることに気付いた。ホテルで作ってもらったお弁当を食べる。チーズとハムと野菜がたっぷりと入ったサンドイッチだ。食べ終わって周囲を見渡すと、そこはわずかに五軒ほどからなる小さな集落だった。どの家も隙間だらけの粗末な板の壁に、低いトタンの屋根でできている。トタンはところどころ錆が見える。
ロベルトの家
我々は車を止めた近くの一軒を訪れることにした。庭の木にはロープが張られ、洗濯物が干してある。ニワトリが地面で何かつついている。玄関といっても扉らしきものはなく、外の地面がそのまま家の奥へと続いている。この村に来てまだ誰とも会っていない。どんな人が住んでいるのだろうか?中は暗くてじっとりとしている。
「こんにちは、誰かいませんか?」
玄関から中に向かって声をかけるとやがて中から日に焼けたおじさんが出てきた。白いTシャツに作業ズボンをはいている。髪の毛には少し白いものが混じっていた。顔に刻まれた深いしわは、この地の厳しい生活をうかがわせた。
おじさんはこんな山奥まで訪ねてきた、おそらく初めて見る東洋人の親子に戸惑っているようだった。そこで、我々が日本人であること、メキシコシティーに住んでいること、夏休みを利用してカブトムシを取りにきたこと、そしてここにカブトムシがいると聞いてきたことなどを話した。話し終えるとおじさんは状況を理解したらしく、協力を申し出てくれた。おじさんは名前をロベルトと言った。
「ここにいるかどうかわからんけど、とにかく探してみよう」
そう言うと家の中にいた三人の息子を呼び寄せた。年齢は中学生か高校生くらいに見えたが、学校に行っているのかどうかは分からない。ロベルトは三人の息子に事情を話すと、お前は向こうの山へ行け、お前はこちらの谷へ行けと、てきぱきと指示を出した。そして我々親子に、こちらに来いと手招きして歩き出した。村の周囲はジャングルに囲まれている。ロベルトは朽木を見つけるとザクザクと掘り、木の根を見つけると隙間をまさぐったりした。隼もロベルトに従って掘ったりまさぐったりした。ロベルトは隼を気遣って朽木掘りを手伝わせてくれた。隼が自分でやりたいことを察しているのだ。やさしく笑いかけてスコップを渡す。隼もうれし恥ずかしスコップで朽木を掘る。言葉は通じないが、隼はロベルトの優しさを感じていたようだ。三、四時間ほどジャングルを探し回ったがカブトムシも幼虫も出てこなかった。そのかわり、二匹のクロツヤムシを見つけただけだった。村に帰ってきて、何も収獲がなかったことと疲れで隼は無言だった。三人の息子も帰ってきて、やはり何も取れなかったとのことだった。ロベルトはすまなそうな顔つきで我々を眺めていた。
朽木を掘る隼

既に夕方に近づいていた。明るいうちに林道を戻らなければ帰れなくなる可能性がある。我々はロベルトと三人の息子にもう帰る時間だということを告げ、半日我々のために時間を割いてくれたことに礼を言ってチップを渡そうとした。ロベルトは手でそれを制止して言った。
「それは頂くことができない。あなたは私の家を訪ねてくれたお客様です。お客様からお金を頂くことはできないのです。我が家に来てくれてありがとう」
ロベルトはやさしい目で微笑んだ。これには少なからず驚いた。メキシコでは人に何かしてもらったらチップを渡すことは常識だし、もらう方もそれに慣れている。チップを断られたことはメキシコに来て初めての経験だった。ロベルトは本当に我々のことをお客様として認めてくれていたのだ。私は彼らの優しさに対しお金で報いようとしたことが恥ずかしかったが、恐らくもう二度と会うことのない彼らに対してどうしてもお礼をしたくなった。
「ビールでも飲んでください」
私はビールが二ダース買えるお金を無理やりロベルトの手に握らせようとしたが、ロベルトは最後まで受け取りを辞退した。だがとうとう根負けして私の謝礼を受け取った。私は大事にしていたアーミーナイフも
「記念として受け取って下さい」
と手渡した。ロベルトは、今度は辞退しようとしなかった。私の気持ちを察して素直に受け取ろうと思ったのだろう。我々は、何度もお礼を言って車に乗り込んだ。バックミラーに、車を見送るロベルトと息子たちが見えた。カブトムシは取れなかったが、この村で大切なものを見つけた気がした。

ピサロタテヅノカブト

あくる日の朝、目覚めると既に外は熱帯の陽光が降り注いでいた。昨日、エル・ビヒアからホテルに戻ったのは深夜だった。今日はゆっくり過ごすつもりだ。
ホテルのテラスで朝食を済ませ、部屋に戻るとベランダで隼に夏休みの宿題をさせる。今日はアントニオとの約束の日だ。彼はカブトムシを手に入れただろうか?宿題が終わったらアントニオの村へ行き、そのついでに夜のライトトラップの場所を下見するつもりだ。
宿題が終わると先日アントニオと会った場所に向かう。ジャングルの中を縫うように続く道を登る。峠を越えるとそこはメキシコ湾に面した丘陵地帯だ。ジャングルを抜けると小さな村があり、それを過ぎると牧草地が広がる。アントニオにはここで会った。アントニオはメキシコ湾の方向を指差し、あちら側に自分の家があると言っていた。言われたように砂利と土が混じった道を進む。しばらく行くと一〇軒ほどの小さな村があった。どの家もコンクリートでできた飾り気のない小さな家だった。道を歩く村人を見つけ、アントニオの家はどこかと聞くと村のいちばん奥の家だと言う。教えられたようにその家に行くと、他の家と同じ小さな粗末なコンクリートの家だった。外から無防備に家の中が見えた。
「こんにちは」
声をかけると中からアントニオが現れた。カーボーイハットをかぶっているアントニオには精悍さを感じたが、かぶっていないとどこか気の優しい普通のおじさんのように見えた。アントニオは我々親子とわかると家の奥に向かって声をかけた。すると奥から中学生くらいの少年が、透明なプラスチックの筒を持って現れた。少年はアントニオの息子なのだろう。アントニオは自信なさげに
「これがカブトムシだ・・・」
と我々に見せた。
プラスチックの筒の中にはぎっしりとカブトムシの死骸が詰まっている。
「ピサロタツヅノカブトだ!」
心の中で叫んだが声には出さなかった。死んではいるが標本にはできる。だがもの欲しそうな顔をすると足元を見られる。
「これ、死んでるよ。死んでるものは一匹一ペソだ。いやなら買わない」
アントニオはあわてて、
「わかった一ペソでいい」
と言った。
死骸の数は二十匹ほどだった。全部で二十ペソだ。アントニオは息子に対して済まなそうな顔を見せた。私はことの次第を悟った。アントニオは私と約束を取り付けると息子にカブトムシを取ってくるように言ったのだ。その対価は息子の小遣いになるはずだった。息子は喜び勇んでジャングルを探し回ったに違いない。だが、生きているカブトムシは見つからなかった。しかたなく、死んだものを集めてきたのだ。アントニオ親子の落胆を思うと申し訳ない思いがしてきた。
「全部で五十ペソで買う。そのかわり、このカブトムシはどこにいるのか教えてくれ」
というとアントニオは付近の山々を指差して、この辺にいると教えてくれた。
私はアントニオ親子と笑顔で握手をし、その村を離れた。先日酔っ払いのじいさんと約束した村に行ったがじいさんはどこにもいなかった。

アントニオによるとピサロタテヅノカブトはこのあたりの山々にいるということだ。だが、我々が来たのがわずかに遅かったのだ。ジェシカも七月に入るとちょっと遅いといっていた。これは、ピサロタテヅノカブトのことを言っていたのではないか?だとするとピサロタテヅノカブトのシーズンは少なくとも六月以前だ。だが、目指すゾウカブトはまだ見ていない。図鑑によるとゾウカブトは、雨季の始まる六月頃に出始めるとのことだ。寿命は半年とのことだから、七月なら十分に生存しているはずだ。
この付近は近くまでジャングルが迫り、その手前に広々とした牧草地帯がある。四方のジャングルに向けて白いスクリーンを広げ、光を放てばジャングルに広く行きわたるに違いない。そしてそのジャングルには少なくともピサロタテヅノカブトが生息していた。カブトムシの生息に適したジャングルということだ。ゾウカブトが似たような環境を好むと考えてもおかしくない。ベラクルス最後の夜はここでスクリーンを張ろう、と決めた。

プールサイド

ホテルには正午過ぎに戻った。
隼は、ホテルのプールで遊びたいと言った。ホテルには湖に面してプールがあり、小高い岩や滑り台などが備え付けてあった。プールサイドにはビーチベッドとビーチパラソルが並んでいる。今日の昼寝はプールサイドですることにした。ボーイに、セルベッサ・ミチュラーダを頼む。セルベッサはビールのことだ。ミチュラーダとはメキシコ特有のビールの飲み方で、ビールにライムを搾り入れ、グラスの端に塩を付けたカクテルのようなものだ。ライムのさわやかな香りが加わるとビールはまったく別の飲み物になる。一度これを飲み始めると病み付きになる。似たような名前でチュラーダという飲み方もある。これはビールにウスターソースを入れたものだ。ビールの色はウーロン茶ほどにも黒くなり、ウスターソースの匂いが鼻をつき、飲めばビールとウスターソースが不協和音のように調和しない。なぜメキシコ人がこんなものを好んで飲むのか全く理解できない。さらに面倒なことに、ミチュラーダとチュラーダは地方によって入れ替わることがある。いつぞや、ミチュラーダを頼んだときにソースが入った真っ黒なビールが運ばれてきたときはショックだった。
「私が頼んだのはライムと塩の・・・」
と言うと、それはチュラーダだと言う。それ以来、ミチュラーダを頼むときは、
「ミチュラーダ、つまりビールにライムと塩の・・・」
と付け加えなければならなくなった。
それはともかく、ミチュラーダを飲みながら湖を見ているとそれだけで心が落ち着く。隼はプールをよほど気に入ったのか、岩の上から何度も飛び込んだ。

夕方、早めの食事を取る。腹いっぱい食べて今夜のライトトラップに備えなければならない。それに、明るいうちにセッティングしたい。

ベラクルス最後の夜

日もそろそろ沈みかけ、いよいよ暗がりがあたりを包みかけようとする頃、スクリーンとライトのセッティングが終わった。昼間、下見をした場所だ。山脈の裾野は深いジャングルに覆われている。ジャングルの回りをいくつもの牧草地や農地が取り囲んでいる。この場所は東にメキシコ湾を望み、三方をジャングルに面している牧草地だ。車で牧草地の中ほどまで乗り込み、スクリーンを張る。キャンプイスを広げる。クーラーボックスには飲み物を入れてある。夕闇が深くなるにつれ、深い霧が周囲を包む。もしかしたら、霧のために光がジャングルまで届かないかしれない。ランタンに火を入れ、蛍光灯とブラックライトに車から取った電源をつなげる。重く湿った空気が体にまとわり付き、Tシャツが重くなる。車は電源を取るためにアイドリングをかけたままにしている。アイドリングの音は鈍く霧のなかに吸い込まれ、あたりは静寂に浸される。ジャングルが黒い壁となって立ちはだかる。やがて木々と空との境は区別がなくなり、周囲は闇に包まれた。今宵はベラクルス最後の夜だ。この夜を楽しみたい。
キャンプイスに座り、飲み物を片手にスクリーンに集まる昆虫を見ているだけで楽しい。たいていは小さな羽虫だが、たまに珍しい模様の蛾や羽虫が飛んでくる。夜が更けると霧が晴れてきた。空気中の水分が少なくなり、透明度を増してきた。空を見上げると満天の星が輝く。小さい頃に読んだ絵本、『もちもちの木』の「星に手が届きそうだ」というひとことがふと思い浮かぶ。
今、メキシコ湾の南端のジャングルの中で過ごしていることが、まるで夢のように思える。日本では何年もこんな夜空を見たことがない。メキシコ湾から吹く風がそっと肌をなでる。七月だが夜の風は肌寒い。湿ったジャングルが昼間の熱を吸い取ってしまっているようだ。
夜更けまで待ったが、結局この日の収獲はダイコクコガネ二匹に留まった。いったいこのジャングルに本当にゾウカブトはいるのだろうか?落胆のうちにホテルに帰った。
ホテルで待ち構えていたのは巨大なガマガエルだった。駐車場のライトに集まる虫を食べにきたのだ。ガマガエルは我々を見つけると跳ねるというよりも這うように、重そうな体に鞭打って逃げようとするが、すぐに隼につかまってしまった。そして落胆していた隼を喜ばせた。カエルの大きさは子猫ほどもあった。ジャングルではすべてが大きい。

あくる朝、メキシコシティーに戻る前に大学の熱帯生物研究所を訪れることにした。研究所はメキシコ湾に面した山の中にある。研究所というにはあまりにも小さい。民家のような建物だったが、入り口に研究所を示す看板があったためそれとわかった。中に入ると一室が展示室になっていて、付近で採集された昆虫が標本として展示されていた。その中に、ゾウカブトがあった。やはりゾウカブトはこの付近にいるのだ。展示室の隣は研究室になっていて、開いているドアから若い研究員らしき男性が見えた。その男性は我々をちょっと見るとまた机に向かった。私が声をかけると研究員は微笑みながら話を聞いてくれた。
「このカブトムシはこのあたりにいるのですか?」
と私が聞くと、そうだ、と答える。やはりゾウカブトはここにいるのだ。だとすると季節が違ったのか。それとも、もっと限られた場所に生息しているのか。研究員はゾウカブトの生態にはあまり詳しくないらしく、
「場所は良く知らない。季節は、そうだな八月くらいかな。それとももっと遅かったかな・・・」
とあいまいな返事をした。
我々は研究員にお礼を言い、仕事に戻ってもらった。他の標本を見ていると、その中にモルフォ蝶もあった。やはり数日前、我々が見たのはモルフォ蝶だったのだ。
ゾウカブトは取れなかったが我々親子にとっていろいろな経験ができた旅であった。

文献調査

夏休みが過ぎ、二年目のシーズンが終わったが、ゾウカブトの手がかりは得られなかった。メキシコ赴任は三年間だ。三回のチャンスのうち既に二回は使ってしまった。残りは一回だ。残り一回のチャンスで隼との約束を果たさなければならない。必要なのは情報だ。情報が欲しい。インターネットは既に調べつくした。いや、調べ方が悪いのか?インターネット以外の方法はないのか?
ゾウカブトには学名がある。メガソーマ エレファス(Megasoma elephas)という。メガソーマはゾウカブト属、エレファスはゾウのことだ。一般にはエレファスゾウカブトと言う。我々が目指しているのはこのエレファスゾウカブトだ。もう一種、メキシコにはゾウカブトがいる。メガソーマ オキシデンタリス(Megasoma occidentalis)だ。オキシデンタリスは“西の”という意味らしい。そういえば、まだ学名で調べたことはない。学名で調べるという発想になぜか行き着かなかったからだ。子供の頃の経験で、カブトムシがいる場所は自分の足と口コミで突き止めるという行動パターンが刷り込まれているからに違いない。今はインターネット時代だが、その原則は変わらない。ある程度の地域は絞り込めても、カブトムシが集まる木は決まっている。その木が見つからなければ結局捕獲には至らない。その特定の木の場所をインターネットで公開する人はいない。しかし、すでにチャンスは一シーズンと決まっている。何らかの手がかりを得なければならない。
学名で調べていくと、いくつものヒットがあった。その中に論文のタイトルらしきものがあった。そう言えば、今まで論文を調べたことはなかった。カブトムシが論文になっているとは思いもしなかったからだ。検索の対象を甲虫全般に広げ、それらしい論文を探してみた。論文の本文は公開されていないため、タイトルだけをひたすら集めた。タイトルだけといっても、その中に著者、雑誌名、発行年が書かれている。丸二日間かけて集めた論文のタイトルは全部で二〇六九本あった。多くの論文は英語で書かれたものだが、スペイン語で書かれたものもかなりの量が含まれている。ところが、論文のタイトルは集めてみたものの、二千本以上の論文の中からどの論文に必要な情報が書かれているのか検討がつかない。タイトルを理解するだけでも相当な時間を要する。いちいち読む気がしない。
そこで、パソコンの表計算ソフトを使い分析をおこなうことにした。まず、論文のタイトルをすべて表計算ソフトに移し、その中のキーワードを拾っていくのだ。キーワードは、カブトムシの学名やメキシコの地名などだ。こうして絞り込んだ論文は十三本だったがほとんどがスペイン語で書かれたものだった。
さて、この論文はどうしたら手に入るのだろうか。論文は学術雑誌に掲載されている。雑誌といっても本屋さんで売っている雑誌とは違い、文字ばかりでたまにグラフや写真などが載っているだけだ。普通の人はまったく読む気がしない。本屋さんの店先に並ぶことはなく一般の人が目にすることもない。研究者や図書館に直接送られるのが普通だ。いちばん置いてありそうなところは大学の図書館だ。大学の図書館と言えば・・・そうだ、メキシコ国立自治大学の図書館だ。

UNAM

メキシコシティーを縦に貫くインスルヘンテス大通りをしばらく南に行くと、街並みが切れ視界が開ける。右手にスタジアム、左手に公園のような広い空間と木々が見える。その空間の中に、まばらに配置されるように建物郡が見える。メキシコ国立自治大学(Universidad Nacional Autonoma de Mexico)は、その頭文字からUNAM(ウナム)と呼ばれている。今年、これらの建物郡は世界遺産となった。メキシコシティー南部のコヨアカン地区に位置し、広大なキャンパスの中に学部、研究所、博物館、図書館があり、オリンピックスタジアムまでも含まれている。あまりの広大さに大学都市と呼ばれている、ラテンアメリカ最大の大学だ。そのなかでも、全体をモザイク画で埋め尽くされた巨大なビルディングが遠くからでも目を引く。中央図書館だ。メキシコ人部下に聞くと、UNAMの中央図書館は一般でも利用できるとのことだ。九月中旬の土曜日の朝早く、隼と一緒に中央図書館に行ってみることにしたのだ。
インスルヘンテス大通りからオリンピックスタジアムの脇にそれる道を入ると、大通りの下をくぐって中央図書館のある反対側に出る。木立の中の道をしばらく行くと図書館の裏にある駐車場に出る。車を駐車場に置き、図書館に向かって歩いていくと中央図書館のモザイク画が迫ってくる。近くで見るとそれは、モザイク画に込められたメッセージとともに覆いかぶさってくるような威圧感がある。

九月とはいえ、メキシコシティーの朝は寒い。広大な大学の敷地には、二名の学生が話をしながら歩いているだけだ。足早に正面玄関を入るとそこはロビーとなっている。ロビーを中ほどまで行くとエレベータがあり、各階の案内がある。歴史、経済、工学などと各階ごとにジャンルが決まっているようだ。目指す論文がどこにあるかわからないため、とりあえず最上階まで行き、一階ずつ下りながら見ていくことにした。
エレベータを降りると、そこは小さな広間となっていて左右にガラスの扉があり、エレベータの向かいは階段になっている。ガラスの扉にはジャンルが書かれており、その奥が書庫となっている。ジャンルはスペイン語で書かれているため判りにくいが、とりあえず動物や生物に関係しそうな単語を探してみる。一通り探して見当たらないと下の階に降りる、というように探していくと二、三階降りたところでそれらしき単語が見つかった。ガラスの扉を開け書庫の中に入ると、入り口の近くに閲覧用の机が数台置かれ、その回りを書棚が取り囲んでいた。書庫の内部は天井の蛍光灯で照らされているが、天井は低く外の光もほとんど入ってこないため、地下室にいるような重苦しさがある。心なしかかび臭くも感じられる。中央図書館の外壁は、ほとんどがモザイク画で飾られている。窓が多いとそれだけモザイク画のキャンバスは制約を受ける。それを嫌い、極力窓を小さくするよう作られているのだろう。
さて、何列にも整然と並べられた書棚の間を歩きなが本の背表紙を見ていくと、どうやら動物関係と思しき書物が並んでいる一画に当った。片っ端から手に取ってみたが、ほとんどが文章だけのもので、読む気も起こらないものばかりだった。たまに写真が載っている本を見つけたが、哺乳類や鳥類などに関するもので昆虫に関するものは見当たらなかった。ひとつだけモナルカ蝶に関する本を見つけた。モナルカ蝶は、冬にメキシコで越冬し、春から夏に三から四世代かけて北アメリカまで移動し、夏の終わりとともにメキシコに戻ってくるという珍しい蝶だ。北上するときは世代を重ねるが、戻るときは三五〇〇キロメートルを一気に飛んでくる。森で越冬する際は、あまりに多くの蝶が木の枝にとまるため重みで枝が折れることもあるという。メキシコ滞在中に見てみたいが今はカブトムシの方が優先する。その本はそっと書棚に戻した。
書庫の隅々まで調べてみたが、学術雑誌が置かれている形跡は見当たらなかった。再び館内を探していくと、今までの書庫とは違うコーナーがふと目に入った。普通の書庫は中まで自由に立ち入ることが出来るのだが、そこだけカウンターで仕切られていて自由に中には入れない。カウンターの奥に書棚が並んでいて、カウンターには地味な服を着た中年の女性事務員がにこりともせず立っている。カウンター越しに見える書棚の間隔は狭く、照明も暗い。書庫の奥に牢屋のような小さな窓がひとつ、外部の光を取り入れているだけだ。そのためか愛想のない事務員と相俟っていっそう陰気くさく思える。ただ、書棚の本はどれも製本されている様子であったため、学術雑誌のコーナーと思われた。学術雑誌は数冊毎に束ねられ、一冊にまとめられて立派な表紙を付けられる。そのため、外見は百科事典のようになる。
私は隼を引き連れてカウンターまで行き、
「おはようございます」
と言うと、事務員は事務的に
「おはようございます」
と答えた。
私は紙にプリントした雑誌と論文のリストを見せて、
「この雑誌ありますか?」
と聞くと事務員はそれには答えず、カウンターの脇に置いてある名刺ほどの大きさの紙を指差し、これに書けという。この紙に雑誌名と論文名を書くらしいが、住所、名前、電話番号も書かなければいけないらしい。言われるままに用紙を埋めて事務員に差し出すと、事務員は紙を一瞥すると何も言わずに書棚の奥に消えていった。ほどなく事務員は数冊の雑誌を持って現れ、雑誌をカウンターの上に置いた。確認すると用紙に書いた雑誌だったが、全部ではなかった。事務員は、
「これらの雑誌はありません」
と、無表情のままリストのなかのいくつかのタイトルを指差した。
「問題ありません。ありがとうございます」
と、それらの雑誌を手に取ろうとすると事務員は怒ったように制止し、
「身分証明書を出してください」
と言う。
「エッ?身分証明書ですか?」
身分証明書とはパスポートのことか?学生証がいるのか?今持っているものといえば免許証ぐらいしかない。だが、免許証は買ったものだ。免許証が身分証明書になるのか?恐る恐る免許証を差し出すと、事務員は不機嫌な様子でひったくるように免許証を取り上げ、クリップで用紙とともに挟んだ。そして、
「行ってよし」
というように、にらむような目で合図した。この事務員は長年この穴倉のような書庫で鬱々と雑誌探しをしているためにこうも性格がゆがんでしまったのか?何はともあれ雑誌を借りることはできた。確か、ロビーにコピーサービスがあったはずだ。エレベータでロビーに行くと、手頃な机を見つけて抱えていた雑誌を机の上に置いた。論文リストを頼りにページをめくり、タイトルを確認すると該当するページの最初と最後に持っていた紙の切れ端を挟んだ。
コピーの窓口に行くと、二十歳そこそこの生真面目そうな若者が担当していた。服装が白いシャツに濃紺のズボンだったために生真面目そうな印象を持ったのかも知れない。学生のアルバイトかもしれない。カウンターの奥には二台のコピー機が置かれていた。私はそのコピー担当をつかまえ、ページに挟んだ紙の切れ端を見せながら
「ここから、ここまでコピーしてください」
とお願いした。
するとコピー担当は、
「ここから、ここまでですね?」
と言うや否や奥にあるコピー機に向かっていき、いきなりすごい速さでコピーを始めた。通常コピー機には同じページを複数枚コピーする機能がある。スキャナーがコピーする枚数分だけ連続して左右に動き、その都度スキャンと印刷を繰り返すのである。コピー担当はこの機能を使い、スキャナーが一往復するたびに手品のようにページを一枚めくり、まるで機械のように滑らかにかつ早く正確に、スキャナーの往復するリズムに合わせてコピーを完了してしまった。担当がどのようにページをめくっていたのか、速すぎてわからなかったが、その動きは無駄がなく流れるように美しかった。私があっけに取られているとコピー担当は、
「次は?」
と、催促してきた。
同じように次の論文を差し出すと、同じようにコピーをやり始めた。どのようにページをめくっているのか、今度は見逃すまいと目を皿のようにして見たが分からなかった。こうして五本の論文をコピーしたが、とうとうその動きはわからなかった。コピーが終わり、窓口に代金を支払ったあと、念のためコピーを確認したが抜け漏れなくコピーされていた。
雑誌を返しに書庫のカウンターに戻ると、例の事務員がやはり不機嫌そうに立っていた。雑誌をカウンターに置くと、事務員は手元の箱に保管してあった私の免許証を無造作に取り出して放り出すようにカウンターの上に置いた。私は、今度は礼も言わずにそれを受け取った。相手に愛想がないとこちらも不愉快になるが、メキシコではこのようなことに慣れきっていた。特に下級の役人や事務員にこの手の連中が多いが、今ではいちいち気にならなくなってきている。
コピーが終わるとさっそく家に戻って論文を読むことにした。論文はすべてスペイン語で書かれていた。恐らくメキシコ国内か、ラテンアメリカなどスペイン語圏だけに流通しているものと思われる。スペイン語の辞書を横に置き、びっしりと埋まったスペイン語の文章を読もうとするが、さすがに文章だけで理解するのは難しい。論文中の絵やグラフを理解の手助けに悪戦苦闘しているとどうやら次のことがわかってきた。コピーした五本の論文のうち、二本がカブトムシに関するもので、他はコガネムシのようだった。カブトムシに関する論文のうち、ひとつはゾウカブト、もうひとつはヒルスシロカブトに関するものだ。メキシコのいろいろな地域で採集されたものの体の寸法を比較したりして、同一種か亜種かなどを論じているようだった。その論文には採取した地名が書かれていた。しかし、地名と言ってもかなり広い範囲を示す。日本で言えば市町村ほどの範囲だ。これでは場所を絞り込むには不十分だ。それに、採集された時期が書かれていないようだ。場所と時期を絞り込むためにもっと詳しく書かれた論文を探す必要がある。通常、論文の最後には参考文献が載っている。その論文を書くにあたって引用した論文だ。とにかく論文を読み漁るしかない。今はそれしか情報がないからだ。
次の週の土曜日も我々はUNAMの中央図書館に行った。先週と同じように不機嫌な事務員に雑誌を持ってきてもらい、見事なコピー作業を見ながら家に帰って論文を読んだ。読み終わると次に調べる引用論文にチェックをつけた。次の土曜日も、その次の土曜日も、同じような文献調査が一ヶ月半続いた。ついに集めた論文のコピーは積み重ねると二十センチメートルほどの厚さになった。しかし、いくら論文を読み込んでも、場所と時期を絞り込むことができなかった。学術論文を完全に理解するところまで、私のスペイン語力が熟達していないからだ。
ただ、ひとつ気が付いたことがあった。それは、論文の多くがリオス博士によって書かれていたことだ。リオス博士は長年にわたり、カブトムシをはじめ甲虫の研究をしているらしかった。リオス博士に聞けば教えてくれるかも知れない。しかし、どうやって連絡を付けたらよいのだろうか?論文には博士の所属する大学が書かれている。インターネットで大学の職員名簿を調べてみたが、博士の名前は見当たらなかったのである。とうとう博士の連絡先はわからずじまいだった。

緊急手術

いつものように朝起きて会社に行こうとすると、菜穂子が「お腹が痛い」と言い出した。普通の腹痛とは痛み方が違うという。仕事が忙しかったが、家族の健康が最優先だ。ましてや、メキシコでは何が起こるかわからないというのをいやというほど思い知らされている。舘林さんに事情を説明し、仕事のことはカマチョにお願いした。会社が推奨する病院はメキシコシティー中央にある。そこに石川先生という日本人医師がいるのだ。病院まで車で連れて行き、受付をするとほどなく菜穂子は診察室に呼ばれた。しばらくすると菜穂子が診察室から出てきた。
「もう少し詳しい検査が必要なんだって」
しばらく待合室で待っていると、菜穂子は検査技師に呼ばれて検査室に入っていった。菜穂子は三十分ほどで検査室から出てきたが、検査結果が出るまでさらに三十分ほど待った。菜穂子が診察室に呼ばれるとほどなく、
「ご主人もご一緒にお願いします」
と私も診察室に呼ばれた。石川先生はすぐに状況の説明を始めた。
「虫垂炎、つまり盲腸です。ただ、状態がよくない。炎症進んで膿胞が破裂すると重症化します。すぐに手術が必要です」
私は、菜穂子にメキシコで手術を受けさせることに抵抗があった。メキシコの医療を信用していなかったのだ。
「あのー、日本に帰って手術することはできますか?」
私は聞いてみた。
「そんな余裕はありません。日本に帰る間に膿胞が破裂したら取り返しがつきません。今日中に手術が必要です。ご主人は今すぐ家に帰って奥様の入院の準備をお願いします。それから、奥様はそのまま残って手術の準備をお願いします」
私は人事の高橋さんから聞いた、メキシコで病気になって亡くなった日本人女性の話を思い出した。ベラクルスで虫垂炎を発症したが、病状が悪かったためベラクルスで手術できる施設が無く、施設が整ったメキシコシティーで手術することになった。しかし、シティーに運ばれるわずか五時間の間に亡くなってしまったと。
私は、一刻も猶予がないことを察した。すぐに手術の同意書にサインすると、着替えなど入院に必要なものを菜穂子に書き出してもらった。また、容態が変化したときなどに備えて、手術時は病院内で控えておかなければならない。治療方法に家族の同意が必要なこともあるからだ。さらに、手術後、身の回りの世話をするために私自身が病室に泊まらなければならない。看護師はスペイン語しか話せないため、何かあったときは私が対処しなければならないのだ。
「隼はどうしよう」
手術と入院のことであわてていたのですっかり隼のことを忘れていた。既に昼を回っていたが、四時にはスクールバスが来て隼を受け取らなければならない。スクールバスには女性の車掌さんがついていて、子供の引渡しは必ず車掌さんと親が直接行うルールになっている。誘拐を防ぐためだ。例外的に他の親が引き取ることもできるが、事前に連絡が必要だ。また、私が何日か病院に常駐することを考えると、誰か隼の面倒を見てもらう人を探さなければならない。
同じバスルートで通りを一本隔てたところに隼と同級生の浜坂さん家族が住んでいた。同じバスルートで同級生は浜坂さんだけだ。浜坂さんの奥さんは裕子さんという。電話をかけて裕子さんに相談すると、すぐに状況を理解して快く引き受けてくれた。
「バスルートが同じだから隼を一緒に受け取れるわよ。同級生だから授業の時間割や宿題が全部同じだし、二人いっぺんに面倒見られるわよ」
裕子さんの言葉を聞いて、隼を浜坂さんに預けることにした。
急いでアパートに帰ると、菜穂子の入院の準備、隼の着替えと教科書類をまとめた。車に積み込むと浜坂さんのアパートに直行し、裕子さんに荷物を手渡して隼の世話をお願いした。それと、面倒をかけることを詫びた。
裕子さんは私に心配かけまいと言葉をかけてくれた。
「隼のことは心配しないで。日本人同士助け合って生活しているんだから、これくらい当然よ。それよりも、今は奥さんのためにできることをしてあげて」
裕子さんにお礼を言ってその足で病院に駆けつけた。病院に着くと待合室で菜穂子が待っていた。
「五時から手術なんだって。ぜんぜんそんな気がしないわ」
五時というと、あと二時間後だ。菜穂子は腹を気にしつつも自分の病状に実感が湧いていない様子だった。やがて看護師が菜穂子を呼びにきた。恐らく、手術の準備が始まるのだろう。短く菜穂子に別れをつげると、看護師はそれが終わるのを待って菜穂子を奥に連れて行った。この病院内で日本語が通じるのは石川先生だけだ。待合室でひとり待っていると心細くなってくる。夕方の待合室は人もまばらだ。手術は無事に終わるのだろうか?不安がよぎる。しかし何もできないし、することもない。そうやって待っていると、石川先生が待合室にやってきた。
「ああ茅波さん、戻ってこられましたか?」
「石川先生、妻はどうなんでしょう?」
「奥様は辛抱強い方ですね。炎症がこれくらいひどくなると、普通の人は痛みに耐えられないはずです。よくこんなにひどくなるまで放って置かれましたね?膿胞が破裂すると膿がお腹の中全体に撒き散らされて重症化します。でも大丈夫。手術して取り除いてしまえばなんてことありません。執刀医はメキシコ人の医師で、私が立ち会います。それから、病室も既に決まっています。後から看護師が病室の番号を伝えに来ます。病室は個室ですよ。それから手術室はあちらです。手術室の前で待っていてください」
石川先生はそう伝えるとどこかに去っていった。言われたとおり手術室の前に行き、そこで待っていることにした。石川先生の話を聞いて少し安心した。そういえば、メキシコの医療はアメリカから技術を導入したり、メキシコ人医師がアメリカに行って修行するために、アメリカ並みにレベルが高いと聞いたことがある。落ち着くと、石川先生とは何者だろうか?と疑問が湧いてきた。純粋な日本人に見えるが、なぜメキシコで医師をやっているのだろうか?最後まで機会を逸して聞かずじまいだった。
五時になると菜穂子が手術着に着替え、看護師に連れられて歩いてきた。ひと言声をかけると菜穂子は目でうなずいて手術室に入っていった。

どれくらい時間がたったろうか。手術室のランプが消えると、移動式のベッドに載せられて菜穂子が出てきて、そのまま病室に運ばれていった。菜穂子は麻酔のためか眠っていた。石川先生から手術の成功と簡単に手術の概要を告げられた。医師や看護師の落ち着き具合から、手術が問題なく終わったことが感じとられた。
言われた病室に行くと、菜穂子は既に病室のベッドに横たわって眠っていた。看護師が、何かあったら呼んでくださいとベッドの横にあるボタンを指し示して出て行った。
豪華な病室

病室を見渡すと、部屋の中央にベッドがあり、ベッドの回りに人が作業できるスペースが確保されている。ベッドの左側には背もたれつき、クッション入りのベンチが設置されていて、ベンチだけでも人が一人ゆったりと寝ることができる。ベッドから体を起こすと前方のテレビが見られるようになっている。テレビの脇にドアがあり、そこを入るとトイレとシャワーがある。壁や床は木目で、病室というよりはホテルのようだ。いや、日本のビジネスホテルに比べると明らかに広くて豪華だ。
私は、ベンチでその夜を過ごした。一時間おきに看護師が様子を見にきて何か声をかけるが、何を言っているかわからない。どう答えたらよいかわからず生返事をすると、看護師は部屋を出て行った。夜更けすぎ、菜穂子が目を覚ましたが麻酔が完全に抜け切っていないのか、そのまま眠ってしまった。菜穂子の意識が戻ったことを確認して私も眠ろうと思ったが、一時間おきに看護師が来て声をかけるのでそのたびに起きてしまった。
あくる朝、菜穂子が目を覚ました。起き上がることはできなかったが、意識ははっきりしていて、手術した場所が痛むと言った。しばらく起きていたが、その後また眠りについた。
午後になると所長の山川さんと舘林さんが花束を持ってお見舞いに来てくれた。眠っている菜穂子を気遣って部屋に入らずにそのまま帰っていった。
菜穂子の容態は安定しているようだ。そういえば、隼は大丈夫だろうか。浜坂さん宅に迷惑をかけていないだろうか。私は隼が帰る時間を見計らっていちど浜坂さん宅を訪れることにした。浜坂さんのアパートに着くと裕子さんが出てきたので、手術が無事終わったことと隼を預かってもらっているお礼を言った。お礼を言うと隼のことが気になった。
「ところで隼は元気ですか?」
「ほら、この通りよ」
浜坂さんの奥さんが部屋の奥を指差すと、さっきから奥のリビングルームから騒ぎ声が聞こえていたのに気が付いた。ご迷惑をおかけしてすみませんと謝ると、裕子さんは
「いいのよ、子供たちはお泊り会だと思って喜んでいるわ」
と気遣ってくれた。
隼には事情を説明する時間もなく浜坂さん宅に預けてしまったため、さぞかし心配しているだろうと思い、隼を呼んでもらって事情を説明することにした。隼には、ママが病気になって入院したこと、パパもママに付き添って病院に泊まっていることを説明し、浜坂さんに迷惑をかけないようにと言い含めるように言った。
隼はじっと聞き入っているようだったが、説明が終わると
「うん、わかった。じゃあねー」
とまた奥の方へすっ飛んでいってしまった。奥からまた騒ぎ声が聞こえる。
「こいつ、わかってんだろうか?」
心の中でつぶやいたが、寂しがっていないのは何よりだった。
裕子さんにもうしばらくお世話になるとお願いし、自宅アパートに帰った。昨日からずっと風呂に入っていないし、ろくに寝てもいない。とにかくシャワーを浴びたかった。シャワーを浴びるとスペイン語の辞書を探した。看護師が一時間おきにやってきてかけるひと声が、何を言っているのか気になったからだ。私は辞書を手にとってすぐにまた病院に引き返した。
病院に戻ると菜穂子はまだ寝ていたが、しばらくすると目を覚ました。気分は悪くなさそうだった。隼の様子を見に行ったことを伝えると
「隼は大丈夫?」
と、私同様突然隼の前から消えてしまったことを心配した。
「ぜんぜん平気だよ」
私は、平気どころかわかってないと言おうとしたが、よけいな心配をかけたくなかったのでそれ以上言うのを止めた。
そのとき、看護師が定期巡回のために部屋に入ってきた。例のひと言をかけるので注意深く聞いて辞書を引いてみると、「尿」とあった。医学的な言い回しのようだった。看護師は定期的に来て、尿は大丈夫か?と聞いていただけだったのだ。「おしっこ」に相当するスペイン語は知っていたが、医学用語で言われたらわからない。もう少し気を使ってくれたらいいのに、と思ったがそういうところに気が利かないのもメキシコ人のご愛嬌だねと二人で笑った。
私は、病院に三日泊まって付き添ったが、菜穂子は三日目にはベッドから立ち上がって私が補助しながらトイレまで歩けるようになった。ただし、ほんの数メートルを移動するのに一〇分もかかった。
経過が順調なのを見届けて、私は会社へ行くことにした。舘林さんとカマチョに仕事を見てもらっているとはいえ、仕事が溜まっていることは明らかだった。ただ、必要最低限なことだけ済まし、定時には帰って隼の面倒を見ることにした。いつまでも人様に迷惑をかけるわけにもいかないし、隼とも一緒にいてあげたい。
夜七時過ぎに浜坂さん宅に着くと、隼を受け取った。裕子さんは、ちょっと待ってと言いながら奥に行くと包みを渡してくれた。聞くと、私と隼、二人分のお弁当だった。我々が食事に困るだろうと用意してくれたのだ。考えて見れば、まったく食事のことを忘れていた。何から何までお世話になってしまった。
その夜、私も隼もひさしぶりに我が家で過ごした。隼は、さすがにママに会えないことで寂しそうだったが、状況を理解しているためか、わがままを言うことはなかった。それが却ってかわいそうだった。友達の家に泊まるときは楽しさで現実を忘れることができるが、家に帰ると現実に向き合わなければならないのは子供であっても当然だった。私は、カブトムシの図鑑を見せて隼の寂しさをまぎらわした。
翌朝、スクールバスの停留場へは私が隼を連れて行った。考えてみれば私が隼をスクールバスに送るのは、メキシコに来て以来初めてだ。同じアパートに住むお母さん方がバス停で待っていた。既に誰もが我が家の状況を知っていた。裕子さんが気を回して連絡してくれていたのだ。私を見るとみんなが心配してくれたり、手伝いを申し出てくれたりした。私は病状や手術とその後の経過が順調なことを説明し、みんなを心配させないために隼の面倒は私が見られるので大丈夫だと説明した。ただ、隼が学校から帰るときの受け取りだけは、同級生ということもあり今までどおり浜坂さんにお願いした。
その日、菜穂子を見舞うと日に日に元気になる様子が窺えた。付き添いが無くてもトイレに行けるようになったというし、食事も普通に取れるようになった。ちなみに、この病院の食事は肉あり、野菜あり、とても病人の食事とは思えないボリュームだった。
「一週間ぐらいで退院できるそうよ。でもわたし、もう病院は飽きたわ」
快適な病院だがやることが無いし、テレビを見てもスペイン語がわからないし、無理も無い。だが、愚痴が言えるようになるとはだいぶ元気になった証拠だった。
その日の夜、浜坂さん宅に隼を受け取りに行くと、裕子さんが妙なことを言った。
「今日の当番は畑岡さんよ。その次は宮川さんよ」
何の意味かわからず、とりあえずお礼を言って家に帰ると、畑岡さんが夕食を作って持ってきてくれた。なんと、ご近所に住む日本人の数家族がシフトを組み、日替わりで我が家の夕食を作ってくれることになっていたのだ。これにはいくら感謝しても感謝しきれない。一生忘れられないだろう。こうして、回りの日本人に助けられてどうにか菜穂子の緊急手術を乗り越えることができた。もし菜穂子に何かあったら、駐在を取りやめて帰国することになっていたかも知れない。そうしたらカブトムシも諦めざるを得なかった。カブトムシ捕りは家族の健康や日本人同士の助け合いに支えられたうえで可能となるチャレンジなのだと気付かされた出来事だった。

モナルカ蝶

菜穂子はそれから一ヶ月もするとだいぶ元気になり、外出も全く問題なくなった。冬のこの季節はカブトムシのシーズンにはまだだいぶある。カブトムシは望めないが、虫好きの隼に是非見せてあげたいものがあった。それは、モナルカ蝶だ。
メキシコはモナルカ蝶の越冬地として知られている。モナルカ蝶は春にメキシコを出発し、三~四世代をかけてカナダまで北上し、秋になると一気にメキシコまで南下し、森の中の決まった場所に集まって越冬するという珍しい蝶だ。この蝶はトウワタという特定の植物の葉しか食べないとのことだ。トウワタに含まれる成分を体内に取り込んで毒を作り、鳥などの外敵から身を守る。そのため、毒を持っていることを外敵に示す鮮やかなオレンジ色をしている。トウワタの芽吹きは、南から北へと春の北上に伴い移動し、モナルカ蝶もまた、トウワタの成長を追いかけて北上する。
メキシコ滞在中に是非ともモナルカ蝶の越冬を見てみたいと思っていた。ベストシーズンは二月ということだ。メキシコの中央高原付近には一〇ヶ所ほどのモナルカ蝶の越冬地があるらしい。いちばん有名なのはミチョアカン州だが、メキシコシティーから近いのはバジェ・デ・ブラボとのことだ。バジェ・デ・ブラボは以前カブトムシを探しに行って空振りに終わった場所だ、良く知っている。だが、そのときはモナルカ蝶の観光スポットがあるとはまったく気が付かなかった。菜穂子に、今度の週末モナルカ蝶を見に行かないかと誘ったが、
「えー?わたし行かない。興味ないし気持ち悪いし、二人で行ってきたら?」
と、まったくの拒絶反応だった。菜穂子によると、モナルカ蝶見物は山を登っていくのだが、乾燥した山道を馬やら人やらが行きかうためひどいホコリで、そのために病気になりそうなのだとか。菜穂子の友達が昨年行ったそうだが、感想は
「とにかくひどいホコリだった」
とのことだ。とはいえ、めったに見られないものであることは確かなので、春も近い二月の終わりの土曜日、隼と一緒に出かけることにした。
朝、以前通ったことのあるバジェ・デ・ブラボへの山道を走っていくと、村に着く手前に小さな盆地のような場所があり、そこだけ少し山が開けて平地になっている。モナルカ蝶の写真を映した大きな看板が遠くからも見え、その近くに数台の観光バスと数十台の車が止まっている。駐車場のようだ。駐車場に車を止め、皆が向かう流れに従って歩いていくと森の手前に馬やガイドが集まっている。馬やガイドは必要ないだろう、そのまま流れに従って歩いていけばわかるだろう、そう思って森に入ろうとすると後ろから呼び止められた。
「お客さん、ここは自然保護区で一般の人が勝手に立ち入れないようになっています。立ち入るには認定されたガイドと同伴する必要があります」
みると、日に焼けた顔に薄汚れた服を着たおじさんが立っている。深い顔のしわがおじさんの生活の苦しさを連想させる。きっと、近くの農夫が農閑期のアルバイトをしているのだろう。
「ガイド料は一七〇ペソです」
おじさんが提示した値段に胡散臭い気もしたが、一七〇ペソならさほど高くもないし、騙されたとしても許せる額だ。それに、もしガイドが言うことが本当なら、無理に断ると警察沙汰になりかねない。ここはガイドに従って一七〇ペソ払うことにした。すると、先ほどから馬と一緒にガイドの後ろに控えていた男が、
「馬はいらんかね?」
と声をかけてきた。この男も先ほどのガイドと同じく、日に焼けて深いしわの面立ちをしている。
「山は急だし、距離も結構ある。一一〇ペソだよ」
男はしきりに馬の必要性を訴えかけた。この男も胡散臭い気がする。
「本当はすぐ近くなんじゃない?」
と勘ぐっていると、
「パパ、馬乗りたい!」
さっきから馬の方をちらちらと見ていた隼がたまらず叫んだ。考えてみれば、隼は今まで馬に乗ったことがない。旅の思い出にいちど馬に乗ってみるのもいいだろう。
「馬お願いします」
馬主にお願いすると、
「一頭でいいかね?二人は乗れないがね」
見ると、馬といってもどちらかというとロバに見える小さな馬だ。確かに二人は乗れないだろう。だが私は馬に乗るつもりは無い。歩いて行けばいいだけの話だ。馬は一頭でいいと私が言うと、馬主は隼を馬に乗せて出発した。
森に入るとすぐに道は人が二人並んで歩けないほど狭くなった。ガイド、馬主、馬に乗った隼、私の順で坂を登る。今まで緩やかだった傾斜が徐々にきつくなってきた。ガイドは普通に歩いているのだろうが、私だけ遅れるようになってきた。普段からの運動不足に加え、標高二〇〇〇メートルという空気の薄さに、いくら呼吸をしても苦しくなる一方だ。おまけに激しいホコリが発生してきた。落ち葉と土が入り混じり、観光客の往来で粉砕され微粒子と化し、乾いた空気によってパウダー状に降り積もっている。そのパウダーが、人が歩くたびにふわっと巻き上げられ、霧のようにあたりを包む。森はうっそうと生い茂り、頭上も木々の枝葉に覆われている。日光が木々の隙間から射し込み、白い筋となって見える。そのひどいホコリは、私の呼吸を著しく困難にさせた。両方の手をひざに当てながら登るが、ついに足が前に出なくなってしまった。
「ちょっと待って!」
やっとのことで声を振り絞り、ガイドを呼び止めた。休憩させてくれとお願いをすると馬主は、
「だから言ったこっちゃない」
というような顔で気の毒そうに私を見た。
馬主の忠告は本当だったのだ。私は、馬をもう一頭頼むべきだったと後悔した。ガイドと馬主は、私が休むたびに体力の回復を辛抱強く待ってくれた。何度目かの休憩の後、坂の傾斜がいくぶん緩やかに感じられたとき、ガイドがあれを見ろと言う。地面ばかりを見て歩いてきたが、頭を上げて指差す方向を見ると、もみの木の枝全体が紅葉のように黄色に色づいている。よく見るとそれらはすべて蝶だった。モナルカ蝶だ。無数のモナルカ蝶が木の枝につかまってじっとしている。また、太い木の幹を隙間無く埋めているものもあり、これらは幹全体が鱗に覆われている。ガイドは蝶の集まる場所を何ヶ所か案内して回る。やがて正午近くになって空気が暖かくなってきたころ、頭上を覆っていた木の枝がぽっかりと開いた場所に出た。見上げると、透き通るような青空に無数の蝶が乱舞している。低く飛ぶものは蝶とわかるが、はるか上空を飛ぶものもいて、これらはけし粒のような点にしか見えない。一説によると、モナルカ蝶は冬の間はじっとして体力を温存するが、春になると繁殖のためにオスがメスを求めて飛び回るらしい。太古から脈々と続く生命の営みに畏敬の念を抱かざるを得ない。やはり見ておいて良かったと実感した。 
家に帰り、菜穂子にモナルカ蝶見物の話をした。菜穂子はモナルカ蝶の神秘よりもホコリの話に興味を持ったらしく、
「だから言ったこっちゃない、行かない方がよかったでしょう!」
と切って捨てた。


思いがけない再会

モナルカ蝶の季節が終わるとハカランダの薄紫の花が咲き始める。年度の変わり目を告げる桜の代用としてすっかりなじんできた。この春をもって、スペイン語通訳の高木さんも定年退職された。高木さんの机からは以前置かれていた辞書や資料がなくなって、きれいに掃除されていた。高木さんは現地採用の日本人男性だ。日本から送られてくる資料は日本語で書かれている。また、メキシコで現地人同士がやり取りする資料はスペイン語で書かれている。従って、それらの資料を日本人とメキシコ人の間で共有したい場合は、スペイン語の通訳が不可欠になる。高木さんにはいつも日本語資料のスペイン語訳をお願いしたので、高木さんの定年退職は痛かった。会社では、スペイン語通訳のポストが空いてしまったため、新たに現地採用の通訳を探しているとのことだ。
新年度が始まってまもないある日、高木さんの席の近くを通りかかると高木さんの席に誰か座っている。後ろ向きなのでメキシコ人なのか日本人なのかわからないが、小柄な女性のようだった。髪の毛を後ろで結んでいる。新しい通訳が見つかったのかな?そう思って、ついでに挨拶をすることにした。
「あのー、新しい通訳の方ですか?」
声をかけるとその女性は
「はい!」
と言って振り向いた。
日本人女性だが、どこかで見たことがある顔だった。
「どこでだろう?」
その瞬間、スペイン語の語学研修を思い出した。
「もしかして、藤川先生ですか?私、茅波です!覚えていますか?」
「あっ、茅波さん!お久しぶりです!覚えています!」
「どうしてここにいるんですか?」
新しい通訳は、メキシコ現地採用と聞いていた。私は、日本でスペイン語教師をしているはずの藤川先生がなぜここに座っているのかまったく理解できなかった。
「いろいろありまして、メキシコに来ちゃいました」
「いっしょにスペイン語研修を受けた東さんを覚えていますか?東さんも驚くと思いますよ」
「もちろん覚えています。東さん、お元気ですか?」
「元気です。メキシコシティーの本社にいます」
話がつきないので、今度東さんも一緒に藤川先生の歓迎会をすることになった。日本人赴任者のほとんどはスペイン語研修を受けているはずだが、会社の中で藤川先生の生徒は私と東さんだけだった。

数日後、トルーカのシーフードレストランで三人は再会した。
「こうして同じメンバーが集まると、何か不思議な感じがしますね。でもメキシコに来て、知った人に会うとほっとします」
藤川先生はひとりメキシコに来て、知り合いの日本人に会った気持ちを素直に表した。もちろん、知り合いというほどの知り合いではないが、一週間を共に過ごした時間はそれなりに濃かった。
「本当に狐につままれた感じです。正直、もう会うこともないと思っていました」
私も東さんも、再会を喜びつつ、なぜ藤川先生がメキシコの現地採用としてここにいるのか、不思議でたまらなかった。日本人赴任者は日本の本社と同じ給与を支給されるため、物価の安いメキシコでの生活は楽だ。一方、現地採用の場合はメキシコ支社の給与水準となる。メキシコ支社の給与はメキシコ国内の物価水準をベースに決められるため、日本国内の給与に比べて大幅に安くなる。いくら貯金しても、日本に帰ればすずめの涙だろう。それに、メキシコは治安も悪い。なぜあえて給与が安くて治安の悪いメキシコにまで来て就職するのか、私も東さんもまったく理解に苦しんでいたのだ。もし語学の修行なら、スペインに行ったほうがおしゃれだし治安もよい。若い女性だったら絶対にヨーロッパに憧れるはずだ。
再会を祝ってビールで乾杯すると、私と東さんは好奇心を抑えきれずに聞いた。
「ところで、藤川先生はどうしてメキシコで現地採用になったんですか?どうしてこの会社なの?」
藤川先生は、少し苦笑いしながら経緯を話し始めた。
「私が大学の学生だったころ、メキシコから留学生が来ていて、その子と友達になった話、覚えてますか?その子がメキシコに戻ってこの会社に就職したんですが、この春に結婚するということで結婚式の招待状をもらったんです。それで、メキシコに来て結婚式に参列したんですけど、そのときに『今ちょうど通訳の空きが出たから面接受けてみたら?』と言われて、面接受けたら受かっちゃったんです」
「えっ?じゃあ、そのままメキシコに住むことにしちゃったの?」
「はい、まあ・・・」
「ご両親は反対しなかったの?」
「特に・・・、うちは兄も青年海外協力隊で海外に出てるので、そんなものだと思っているのかも知れません」
「スペイン語修行のためにメキシコで就職したんでしょ?何年いるつもりなの?」
私は藤川先生が金銭的にはまったく利点のないメキシコで就職する理由をどうにか合理的に解釈しようと懸命だった。そして頭の中で、勝手にスペイン語修行と決めつけていた。
「修行といえば、まあ、そうかもしれませんが、特に考えていません。何年いるかもこれから考えます」
藤川先生には合理的な思考回路が働いていないようだった。
「兄も私も似たところがあって、勝手に好きなことをやっちゃうんです」
藤川先生の苦笑いは、自分の無茶を人に話すのが恥ずかしかったからのようだった。
私も東さんも、藤川先生のバイタリティーと思い切りの良さに感服した。二十代半ばのかわいらしいお嬢さんに、どうしてそんなにパワーがあるのか、その姿からは想像できない。ただ、藤川先生は、単身メキシコに乗り込んだものの、メキシコの治安の悪さから、やはりどこか心細いところがあるらしい。それは、遠く異国の地で知り合いに会ってほっとする様子から窺えた。私と東さんもそれを察した。
「こうして再会したのも何かの縁です。若い女性がメキシコで一人暮らしするのは大変でしょうから、困ったときはいつでも相談してください」
「ありがとうございます。本当に心強いです」
藤川先生は、こちらが恐縮するぐらい深く頭を下げて言った。おじさんの支援宣言も少しは励ましになったようだ。私と東さんは、藤川先生の参考になればとメキシコでの暮らしぶりを話しながら時を過ごした。私は息子とカブトムシ捕りをしていることを話した。
「そういえば、スペイン語研修のときにカブトムシの話、されていましたよね?捕れましたか?」
藤川先生は、私がスペイン語研修のときに雑談で言った、メキシコに行ってカブトムシ捕りに挑戦する話を覚えていた。
「小さいのは捕れたんですけど、本命のゾウカブトはまだなんですよ」
私は今までの苦労をかいつまんで話した。
「そうですか、でも捕れるといいですね。私が力になれることがあれば言ってください」
藤川先生は私と隼の夢の実現に協力を申し出てくれた。
「藤川先生、ありがとうございます!」
私は思わずお礼を言った。
藤川先生ははにかみながら言った。
「あのー、お願いがあるんですが・・・」
そして言いにくそうに続けた。
「『先生』って言われるの、恥ずかしいので・・・、止めて頂けませんか?」
私と東さんは、藤川先生よりずっと年上のおじさんだ。若い人がおじさんから「先生」と言われたら、さぞかし居心地が悪いだろう。我々は謝りながら、
「これから『先生』と呼ぶのを控えめにします」
と答えた。

救世主

翌週、私は二十センチの高さに積み上がった論文のコピーの中から、ヒントになりそうな論文を三センチぐらいに絞り込んで藤川先生に相談に行った。
「実は、カブトムシに関するスペイン語の論文を集めたのですが、私の語学力だとどうしてもわからないところがあるんです。カブトムシがいる地名はわかったのですが、カブトムシが出る季節が書かれているかどうかわからないんです。この論文を書いたリオス博士に聞こうと思ったけど、連絡先がわからなくて聞けませんでした。頼みの綱はこの論文しかないんです」
「論文を読むくらい何でもありません。お力になれるかどうかわかりませんが、ちょっと読んでみます。二、三日頂けますか?」
藤川先生は、論文の束を見て少し驚いたが、ニコッと笑って快く引き受けてくれた。
「仕事じゃないのにお願いしてすみません。急がなくてもいいんです。時間があるときにでも読んでもらえれば十分です」
私は、藤川先生にしてみれば興味が無いはずのカブトムシの論文を読ませることに、申し訳なく思いながらもすがる気持ちでいた。

三日ほどすると、私の机に藤川先生がやってきた。
「ひと通り目を通しましたけど、季節のことは書いてありませんでした」
「やっぱりそうでしたか・・・、時間をかけさせて済みませんでした」
「あまり時間をかけていませんから安心してください。内容を理解する必要がありませんから斜め読みして季節や時期に関係がありそうなところだけ確認するんです。そしたらひとつの論文が五分くらいで読めます」
藤川先生はさらっと言うが、スペイン語の論文を斜め読みできるとは、私は改めて藤川先生の語学力を尊敬した。藤川先生は続けた。
「季節はわからなかったですけど、リオス博士の連絡先はわかりました」
「えっ?」
私は驚いて聞きなおした。あれだけ調べたのにわからなかったリオス博士の連絡先を、藤川先生はどのように調べたのだろうか?
「ここに、リオス博士の連絡先を書いておきました」
藤川先生は小さなメモ用紙を私に差し出した。見ると、そこにはリオス博士の電子メールアドレス、電話番号、所属する大学が書かれていた。リオス博士は地方の小さな大学に移っていたようだ。
「どうやって調べたんですか?今までいくら調べてもわからなかったのに」
「茅波さんは英語のホームページだけ調べていたでしょう?スペイン語で調べたらすぐにわかりました」
そういえば今まで英語でだけ調べていた。メキシコの大学でも、ホームページはスペイン語と英語が選べるようになっている。それが普通だと思い込んでいたが、田舎の大学ではスペイン語だけのホームページもあるらしい。
「藤川先生、ありがとうございます!助かりました」
「あのー、『先生』っていうの、止めて頂けないでしょうか・・・?」
藤川先生は恥ずかしそうに笑った。

私はさっそくリオス博士に電子メールを送ることにした。自分が日本人であること、仕事でメキシコに赴任していること、息子がカブトムシ好きなこと、ベラクルスに行ったこと、博士の論文を読んだことなどを説明した。また、メキシコ滞在中に一度でいいから息子にメキシコのゾウカブトを見せてあげたいと、思いを書き綴った。そして、いつどこに行けばカブトムシが見られるのかを尋ねた。
数日すると博士から返信が来た。それは、次のような内容だった。
「ゾウカブトを見たいのならベラクルスで良い。ただし季節が違う。ベラクルスでゾウカブトの季節は一〇月が良いだろう。また、メキシコシティーから南に行ったチルパンシンゴでもオキシデンタリスゾウカブトという違う種類のゾウカブトがいる。これも一〇月頃が良いだろう。ヒルスシロカブトはクエルナバカ、シロカブトの亜種、ミヤシタシロカブトはテウアカンにいる。どれもそう簡単には見つからないかもしれないけど、がんばってください」

ゾウカブトの季節は六月ではなかったのだ。ジェシカは七月では遅いと言っていたが、それは恐らくピサロタテヅノカブトのことだったのだ。ベラクルスの村人は、ゾウカブトの季節がいつだったか覚えていないと言った。関心が無いからだ。熱帯生物研究所の職員も知らなかった。たぶん専門ではないからだ。図鑑には雨季の始まる六月頃と書いてあった。メキシコでは確かに雨季は六月頃に始まるが、ゾウカブトは六月にはいないのだ。それを知っていたら一〇月に行っていたのに。だが、それは仕方の無いことだった。博士に聞くまで知る方法がなかったからだ。藤川先生がリオス博士の連絡先を調べてくれなかったら、わからないままだった。藤川先生との再会という思いがけない偶然が突破口につながった。
メキシコに来て二年が過ぎ、隼は小学三年生になっていた。今年が赴任最後の年だ。来年の三月には日本に帰らなければならない。それまでにどうしてもゾウカブトを手に入れ、隼との約束を果たさなければならない。それにゾウカブトの季節が十月いっぱいとすると残された時間は七ヶ月だ。できればシロカブトも手に入れたい。チャレンジする価値はある。最後のチャンスをくれたのは藤川先生だ。私は救世主に心の中で感謝した。
私と隼は、最後の年を四種類の大物カブトムシ、すなわちミヤシタシロカブト、ヒルスシロカブト、オキシデンタリスゾウカブト、ゾウカブトすべての可能性に掛けることを約束した。


ミヤシタシロカブト

シロカブトも今まで捕れなかったまぼろしのカブトムシだ。カブトムシの王者、ヘラクレスオオカブトと同じく、上下に角を持っているがそれほど長くはない。しかし、角の下側には細かな毛が生えており、このことからもヘラクレスオオカブトの仲間だとわかる。カブトムシとしては珍しく、その名の通り白い色をしている。折角メキシコに住んでいるのだからシロカブトも手に入れたい。メキシコに住むシロカブトはヒルスシロカブトとミヤシタシロカブトの二種類だという。ヒルスシロカブトは各地に分布し、以前ミツノサイカブトを捕ったクエルナバカに生息するとのことだ。リオス博士の論文にはクエルナバカでの採集地が詳しく書かれている。どこの採集地も特段変わった場所ではない。すでに何度も行ったことのある場所だ。だが、これまで何度かクエルナバカで灯火採集やライトトラップを試みたが、一度も見かけることは無かった。リオス博士の言うように簡単には見つからないのだろうか?
もうひとつのミヤシタシロカブトは、プエブラ州テウアカン付近にのみ分布するらしい。二〇〇四年に宮下さんという方が発見したため、そう名付けられたらしい。見た目はヒルスシロカブトとほとんど変わらず、ヒルスシロカブトの亜種にあたるようだ。プエブラ州はメキシコシティーの東側に位置するが、テウアカンはそのまた東の端にある町だ。メキシコシティーからは高速を休み無く走り続けて三時間はかかる。クエルナバカがメキシコシティーから一時間強であることを考えるとちょっと遠い。だが、この地にしかいないシロカブトに惹かれ、あえてミヤシタシロカブトの採集にチャレンジすることにした。
雨季が始まる前にテウアカンの下見をすることにした。いつものように、インスルヘンテスのロータリーにある地図屋を訪れテウアカンの五万分の一の地図を入手する。シロカブトが生息するという標高一八〇〇メートルと二〇〇〇メートルの等高線を赤鉛筆でなぞっていく。赤いラインはテウアカン市街を囲むように広がっている。赤いラインと車道が交差する場所にチェックマークを入れていく。つまりそれが、シロカブトの生息する標高へ車で行ける場所ということになる。チェックマークが付いた場所は数ヶ所ほどしかなかった。市街から山を越えて隣町に行く幹線か、町から離れ地図上では点線で表されている林道だ。メキシコの林道がどれほど危険か、ベラクルスの経験で身にしみている。事故や故障で動けなくなる可能性もあるし、携帯電話が使えない可能性もある。そうなったら山の中で遭難してしまう。命の危険もある。迷わず幹線を選択する。
次の週末、テウアカンに向け、朝七時に隼を連れメキシコシティーのアパートを出た。メキシコシティーからテウアカンに行くには高速一五〇号線を東に行く。高速道路の両脇には農地が広がり、時おりレンガむき出しの民家が見える。途中まではベラクルスへ行くルートと同じだが、途中で一五〇号線に別れを告げ百三十五号線を南に向かう。百三十五号線に分かれるあたりから周囲に農地や民家は見られなくなり、荒涼とした乾燥地帯に変わる。見渡す限りグレーの平野に点々と背の低いサボテンが見えるだけだ。
百三十五号線に入ってからテウアカンに向け一時間ほど走ったが、平野に多少の起伏があるものの、回りの景色が変わる気配は全く無かった。カブトムシが生息する場所とは全く思えない。やがて道路の行き先表示にテウアカンの案内表示が見えた。表示に従って高速道路を降り、テウアカン市街に向かう。まず人がいるところに行き、聞き込みをする必要があるからだ。しばらく車で走ると土埃のひどい道路の両脇に、粗末な商店がポツリ、ポツリと見え始めた。日に焼けた農夫らしき男が道路脇を歩いている。車を止め、農夫を呼びとめると例によって図鑑を開いてヒルスシロカブトの写真を見せ、「見たことがあるか?」と聞く。農夫は写真をちょっと見ると、すまなそうに首を振りながら、
「知らないな・・・」
と答えた。道路脇を歩く農夫を何人かつかまえてはたずねてみたが、誰も同様に「知らないな」とか「見たことないな」と答えるだけだった。
通りを少し行くと次第に商店が増えてきた。空腹に気付いて時計を見ると既に昼を過ぎていた。辺りを見回すと数軒の食堂が見える。店の前にはバーベキューのような鉄板が置かれ、その上で焼かれた鶏肉や豚肉が香ばしい臭いを放っている。どこも間口が大きく開かれていて、食堂の外にもイスとテーブルが並んでいる。その室内と室外が続きのようになっている。
その中でいちばん小奇麗な食堂に入ることにした。小奇麗といってもビーチで使うようなプラスチックのイスとテーブルが置かれているだけだ。他の食堂のイスとテーブルは古臭い木で出来ているため、その店だけ新しく見えたのだ。普段だったら古臭い方の店を選ぶのだが、メキシコシティーから遠く離れ、はじめて来た田舎町でもし腹でも壊して動けなくなったらと思うと、多少なりとも小奇麗な方が衛生面で安心に思えてくるのだ。もちろん、どの食堂も食べさせるものは埃が舞う道路沿いに置かれた鉄板の上の肉なのだから、衛生面では大差ないことはわかっている。
店に入るとガランとした室内にイスとテーブルが置かれているだけで、飾り気も何もない。若い男の店員がメニューを持ってきたので鶏と豚のタコスを合わせて五つ、それとコーラを頼んだ。店員は注文を取ると、店先に行って道端に置かれて、ホコリにさらされた鉄板の上の鶏と豚をトルティージャに乗せて戻ってきた。皮がこんがりと焼け油でテカテカと光っている。テーブルにおいてあるフレッシュなサルサをかけて食べると、肉のうまみがじわっと口の中に広がる。
「うっ、うまい!」
衛生の話はすっかり忘れ、隼と二人であっという間に平らげてしまった。さらに追加で二、三枚注文し、それもあっという間に食べてしまった。腹もいっぱいになり落ち着いたので、カブトムシの目撃情報を集めることにした。近くでテレビを見ていた店員を呼び止め、カブトムシの図鑑を見せた。
「見たことがあるか?」
と聞くと、
「うーん、夜にこんな小さなやつが飛んできたりするけどね」
と小指の先を見せて言う。
「いやいや、もっと大きな角のあるやつだ」
と言うと、
「見たこと無いな・・・」
と申し訳なさそうに首を振った。その様子を見ていた客が何人か、好奇心を押さえきれずに集まってきた。みんな口々に
「なんだ、これは?」
とか
「どこにいるんだ?」
などとしばらくおしゃべりを楽しんでいたが、結局誰一人として見たことはないということだった。
メキシコ人の多くはカブトムシに関心がない。だが、見たことがあればそう言ってくれる。それは今までの多くの聞き込みでわかっている。ここの人たちは見たことがないのだ。テウアカンは周囲を山に囲まれた盆地になっている。周囲の山はすべてポツポツとサボテンのみが生える乾燥地帯だが、盆地部分だけは農地が広がり、広葉樹が多い。おそらく、周囲に降ったわずかな雨がこの盆地に集まるため、ここだけは農作物や木々が育つことができるのだろう。ただ、ミヤシタシロカブトが住むという標高一八〇〇メートルに対し標高が一七〇〇メートルと若干低い。
取りあえず店を出て、町の中心部に行ってみることにした。テウアカンがどのような町か見てみたかったのだ。ほどなく通りの両脇には隙間無く家々や商店が立ち並び、にぎやかな区域に入った。中学校から通りに生徒があふれ出ていて、どうも下校の時間と重なったようだ。通りを行き交う買い物客で大混雑する様子は町の活気を思わせる。町の中心部にはちょっとした公園があり、木々が生い茂っている。その景色は、サボテンしか育たない周囲の山々と比較すると、とても同じ地域とは思えない。他のコロニアルの町と同じく、スペインを思わせる建物が碁盤の目のような通り沿いに整然と並んでいる。中心部を過ぎ、五分ほど走るとまたもとの農地になる。テウアカンの町はこじんまりとした地方都市なのだ。
さて、テウアカンの町を後にしてあらかじめチェックしたポイントに向かう。農地を抜けてやや坂を登り始めたところがそのポイントなのだが、いきなり灰色の砂利と砂が大地を一面覆い、サボテンしか生えてない荒涼とした風景に変わる。ほんの一〇〇メートルほど上がっただけでこれほどまでに環境が変わってしまうものなのか。とてもカブトムシが住める環境とは思えない。車から降りると砂漠の太陽がじりじりと背中を照りつけ、乾いた熱風が体から水分をあっという間に奪っていく。もうひとつのポイントにも行ってみたが風景は同じだった。おそらく、ミヤシタシロカブトはこの辺の山には住めないと確信した。いるとしたら盆地となっている農地しかない。多少標高が低いとしても、木々が生い茂っていて木陰と水分が十分にあることを考えると、生息に適した温度湿度が整っているように思える。それに、幼虫の餌となる湿った腐葉土と成虫の餌となる広葉樹の樹液もここなら心配ない。だとすると、ミヤシタシロカブトが生息するのはテウアカンの町を囲む比較的限られた場所に違いない。
下見の結果からそう結論付け、雨季が始まるのを待った。
六月、メキシコシティーに雨が降り始めた。毎度のことだが、メキシコシティーの雨は突然スコールのように降る。アパートの七階の窓からは、グレーに煙るビル群が見える。雨はしばらく降り続けると、ピタッと止む。それが一日のうちに何度か繰り返される。雨季がはじまって二週間ほど経った週末、テウアカンに向かうことにした。昼過ぎにアパートを出ると、テウアカンに着いたのは日が傾く頃だった。明るいうちに街灯の場所を確認する。近くに森があり、道路の状態が良い場所を選ぶためだ。うっかり農道に入ろうものなら穴にはまって動けなくなるか、地面からナイフのように突き出る鋭い石でパンクしてしまうかも知れない。メキシコシティーに比べ地方の治安は悪くはないが、農道で立ち往生したまま一夜を過ごすのは心細い。狙い目は市街地から農地へ変わる場所だ。街灯があり、広葉樹があり、道路の状態も良い。農地に深く入っていくと街灯が無いうえに道路の状態も悪い。
日が暮れ、カラフルなペンキで塗られた建物の色がすべてグレーに包まれた頃、街灯が灯りだした。明るいうちにチェックした街灯を回るが何もいない。時間を置いて何度も訪れるがやはり何もいない。夜更けまで探し回ったが、結局何の収獲も無いまま採集をあきらめることにした。ミヤシタシロカブトは幻のカブトムシなのだろうか?失意のまま数時間の仮眠をとって明るくなるのを待って帰路についた。
その後、二度ほどテウアカンを訪れたがやはり結果は同じだった。家からの移動距離の長さもあってミヤシタシロカブトの採集をあきらめることにした。
今まで二年間カブトムシ探しをしてきて、カブトムシ捕りがそんなに簡単なものではないことはわかっている。しかし、ゾウカブトを含むカブトムシシーズンの終わりまであと五ヶ月を切っている。希望はだんだん焦りに変わりつつあった。隼は不満ひとつこぼさないが、心の中で残念がっているのがわかる。私と隼が疲れて帰ると、いつも菜穂子は笑顔で迎えてくれた。
「まあ!二人ともボロボロね。お宝は簡単に手に入らないってことよ」
この励ましが救いだった。

ヒルスシロカブト

ミヤシタシロカブトの採集をあきらめると、私たちはクエルナバカでヒルスシロカブトの採集に集中することにした。テウアカンに比べると圧倒的に近いし、リオス博士の論文でも多くの捕獲事例が報告されているからだ。夕日が沈む頃にメキシコシティーの自宅を出発する。クエルナバカに到着する頃には辺りは薄暗がりになっている。村を通過する道路の路肩には木が植えられており、家々の前に簡単なイスやテーブルが置かれている。クエルナバカの標高は一七〇〇メートルだ。日が落ちると刺すような昼間の暑さがすっと治まり、涼しさに包まれる。あるものはイスに腰掛けて世間話をし、あるものは散策をし、またあるものはテーブルでゲームをするなどして思い思いに夕涼みを楽しんでいる。そんな風景も、深夜になると皆が家に閉じこもってしまい、寂しく不気味な様相になる。以前はそのような村々の街灯の下を探してミツノサイカブトをいやというほど採集したものだが、ヒルスシロカブトについては一度も見たことはなかった。生息域が異なるのか、それとも生息数が少ないのか。それに、昨年おびただしい羽虫が飛び交っていた電灯が、今年はほとんど虫の来ない電灯に変わっている場所もある。メキシコでは紫外線を抑えた電灯が普及し始めているらしい。いずれにしても今までと同じ方法では入手が難しいことだけはわかっている。
いちど、隼と一緒に以前ミツノサイカブトを捕った資材置き場に行ったことがある。県道の脇にちょっとした空き地があり、空き地の片隅に建築資材が置いてある。空き地そのものは暗いのだが、建築資材を守るようにそこだけライトが照らされている。カブトムシツアーで行った“荷台置き場”とは違うポイントだ。昨年、そこで数匹のミツノサイカブトを捕獲したので、今年もチェックポイントのひとつになっていた。暗がりの空き地に車を止めると、私と隼は車を降りてライトの下に行く。ライトの下には何もいない。懐中電灯で資材の陰を照らすが、何もいる気配がない。あきらめて車に帰ろうとすると、車の遠く向こうから「ウーッ」とかすかな低いうなり声が聞こえる。その声は、「ワンワン」という吠え声になりどんどん近づいてくる。一匹ではない、二匹いるようだ。
「隼、車に向かって走れ!」
大声で隼に叫ぶと、我々は車に向かって一目散に走り出した。吠え声はどんどん近づいてくる。車のドアを開け、隼を中に入れようとする瞬間、そのうちの一匹が隼に向かって飛びかかろうと身構えた。
「止めろっ!」
私が大声で犬を威嚇すると、犬は一瞬たじろいで飛びかかるのを躊躇した。私はその瞬間を見逃さず、投げ入れるように隼を車に入れた。続いて自分も車に入った。外では二匹の犬が狂ったように吠えながら、車の回りをぐるぐるとまわっている。去年来たときは、犬はいなかった。今年は資材の盗難を防ぐためだろうか、資材を守る二匹の犬がカブトムシ採集を阻んでいた。我々は吠え狂う犬を横目に見ながら資材置き場を後にした。はやり、メキシコでのカブトムシ採集は危険極まりない。
こんな事件があったので、街灯での灯火採集は道路沿いのものだけにして、スクリーンによるライトトラップメインでいくことにした。ライトトラップでの採集は森に面した広い場所が効率よい。森の中では木々に邪魔されて光が広がらないからだ。クエルナバカの市街を通り抜け、村を通り抜けると辺りは農地や牧草地になる。そのなかで牧草地と森が隣接した場所がいくつかある。牧草地は、大抵は森を切り開いて作られているためにこうした場所が多いのだ。
我々は、以前目を付けていた場所に向かった。農地からわき道に逸れ、緩やかな坂を登っていくと森に突き当たる。道はそこで終わっていて、森の前が学校の校庭ほどの広さの平地になっている。周囲には森が広がっている。平地の中央に車を止め、いつもと同じライトトラップのための作業を行う。キャンプ用のイスに座りひと休みすると、辺りはすっかり暗闇に包まれガソリンランタンのシューという音だけが静かに鳴り渡っている。
夜は長い。何時間もスクリーンの前でカブトムシが飛んでくるのを待つのは退屈なものだ。これまでの体験でも、スクリーンにカブトムシが飛んできたことは一度も無い。もちろんスクリーンには今まで見たことの無いような羽虫やバッタのようなものなどが無数に飛んできて、それはそれで珍しく面白い。だが、やがて慣れてしまい、どうでも良くなってくる。今までスクリーンに飛んできた甲虫といえば、コガネムシかダイコクコガネだけだ。だが、カブトムシのいる場所にさえ行けばカブトムシが光に誘われて飛んでくるという確信はある。問題は、カブトムシのいる場所かどうかがわからないことだ。リオス博士の論文に書かれた地名が狭い範囲を示しているといっても、それでも直径数キロメートルほどの広さがある。子供のとき、カブトムシやクワガタを捕った経験から、これらの虫たちが限られた森、限られた木にしかいないことを良く知っている。カブトムシに光が届かなければスクリーンに飛んでこないだろう。住民からの目撃情報が得られないため、とにかくしらみつぶしにやるしかない。
退屈な夜の時間をつぶすために、料理を作ることにした。とはいってもキャンプ場ではないのでなるべく簡単に作れるということで、メニューはカレーにした。カレーなら隼も大好きだ。
それまでは、家を出る前におにぎりを作り、電灯の下を探しながら、空腹になると車の中で食べていた。おにぎりは手軽に食べられるし、なによりメキシコ料理に疲れたときはほっと安心を呼び起こす。隼のリクエストでおにぎりには決まって梅干を入れた。梅干の味は、ときにここは日本なのではないかという錯覚を引き起こした。今回は移動する必要がない代わりに時間がたっぷりとある。おにぎりもよいが、カレーを作るのも楽しいだろう。
クーラーボックスにはスーパーで買った肉、玉ねぎ、ジャガイモ、ニンジンが入っている。これらをアルミ鍋に入れ、ガソリンバーナーにかける。煮立ったところでカレーのルーを入れ、後は弱火にして放置すればカレーの出来上がりだ。カレーを作るのと並行して米を炊く。米をアルミの鍋に入れてとぎ、もう一つのガソリンバーナーに火をつけ、ご飯を炊く。強火で沸騰させ、水分が飛んだところで火を止めて蒸らす。カレーのジャガイモをひとつまみして食べるとちょうど良い頃合に柔らかくなっている。ご飯を紙皿に盛り付け、カレーをかける。
「いただきます!」
二つのガソリンランタンで煌々と照らされるスクリーンの前に置かれたイスに座って、出来たばかりのカレーを頬張る。メキシコは雨季でも晴れの日は乾燥している。さらさらとした風がやさしく肌をなでる。透き通った空に星が輝く。ただのカレーなのだが、この上も無くうまい。やはりキャンプにはカレーだ。
カブトムシの方は待てど暮らせど、一向に飛んでくる気配がなかった。時おりめずらしい羽虫が飛んできて喜んだり、のぞき込んで観察したりしていたが、夜も更けてさすがに隼も眠くなったのでテントに寝かせることにした。私はテントの中で横になりながら時おりスクリーンのチェックをした。夜が白んできて明け方になっても、とうとうヒルスシロカブトは現れなかった。ミツノサイカブトさえも一匹も来なかった。ただ、羽が鈍く虹色に光る美しいコガネムシがいくつか取れた。見たことも無い輝きに、南国にいることを実感した。
九月末まで二週間に一回はこのようにクエルナバカを訪れて場所を変えながらライトトラップを行ったが、ヒルスシロカブトはとうとう最後まで姿さえ見せなかった。そうして、ヒルスシロカブトのシーズンは終わってしまった。
最後の頼みのゾウカブトのシーズン終了である十月末まで残り時間はあと一ヶ月あまりだ。隼は相変わらず文句も言わずにカブトムシ捕りについてくるが、それが却っていじらしい。残り時間は確実に少なくなってきている。焦りは高まるばかりだ。

オキシデンタリスゾウカブト

十月になり、いよいよ赴任中最後のゾウカブトシーズンを迎えた。今月中がゾウカブトシーズンの期限だ。リオス博士によると、ゲレーロ州チルパンシンゴにオキシデンタリスゾウカブトがいるという。エレファスゾウカブトと非常によく似ているが、胸にある二本の角が、エレファスゾウカブトはやや前を向いているのに対し、オキシデンタリスはほぼ真横に出ているなどの違いがある。希少価値としてはエレファスゾウカブトに比べずっと高いとのことだ。エレファスゾウカブトに最後のチャレンジをする前に、オキシデンタリスゾウカブトも一度だけチャレンジしてみることにした。
例によってインスルヘンテスのロータリーにあるイネヒのコピーセンターへ向かい、ゲレーロ州の地図を入手した。リオス博士からは村の名前を聞いていた。地図で見る限りは十数軒の家があるだけの小さな村だ。等高線の間隔が狭いところを見ると、村は険しい山の間に挟まれているようだ。
次の週末、正午過ぎにメキシコシティーのアパートを出た。チルパンシンゴはメキシコシティーからクエルナバカを過ぎ、アカプルコに向かう国道九十五号線を三時間ほど行ったところにある。緑豊かなクエルナバカを過ぎると周囲の景色は荒涼とした乾燥地帯に変わる。道路は谷を下ったり登ったり、橋を渡ったりしながら南下していく。やがて道路脇にカラフルなペンキで彩られた家々が見え始める。高速道路は街に入ると自然に一般道となり、チルパンシンゴの街に入ったことがわかる。そのままチルパンシンゴの街を抜けたはずれに、注意しなければ気が付かないような薄汚れた道路標識がある。旧道への入り口だ。旧道に入ると、今までの快適な道路とは打って変わって、対向車とやっとすれ違うことができるほどの細い道路に変わる。道路は山の斜面を削って作られている。片側は山が壁となっているが、もう一方は谷になっている。道の両脇には広葉樹が茂っているが、ときどき木が無い場所があり、谷の下が見える。路肩のアスファルトが崩れているのでうっかりアスファルトから踏み外すと大変なことになる。
やがて、小さなカーブがあり、そこに谷底に下りていく分かれ道があった。道の入り口に村の名前を示す小さな看板を見つけ、それと確信できた。分かれ道を曲がるとしばらくして、棚田のような畑の中を、道は九十九折に谷の下へと降りていく。谷の下には何軒かの民家が見えた。そこが目指す村らしかった。村の背後には山水画のような切り立った山が控えている。谷を下まで降りると、道路わきのわずかな平地にレンガむき出しの粗末な家がポツポツと建っている。村人に話を聞こうと道の脇に車を止め、村の中を散策するが不思議と誰とも会わない。しかし一軒の家の前を通りかかったとき、家の中からテレビの音が聞こえた。暑い日中を避けて家の中で休んでいるのだろう。村を散策していると、木工所を兼ねた民家があった。家の横にトタン屋根で作られた簡単な作業所があり、作りかけの家具の材料のようなものが壁に立てかけられていた。作業所の横にはおが屑が山のように捨ててあり、一部は黒くなっている。だいぶ前に捨てられたもののようだ。
「もしかしたら幼虫がいるかも知れない」
隼と一緒にその辺に落ちていた棒切れを拾って、サソリやタランチュラに注意しながらそこら中をほじくり返してみたがカブトムシの痕跡すら見つからない。もう何も取れないことには慣れっこになっている。今まですべてが「ダメもと」でやってきた。
気を取り直して今夜スクリーンを張る場所を探すことにした。車に乗り込み、雑草の生えた細い砂利道を行くと小川の脇に平地を見つけた。車を止めてスクリーンとテントを張っても十分な広さで、下は芝のような短い草で覆われている。これならテントで寝ても痛くはない。
さらに砂利道を進むと山深い村には似合わない小さなコンクリート作りの建造物があり、道はそこで終わっている。車を降りると、小さな一戸建てほどのその建造物は騒音を響かせていて、よく聞くと、「ザー」という水の音と「ガー」という機械が動くような音が混じっている。どうやら山の上から引かれた水を用いて発電をしているようだ。そのミニ発電所からは村に向かって何本かの電線が延びている。発電を終えた水は小川となって、先ほどのテント設営予定地の方に流れている。発電所は人が入れないように鉄格子で仕切られているが、鉄格子の上には大きなライトが設置されている。普通ならまだ十分に明るい時刻ではあるが、切り立った山に囲まれた谷の底はすでに太陽の光が届かない。ぼやっとした薄暗さの中にライトは明るく点灯していた。
「夜になったら来てみよう」
隼と顔を見合わせてうなずいた。
来た道を戻り、先ほどの空き地に車を止めた。いつものように手早くスクリーンとテントを張る。隼も手馴れた動作でポールを持ったり、ロープを手渡したりと手伝ってくれるので、あっという間に設営が終わる。メキシコに来てもう三年もやっているルーチンワークだ。それが終わると食事の支度を始める。今日のメニューは雑炊だ。雑炊といっても炊けたご飯にだし汁を入れただけのものだが、カレーよりも簡単で涼しい夜には暖かさがおいしく感じられる。シューというランタンの音とともに、スクリーンだけが夕闇の中で明るく光を放っている。遠くにミニ発電所の音が小さく聞こえている。見上げると山に切り取られた狭い空に雲が速く流れている。
夜が更け、そろそろ眠くなる頃になったがカブトムシは飛んでこなかった。その代わり、いつものように蛾やカゲロウのような羽虫がたくさん集まってきた。
「あっちの発電所に行ってみようか?」
隼に声をかけると、隼は「うん」と言ったがよくよく考えてみると発電所までは道があるとはいえ、夜のジャングルを行かなければならない。歩いて行くとなると両脇の森や草むらから毒蛇やサソリが出てくるかもしれない。だが、車で行って細い道を踏み外すのは怖いし、車で行くほどの距離ではない。迷った挙句、歩いて行くことにした。それぞれが懐中電灯を持って、真っ暗闇のなか、足元を照らしながら両脇の草むらに怯え、道の中央を歩く。隼も後ろをピタリとついてくる。ほんの数百メートルのはずなのだがとてつもなく長く感じる。やがて、遠くに小さな光が見え、進むうちに発電所の音ともにだんだんと大きくなってきた。発電所のライトはランタンの光よりも強く辺りを照らし出していた。ライトの下や発電所の周辺を探し回ったがカブトムシは見つからなかった。しばらくそこで待ってみたが、空中を飛んでいる気配もなかった。あきらめて来た道を引き返した。
テントに戻りスクリーンを見たが、やはり羽虫しかいなかった。わずかな望みを残し、スクリーンを見張りながら横になってテントで待つことにした。寝ていても目を開ければすぐに確認できるように、スクリーンはテントから見える位置に張っている。そのうちに隼は眠りについた。涼しい風が吹き抜けていく。うつらうつらと浅い眠りを取りながら、ときおりスクリーンに目をやり、何も状況が変わってないことを確認するとまた浅い眠りに入る。こうして一晩中過ごしたが、次第に辺りが白んできて、朝になるまでとうとう何も状況は変わらなかった。ただ少し川霧が出て、ランタンの光がぼやっとにじんでいる。
隼を起こし、草についた朝露を気にしながら、昨晩炊いて取っておいたごはんを使って朝食の雑炊を作る。隼は今度もカブトムシが取れなかったことを知ると一瞬がっかりした顔を見せたが、すぐに雑炊に興味が移った。Tシャツの上に薄いジャンパーを羽織って食べる朝の雑炊は暖かく、ここが熱帯であることを忘れさせる。
「今度もだめだったか・・・」
隼にゾウカブトをプレゼントする約束を今回も果たすことができなかった。隼は単純にキャンプを楽しんでいるが、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
二週続けて、この村を訪れたが、やはり結果は同じだった。
ゾウカブトのシーズンが終わるまで一ヶ月を切ってしまった。この一ヶ月でゾウカブトが捕れなければ隼との約束を果たせないことになる。焦りは徐々に絶望に変わりつつあった。

金ばらまき作戦

次の週末は三連休だった。既に十月も半ば、これがベラクルスで活動する最後のチャンスだ。ベラクルスまでは車で八時間かかるため、往路と復路で二日必要だ。それに活動日を一日入れるとベラクルスで活動するには最低でも三日必要になる。できれば現地での活動に二、三日欲しかったが、仕事が常に多忙を極めていたので有給休暇をとるわけにも行かない。仕方なく、二泊三日で行くことにした。これまで数々の挑戦を試みてきたが、ゾウカブトの痕跡にすらたどり着けなかったことを考えると、二泊三日で手に入れられるとは到底思えなかった。思いあぐねた結果、今までの方法とは別のアプローチを取ることにした。それは、簡単に言うと「お金の力を借りる」ということだった。お金の力を借りるといってもゾウカブトを買えるわけではない。メキシコ人自体がカブトムシに関心が無いし、実際に知らないからだ。そこで、近隣の村々をめぐり、「ゾウカブトを高く買う」と触れ回ることにした。そうすれば村人も探してくれるだろう。さっそく五万分の一の地図を取り出し、ジャングルに面した村をいくつかピックアップした。そして、今回だけはライトトラップやキャンプの道具の代わりに、五〇ペソ札をたくさん用意した。村人への依頼金だ。

ベラクルス州南部の湖の畔にあるホテルに着いたのは午後四時をまわった頃だった。メキシコシティーから八時間、休み無く走ってきたためにひどく疲れていた。カブトムシ取りのためとはいえ、八時間も文句を言わずに車に揺られている隼もたいしたものだ。ベッドでひと休みしたあとに、例によってモハラ鯛を食べに出かける。お目当てのレストランは別の店に変わっていたため、近くの適当なレストランでそそくさと夕食を済ませ、その日は早く寝てしまった。

次の日、湖に面したホテルのテラスで朝食を取る。いよいよ最後のチャンスにかける日だ。とにかく、今日はなるべく多くの村を訪れ、依頼金をばら撒かなければならない。とはいえ、村から村への移動時間、村人への説明や依頼の時間を考えるとどれほどの村を訪れることができるか、見当がつかなかった。とにかく行けるだけ行ってみるしかない。
目指す村の多くは奥深い山すそにあるため、すぐ近くの村に移動するにもかなり回り道をしなければならない。おまけに、村に行くには石がゴツゴツした林道を注意深く運転しなければならないため、地図で見る距離よりもはるかに時間がかかった。苦労してたどり着いた村なのに、村人が総出で野良仕事に出ているためか、誰もいない村もあった。
四回目に訪れた村はなだらかな山の中腹にあり、村の背後がジャングル、遠くにキラキラと光るメキシコ湾を臨んでいた。村の回りは緩やかな牧草地が広がっていて、この村が酪農で生計を立てていることを思わせる。村は、格子状の道に面して、十数戸が一定の間隔を保ちつつ点在していた。どの家も隙間だらけの木板を並べているか、コンクリートむき出しの粗末な造りであった。車でゆっくりと村の中ほどに進むと、数人の子供たちが鬼ごっこのような遊びをしていたが、我々の見慣れない車を見ると遊びを止め、道脇からじっとこちらを観察している。車を道の横に止めて隼と一緒に外に出て、「こんにちは」とまず子供たちに声をかけた。
子供たちからもすぐに返事の挨拶が返ってきた。我々は持ってきた昆虫図鑑を開いて見せ、
「このカブトムシを探しているんだけど、知らないかい?」
と聞き込みを始めた。いつの間にか子供たちは十数人に増えていて、大人も何人か集まってきた。
するとその中の三十歳くらいの女性が話しかけてきた。少しふっくらとした体形だが、髪の毛や肌のつやに疲れが見て取れ、生活環境が推し量れた。彼女の名前はエベールと言い、
「そのカブトムシは知っている、死んだものでよければあげるよ」
と言う。
「えっ?持っているの?」
と驚いて聞きなおすと、
「持っている」
と答える。隼も、
「死んでいてもいいから欲しいよう」
と言う。エベールは隣にいた十歳くらいの女の子に何やら指示すると、
「大丈夫、娘が取りに行ったから」
と微笑んだ。しばらくするとエベールの娘は、ほこりまみれで蜘蛛の糸が絡まった白っぽい物体をつまむようにして持ってきた。その物体には角があり、角の先にタコ糸が結ばれていた。まぎれも無くゾウカブトだ。それも特大の大きさだ。ミイラ化して足のほとんどは折れていたが、胴体と角は健在だ。角の先にタコ糸が結ばれているということは、カブトムシで遊んでいたということだろうか?
「これだよ、探していたものは!」
叫ぶように言うと、エベールも戸惑いながらうれしそうにうなずいた。
「隼、やったな!この村にはゾウカブトがいる!」
「うん、やったね!」
メキシコに来て初めてつかんだゾウカブトの痕跡、いや実在の証拠だった。エベールは、
「こんなものはあげるよ」
とただで我々に渡そうとした。そこで、
「これを一〇ペソで買う」と言って無理やり一〇ペソコインをつかませた。我々がカブトムシに対して気前がよいことを印象付けたかったからだ。エベールは「なんでこんなものを?」と怪訝そうに、でも悪い気はしていない様子で一〇ペソを受け取ってくれた。そこに、いつの間にかエベールの夫らしき男性が現れた。歳は三十五歳くらいか、陽気な旦那さんだ。聞くと、ゾウカブトはこの辺にいることは確かだという。
そこで、「カブトムシを一匹三十ペソで買う」と切り出したところ、エベールの夫はにやりと笑って「わかった、捕まえたら電話する」と答えてくれた。三十ペソが彼らにとってどれだけ価値があるかわからなかったが、ビールが一本六ペソくらいなので貧しいこの村の人々にとってはちょっとした小遣であることは間違いなかった。
「カブトムシを捕まえたらここに電話してください」
と自分の携帯電話の番号をメモに書いて、電話代だと言って五〇ペソを一緒に渡した。エベールの夫はうれしそうに受け取って
「何か連絡があったら電話してくれ」
と、道路の角にあるちょうど大人が一人立って入れるくらいの小さなコンクリート製のボックスを指差した。ボックスの中には電話が一台、ボックスの上には太陽電池とアンテナが設置されており、それが電話ボックスであることがわかった。それは村でたった一台の電話で、共同で使っているとのことだった。村の名前はマリオ・ソーサと言い、エベールに連絡するときはその電話から呼び出してもらうらしい。
「それでは電話をお願いします」
と念を押して村を離れようとすると、かたわらにいたおじさんが
「ちょっとお待ちなさい」
と声をかけてきた。
「あんたらはめずらしい動物を探しておられるようじゃのう」
はい、と答えるとおじさんはいたずらっ子のように笑いながら尋ねた。
「ヘビはいらんかね?」
「へっ?」
「ヘビじゃよ、ヘビ!」
「け、結構です!」
おじさんには丁重にお断りを入れてその場を後にした。
結局、その日は七つほどの村を訪ねることができたが、マリオ・ソーサほど確かな手応えを感じた村はなかった。
翌日、ふたたび八時間かけてメキシコシティーに戻った。いつもは単調なドライブも、このときばかりは余韻と期待に浸りながらの楽しい帰路となった。隼は、箱に入れたゾウカブトのミイラを何度も出しては見入っていた。

長い待ち時間

十一月に入り、メキシコシティーは雨季から乾季に移り変わった。十一月も半ばとなり、あれから一ヶ月近く経つが、カブトムシ捕獲の一報は届かなかった。リオス博士からはゾウカブトのシーズンは十月いっぱいと聞いていた。ゾウカブトのシーズンはすでに終わっていた。最初は期待とともに待っていたが、一ヶ月もたつと次第にあきらめに変わっていた。
そんなとき、すでに半ば忘れかけていた頃だった。会社で部下と打ち合わせをしていると、携帯電話が鳴った。電話に出ると、それはマリオ・ソーサ村のエベールからだった。
「こんにちは、お元気ですか?カブトムシを二十匹くらい捕まえましたが、どうしますか?取りに来られますか?」
「えっ?本当ですか?生きていますか?」
「ええ生きていますよ、でも早くしないと死んでしまうかもしれません」
「ちょっと待ってください」
と言ってエベールに待ってもらうと、部下のカマチョに掻い摘んで事情を説明した。カマチョは私がずっとカブトムシを追い求めていることを知っているので、自分から切り出してくれた。
「カヤナミさん、仕事の方は大丈夫ですよ。私が切り盛りします。今度の週末、思い切って行ってきたらどうですか?」
仕事の方は依然として多忙を極めていた。カマチョが代わりに切り盛りしてくれると言っているが、実際のところ休めるとしても一日だけだ。今日は月曜日だ。仕事の調整をすれば金曜日には休めるだろう。金曜日に休みを取って土日に付け、二泊三日で行くしかないだろう。
「今週の金曜日、一日だけ休ませてくれ」
カマチョは快く承諾してくれた。一方、エベールには、
「今週土曜日に行きます。都合はいかがですか?」
と答えると、大丈夫だと言う。
「必ず行きますから、生かしておいてくださいね」
と念を押した。
「わかりました。待っています」
と、エベールも自信を持った口調で答えた。
電話が終わるとカマチョがうれしそうに声をかけてくれた。
「カヤナミさん、ついにやりましたね」
このときほどカマチョの存在がありがたかったことは無い。金曜日の仕事をすべて彼に引き継ぐと、何度も礼を言った。

食中毒事件

その日の夕食は、スパゲティ・ポモドーロ(トマトのスパゲティ)にすることにした。
たまたま前日の日曜日にスーパーに行ったところ、おいしそうなトマトを見つけて買っていたからだ。日本で見る丸い形のものではなく、長細い形をしている。イタリアでよくトマトソースに使われる品種だ。以前から何度かこのトマトを買ってスパゲティ・ポモドーロを作って食べたことがあるが、メキシコの太陽を浴びたトマトは甘くコクがあり大変おいしかった。今回も、期待を裏切らず、トマトはオリーブオイルとニンニクともに火を入れるとその甘みとコクはいっそう引き立ち、我々は満足してそれを食した。

その夜、隼を寝かしつけたあと、一時間ほどして菜穂子が隼の様子を見に行って叫び声をあげた。
「隼が吐いている!それに様子が変!」
あわてて隼の部屋に行くと、隼はぐったりとして意識が朦朧としている様子だった。隼のパジャマやベッドに嘔吐物がべったりとついている。
「とにかく、胃の中のものを全部吐かせよう。それから俺がシャワーを浴びさせるからその間にベッドをきれいにしておいてくれ」
私は菜穂子に言うと、隼をシャワールームに連れて行った。服を脱がせようとすると、隼は自分では立つことができず、ペタンと座り込んでしまう。どうにか服を脱がせてシャワーを浴びさせていると、またすぐペタンと座り込んでしまう。明らかに様子がおかしい。座り込んでしまったらそのまま意識が無くなってしまうのではないかと不安がよぎり、私は隼に大声で叫んだ。
「座るな!立て!」
菜穂子が戻ってきた。
「シーツを取り替えたからベッドは使えるわ。隼の様子はどう?」
「やはり様子が変だ。とにかくシャワーを浴びさせたらベッドに寝かせよう」
隼は相変わらずふらふらしているが、私の大声にどうにか意識を保っている様子だった。そのうちに気が付いたら菜穂子がどこかへ消えていた。とにかく今は隼にシャワーを浴びさせることのほうが先決だ。周を洗っていて、次の瞬間ふと気が付くと顔が冷たい壁に張り付いている。いや、壁ではない。シャワールーム前にある脱衣所の冷たいタイルの床だ。さっきまで周を洗っていたはずなのに、なぜ今、自分が冷たい床に顔を付けているのか理解できない。頭全体が耳鳴りのようにじんじんしていて、気を抜くと意識が遠のく。床に接した視線の向こうに、座り込んだまま、降り注ぐシャワーに打たれている隼が見える。
「そうか、俺は意識を失っていたのか・・・」
電灯がついているはずなのに薄暗がりに見える。もしかしたら目の神経もいかれているのかも知れない。立ち上がろうとすると、激しい吐き気をもよおした。幸い、すぐ横に便器があったので突っ伏してそのまま胃の中のものを出した。とにかく隼だけはどうにかしなければならない。遠ざかる意識を懸命に引き戻しながら、ぐったりする隼をシャワールームから出し、体を拭いてパジャマを着させた。私には隼を抱き上げる力が残っていなかった。這いつくばって隼を引きずりながらシャワールームの隣の部屋に出ると、カーペットの上に菜穂子が横たわっていた。菜穂子はここで力尽きていたのだ。
「手伝えなくてごめんなさい・・・、私も気分が悪くなって吐いた・・・」
そういうと菜穂子は力なく目を閉じた。
隼をベッドルームに寝かしてあげたかったが、もうそれ以上動く力が残っていなかった。菜穂子の横に隼を寝かせ、自分もその横に倒れ込み、親子三人、川の字になって横たわった。三人で横になると安堵したのか再び意識が遠くなっていくのがわかった。
「こうやって人間死んでいくのか・・・」
薄れ行く意識の中で思った。明日の朝はみんな死んでいるかもしれないが、なぜか死に対する恐怖心はなかった。ただ、菜穂子と隼に対して、自分がメキシコに連れてきてしまったために死なせてしまうことを申し訳なく思った。隼と約束したゾウカブトも、あと一歩のところで諦めざるを得ないことが心残りだった。

あくる朝、窓から差し込む太陽の光で目が覚めた。自分は死んでいないようだ。菜穂子と隼も死んでいないようだ。呼吸によってかすかに体が動くので、二人とも生きているとわかる。それにしても、二日酔いのように気分が悪い。そのままカーペットの上でもう少し寝ることにした。
あたりがすっかりと明るくなる頃、三人とも目を覚ました。少し気分の悪さが残るがだいぶよくなった。隼も多少ふらつくが、どうにか歩くことができる。
今日はゆっくり休むことにしよう。カマチョには電話で事情を話し、仕事の指示を出した。午後になり、三人で近くの医者に行ったが原因は不明とのことだった。後遺症等の心配はなさそうだが、とりあえず数日は無理をしないようにと指示を受けた。
それにしても何だったのだろうか?三人とも気分が悪くなって吐いたので食中毒の一種だろう。三人が共通して食べたのはスパゲッティだ。スパゲティの食材の中で、オリーブ油、パスタ、ニンニクは以前も使っている。水はミネラルウォーターを使っている。そうすると残る食材はトマトしかない。しかし、なぜトマトが食中毒を起こすのだろうか?昨夜の症状は明らかに普通の食中毒とは違っていた。突然意識が無くなったり、明るいのに回りが暗く見えたり、頭がじんじん耳鳴りのように響いたり、神経に障害を起こすタイプだ。
そういえば、ある会社の社員食堂で出された牛肉で、目や半身の知覚や運動に障害がでるという食中毒が起こったことがあった。原因は牛肉の中に残っていた成長ホルモンらしい。つまり、神経に障害を及ぼす食中毒は、化学系の物質が原因である可能性が高いということだ。トマトに使われている化学系の物質といえば、農薬か成長促進剤のようなものだろうか?長いこと忘れていたが、メキシコの野菜にはまれにだが農薬が残留していることがあると、着任時に言われたことがある。結局この事件は迷宮入りとなってしまったが、我々家族の結論は「限りなくトマトが怪しい」ということだった。
幸いなことに、その日の午後から症状は回復に向かい、後遺症も残らなかった。ただ、我々はそれ以来、トラウマでメキシコのトマトが食べられなくなってしまった。あんなにおいしかったのに。しかしそれよりも、家族三人こうして生きていられることが何よりもうれしかった。隼との約束を守るチャンスは、まだ残されているのだ。

最後のベラクルス

食中毒事件から二日も経つと、体調はだいぶ回復していた。あれはなんだったのだろうか、これなら予定通り金曜日にベラクルスへ行けるかも知れない。いや、ベラクルスへ行こう。何としてでも。無謀かも知れないが、一週間伸ばしたら、カブトムシが全部死んでしまうかもしれない。チャンスを逃したら一生後悔することになる。
ベラクルス行きを決意し、一緒にベラクルスへ行く父子を募ることにした。体調が回復したとはいえ、まだ安心できない。片道八時間を交代で運転してもらい、移動の負担を減らすためもあるが、このまたとない機会をともに喜び合う仲間が欲しかった。ところが、なかなか同行者が見つからなかった。メキシコ赴任者の誰もが多忙を極めているために、すぐには調整がつかなかったからだ。
そんな中、同じアパートに住んでいる江藤さんが名乗りを上げてくれた。忙しい中、わざわざ仕事を調整してくれたのだ。江藤さんには小学校一年生になる男の子がいる。名前を拓馬という。隼とは二つ違いで虫好きだ。江藤さん親子なら心強い。
金曜日、出発の日朝七時、申し合わせた通り江藤さん親子がアパートの呼び鈴を鳴らして訪ねてきた。江藤さんの部屋は階段を一つ上がったところにある。いわばお隣同士のようなものだ。こちらも準備はできている。アパートの地下駐車場に向かうとすぐさま車に乗り込み、素早くアパートを出発した。ベラクルス行きでいちばんの難所はメキシコシティーだ。ちょっと出発が遅れると、そのために激しい渋滞に巻き込まれて何時間も余計にかかったりする。平日は特に朝の渋滞が激しい。江藤さんもそのことはいやというほど知っている。
メキシコシティーを東に向かう大通り、ビアドゥクトは予想通りすでに渋滞していたが、幸いそこそこ流れていた。一時間半ほどでシティーを抜けるとドライバーを交代してひたすら東を目指す。ドライバー交代ができると本当に楽だ。江藤さんに同行してもらったのは正解だった。途中、高速道路脇のドライブインで簡単な食事を取り、午後四時にベラクルスのホテルに着いた。江藤さん親子と我々はそれぞれ部屋を取り、ホテルで仮眠を取ることにした。そのあと食事に行き、夜の灯火採集に出かけることにした。

目を覚ますとすでに夕方六時を過ぎていた。ロビーに行くと、すでに江藤さん親子が待っていた。モハラ鯛を食べに行こうと誘うと、ぜひということで、湖に面したレストランに行くことにした。十一月はすでに観光シーズンが終わっているのか、客はまばらだった。すでに暗くなっているので残念ながら湖の風景は楽しめない。対岸の街灯がぽつぽつといくつか遠くに見えるだけだ。レストランのさびしさとは対照的にモハラ鯛は相変わらず美味しかった。江藤さん親子も初めて食べるモハラ鯛の味に驚いていた。
食事が終わると灯火採集に出かけた。拓馬は初めてのカブトムシ捕りにはしゃいでいた。
「カブトムシが捕れるといいね。でも、おじさんと隼が今までカブトムシを探してきて、捕れなかったことのほうがずっと多いんだよ。だから、捕れなくても当たり前だと思っていてね」
拓馬に期待を持たせすぎて、がっかりさせたくなかったので最初に言っておくことにした。拓馬は素直に納得した。隼は実際、捕れないことに慣れっこになっていた。そういうものだと思っているようだ。今まで捕れないことに不満をもらしたことは一度も無い。明日マリオ・ソーサを訪れるが、それとて本当にカブトムシが手に入るのか、まったく自信も確証もない。悪意でなく、別のコガネムシか何かをカブトムシと言っているのかも知れない。
ガソリンスタンドや国道沿いの街灯など、以前ミツノサイカブトを採集した場所を中心に回ったが、不思議なほど何もいない。蛾でさえもちらほらと数匹が舞っている程度だ。それにしても寒い。エクストレイルのメーターに表示されている外気温計の表示を見ると十八度だった。この町は標高も低く、メキシコ湾の最南端に近い場所だ。十一月とはいえ、十八度は低すぎるのではないか?この地域の十一月の平均最低気温は二十二~二十三度だ。後で知ったことだが、このときは大型の低気圧が通り過ぎたあとで、季節はずれの寒気が流れ込んでいたらしい。江藤さんと子供たちには、今夜は異常なほど気温が低く、灯火採集に期待が無いことを伝えた。子供たちが風邪をひかないよう、大事を取って灯火採集は早々に切り上げることにした。
子供たちに、
「明日、ゾウカブトをゲットできるといいね」
と言って部屋に戻った。

再びマリオ・ソーサ

翌朝、我々はホテルのテラスで朝食を取った。東から昇った朝日が湖面にきらきらと反射しているが、吹く風は弱いながらもひんやりとしている。相変わらず寒気は居座っているらしい。みんな、長袖を着ている。サンドイッチを食べ、生オレンジジュースを飲みながら、言葉には出さないものの、待ちに待った、探しに探したゾウカブトとの出会いがもうそこまで来ていると思うと、はやる気持ちを抑えきれない。
朝食が終わるといよいよマリオ・ソーサ村に出発だ。ホテルを出て町の中心を通るとき、車の中から左手にある小さな教会が見えた。今までこの町の教会をもまじまじと見たことはなかったが、江藤さん親子には初めての町だし、自分でもこれが最後になるだろうと思い、少しだけ教会を眺めることにした。どの町にもある、取り立てて観光するほどの教会でもないが、黄色に塗られた壁に茶色で縁取りされた風貌は派手なメキシコの建物の中でも目を引いた。
我々が道端に車を止め、車外に出ると道端にいたおじさんが陽気に声をかけてきた。
「やあ、よく来なさった。村ではカブトムシを用意してあんたらを待っているよ」
なぜこのおじさんは我々のことを知っているんだ?一瞬ぎょっとしたが、よく見るとそのおじさんはマリオ・ソーサ村で「ヘビはいらんかね?」
と言い寄ってきたヘビおじさんだった。おじさんは村で取れた農産物か何かを町に来て売っているようだった。小さな村なので我々が来ることはあっという間に村中の人に知れ渡っているに違いない。
「やあ、ありがとう。これから村に行くところです」
我々はまたヘビを売りつけられないように早々にその場を離れた。
マリオ・ソーサ村は町から一時間弱ほど車で行ったところにある。町から山を迂回し、海に面した斜面に出る。ここまではきれいとは言わないまでもアスファルトの道路だが、道の脇にぼんやり運転していると見落としてしまいそうな林道への入り口がある。道先案内もない。実際、先月来たときは何度も見落とした入り口だ。だが、今日は迷わずそこに入っていける。林道に入るといきなり石がゴツゴツと突き出た悪路になる。全員、体が転がらないようにグリップにしがみつく。しばらく行くと比較的平坦な道となり、道の両脇には整然と並木が植えられ、その向こうには牧草地になっている。村へと続く道だ。牧草地のはるか彼方にメキシコ湾が見える。
十五分ほど走ると村についた。何人かの子供たちが道端で遊んでいたが、我々の到着に気付くと遊びを止め、じっとこちらの様子を窺っている。我々はエベールの家の前まで車を進めた。エベールの家はコンクリートのブロックを積み重ねた小さな家だ。車を降りると家の玄関先から声をかけた。
「こんにちは」
すぐに、エベールとエベールの夫、おばあさんと子供たちが家の奥から出てきた。
「こんにちは。お待ちしていました」
エベールもあいさつを返した。エベールの夫が待ちきれずに続けた。
「さあ、こちらにカブトムシがいますよ」
エベールの夫は数メートル離れた小屋を指差した。小屋は木の板を縦に並べ、屋根を被せた簡単なものだった。エベールの夫に連れられて小屋に向かって歩いて行く。長い間追い求めたゾウカブトがすぐそこにいると思うと、胸が高まるのがわかる。隼も無言で後に続く。小屋に入ると、中は電灯も窓も無く、板で張られた壁の隙間から外の光が差し込んでいる。暗がりに目が慣れてくるとテーブルが見え、次にテーブルの上に置かれた鍋などが見えた。壁に棚が設置されており、そこにも調理道具が置かれている。どうやらここはキッチンのようだった。床は土間になっていて、テーブルの横には竈らしきものもが設置されている。エベールの夫は「こっちだ」と言って手招きをしながら小屋の奥に案内した。小屋の隅の暗がりに、鳥かごのようなものが置いてある。エベールの夫はそれを取り出すと我々の前に置いた。鳥かごは手作り製らしく、家の形に組んだ木枠に金網が張ってある。鳥かごの中は葉のついた木の枝で満たされていて、なぜかトルティージャが入れてある。薄暗いため、葉とトルティージャしか見えない。本当にゾウカブトは中にいるのだろうか?
エベールの夫は、我々がいぶかしがっていることを察知したのか、鳥かごを開け、木の枝をひとつ取り出した。
「ゾウカブトだ!」
その瞬間、まぎれも無いゾウカブトが目に飛び込んできた。隼は言葉を発しなかったし身動きもしなかった。放心状態でゾウカブトを眺めるだけだった。隼は二年半の間、ゾウカブトの夢をひたすら裏切られ続けてきた。いや、それが当たり前だと刷り込まれているのかも知れない。二年半は子供にとって、とてつもなく長い時間だ。隼には目の前の出来事が現実とはすぐに理解できないでいるのだろう。エベールの夫はゾウカブトをひとつ取りだし、隼の手に乗せてくれた。長い間追い求めたゾウカブトを手に入れた瞬間だった。ゾウカブトは隼の腕をゆっくりと登る。引き離そうとすると腕にしっかりとつかまってしまい、隼の力では引き離せない。無理やり引き離そうとすると足の爪で皮膚に引っかき傷ができてしまうが、それでも離れない。日本のカブトムシに比べ、大きさも大きいが力も並外れて強い。その力強さと痛さに、隼もゾウカブトを手に入れた実感が湧いてきたようだ。
「痛―い!」
ようやく隼が言葉を発した。と同時に、放心状態の顔が笑顔に変わった。エベールの夫が次から次へとゾウカブトを取り出して隼の体にくっつけるので、隼の体がゾウカブトだらけになってしまった。ゾウカブトたちはもぞもぞと隼の体を登っていく。隼はゾウカブトを自分の体から引き離して虫かごの中に入れようとするが、そのたびに引っかき傷ができる。
「痛っ、痛たた!」
とうとう隼の腕や首が、引っかき傷だらけになってしまった。
「すごい力!すごい力!」
隼は傷だらけになりながらも、ゾウカブトの力強さに興奮が抑えきれない。
「やったー!でっかい!かっこいい!」
とうとう隼は喜びを爆発させた。二年半堆積した我慢がついに開放されたのだ。
拓馬は、隼の腕にしがみついたゾウカブトが取れなくなるのを見て、ゾウカブトの背中を巧みにつまんでいる。
「すごい!でっかい!」
拓馬も興奮して大声をあげた。その顔は純真な笑みであふれていた。
数を数えると、生きているものは十八匹、そのうちオスが四匹、メスが十四匹だった。一匹ずつ持ってきた虫かごに収め、木の枝を移した。トルティージャを見ると少しかじった跡があり、ゾウカブトの餌にしていたようだ。トルティージャをカブトムシの餌にするという発想は我々日本人にはないが、さすがメキシコ、虫の餌にもトルティージャだ。日本だとカブトムシにご飯をあげるようなものだ。約束どおり一匹三〇ペソで譲り受けることにした。死んだものも十数匹あるというので、標本用にまとめて一〇ペソで引き取ることにした。それにしても、十数匹も死んでしまった原因はトルティージャを食べさせたからではないか?と思った。
エベールの夫は代金を手にすると、ちょっとした臨時収入に上機嫌になった。どのように捕ったのか聞いたところ、エベールの夫が自分で捕ったとのことだった。場所を聞くと、「山のほう」とだけ答え、どこの山かは教えてもらえなかった。村の周囲はすべてジャングルに覆われた山だ。自分で探すことはあきらめた方がよさそうだ。
虫かごを車に積み込み帰り支度をしていると、エベールの夫が
「また欲しくなったら電話してよ」
と言ってくれた。だが、うれしそうな顔を見るとこれが最後だとは言えなかった。我々はエベール家族に何度もお礼を言ってマリオ・ソーサ村を離れた。エベール家族も笑顔で送ってくれた。

車の中で子供たちに、「これからどうする?」と聞くと、「カブトムシと遊びたい!」という元気な声が返ってきた。
江藤さん親子はベラクルス来るのは初めてなので、観光するという手もあったが、子供たちはカブトムシに夢中で観光などしている場合ではなかった。その日子供たちは、一日中飽きることなくカブトムシと遊んでいた。

その夜、もう一度灯火採集に出かけた。気温は昨晩よりさらに低く十七度だった。街灯に虫は集まっていなかった。ジャングルを抜ける真っ暗な道で車の窓からふと夜空を見ると、妙に星がきれいなことに気が付いた。路肩に車を止めて空を見上げると、見たこともない満天の星空だった。満天の星空は灯火採集やライトトラップのときのキャンプで見慣れていたが、今日のものはまったく違う。折から乾燥した寒気が吹き込んだため、空気中の塵芥と、わずかな靄までもがすべて吹き流され、熱帯には珍しく澄み切った空になったのだ。夜空全体が白っぽく光っているように見える。よく見ると、空が光っているわけではなく、そこは粉のような微細な星でびっしりと埋め尽くされていた。黒塗りの車の塗装に砂ほこりが積もると、全体が白みがかって見えるが、よく見るとほこりの微粒子が見える。ちょうどそれと同じように、星の微粒子がはっきりと確認できる。天文図鑑のグラビアを見ているようだ。思いがけないプレゼントに四人はいつまでも夜空を眺めていた。

帰国

十二月に入ると予定通り帰任辞令が出た。もっと残りたかったが、すでに後任も決まっていて残れるはずもなかった。帰任が決まると帰国の準備や仕事の整理が忙しくなり、気が付くとあっという間に三月になっていた。

三月末、帰国まで一週間を切る頃、帰任者の送迎会が開かれた。その頃、会社の同僚たちは韓国料理にはまっていた。メキシコシティーの中心部にはコリアタウンとまではいかないが、韓国レストランや韓国食材スーパーが集まっている地域がある。会社の同僚たちは一年ほど前からメキシコシティーの韓国料理が結構いけることを発見していた。日本料理も悪くはないが、生の魚に期待できない。その点、韓国料理はがっかりしないですむ。レベルが高いメキシコの牛肉を使っているので焼肉もおいしい。今回はこの韓国レストランを貸しきっての送迎会だった。ほかの客がいないので思いっきりはめをはずすことができる。
メキシコ駐在の日本人スタッフ十四名とその家族、それに藤川先生も駆けつけてくれた。帰任は私と野原さんの二家族だった。我々はメキシコビールで乾杯し、焼酎代わりにテキーラを飲んだ。焼肉をつつきながら、メキシコ駐在の苦しかった思い出、楽しかった思い出を語った。私も菜穂子も、一緒に帰任する野原さん夫妻も、メキシコ生活の緊張感から解き放たれると思うと、開放感のためにすっかり酔いが回ってしまった。ふと気付くと、隼はほかの子供たちとそこら中を走り回っている。その後ろから藤川先生が子供たちをこちょこちょとくすぐりながら追い掛け回している。子供たちは「捕まらないぞ」、と大騒ぎしながら逃げ回っているのだ。藤川先生は見かけによらず、天真爛漫なじゃじゃ馬だとそのとき気が付いた。単身メキシコに乗り込むような人だから、考えてみればそれ自体が天真爛漫だ。そのうちに隼が藤川先生に捕まってしまった。
「隼くん、カブトムシ捕れた?」
藤川先生はこちょこちょを止めて隼に聞いた。そういえば、藤川先生にカブトムシが捕れたことを報告するのをすっかり忘れていた。
「うん!こんなに大きいのが捕れたよ!」
隼は自慢げに両手で大きな卵形の輪を作り、藤川先生に見せた。
「えー?そんなに大きいのが捕れたの?よかったね!」
藤川先生も無邪気に喜んでいた。思えば、ゾウカブトのゲットのきっかけになったのは、藤川先生がリオス博士の連絡先を発見してくれたからだった。でもそのためには藤川先生が現地採用になり、私が先生にカブトムシの相談をする必要があった。その相談に至ったきっかけは、私が藤川先生のスペイン語研修のときにカブトムシ捕りの夢を語ったことによる。そしてそのまたきっかけは、私と隼がゾウカブトを捕る約束をしたことによる。すべての織糸が一見脈絡もなく絡まっているだけのように見えるが、全体を見ると織物のように織り込まれている。そのどれが欠けてもゾウカブトと出会うことができなかった。
そんなことは何も知らずにふざけあっているこの二人は、実は約束と偶然でつながっている。それを知っているのは私だけだ。そう思うと、不思議な運命のつながりを感じる。
「うん、父さんと約束したんだよ」
隼はいつの間にか「パパ」ではなく、「父さん」と呼ぶようになっていた。三年もかかってしまったが、隼との約束を果たせて本当によかった。そのかげには、我々家族が危機のときに助けてくれた日本人赴任者家族の方々の助けがあった。仕事を引き受けてくれ、カブトムシ探しに協力してくれたメキシコ人スタッフの支援があった。ゾウカブトに関する有力な情報を調べてくれた藤川先生の協力があった。そして、私を信じ自分を犠牲にして付いてきてくれた菜穂子の献身があった。これらの存在なくしては、隼との約束は果たせなかった。今、こうしてぼんやりと三年の月日を振り返ってみて、あらためて思った。それは、お世話になったすべての人たちへの感謝ということだ。私は、メキシコ生活で関わりあったすべての人たちに心の中で「ありがとう」と言った。
赴任が決まり、
「そうだ隼、メキシコへ行ってカブトムシを捕ろう!」
そう宣言した日が思い出される。その日から、この冒険と偶然と感謝の日々がつながっていたのだ。
私は席を立ち、隼を捕まえている藤川先生の方に歩いていってお礼を言った。
「藤川先生、本当にありがとうございました。隼がゾウカブトに出会えたのも藤川先生のおかげです」
藤川先生は笑いながら言った。
「だから、『先生』じゃないってば!」

帰国の前日、アパートの最後の荷物をすべて引き払うと、部屋の中はがらんとして、そこに家族の生活があったことがまるでうそのように感じられる。三年間、ゾウカブトを追い求めたことが夢のようだ。
「ここでゾウカブトを飼ったんだよね。メロンをおいしそうに食べていたよね」
隼が部屋の片隅を指差した。ベラクルスから持ち帰ったゾウカブトは衣装ケースに入れて、餌にはメロンを与えて飼っていた(メキシコのメロンはバナナと同じくらい安い)。衣装箱は隼の指差す部屋の片隅に置かれていた。その後、ゾウカブトは一ヶ月ほど生きていた。
私は菜穂子に、
「俺と隼の我がままを三年間我慢してくれてありがとう」
とお礼言った。週末ごと私と隼がいなくなるので、菜穂子にはだいぶ不自由をかけた。菜穂子の好きな旅行を何度もあきらめてもらった。菜穂子は、
「家に子供が二人もいると大変だったわ。でも、一生の思い出になったんだからよかったわ。その経験は二人の宝物ね」
と許してくれた。そして、メキシコ生活を振り返った。
「わたしも、メキシコに来る前は不安だったけど、来てみてよかったわ。いろいろあったけど、楽しく暮らせたしね」
そうした思い出も、部屋を片付けてしまうとまるで幻だったかのような錯覚に陥る。三人でアパートの部屋を掃除し、記念写真を撮った。そして、三年間の大切な体験の舞台であり、我々の生活を見守ってくれていたアパートにお礼を言いった。部屋を後にするとき、隼が言った。
「父さん、約束を守ってくれてありがとう」

おわり

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